record:12.出会い
しばらくクッキーを眺めていたカナタだったが、ヨーダが紅茶を飲み終えるのを見ると、椅子から立ち上がり玄関に向かって歩き始めた。
「カナちゃん、キュリカに帰るの?」
エルが言うと、うん。と小さく頷いて、カナタが靴を履き始める。
ヨーダは慌てて立ち上がり、玄関のドアを開くカナタを呼び止めた。
「またな」
ヨーダがそう声をかけると、カナタは振り返りヨーダの顔をじっと見つめ、それから言った。
「またね」
そうしてカナタはエルに手を振り、ヨーダにはにっこりと笑顔を見せて去っていった。
ドアが閉まる音が、大きく聞こえた。
「何もできなかった」
ぽつり、そうヨーダがつぶやくと、エルがヨーダの頭を撫でる。
「そんなことないわ。あの子の傷を癒してくれてありがとう。ヨーダ君」
「でも、何も解決してない」
カナタは今からまた暴力を受けるのかもしれない。それなのに、自分はそれを止めることができない。
「何もできないのかな」
人を守るということが、こんな風に難しいことだと今まで考えたこともなかった。
単純に、自分が弱いから、こうやってカナタを見送るしかできないのだろう。
「何もできないのは、私も同じよ。ごめんなさいねヨーダ君」
ヨーダは黙って首を振った。
強くなるしかないんだと、ヨーダは「またね」と振り返ってくれたカナタの気持ちに答えたいと強く思った。
カルペディエムに戻ると、コルトがカウンター席で珈琲を淹れる準備をしていた。
コルトはヨーダに「座りなさい」と声をかけ、珈琲サイフォンのアルコールランプに火をつけた。
しばらく沈黙した後、コルトが口を開く。
「……すべて忘れて、なにも知らない自分に戻るのなら、今が最後の機会だぞ」
ヨーダはサイフォンのガラス容器をみつめながら、首を振った。
そうか。コルトは静かにそう頷くと、じゃあ飯はちゃんと食えとカウンター席のヨーダの前にサンドウィッチを置いた。
サンドウィッチの一つを手にし、それを口に入れる。ヨーダはゆっくり咀嚼しながら、いつかカナタと一緒に食事が出来ればいいなと考えていた。
次の日の早朝、ヨーダは街の東側にある港に向かっていた。
時刻は午前七時。コートラスからの船は港に停まり、次々とコートラスの人々が船から荷を下ろしていく。
市場が開かれるのは翌日だが、すでに街の住民たちが港に集まり、めったに来ないコートラスの貨物船に興味津々でいる様子だった。
ヨーダは貨物船に夢中な住民たちの後ろを通り抜け、市の準備をしているコートラスの人々を眺めながら歩いていた。
コートラスの人々は皆、街の住民より身なりが良い。そして顔色もよくはつらつとしている。
いつも来るエルトネの人々もそれなりに身なりが良く人当たりも良かったが、それ以上にコートラスの人々は表情が豊かで元気だった。
ヨーダは歩きながら、まだ店が開くわけではないが準備されている品物の中に音楽に関するものがないかを探していた。
仮設テントの下、並べられた商品を確認する。今までエルトネの船が来たときは音楽に関するものが売られているのを見たことがなかった。
様々な店を見て回ったが、やはりコートラスの船も音楽に関するものは売りに来ないのだろう、楽器どころかレコードや楽譜なども見かけることはなかった。
少しは期待していた自分が、なんだか馬鹿みたいだなとヨーダは思った。他になにかカナタが喜びそうなものを探そう。ヨーダが来た道を引き返そうと振り返ったときだった。
どん、と何か固いものが顔に当たって、ヨーダはよろけて地面にしりもちをついた。
顔を上げると、目の前には縦長で黒い大きな革のバッグを抱えた人物が立っていた。
大きなバッグで顔は見えないが、花柄のロングスカートと赤いハイヒールを履いていることから、女性だろうか? とヨーダは思った。
その女性と思しき人物は、立ち上がろうとしていたヨーダに大きなバッグを抱えたまま勢いよく頭を下げた。その拍子に、縦長のバッグがヨーダの頭に直撃する。
