3話 中身は人間なので。
エドガー・マクレーンは、クレアと同い年の幼馴染みである。
マクレーン伯爵家の長男で、お互いの父が伯爵同士で仲が良かった為、小さい頃から家を行き来する間柄だった。
通常、ある年頃になると男女の幼馴染みは疎遠になりがちだが、エドガーには2つ年上のアイリーンという姉がおり、クレアがアイリーンに懐いていたこともあって、エドガーとも口喧嘩ばかりではありつつも、親しい付き合いが続いていた。
マクレーンのお屋敷も久しぶりね。
以前はしょっちゅう通っていたのに。
馬車に揺られるエドガーの膝の上で、うさぎになってしまったクレアはぼんやりと考えていた。
「うさはモフモフだな」と言いながら遠慮なく撫でてくるエドガーの手は気になるが、とりあえず今は許すことにする。
剣ダコらしき硬さはあるが、見かけによらず優しい手つきが案外気持ち良かったからだ。
3年前、エドガーは突然騎士学校へと進路を変えた。
それまでそんな素振りも見せなかったくせに、相談もせずに学校の寮まで入ってしまった。
そのせいで、昨年アイリーンが辺境伯の元へ嫁いで行ってからは、二人のいないマクレーン家を訪れる機会もなくなってしまったのである。
それにしても、あの時何故エドは騎士学校に行きたがったのかしら?
やたら唐突だったことだけは覚えているのだけれど。
クレアは知らない。
当時、勇猛だと有名な辺境伯を婚約者に持つアイリーンに、「いいなぁ、私も結婚するなら強い人がいいな」とクレアがうっとり呟き、それを物陰からエドガーがしっかりと聞いていたことを……。
伯爵家の跡取りが騎士学校へ進むことは珍しく、エドガーの両親も動機の不純さを見抜いて反対したのだが、彼の意思は固かった。
これはクレア以外には周知の事実である。
『あ、私のお気に入りの絵だわ』
マクレーン家に着くと、玄関に飾られた絵画に迎えられた。
クレアが子供の時分から大好きで、よく眺めていた絵である。
「ん? お前もその絵が気になるのか? 本当に『うさ』はクレアの分身のようだな」
ふっと笑った顔が、記憶に残る3年前のエドガーよりもずっと大人びて感じられ、目を惹かれた。
3年のうちに、エドガーの喜怒哀楽の表現は落ち着いたものに変わったらしい。
別人のようでドキドキしてしまったのは気のせいだと思うことにした。
以前は気心しれていたはずの二人だが、この3年の間は全く顔を合わせることもなかった。
エドガーは騎士学校に入学した後、やれ剣術大会だ、模擬遠征だと言って、休暇中も一度も帰ってこなかったのである。
今となっては薄情な幼馴染みに腹を立てて、姉のアイリーンに何度も文句を言っていたのが懐かしい。
「エドってば、入学したきり全然顔を見せないんだから! そんなに鍛練が大事なのかしら? 私たちよりも?」
蔑ろにされたとプンプン怒ってみせるクレアに、アイリーンはいつも困ったように笑って言った。
「強くなるまでは『クレア絶ち』をしてるんですって。馬鹿でしょう? 立派な騎士に変身を遂げるまでは戻ってこないつもりのようね」
「私を絶つ意味がわからないわ。あ、精進の妨げになる口喧嘩の相手は絶つってこと? 失礼しちゃうわ!」
明後日の方向に勘違いをして憤慨するクレアに、「あなたも仕方の無い妹ね」と姉代わりのアイリーンは苦笑していたものだ。
人間の姿だったら、私も久々の再会に気後れしてしまっていたかもしれないわね。
そのくらいエドガーは男らしく、凛々しい見た目に変化していた。
自分を抱いて歩いているエドガーの顔を、ちらっと下から観察してみる。
うん、昔から見た目は良かったのよ。
ライトブラウンの癖のない短髪に、チャコールグレーの切れ長の瞳、鼻だってスッと通っているし……。
3年で身長もますます伸びたし筋肉も付いて、これは令嬢たちが放っておかないでしょうね。
誕生日プレゼントだって毎年欠かさず贈ってくれるし――センスは微妙だけれど――マメなところがあるのよね。
マクレーン家の廊下をズンズンと大股で進むエドガーは、時折頭をモフモフと撫でたり、「寒くないか?」と尋ねてくれる。
『エドガーってこんなに過保護だったかしら?』と思いながらも、すっかり居心地が良くなった彼の腕の中で大人しくしていた。
余計な振動を与えないように配慮してくれているのか、揺れに酔うこともない。
そんな一人と一匹の様子に驚愕したのがマクレーン家の使用人たちである。
「エドガー様がうさぎを? 見間違えではないのか?」と、右往左往し始める始末……。
しかし、それも仕方のないことだった。
エドガーが幼馴染みのクレア以外に興味を示したことなど、いまだかつて無いのだから。
その為、クレアが行方不明だと知らされると、彼らはエドガーの心中を慮って悲しみ、クレアの残したうさぎを可愛がるエドガーを目にして、涙を流さずにはいられなかった。
――そのうさぎがクレアなのだが。
相変わらず物が少ないエドガーの部屋は、整理整頓されていた。
絨毯に丁寧に下ろしてもらった後、まずは感触を確かめるようにピョコピョコ歩き、次に軽く跳んでみる。
あら、結構動き易いじゃない。
でもお腹が減ったし、喉が渇いたわね。
考えてみれば、ティータイムはそれどころではなかったし、夕食もとっていない。
急に動かなくなったからか、心配したエドガーが様子を窺うようにしゃがみこんだ。
「どうした? 腹が減ったか?」
気が利く男である。
肯定を示すように小刻みに何度か頷くと、「ちょっと待ってろ」と言い残して部屋を出て行ったのだが――
ガーン! 生野菜のオンパレード!!
嫌いじゃないけれど、コレジャナイ……。
人参やラディッシュを盛られたお皿の前で途方に暮れる私の隣で、エドガーは軽食代わりなのかスコーンとマフィンを食べ始めた。
『いいな、私もそっちが食べたいな……』
エドガーの腕をパシパシ叩いて訴えると、またしても意図を察したらしい。
エスパーかと疑いたくなるほど、エドガーはうさぎの感情に敏感だ。
「ん? これが食べたいのか? ……さすがにうさぎには駄目だろう。え? 大丈夫だって? いつも食べてる? クレアはうさぎに何を与えているんだ!!」
何故か会話が通じているんだけれど、エドってば特殊能力でもあるのかしら?
騎士学校で習ったとか?
でも助かるわ。
『うさ』のおねだりに折れたエドガーは、「お腹を壊したらもうあげないからな? 本当に平気なのか?」と心配しながらも、手のひらにマフィンを乗せて差し出してくれた。
『大丈夫よ。私、中身は人間のクレアだから!!』
根拠のない自信を見せて、マフィンに噛り付く。
あまりにも空腹だったせいか、ついエドガーがくすぐったいと笑い出すまでペロペロと手のひらを舐めてしまったが、これはうさぎの習性ということにしておこう。