好き好き好き好き好き好きな彼女が救われたもの
こんにちは、こんばんは、あるいはおはようございます。
初めまして、私は○○くんのことが好きです。
彼とはそんなに話したことはないし、連絡先すらも知りません。
出会ったばかりの頃は同級生だなーぐらいの認識でしかなく、ましてや同じクラスメイトなわけでもないです。
近すぎず、遠すぎず、以前も今もほどほどの距離感ですね。
友達だったことがあるかと訊かれたら、どうだか。
ですが私は、そんな彼に恋に落ちてしまいました。
自分でも変だと思いますが……その、言ってしまえば一目惚れしてしまったんです。
困っていたときに、優しい言葉をかけてもらったことがあって……世の中にはこんなに良い人がいるだなんて信じていなかったので、とても驚きました。
あの時のセリフ、あの時の光景は、未だに鮮明に思い出せます。
まさしくハートを撃ち抜かれたようでした。少女漫画みたいです。
凄く嬉しくて嬉しくて……私は彼に、惚れてしまいました。
それからは彼の名前を聞くだけでドキッとしたり、彼の話題があったら耳を傾けたり……そんな日々です。
それくらいに……意識してしまいます。
だ、だって、生まれて初めて温かい言葉をかけてもらったものですから……。
告白は……そんな勇気、私にはありません。されたいな、なんてことを考えてしまいますが……たぶん、されずにこのまま終わるんだと思います。
私に長所なんてないし……逆に、誰かに迷惑をかけてばかりだし。
ミスしてばかり、失敗ばかりで、嫌になりそう。
だから私は、今日も彼のことで頭をいっぱいにして、今日を乗り切るんです。
こういう風に生きてないと、何ていうか、やってられなくて。
誤解を招かないよう強調しておくと、別に、誰かから意地悪されてるわけじゃないんです。
きつい出来事はありますが、あれは全部……私が悪いので。
私がちゃんとやらなかったせいで、私のせいなんです。
あの人たちは……悪くありません。
泣いてしまうのが間違っていて。
悲しんでしまうのがおかしいんです。
自分を正当化しようだなんて……そんなことを考える自分は、ズルい。
……だけど彼は、こんな私に優しくしてくれた。
どれだけの善人であれば、どれだけの聖人であれば可能なことでしょう?
私には到底思いつかない。
彼が普段から何を考えているのか。
彼には世界がどう見えているのか。
なぜあんなにも良い人格者なのか。
ああ、考えるだけで、どうして。
どうして彼は――こんなにも素敵な人なのでしょう?
壊したい。
狂わせたい。
嘆かせたい。
沈ませたい。
堕ちてほしい。
理性を失ってほしい。
お願いだから、みんなから嫌われて。
闇へ闇へ、奈落の底へ。
手を繋いで、共に行こう?
共に崩れて、共に溶けて。
きっと楽しいことです。とても気持ちがいいことです。
そこで励ましあって、人の苦しみを語り合ってね。
二人で笑って、二人で息して、二人で白い紙を使って誰かの息の根を止めたりなんかして。
爪を剥いで、あるいはレイプして? 首を絞めるのもいいかもしれませんね。
慣れない彼は、きっと少し嫌な顔をするでしょう。
だけど心配しないでいいですよ。最初はうるさいけど、段々と静かになりますから。
人間は慣れる生き物なんです。叫び続けることなんてできません。
悲しませて、苦しませて、怖がらせて、痛い思いを味わわせたら。
そしたらまた、仲間が一人増えますね。
私たちの苦楽を分かち合える者が。
やりましたね。生きてないけど。
やりましたね。紙の中だけど。
この調子で、どんどん増やしましょう? 私たちの仲間を。
次はどんな悲惨を描きましょうか?
次はどんな末路を辿らせましょうか?
泣きじゃくって、痛い痛いして、可愛いですね。
――恐れないで、これは正しいことなんですよ。
――謝らないで、これはやっていいことなんですよ。
――もっとやりましょう! 歓喜するように。
あぁ、彼はなんて仄暗い瞳をするのでしょう。可哀想に。
でも大丈夫ですよ。私があなたを独りにさせません。ずぅっと私もここにいます。
道徳なんて知らないで。
希望なんてかき消して。
光は暗闇で覆い隠すんです。
そうして一緒に生きましょうね。だから一緒に生きましょうね。
きっときっと、シアワセだから。
そんな人生を、私は歩みたいんです。
温厚な彼なら、きっと許してくれるでしょう。私を“救って”くれるでしょう。
だからね――だから。
あなたを刺したくて、しょうがないの。
こんなの犯罪だってことはわかってます。やっちゃいけないのもわかってます。
けど、ほら、死なないなら少しくらいは……ね?
少し胸に傷をつけるくらいなら。
少し足を動けないようにするくらいなら。
胸に傷があった方が、みんなをびっくりさせることができるでしょう?
足が動かなかったら、みんな気遣って自然に体育を休めるでしょう?
良い事だらけじゃない。素晴らしいことじゃない。
仮に死んでしまっても、こんなにも残酷な世界を二度と見ないで済む行為なら、むしろ称賛されるべきことなのでは?