ヨーダは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。女性のほうは、バッグを抱えておろおろとしている。
「おい、エクリア! 何してんだよ?」
女性の背後から青年の声が聞こえた。エクリアというのは、この女性の名前だろうか? ヨーダは立ち上がり、ずれたフードをかぶり直して女性を見た。
「エクリアがいつまでたっても店に来ないからさ、迎えに来たんだよ。何してんだこんなところで? リハーサルも始まるし、楽団長が心配してたぞ」
エクリアと呼ばれたその女性は、青年にバッグを渡すと、何やら手振りで青年に伝えようとしていた。
ヨーダはその様子を見て、もしかするとこのエクリアという人はしゃべれないのかな? と思った。おそらく手話を使って話している。耳は聞こえている様子だったが、言葉は一切発しなかった。
「なるほどね。少年、エクリアがごめんって謝ってる。許してやってくれ」
青年はヨーダに言いながら、バッグのファスナーを下げた。
その中から現れたのは、きれいな木目の、一本のギターだった。
「ギターは大丈夫だよ。問題なし。さ、明日の公演のリハーサルをしに行こう」
青年はエクリアの手を取り、ギターの入ったバッグを抱えて歩き始めた。
その青年の腕を、とっさにヨーダは捉えた。
「えっ、なんだよ? 何か用? 俺たち明日の公演の準備で忙しいんだけど」
「その、公演って何? そのギター、弾くの?」
ヨーダは青年の腕を捉えたまま、そう聞いた。青年は不思議そうにヨーダを見て、言う。
「知らされてないの? そうだよ。明日の午後二時から、そこの雑貨店の仮設テントの横で音楽公演やるんだよ。小規模だけどね。エクリアはギターを弾くんだよ」
「……そのギターって、アコースティックギター?」
「そうだけど、何? アコギ好きなの? なら明日の公演来なよ。エクリアの演奏が聴けるよ」
「あのさ、じゃあアンナ・ティガルトって知ってる? カルティア出身の……」
青年とエクリアは顔を見合わせて、それからヨーダを見る。
「知ってるも何も、超有名歌手じゃん。知らない人のほうが珍しいだろ……って、ああ、そうか」
青年はしばらく考えて、ヨーダに言った。
「いくつか制限があるから、俺たちも余計な知識をこの街の人間に話すなって言われてるし、でも、まああれだ。アンナ・ティガルトと、いくつかの音楽や歌手は解禁になったんだよ。アンナ本人じゃないけど、うちの楽団の歌手が歌うから聴きに来なよ、明日。好きなんだろ? アンナの曲」
「好きっていうか、その、聴かせたい奴がいるんだ……」
「じゃあ、そいつと来なよ。さ、手を離してくれないか?」
あ、とヨーダは青年の腕から一瞬手を離そうとして、けれどもう一度強く捕まえた。
「えっ、何?」
困惑している青年の腕を捕まえたヨーダは、正直自分でも何をしているのか、何がしたいのかよくわからなかった。
ただ、偶然出会ったおそらく楽団員であろうこの二人に、音楽に関して色々聞いてみたい気持ちがあったから、気持ちが急いていたのかもしれない。
するとエクリアが、青年の腕を捕まえるヨーダの手を取り、それから青年に手話で何かを伝えた。
「えぇ、本気で言ってるの? 俺はあんまり乗り気じゃないなぁ……この街の住民に、余計なことはしないっていう、規則があるんだよ。下手したら俺らの首が絞められるぜ」
青年がそう言うと、エクリアは青年の背中を強く叩いた。やれやれ、と青年はため息をつき、ヨーダに向かって言った。
「エクリアが、ここじゃあなんだから、リハーサル見に来いって。さっき頭にギターぶつけたお詫びだってさ」
ヨーダがエクリアを見ると、エクリアはにっこりと笑ってヨーダの手を引っ張って歩き始めた。エクリアの揺れるポニーテールを見ながら、ヨーダは「ありがとう」とつぶやいた。
どうなっても知らないよ、と、青年もエクリアとヨーダの進む方向へ歩き始めた。




