record:15.刻む言葉
寒い。
手足の感覚はないし、目の前も真っ暗だ。
起きているか、寝ているかもわからない。
ぼんやりと、耳の奥で音楽が鳴っている。真っ暗闇の視界の端に、白い花びらが舞っていて、自分の手の届かないところに落ちていく。
カナタを追いかけなきゃいけないのに、体が重い。
少しだけ、休んでもいいかな? そうしたら、また走れるから。
ふいに落ちていく感覚がして、ヨーダはそのままその感覚に身をゆだねた。
ふわりふわりと落ちていく。少しづつ光を浴びるように手足が暖かくなって、指先からゆっくり感覚が戻っていく。
ヨーダ、と、自分を呼ぶ声が聞こえた。もう少しこの優しい感覚に身をゆだねていたかったが、何度も名を呼ぶその声が今にも泣きそうなほど震えていたので、ヨーダは心配になって重いまぶたをひらいた。
「……ヨーダ!」
まぶたを開くと、目の前に音符が飛んでいた。音符はくるくると螺旋を描き、魔法陣を形成する。
そして自分の顔を覗き込む顔が2つ。
「カナタ……ジジ?」
今にも泣きだしそうな顔をしたカナタと、カルミナとフルートを手にしたコルトの姿がそこにあった。
カナタが、心配そうにヨーダの名前を呼んだ。ヨーダははっとして飛び起きたが、コルトが「まだ早いぞ」とヨーダを再びその場に寝かせた。
「なんでここにいるんだよ……なんで」
ヨーダは遠くで時計塔の鐘が12回鳴ったのを聞いて、絞り出すような声で言った。カナタは「ごめんなさい」とヨーダに小さく頭を下げる。
「お前のことが心配で、街の中を通ってわしを呼びに来てくれたんだ。謝らせるのは違うだろう」
コルトが窘めるようにヨーダに言った。でも、聴かせてやりたかったんだ。エクリアの星が降るような演奏を。
でもそうか。そうだよなぁ。ひとり街の中を通って大通りにあるカルペディエムまで行くことが、カナタにとってどれほど勇気がいることなのか。危険なことなのか。理由は知らなくてもヨーダはわかっているつもりだった。
「……ごめん、ひとりで行かせて。怖かったよな」
ふるふると、カナタが首を振る。
「ヨーダになにかあるほうがこわい」
カナタの目から、大粒の涙がこぼれた。泣かせるつもりなんてなかったのになぁ。自分のふがいなさに、ヨーダも泣きたくなっていた。
天井まで広がる、音符でできた魔法陣を見ながら、ヨーダはコルトの演奏するフルートの音色を黙って聞いていた。次第に手足の感覚が戻っていく。
感覚が完全に戻ると、魔法陣が逆回転して演奏を止めたコルトの持つカルミナの中へと吸い込まれていった。起きてもいいぞ。とコルトがヨーダに言う。
ヨーダが起き上がると、いたくない? とカナタが心配そうに聞いた。
痛くないよと伝えると、カナタはヨーダに飛びつき、また泣いた。
その様子を見ていたコルトは、ほっほう……と意味深な笑みを浮かべている。
ヨーダは恥ずかしくなったが、カナタを無理やり引きはがすことはしなかった。
「それにしてもおまえたち、こんなところで会ってたのか。なるほど、というと、この前の幽霊騒ぎも」
コルトが立ち上がりながら、礼拝堂のステンドグラスを眺めて言った。涙をぬぐい、ヨーダから離れたカナタが心配そうな表情を浮かべていたので、大丈夫だよとヨーダはカナタの頭に手をのせた。
「ジジ、ここにカナタがいることは秘密なんだ。だから」
「なぁに、誰にも言わんよ。ただ、この教会はだいぶ老朽化が進んでおるからの。遊ぶのなら、気をつけないといかんのう」
ゆっくりと礼拝堂を歩きだしたコルトが、一枚の絵画の前で立ち止まった。その絵画をしばらく眺めて、コルトはふっと笑った。
ヨーダとカナタは顔を見合わせ、首をかしげる。
「さて、わしは帰るとするかのう。おまえたちはどうするのかね? 一緒に店で昼飯を食うか?」
コルトがそう訊くと、カナタが小さく首を振った。
「やはり、街中を通るのは怖いかね? 今日は市場の準備があるからの、コートラスの人間のふりをすれば誰にも気が付かれないとおもうんだが……」
それでも、カナタは首を縦には振らなかった。街のひとけがなくなる夜まで、またここにいると言う。ヨーダは自分も付き合うと、コルトに伝えた。
「夜か……一応コートラスの人間は、夜八時以降の外出は禁止しておるから、帰るならその後じゃな。大丈夫なのか? だいぶ時間があるぞ?」
ちと心配じゃのう。コルトがもじゃもじゃの口ひげを撫でつけながら、言った。
カナタは「だいじょうぶ」と、コルトに大きく頷いて見せた。
ヨーダも頷く。
「そうか。ではふたりとも、右手を出しなさい」
「みぎて?」
カナタとヨーダは顔を見合わせる。なぁに、悪いようにはせんよ。コルトがひげの下で、ほっほっほと笑う。
二人がコルトの前に右手を出すと、コルトはカルミナを開く。宙に浮くカルミナの前で、短くフルートを吹いた。
すると、二人の右手にちいさな魔法陣が浮かんだ。
魔法陣は、手の甲へ吸い込まれていく。うっすらと白い魔法陣が、二人の手の甲に刻まれた。
「何かあったら、この魔法陣がわしに知らせてくれる。カナ、気が変わったらいつでも店においで。ヨーダ、カナをよろしく頼むよ」
そう言って、コルトは廃教会を後にした。その背にカナタが手を振る。ヨーダは手の甲に刻まれた魔法陣を見つめながら、ありがとうと呟いた。