諸々を鑑みた結果……うん。これくらいなら、やっていいことだと思います。
そうだよ、そのはずだよ。あなたも直ぐに、その意味を理解してくれるはず。
だから今日、私は包丁を持って学校に行くんです。
行きがけか、あるいは帰りがけの廊下で、それとなくスクールバックの奥底に潜ませた包丁を取り出して――彼の腹に。
彼は苦悶な表情を浮かべるでしょう。
彼は呻き声を上げるでしょう。
周囲はパニックになって、私は先生や男子生徒に取り押さえられて。
それでいい。
それくらい問題になってくれれば――みんなわかってくれるはず。
彼も人の痛みを、“理解してくれる”でしょう――。
そう思って、友達と会話している彼に、さり気なく廊下ですれ違ったように成りすまして。
感情を出さないようにして、震えを抑えて。
ノートを出すフリをして、家から持ってきた包丁を――彼に目掛けて――
「……え?」
だけどその時私が刺したのは、彼ではありませんでした。
血を床に垂らすのは、同じクラスメイトの女性生徒です。
名前は知ってます。顔も覚えてます。ですがそれだけの認識で、特に仲が良いわけではありません。
彼女について知っているのは、それしかないのです。とても薄い付き合い。
別段、特別彼と仲が良いという話は聞いたことがありませんし、彼を“庇う”ほどに正義感の強い人という印象もありませんでした。
むしろ軽薄な人。冷たい人。
ただのクラスメイト。
ただの他人。
ただの、ただの、ただの――。
「あ……え……」
なんで。
なんでこんなどうでもいい人を、刺してしまったんだろう。
彼を見れば顔を真っ青にして、傷なんてどこにもない――痛みなんて、感じてない。
この人をやったところで意味がない。
だって全然優しくないから。
人の気持ちをわかろうとしない人だから。
早く抜いて、彼の腹に。
早く、はやく、はやく! 捕まる前にっ!!
「っ……はぁ……っ……はぁ……」
何を躊躇っているんですか?
――肉を抉る感触が終わらない。血が滴って、相手の息を指先で感じ取る。
何を嫌がっているんですか?
――彼女が痛がってる。苦悶な表情を浮かべ、呻き声をあげている。
なぜ汗が止まらないんですか?
――人を刺した。命を奪ってしまったかもしれない。“私が彼女に不快な思いをさせた”。
やめて、やめろ。やめて。
――これ以上わたしを、加害者にしないで。“後悔させてください”……。
「――っ、だい、じょう、ぶ……」
私に刺された彼女は、そう口にしました。
私の方に身を預けて、私の背中に手を回してます。
まるで私に、言い聞かせるみたいに。
「これくらいじゃ……人間、しなないから……っ……」
『痛み』を堪えるように。『苦しみ』を我慢して。
その様子に、私は思います。
……いいな。
みんなから同情されて、わかりやすく傷ついて、いいな――。
彼女の声は、「誰か救急車を呼んでっ!」とか、「先生はまだなのかっ!?」とか、そんな周囲のパニック音に埋もれてしまいそうなほど、小さなものでした。
てっきり即座に取り押さえられると想像していたのですが、どうやらまだのようですね。
皆さん私を怖がって、近づきたくないようです。
――いえ。
正確には、彼女だけは私を怖がっていないようです。
「……どうして」
どうして彼を庇ったの? と、私は彼女に訊きました。
呆然と。
そりゃあもう放心して、理由を問い質します。
彼に好意を持っていたのかと。
あるいは私を糾弾するためかと。
ですが彼女は、予想外な答えを返してきました。
「っ……だって……本当に、彼を刺したら……っ、君が、悲しむだろうから……」
「私、が……?」
私のためだと、彼女は言います。
意味がわかりません。
理解できません。
裏があるとしか思えません。
……なのに。
制服を赤黒く滲ませる彼女は、こんなことを。
「ごめんね……見て見ぬふり、ばかりして……あんなの、間違ってるのはわかってるのに……いつも、止めないで……っ」
「な……にを」
今更、何を。
なぜ彼女は、私に謝っているの……?
――どうして、あなたが。
今私に掛けてほしかった言葉を、阻止してくれる言葉を、あなたが……?
だって冷淡なんでしょう?
だって苦痛なんでしょう?
私を気にかけるなんて、しないはずでしょう……?
だというのに彼女は、こう続けます。
「本当に、ごめん……っ。私たちが……っ、あいつらがっ……君をこんなに追い詰めて……ナイフを、握らせたっ。いじめなのに、誰もがいじめじゃないって、認めなかったからっ……!」
「……」
辛いんだよね? と。
不安なんだよね? と。
こうでもしないと、気付いてもらえないって……そう思ったんだよね? ……って。
彼女はそう、問いかけてきます。
「……私は、大丈夫だから」
――下がりかけるまぶたと共に。
そして彼女は、最後にこう言い残しました。
「だからおねがい……ここで、踏みとどまって……」
あなたも本当は……人を傷つけたくないって、そう思ってるはずだよ。
彼女は口を閉ざし、目を閉じます。
脱力しきった身体を私に乗っけて、血がぽたぽたと、床に……。
もしも。
もしも彼女が、死んでしまったら……?
私は……私が、殺したんですか……?
この人の時間を全部奪い取って、この人のやりたかったことを全部終わらせて……。
――。
――――。
「……っ」
――――ごめんなさい。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……っ、ごめんなさいっ……」
今になって私は、『後悔』した。
――そんな資格はないのに。
――彼女の方が傷ついているのに。
たくさん謝って、たくさん泣いた。
大粒の涙のせいで、視界はぐにゃぐにゃだ。
それから駆けつけた先生たちに、無抵抗な私は拘束されて。
気付けば知らない施設へと、連れて行かれた。
すっかり彼に向けていた愛情は無くなり。
あれからしばらく――病院で意識を取り戻した彼女とは会っていない。
合わせる顔が、なかったから――。