未知の世界へと踏み出した異世界人はどの様な反応を返すのであろうか?
やっとこさです。
「はあ……」
寝苦しい。なんとなくだが、部屋がむっとしている。
この部屋の主である少女は、ごろりと寝返りをうつ。
少女の顔は、かなりつかれたようなものである。
事実、少女が眠れていないのはこの部屋の暑さだけではない。
ぎしりという音を立ててベッドから立ち上がると、カーテンを開いて大きな窓を開く。
びゅ~
そんな音がして心地よい風が部屋の中を通り抜ける。
その風におかげで、火照った身体が、だんだんと冷やされて行く。
空を見上げると中空に浮かぶ煌々と光る金色の月と、ややぼんやりだが、それでもしっかりとその存在感がある蒼の月が寄り添っている姿が目に入ってくる。
「いい月ね……。」
こんなに双月が綺麗に見えることはあまりない。
大陸の向こう側……コンプート王国内の端の方にある世界の傘と呼ばれる山脈の近くにある彼女の故郷は季節的には、そろそろ名月の月だ。この時期になると故郷ならば空が澄み渡って最も美しく月が見えることだろう。
だが、この学院に入学して以来一度も帰ったことはない。
その事自体は、普通だ。少なくともこの学院では。
この学院以外の通常の学術機関。同じ王立の名を冠する王立アカデメイヤや、自治都市内に存在する学院の生徒たちは休みになり次第、親の元へと帰っていく。
ただ、それは、ただの学術機関であるからである。
このコンプート王立魔法学院の門を叩いたものは、必死に金を工面して魔法を学びたい、そして、一旗揚げたい。としてやって来ているのである。
下手をすれば、帰る場所なんて無いというものもいる。
この少女。ミューラ=レニスもそんな一人であった。
大陸の向こう側にあった彼女の生まれ故郷。山と、海に囲まれた村は、貧しかった。
貧しくとも、それなりに生活を行っていた。……だが、それだけだった。
物産も何もない、強いていうなら痩せた土地だけしか無い貧しい村は、富める村になることはない。
農作物が取れる年も、取れない年もギリギリまで税金として搾り取られる。
貧しい村は、搾取される存在だ。その搾取されるのを止めさせるにはどうすればよいか。
簡単だ。力をつけて搾取される側から、搾取する側になれば良い。
そのように幼心にも考えたミューラは必死になって文字を覚えた。同じ年の子供も殆どいなかったため、のめり込むようにして算数や、歴史を学び、村の長老に頼み込んで村の重要な知識である医術や神官が使う祝福について学んだりした。
……ようやく旅に出たのはミューラが16の歳。あたたかい春の日であった。
自分が今まで生まれ育ち、今から旅立ち、そして、戻ってくる場所。
……そう考えていた。
王立学院へやってきて、はじめて知った事実。
来る者拒まず。去る者拒まず。されど平民が入れるのは、一般課程のみ。
搾取される側から、搾取する側となるためには越えられない壁があった。
当たり前だ。……この世界はそうできている。
目先のものにとらわれて、それを知ろうともしなかった自分の責任だ。
その顔にはキラキラと光る何かが流れていた。
……もうダメ。
心の支えとしていたモノをおられて、身分の壁というものに絶望し、どうしようもなく立ちすくんでいた。
「……どうしたの?」
それがルームメイトであるリュナ=ルオフィスとの出会いだった。
強い風が吹き込んできて、ネグリジェの裾が風に舞う。
その冷たさに思考を打ち切って、溜息をつきながら窓を背にして部屋を見渡す。
空っぽの部屋。本来二人のための部屋に一人しかいないので寒々しく感じる。
何日前のことだろう……。
心の中が空っぽになったような気がする。
いや。抜け落ちてしまったのは事実だ。
『全滅。』
数日前、リュナが学院長に呼ばれていった依頼。貴重な魔導書を護衛するとか言うモノだって聞いていたけれども……
学院長から渡されたと言う小さな赤い石がついたネックレスを見せてもらいながら聞いたことを思い出す。
それでも、信じられない。
別に何かに秀でているわけでもない。この世界のすべてで血筋がモノを言う以上超えられないものはある。
でも、血筋に頼らないものだってある。
