9話 うさぎと狼?
もう一人の幼馴染み、アイリーンのワンピースを借りることでなんとか着替えを済ませたクレアだったが、ここでマクレーン家の使用人に見つかるわけにはいかない。
彼らの認識では、クレアは絶賛行方不明中なのだから。
仕方なく、現在は使用されていないアイリーンの部屋に潜んでいた。
夫人がエドガーを呼びに部屋を出て行き、戻り次第三人で今後について話し合うことになっている為、大人しく隠れているのだ。
「お待たせ、クレアちゃん。誰にも見られないように移動するのってドキドキするのねぇ」
部屋に戻ってきた夫人は、人目を避けてコソコソするのがスリルを感じて楽しかったらしい。
エドガーは騎士学校で学んだのか、辺りの気配を確認してからそっと扉を締めると、呆れたように母親を嗜めた。
「遊んでいる場合ではありませんからね」
「わかっているわよ。私にいい考えがあるの!」
三人で輪になると、夫人は意気揚々と提案した。
夫人の作戦はこうだ。
強盗団に襲われたクレアは、自力でなんとか屋敷から逃げ出し、たまたま辺境伯の所領へ向かう馬車に助けられた。
そのまま乗せてもらったクレアは、辺境伯夫人のアイリーンの元へと駆け込み、無事に保護されたーー
「我ながら完璧な作戦じゃないかしら。アイリーンなら上手くやってくれるでしょうし、クレアちゃんの名に傷が付くこともないわ」
そうなのだ。
一度でも誘拐されたとなると、貴族令嬢は傷物扱いをされる場合が多い。
念の為、両家と騎士団以外にはクレアが行方不明であることは伏せてあるが、なにぶん昼間の犯行だったので強盗の噂はすでに広まってしまっていた。
となると、クレアが誘拐されたという噂が流れるのも時間の問題だろう。
もし、ワンピースだけが残されていたことまでが拡散され、下着姿で攫われたなどと醜聞が立ってしまっては、もはやクレアの貞操に関するイメージの修復は不可能といえる。
ーークレア自身は無頓着で、あまり気にしていないのだが。
「そうだな、幸いクレアのお転婆は有名だし、ここは噂が回るより前に『敵の目を欺く為に、自ら服を脱ぎ捨て、気を反らせている間に逃げ出した』という話を広めておけば、信憑性と説得力があるんじゃないか?」
はい?
そんなものどこにもないし、むしろ不自然さしかないわよね?
どこにホイホイ服を脱ぐ令嬢がいるのよ?
「意味がわからないわ。どうして私が下着姿で逃げることに説得力があるのよ? そんな令嬢いるはずないじゃない」
「いや、安心しろ。クレアならいける」
「ええ。クレアちゃんの行動力なら、そのくらい皆さん納得するでしょうねぇ」
そうなの!?
私の評判ったらどうなっているわけ?
しかも、傷物令嬢と、自分で服を脱いで逃げる令嬢、決して後者の方がイメージがいいとも思えないのだけど……。
「それに、辺境伯領に行けば、変身の謎も解けるかもしれないわ」
クレアが密かにショックを受けている間に、夫人は意味深な言葉を残し、アイリーンに手紙を書く為に自室へ戻ってしまった。
どうやらうまく取り計らってくれるみたいだ。
気付けばエドガーと二人きりで残された空間に、クレアは少し緊張を感じていた。
「なんだか落ち着かないな」
頭をかき、視線を泳がせながらエドガーが独り言のように呟いた。
「そうね……」
クレアも上手く言葉が続かない。
昨夜うさぎに変身して逃げだした分、更に気まずさが増していた。
あー、もう!
なんでエド相手に私はこんなに緊張しているのかしら?
確かにエドの色々な部分を知ってしまったけれど……。
それにしても、こうやってきちんと顔を合わせるのって三年ぶりなのよね。
昨日はバタバタしていたし。
クレアがチラっとエドガーに視線をやると、やはり記憶の中のエドガーよりかなり身長が伸び、厚みのある体になっている。
可愛らしさが残っていた顔も、頬がシュッとしまり、日に焼けた精悍な顔付きに変わっていた。
なんだかエドじゃないみたい。
会わない内に逞しくなって、すっかり大人の男性に変わっていたのね。
そんなエドガーにうさぎ姿とはいえ、抱っこされていたことを思い出し、クレアは悶絶しそうになった。
「その服、姉貴のだろ? 似合ってるな」
「そ、そう? ありがとう」
突然褒められ、とりあえずお礼を言ったクレアだったが、次第にじわじわと笑いが込み上げてきた。
ふふっ、エドが服を褒めてくれるなんて初めてじゃないかしら?
しかもそんな真っ赤な顔で言わなくても。
クスクス笑っていると、エドガーが拗ねてしまったらしい。
「なんだよ、何がおかしいんだよ」
「だって、そんな無理に褒めなくてもいいのに。でもエドはこの三年で随分変わったのね」
「無理なんてしていない。変わったのはクレアのほうだろ? ……綺麗になっててびっくりした」
エドガーの言葉に、クレアのほうが呼吸が止まりそうなほどに驚いていた。
「な、何を言っているのよ。エドらしくないわよ? そんなこと今まで言ったことなかったじゃない」
「口に出さなくてもずっと思ってた…………クレア!!」
急に真面目な声で名前を呼ばれ、クレアも思わず「はいっ」と背筋を伸ばして返事をしてしまう。
怖いほど真剣な表情でクレアの前に立ったエドガーは、クレアの両手を取ると、優しく握った。
「俺は子供の頃からクレアのことが好きだ。ずっと可愛いと思っていたし、いつか結婚すると決めていた」
突然始まったエドガーの告白に、クレアは咄嗟に逃げようとくしゃみを試みたが、両手を塞がれて鼻を擽ることすら出来ない。
どうしよう、エドと向き合おうって思ってたけれど、恥ずかしくてやっぱり無理!
でも逃げられない!!
焦るクレアを見下ろすエドガーは、まさにうさぎを狙う狼のようだった。