EP 40
「まあ、以前はそうでしたね。でも黒田くん始め優秀なスタッフの方が教えてくれますよ」
「いやん、柳田さんに教えてもらいたいんですっ」
そして、右腕に両腕を巻きつけてきて、胸をむにっと押し付けられた。
うわ。これはあまりに酷い。
俺がすっと腕を抜くと、今度は左側の女性が食らいついてくる。
「すごぉーい筋肉。さすが柳田さん!」
「ねえねえ柳田さんのシックスパック拝見したい!」
と、シャツに手を掛けようとしてくる。俺はその手をぐいっと掴むが、「きゃあ! 柳田さんが手を握ってくれたわ! 嬉しい!」などと言って話にならない。
俺は貞操の危機を感じ、食らいついてくる魔の手を振り払って、すくっと立ち上がった。
「すみません。これ以上は私の恋人がヤキモチ焼いちゃうんで。それでは皆さんも引き続き頑張ってくださいね」
ヤキモチを焼くだって?
これは我慢ならない。
断固として、我慢ならない!!
ずんずんと歩いていく。トレーナールームに入ると、黒田くんの前に立ち、そして。
「黒田くん、申し訳ないけど、俺は優里さんとほんとに付き合いたいと思ってる。正真正銘の恋人同士にね。だから悪いが、食事の約束は破棄してもらえないか」
「えぇぇ。恋のライバルってことですか? 僕も負けられないんすけど。まあ白井さん本人からそう言われたら諦めますけど……」
「そうか。わかった」
そして俺は更衣室へと飛び込むと、直ぐに着替えて、タクシーを呼んだ。
「そっか。あんちゃん、ようやく彼女さんちに謝りにいくってわけね」
「はい」
自分でも驚いたが、力がこもった腹からの声が出た。あれは我慢ならない。黒田くんとあんな風に触ったり触られたりなんて、到底容認できない!
ブゥーとタクシーは進む。
窓の外の風景を見ながら、俺は姉貴とワインをがぶ飲みして記憶を失った日の、翌日の朝のことを思い出していた。
「二日酔いで記憶がないだと? 知らんがな。でもさ、これがあんたの本心。動かぬ証拠よ」
スマホのボイスレコーダーをONにする。すると。
『あんた、優里ちゃんのこと好きなんでしょ?』『ん? ……うん』
『黒田くんやバナナヤロウに取られたくないわけでしょ?』『ん? ……うん』
『黒田くんとデートして欲しくないんでしょ?』『ん? ……うん』
自分の本心だ。なんで俺そこ『ん?』 毎回入れるん?
地獄は続く。
『それ、ちゃんと言わなきゃね』『ん? ……』
『で、謝罪』『ん』
『ちゃんと目を見て、酷いこと言ってごめんなさい。言える?』『ん? ……いえ言え言えるぅ』
しっかりせい! 俺!
すると姉貴の絶叫が。
『ちょっっと! 昴ったら、こんなとこで土下座したって仕方がないでしょっっ。謝る相手が違うっての。もう良いって。わかったから、ほら立って!!』
もう良いからっっと言いつつ、ここで動画を撮り出す姉貴。ピロンって音入ってっから。
「とにかくこれがあんたの本音よ。優里ちゃんのこと、大好きなくせにねえ」
自覚。
すべてが腑に落ちた。
黒田くんにもバナナマンにも、白井さん、いや優里さんは渡せない。
俺はタクシーの窓を少し開けた。風がすうっと入ってきて、俺の髪に絡みつく。
俺はタクシーの運転手さんの名札を見た。そして。
「西田さん、俺、ちゃんと彼女に告白してきます」
「あーね。それが良い」
「ありがとうございました!」
ってあれ? 名前。西田って。
「ジム『stone』にも運転手さんと同じ名前の方がいらっしゃいますよ」
「おう、掃除のね? あれ、うちの女房」
ほわっつ? ここに善良な夫婦、爆誕!! 奇跡が歴史に名を残した瞬間だった。