少なくても、リュナの頭の回転はその辺の……王宮課程に七光りで入ったようなボンクラ貴族よりかは上のはずよ。
一を聞いて十を知るって言うのを地で行くようなそんな娘なんだから……。
もちろん頭の良さだけで生き残れるとは思えない。でも、頭の回転がいいと言うことは絶望的な状況でも、ほんの少しの可能性を探し出すきっかけになるはずだ。
全滅したって言うのは、ボロボロになってきた教師の言葉だ。
……残念だけれども、それは鵜呑みには出来ない。
だって……此処は王立魔法学院なんだから。
表面は綺麗に見えるけれども、中はドロドロ。そんな場所。入学してからの数年で嫌でも解ってしまった事実。
全てに対して疑ってかかること。それが身についた数年間でもあった。
「私は諦めない。」
風が吹き、カーテンが揺れる。
部屋の空気はもう冷えていた。
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「ん?」
現実の世界ではありえない空間が広がっている中で俺は疑問の声を上げる
俺が、そのことに気づいたのは、偶然だろう。
いつものように仮眠室から出てきて、キーボードをポチポチと叩く。そして、ゴーグルを付けて電子世界へとログインを行う。いつもならば外側からの自動検査だが、今日は総点検の日だ。
幾つもの流れてくるデータを、脳との高速電子信号のやりとりで、高速化した思考の中で分析している時、リストにはない連続した数値が何回も何回も現れた。
ここでは、いつもシステムが稼働しているので少しぐらいリストと異なる数値が出てくるのは仕方がない。でも、今回はそれが多すぎた。
いったいどうしたんだ?
腕をふって、モニターを開いてさらに詳しい解析を行っていく……
これは……。
素人が見ればただの1と0の集まりで、視覚データで確認できる状態では何も変化はないように見えるだろう。
だが、見る目を持ったものから見れば明確な変化がある。
……侵入者!
『エマージェンシー!エマージェンシー!……交通管理局第四地区交通管理課に直接クラッキング。至急ダイブ者は現場に向かえ。コード番号S83-320-865A』
報告を行う間もなくどこかで発見されたのだろうかシステムが警戒音を鳴らし始める。
それと同時に世界が赤一色となって警戒態勢に入る。
目の前にウインドウが開いてコードが直接送り込まれてくる。それを捜査して即座に目的の場所へと飛ぶようにする。
「Enter!」
そんな機械音がしてその場で構成されている自分というものがて分解され対象区域において再び再構成が行われる。その一瞬だけ意識が真っ暗になる。
意識が戻り、視覚データが最適化される。
目に飛び込んできたものは……何もなかった。
……何なんだ?これは。
この区域では空間全体に様々な交通規制などのデータが一元管理されているはずなのだ。それが一体……此処のデータは、市内の交通に使われているはず……
本来ならば、オブジェクト化されたマシンや、AIが詰めているはずである。
それが、何も無い。綺麗さっぱりと。
少なくとも、二週間前に行われた総検査では、何も異常はなかったはずだ。データの削除をしているならば、事前に通達があるはずだ……。これは……まさか……。
『Protection!』
考え事をしていると、いきなり補助AIが起動して情報の荒波から身を守る防壁が展開される。
一瞬のラグが有って放たれた攻撃が防壁に直撃する。
ドン!
そんな音が防壁をすり抜けて直接、電気信号で接続されている脳に対して瞬間的なダメージを与える。
「所属を述べろ。此処は包囲されている。」
グラリと視界が揺れて、目の前が真っ暗になる
一瞬だけ飛んだ意識に合わせて情報が最適化される中で虚空から声が聞こえてくる。攻撃が放たれた方向を見てみると、幾つもの人のようなシルエットをした影が浮かんでいる。
その姿は、脳へのダメージに合わせた最適化によって、ぼやけたものとなっている。
その人影を視野に入れると、目の前に窓が開いてネットワーク管理部門クラッカー対策室所属AIのIDが表示される。
って……これって勘違いされていない?
