表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/19

第1話

 海を見たことがなかった。

 なのに、いま視界を埋め尽くしている赤黒い血だまりは、さながら旧い絵本に描かれた海みたいな色彩だった。

 人と、人ではない巨大なものたちとが、等しく骨と肉と臓腑をさらけ出していた。彼らの心臓を通っていたはずの血が空気をも濁らせ、この死の光景から逃れる術はもうない。

 涙を見たことがなかった。

 いや、まさかそんなはずない。なのに、生まれて初めて泣き声を上げたかのようにぎこちない彼女の嗚咽に、辛くて耳をふさいでしまいたくなった。

 うずたかく積み上がった怪物たちの亡骸を前にして、白い騎士甲冑を纏った少女がうずくまり震えている。


 あ――――ぁぁ――――――。


 返り血に濡れた頬を掻き毟り、無垢な肌や美しい髪を汚していく少女が、兜の奥でつくるひどい泣き顔。名前も知らない少女は、そのままその場に崩れ落ちた。


「――今こそが勝機! そやつも殺すのだ!」


 そう促す怒声に、ようやく我を取り戻す。止むことのない少女の嗚咽を遮る、やけに荒々しい自分の呼吸音が、このだだっ広い空間にこだましていた。

 怯えて後ずさった自分の踵に堅いものが触れた。床に横たわる、甲冑に身を包んだ騎士の死体だ。傍らに転がる騎士剣がやけに目に留まる。


「――はやくその剣を取れッ! おぬしがその手でとどめを刺すのだ!!」


 声に追い立てられ拾い上げた剣に、まるで死人のようにひどい顔が映り込んでいる。

 ゾッとして目を背けた時にはもう、うずくまる少女の傍らまで辿り着いていた。

 もうそれ以上、動けなかった。少女の姿を見て、魂まで凍り付いたかのように。


「――見てくれに惑わされるな! 声に耳を貸すな! その娘は人ではない、禁忌の〈異産〉だ! いま剣を振り下ろすことを躊躇えば、おぬしも食い殺されるぞ!!」


 剣が向けられていることにすら気付けずに泣きじゃくる少女は、とても正視に耐えぬ、禍々しい姿をしていた。

 彼女が〝少女〟の体をなしていたのは、純白の鋼に覆われた上半身だけ。そこから先はもはや人ですらなく、昆虫のごとく節くれ立った六本の脚に、鋼の鱗に覆われた胴体を蠢かせる、巨躯の怪物だった。(むくろ)と化して散乱する、みな一様に少女の似姿をした怪物たち――彼女もその一体にすぎなかったのだ。


「――さあ、やり遂げろ! おぬしがその手で敵を斃し、そして英雄になるのだ!!」


 異産を封滅せよ。それが正しいことだと信じて、自分はこの結末に辿り着いたのだ。

 ――僕がやれば、全てが救われる。

 ない交ぜになった感情を振り払い、ただひとつの正しき意志に従って、この手には重たすぎる剣を頭上へとかざす。鋼に覆われていない、その細い喉首を狙いすまして切っ先を振り下ろせば、きっと一瞬で少女を断ち切ってしまえるのだろう。


「――――殺せッ!」


 ああ、なんて結末なのだろう。

 剣を天高く振り上げ、これから英雄となるはずの自分は、なのにただこの悲しみから逃れたいとだけ強く、強く願い――――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