EP 30
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「まさか自分が風邪をひいちゃうなんて。まったくもって油断してました」
タオルや置きカゴ紛失の嫌がらせを受けていた私は、その間汗だくのウェアで帰っていたものだから、普段から寝込むことなどない健康体そのものの私であったけれど、小寒い日にやはり風邪をひいてしまった。
「いやあれじゃ風邪をひくのも当然だよ。いつもべちょべちょで帰っていたもんね」
そう言いながら親切にも、柳田さんはダンベルを一段軽いものへと交換してくれる。
「家はそんなに遠くないし、私頑丈だから、大丈夫だと思い込んでました。途中これはマズイと思って着替えだけはしてましたけど、時すでに遅しで……」
「もう風邪の方は大丈夫なの?」
「はい。その節はお見舞いをありがとうございました! おかゆさん、美味しかったです。梅干しで食べました」
「バナナよりは良いかなと思ってね」
「プリンも最高でした。あれで一発で治りましたから」
「ははは! そうか。それは良かったよ」
柳田さんが目を細めて笑う。その笑顔が眩しくて、私は少し目を伏せてしまった。
柳田さんがお見舞いに来てくれたとき、職場の同僚、滝沢のたっちゃんとバッティングしてしまったわけだが、たっちゃんのことには微塵も触れてこない。
(……当たり前だよね。嫉妬なんて……ないよね。だって私たちは……本当の恋人ってわけじゃないもんね)
わかっていた。あの三羽烏の嫌がらせをやめさせる、柳田さんの優しい嘘だってことは。
(なんの相談もなくて驚いちゃったけど、それでもちょっと嬉しかったな)
自分の頬に触れる。柳田さんがちゅとキスをしてくれたほっぺだ。こんな奇跡ってある?
痩せようと決めダイエットを始めてから、色々なことが起こっている。
私はそっと柳田さんを見た。
筋肉の神さまの申し子、筋肉美イケメンとは、もちろん柳田さんのこと。そんな柳田さんに肩を抱かれようものなら、ヨダレだけじゃない鼻血が吹き出してもおかしくない事案だ。
ほぅ。ため息が出てしまう。あの美しい筋肉に抱かれたら、どんなに……。
わわわ、想像がエグい。やめやめ!!
「や、柳田さん、私フィットネスバイクに行きますね」
「うん。じゃあ私も一緒に……」
柳田さんは私を守るようにして、腕を背中に回してくれた。
そして耳元で。
「ちょっと失礼。三羽烏がこっちを見てるから」
「あ、はい……」
ここのところずっと、腰の浮くような思いをしている。もちろんこんな私が柳田さんの恋人になれるなんて、1ミリだって思っちゃいない。いないけど。
(勘違いしちゃだめ! 柳田さんが優しくしてくれるのは、私がジムを辞めないようにって……)
辞めないように?
「優里さん、あとでビフォーアフターの写真撮ろうね」
「……はい」
違和感の芽がぴょこりと芽生えたような気がして、私はそれを否定するように、頭を左右に振った。