それと同時に補助AIが自動的に自分の身分を相手に送信する。
「技術局システム保守課の人間か……状況の報告を。」
「詳細不明。こちらも現在到着したばかりだ。それよりも、こちらを攻撃した意図は。」
システムのほうが問題ないと判断したのだろう。だんだんと、視覚情報がハッキリとしたものとなって行く。
ハッキリとしていく人影のすべては黒いスーツを纏い角張ったサングラスを着けている。
「それは、威嚇射撃だ。攻撃をするならば攻撃性のプログラムを使っている。
そもそも、クラッカーが出現した区域にいる人間というモノは不審人物だ。我々は、疑わしきは攻撃という下で動いている。最初から攻撃性プログラムではなく鎮圧性プログラムを使ったことから考えても攻撃ではないと考えよ。」
……なんて攻撃的なAIなんだ。これを作ったやつ誰だよ。
まあ、AI相手に討論しても無駄か。
「……では引き継いでもよろしいか。」
何があったのかは解らないけれども、対クラッキングのプロが出ている以上ただの保守プログラマーがいても仕方ないだろう。
その言葉に同意をしたのであろうか、一人の黒服が腕を上げると、他の黒服達は様々な方向へと散らばっていく。
それよりも、心配なのは、クラッカーに消されたデータによってプログラムのエラーが発生して起きる交通事故の方だ。
一応こういうプログラムだと、万が一に備えてメインであるデータにアクセス出来なくて、エラーが発生しても、別領域にアクセスして問題を回避するんだけれども……万が一って言うこともある。
とりあえず他の作業員に連絡をとろうとしたその時だ。
ピピピ……ピピピ……
『Errer Code 3C-46D-3G2-A42-FR スタンバイ中の交通管理プログラムに致命的なエラーの発生。入力されるべきデータがありません。データ領域S-473G-0HIdにアクセスを行います。……Code Green。エラーは回避されました。』
……遅かったか。
右手を振ってウインドウを呼び出す。端の方に示されている時間は、本来ならすべての検査が終わっていなくてはならない時間だ。
連邦のシステムは時間帯によって運用されるシステムが異なる。深夜の部と、日中の部である。
プログラムがスムーズに切り替えが行われるためにある一定の時間から、プログラムの起動待機状態となる。
その時間になってしまうと、いくらシステム保安部の人間であってもプログラム内の情報に対してアクセスができなくなってしまう。
……まあ、別領域にアクセスしてくれたことだし、ここで出来ることはないか。
ため息をつくと男は、腕を振って世界から消えていった。
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扉が開かれると、まずはじめに感じたものは、ツンとした何かの香りであった。
開かれた扉の先は、通路のようになっていた。壁は学院校舎で使われているようなゴツゴツとした石造りのものではない、まるで王宮課程の寮に使われているような、なめらかな石のようなもので作られている。
また反対側からは陽の光とツンとした何かの香りを含んだ風が頬をなでる。
そこから見える景色はリュナが今まで見てきたものとは全く異なるものであった。
リュナの耳には様々な音が聞こえてくる。
リュナの目には様々な物が飛び込んでくる。
「……すごい。」
そんな言葉が口から出てくる。圧倒的な情報量に負けてしまいそうになる。
なんだかクラクラとしてくる。
「大丈夫か?」
隣にいるシュウヤの手が肩を叩く。リュナがそっちへ顔を向けると、心配そうな顔をしたシュウヤが見つめていた。
「……大丈夫よ。ただ……ちょっと驚いていただけ。」
本当はチョットどころじゃないけれども……
眼下に望む街には低い建物が幾つも立っている。
それらは、計画的に都市が作られたことを証明するかのようにある一定の間隔があることが見える。
休みの度に訪れる王都は無理な増築を続けているため、かなり狭苦しい。大通りの名を冠する道ですら3デューラーも無い。むしろ、王都に上がってくる道のほうが広かったと思う。
そして、低い建物の先には広くキラキラと光る大海原も広がっている。
「あれって……もしかして海?」
陽の光によって、水面がキラキラと光る。遠くには、なにか大きなものが浮かんでいる。
そして、海の方からそのツンとする香りは来ているような気がする。
「ああ。海だよ。此処は、海の上に立つ島……うん。島だからね。……もしかして海を見るのは初めて?」
「はい。王都は、海から離れていましたから。噂には聞いたことはあったんだけれども……。」
……ということは、このツンとする香りは、磯の匂いって言うやつかしら?
