7話 幼馴染みの胸の内。
「ったく。何が何だかわからないが、とりあえずこれでも羽織っとけ!!」
エドガーは自分の着ていたジャケットを一度脱ぎかけたが、一日中外を捜索したせいで埃まみれな状態だと思い至ったようだ。
クローゼットから洗い立てのシャツを取り出すと、クレアを視界に入れないようにして手渡してくれた。
「あ、ありがとう。こっち見ないでね!」
「誰が見るか!! さっさと着ろ!!」
エドガーは耳まで赤く、随分とぶっきらぼうな口調になっている。
それだけ動揺しているということで、さすがに申し訳なさを感じてしまう。
「ごめんね。驚かせちゃって……。少しだけ待ってて」
あーあ、怒って当然よね。
うさぎの姿でエドを騙していたことになるもの。
ゴソゴソとシャツを着ているクレアは、自分が『うさ』であることを黙っていたせいでエドガーが腹を立てたのだと思っているが、もちろんそんなことはない。
エドガーの頭の中は、さきほど見てしまったクレアの下着姿で埋め尽くされていた。
「まずいっ、忘れろ、冷静になれ――そう、騎士の精神だ! 学んだことを思い出せ!! 今は事件のことだけを考えるんだ。とにかくクレアと話をして、全容を解明するのが先決なんだから」
エドガーが理性を総動員して、低い声でブツブツと自らを戒めていると、恥ずかしそうなクレアの声が聞こえた。
「エド、お待たせ。もう平気よ。シャツをありがとう」
振り返ってクレアを目にしたエドガーは、自分のシャツを頬を染めながら身に付けているクレアのあまりの可愛さと、その扇情的な姿に衝撃を受けた。
「ちょっ、クレアそれはまずい。足を見せるな! もうベッドにでも入っていろ!!」
「何よ、エドが貸してくれたくせに。いいわよ、そんなに見苦しいなら大人しくベッドに入るわよ」
エドガーのシャツは、騎士学校での鍛練が功を奏したのか、平均的な男性の物より大きかった。
その自分のブカブカなシャツを、袖は余り、胸元は鎖骨が丸見え、裾からふくらはぎを露にさせた状態で、最愛の女性が目の前で着用しているのである。
騎士学校で男子に囲まれ、すっかり女性に対する免疫が失われていた年頃のエドガーには、クレアのシャツ1枚に見える姿は刺激が強すぎた。
「なんだあれは。下着姿より攻撃力があるなんて……」
他の服を貸そうにも、寮から戻ってきたばかりのエドガーにはあまり選択肢がなかった。
なにしろ以前の服は小さくなってしまったせいで運び出してしまったし、寮では私服はさほど必要がなかったので、これから買い揃えるところだったのだ。
「母上から借りるか、侍女のお仕着せを……いや、借りる理由はどうすればいい?」
エドガーの葛藤も知らず、クレアはプリプリしながらも素直にベッドへ近付き、布団に潜っている。
その時になって、更に状況が悪くなったことにエドガーは気付いた。
「こんな夜更けに『ベッドへ入れ』って、俺は頭がおかしくなったのか? いや、疲れがたまってるのかもな……。そうだ! これは全部夢なんだ! そうに違いない!!」
考えてみれば、『うさ』がクレアに変身したのも、クレアが下着姿になったことも、そのクレアがベッドにいることも、全てが冗談めいている。
「いや、参ったな。明日は休むべきか……」などとエドガーが勝手に逃避し、納得をしかけたところに、非情な現実へと引き戻すクレアの声が聞こえた。
「このベッド、エドの匂いがするわ。そういえば私、昨日もここで寝たのよね」
「クレア! その誤解を生む発言は止めてくれ!! 俺の心臓がもたない……」
エドガーは身も心も疲れ果て、ソファーに深く座り直した。
当然クレアの方に目をやる余裕などない。
一方、クレアは怒ってしまったエドガーにどう謝ろうかと思案していた。
こちらを向きたくないほどに腹を立てているんだわ。
何から何まで迷惑をかけたし、当たり前よね。
クレアはシャツと布団のおかげで、既に羞恥心は消え去っていた。
エドガーのベッドも、二度目だと思えば余裕も生まれてくるものだ。
「あのね、エド。決して騙していたわけじゃないのよ? 私も戻りたくても戻れなかったの。喋れなかったし。だから怒らないで?」
戻ろうと努力もしていなかったくせに、クレアは堂々と身の潔白を証明しようとした。
「怒ってなどいないさ。正直、今でも理解は出来ていないが……。でもクレアは無事だということだろう?」
ようやく自分を見てくれたエドガーに、クレアは嬉しそうに頷く。
「そうなの! 誘拐なんてされていないから安心して? うちの使用人と屋敷は無事かしら?」
「ああ、全員無事だ。怪我もない。ただ、壊された扉や家具は修理が必要だけどな。盗まれた貴金属も、大方は今日取り返せたし」
「そうなのね! 良かったわ……。エド、久しぶりに再会したのに、こんな迷惑をかけてごめんなさい」
クレアにしては珍しく、神妙な顔で謝った。
うさぎに変身してしまったのは完全な不可抗力ではあるが、楽しんでいたのもまた事実であって……。
今回は素直に反省したのだ。
なにしろ、自分のせいで疲れてヨレヨレのエドガーの姿は見るに忍びなかったのである。
「いいよ。クレアのせいじゃないんだ。それよりも安心した気持ちの方が大きいから構わない」
「エド……。ありがとう。今度お礼に何か贈るわね。あ、そうしたらぜひあの奥の棚に飾って――って、なんでもないわ!!」
つい調子に乗り、余計なことを言いかけたクレアは、手をブンブンと振りながら誤魔化そうとしたが、エドガーにはわかってしまったらしい。
目を丸く見開いた。
「クレア、まさかあの棚を見たのか!?」
「知らない知らない、エドが私からの贈り物を大切そうに飾っているだなんて知らないし、うさぎだったから昨夜の発言だって聞いていないわ!!」
「昨夜の発言って……クレア!?」
『嫁に貰ってやる』発言を思い出したのか、真っ赤に染まるエドガーの前で、クレアは葉っぱを使ってうさぎに変身し、さっさと逃げ出したのだった。