距離的には遠いがまだ近いはずの自分の世界の海を見ずに、遠く離れた世界の海を見ているとは、なんとも不思議なものだ。
それにしても、海の近くに都市があるということは、ここはそれなりに発展したところなのよね?海がつかえるということはたくさんの情報も入ってくるはずだし……
少女は、己の常識に当てはめて見える範囲のことを分析する。
「……ナ。リュナ。」
トントンと肩を叩かれて自分の世界から戻ってくる。
「……え?ああ。大丈夫よ。心配しないで。」
気づくと心配そうの覗き込むシュウヤの顔がある。
「大丈夫だったらいいんだけれども……無理しないで言ってくれよ。環境が違うと体調だって崩すから……」
「大丈夫よ。この間精霊の祝福を受けたばかりなのよ。体調なんて崩す訳ないわ。」
ちょうど学院長室から帰った後、厄払いのついでにミューラに『精霊の祝福』の魔法をかけてもらったんだから。
『精霊の祝福』によって体はあらゆる厄災から守られる。病は悪魔が近づいている証拠なんだから、継続的に祝福をかけてもらえれば悪魔は寄ってこないから大丈夫。
少なくともリュナは今までに病にかかったことはなかった。……魔道書護衛の最中に襲われるという厄災は回避できなかったが……
「……そうか。……まあ無理するなよ。」
なんともいえない顔をしてシュウヤは、廊下の先へ向かって歩き出す。
その後を、周りをキョロキョロとしながらリュナは歩いてついて行く。
数十歩程歩いた先には大きな扉が付いていた。扉には開くための取っ手もついていない。あるのは、扉の丁度真ん中のところにある長い一本の線だけだ。
……一体なんなのかしら?
リュナが首をかしげて扉を見ている。
扉の近くまで近づいた彼は、扉の隣につけられている縦長の何かに触れる。すると、その縦長のものに光が灯って遠くから何かが動く音が聞こえてくる。
ゴンゴンゴン……
普通ならば聴こえない音であるが、リュナの耳にはかすかにではあるが何かの音が聴こえてくる。
だが、数瞬のうちにはその音が止まる。
そして目の前の大きな扉が横に音もなく滑って開いていく。
「おっと……すみません。」
黒い大きなカバンを持った中年の男が扉の中から出てくる。
扉の前でその扉を観察していたリュナはその男とぶつかりそうになるが、するりと抜けるようにして、悠々と男は立ち去っていく。
そんな男の回避術をちらりと見てリュナは、自分にも出来るかどうかを考えてみる。
……動きは中堅シーフくらいよね。まあ、あれくらいの動きだったら少し訓練すれば出来るようになるかしら?
開かれた扉の先は、狭い部屋であった。壁には柔らかい起毛の絨毯のようなものが全体につけられている。そして、腰くらいの高さのところには、細い鉄の棒が部屋を取り囲むようにして張られている。
この部屋は一体なんなのかしら?
シュウヤが入るのに続いてリュナもその部屋に入る。
かすかにであるがギシりと部屋は揺れる。だが、それは普通に乗っている人物には気づかないほどの小さなものである。
「ねえ、この部屋は何なの?ギシギシという音が聞こえてくるんだけれども……大丈夫なの?」
だが、何故かこの少女の耳にはそんなかすかな音が聞こえてくる。
「ギシギシ?そんな音はしないよ。これは、エレベーターって言うんだけれども……まあ、言うより見てもらう方が早いか。」
そういうと、シュウヤは部屋の端についている細長い金属についているデッパリに触れる。すると触れた場所に光がともるのが見える。
もう一度シュウヤが金属の板に触れると、今入ってきたばかりのこの部屋唯一の扉が閉められて行く。
そして、ガコンと言う小さな音がすると、まるでフィンの魔法をかけたように体が軽くなる。
え……なんで?魔法は無かったんじゃ……?
魔力の流れを確認しようと意識をするが、それもつかの間で、フィンの魔法が解除されたように身体が重たくなる。
チン!
すぐに、そんな音がして今まで閉められていた扉が開かれる。
先程の廊下とは打って変わって、なめらかな石畳の部屋……エントランスのような部屋があった。部屋の真ん中辺りに大きなガラスの扉がある。
部屋に出てみると、カコンカコンという音が響いていく。
少し振り返って今出てきた扉を見てみる。扉はもう閉まってしまっていてその先を伺うことは出来ない。
さっきのは、ムーベンジーマ(移動する部屋)よね?……多分。
王城に最近備え付けられたモノらしいけれども、動かす度にものすごい音がするとかなんとか……。
見たことはないけれども、多分コッチの方がいいわよね。
「リュナ。どうした?大丈夫か?」
少し先にいるシュウヤから声がかけられる。
少し考え事に集中していたみたいね。悪い癖なんだけれども……。
小走りになってシュウヤの側へと行く。
シュウヤが大きなガラスの扉に近づくと、ブンというかすかな音がして、すごい勢いでガラス戸が開かれて行く。
さっきのムーベンジーマの扉もそうだけれども、どうやってこんなに大きな扉を開けているのかしら?
魔力の動きなんて全くといっていいほどないし、かといって、人が扉を引いている気配なんて全くないし……
「……ナ……リュナ。」
肩を揺さぶられて我に返る。
「本当に大丈夫か?なんだったら、今日のところは、止めて……」
心配そうにのぞき込んでいるシュウヤ。
「大丈夫よ。いつもこんな感じなのよ。一つのことに考えるあまりに自分が見えなくなって……だから心配しないで。」
自分の悪い点だ。親友にも何回も注意されているけれども、こればかりは直せない。
まあ、長所との表裏一体なのかもしれないからなんともいえないんだけれども……
「そうか。ならいいんだけれども……具合が悪い訳じゃないんだな?」
心配してくれているのよね?
「ええ。具合がわるいようだったら、言うから安心して。」
そうか。なら行こうか。そういうとシュウヤはもうひとつのガラス張りの扉に手をかける。
そして、それを押し開く。
ガラス張りのドアからの風は磯の香りがしていた。
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エントランスを抜けると磯の香りが海から流れてくる。
この季節にしては、涼しい風が頬をなでる。
その風は、ブルリと背筋を震わせるほど涼しい。
最近は収まってきているが大変動以後、地球の平均気温は前世紀と比べるとかなり上昇した。
21世紀が始まった頃は人類の大規模な産業化の所為で地球の温度は上昇するという仮説が叫ばれてたが、事が起きてからだと、これは地球の正常なサイクルの一つだと言うことが通説になっている。
そして、そのサイクルには、人間自身の変化もあったと言っていいだろう。
別に、放射線や未知の物質で細胞に特殊な変化があったわけでもない。ただ、生活環境の急激な変化というものに変化せざるを得なかった。
本来動物というものは、長い時間をかけて環境に適合をして行く。
遠く昔にいたネアンデルタール人は別の環境に適合し、高い能力を持った現在の人類の祖先であるホモ・サピエンスによって滅ぼされたらしい。
種が滅ぶのは、環境の変化に対して対応ができなかったからに過ぎない。
まともな文明が始まって5000年程過ぎた現代を生きる私たちは、余程の環境の変化がない限りは生きることが出来る術を得ている。
そして、大変動はその余程の環境の変化ではなく、短い期間で対応ができるそんな地球の変化であったのである。
……対応ができるとはいっても、それをガマンできるかはまた別なんだけれども。
そこまで考えてポケットからティッシュを取り出して鼻を拭く。
そこについてくるのは粘性もない水のような鼻水であった。
急激な気温の変化で起きるアレルギー性鼻炎のおかげで急に気温が下がるとこうやって鼻がズビズビと……
ふと後ろを見てみると、リュナがまた腕を組んで考え込んでしまっている。
まあ、こんなに環境が違えば戸惑うことも多いだろうけれども……
……それより、リュナって今まで何をやっていたんだ?
魔法学院とかいうのは聞いたけれども、具体的に何をやっているかなんて聞いたわけじゃないし……
もしかして、研究者か?よく先輩もあんな感じだったし……
固まったリュナに近づいて顔の前で手をヒラヒラとさせてみるが全く反応がない。
仕方ないのでその肩を軽く叩く。
その瞬間にパッとリュナは顔をあげる。
「……もしかしてまたやってました?」
その質問に、うなづくしか無い。
流石に、何時までもこの調子だと不味いんじゃないかな?
色々と慣れるためにも今日が終わったら、仮想現実の電子世界を体験してもらうか?
あそこだったら、外の時間と中の時間は全然違うし……
「まあ、いいか。こっちだ。」
そう言ってブラブラと舗装された閑静な住宅街を歩いていく。
一番近い駅まで徒歩5分ほどだ。そこから電車に乗れば目的地である「連邦技術局所管学術研究技術都市内第4地区役場」は15分もかからずに到着できる。
道幅10メートルくらいの道路をリュナと一緒に歩いていく。リュナはアチラコチラに興味があるらしくその首の動きはせわしない。
「あれはなんですか!」
「この道は何で出来ているんですか。」
その質問に丁寧に答えていく。リュナのキラキラした目を見ていると面倒でもキチンと答えなくてはと思ってしまう。
「あれはエレクトロニックポールと言ってこの都市で使われるエネルギーの伝達を行っているんだよ。」
「この世界の道は今じゃたいていはアースフェルトっていう物質で出来ているんだ。昔は舗装しないものもあったみたいだけれどもね。」
そんな質問に答えていると急にリュナがきょろきょろとし始める。一体どうしたんだろう?
「ねえシュウヤ。なんだかものすごく大きな音が聞こえてくるんだけれども、何の音なの?」
大きな音? そんな音しないけれどもな……。
周りは閑静な住宅街。一本先は大動脈だけれどもその音は全くと言っていいほど聞こえない。まさかその音を聞いているんじゃないか?
「どんな音がしているんだ?」
リュナはその質問に不思議そうな顔をする。
「え?聞こえないの?なんだかブロロロ……。って言う音なんだけれども。」
ブロロロ……。もしかして車のエンジン音か?それにしても聞こえるとはな。
「多分それは車のエンジン音だな。リュナのところには車は在ったかい?」
それを聞いてリュナは考えこむ。
そう言いながらも大動脈である都市道環状4号線へと辿りつく。ここから直ぐの場所にローカルトレインの駅はある。
「え……。あんな速さで動いている……。それに道が広い。……あれってなんなんですか。」
少し興奮した感じでリュナは質問してくる。
通勤や通学の人がこっちを見てくるが気にしたような感じではない。だけれども、ここで注目を集めるのも問題だな。
「リュナ。落ち着け落ち着け。あれが車だ。」
「あれが……クルマ。似たようなものはありましたけれどもあんなに速くなかったです。」
車があったのか……。意外だ。こうなってくると思い描いていた中世観じゃなくなる可能性が高いよな……。
「そうか。クルマがあったのか。……まあいい。行こうか。」
そう言って立ち尽くしているリュナの手を引く。
柔くて小さい女の子の手だな……。そんなどうでもいいようなことを考えながら他の人と同じ方向へと歩いていく。
環状線にはローカルトレインという列車が引かれている。車両間隔は通勤時間帯は3分に一本とかなり速いペースで回っている。
そして多くの乗客を乗せることが可能なため都市の渋滞はかなり緩和されている。
ファン。
そんな音がして目の前で列車が出発していく。
あ~あ。乗れなかったか。
環状線の端の駅にはもう疎らにしか人が残っていない。今しがたの電車に皆乗り込んでしまったからだ。
たった3分待てば次の空いているのに乗れるのに……。
そのおかげで今出て行った列車は乗車率150%位行っていたんじゃないかな。
駅員さんは板を持って人を押し込んでいたし……。あれが噂に聞く押し屋って言うやつか。
「次の待つか。リュナ大丈夫だったか?」
人ごみで潰されたりしていないか少し心配になる。もしかしたら人に酔ってしまっているかも知れないな。
「え……。あ……はい。大丈夫です。あの……。」
何かリュナは言いたげである。心なし顔が赤い気がするけれども……。
「すみません。手……離してもらえますか?なんというか……その……。」
手?
俺の手はリュナの手をしっかりと握り締めていた。
……ああ。
「ゴメン。気が回らなくて。本当にゴメン。」
そう言ってリュナに頭を下げる。なんというか……リュナに馴れ馴れしくしすぎたな。
それにしてもなんで普通に握り締めていたんだろう。今まで女の子の手なんて握ったこともなかったのに……。
「いえいえ。いいんですよ。その……私も……。」
列車の入ってくる音でリュナの声が聞こえなくなる。最後にリュナはなんて言っていたんだろう。
「それよりもあれは何ですか。」
興奮して指を指す先は今しがた入って行きた列車である。
「あれはローカルトレインって言う列車だよ。この街の主要な箇所を網羅している交通機関だよ。」
そう答えるけれども、リュナは首を傾げるばかりである。
ジリリリリ……。
駅のチャイムがなってアナウンスが流れ始める。
「この列車は環状4号巡回型トレイン外回り第4地区役場方面行きです。間もなく発射します。」
そのアナウンスにもリュナは反応する。
「この声ってどこから出ているんですか?あのピカピカ光っているのは何なんですか?」
今質問に答えていたら列車出ちゃうからな。
そう思ってリュナの手を握る。
「質問はのってから答えるよ。さあ行こう。」
そう言ってリュナと共に列車へと乗り込んだ。