あるある076 「地獄の底からでも這い上がりがち」
嵐はすっかりと去り、辺りは穏やかな海を取り戻していた。
空は限りなく青く、雲一つ見あたらない。
海もさざ波が立ちキラキラと輝いていた。
その中でエレンは上機嫌になり酒を煽っている。
クラーケンから逃れたことを武勇伝のように語りながら。
「――と言う訳だ。どうだすごいだろう」
「確かに、そんなことを出来るのはお前ぐらいだ」
「さすがは不死身のエレンさんですわね」
関心する俺達を肴にエレンはさらに酒を煽る。
「で、カイト。私に何か言うことはないか?」
「な、何のことだよ」
エレンはニヤニヤしながら俺とセリーヌを交互に見やる。
如何にも何か言いたげな顔でいやらしく笑う。
「決まっているだろう。セリーヌのことだよ。お前らはどこまで行ったんだ?」
「ど、どこまでって。俺達は何もしてない!」
「何を今さらとぼけているんだよ。あの時、キスをしようとしていただろう」
「き、キスだと!カイト、それは本当か!」
何でシーボルトが興奮しているんだよ。
キスぐらいで騒ぎ過ぎだ。
そんなにお前は日照り状態なのか。
「キスだけじゃないよな。その後を続けようとしていたのを私は知っているんだぞ」
「カイト!俺の船でナニをしてくれるつもりだ!」
シーボルトはすっかりエレンに乗せられて興奮状態になっている。
目玉をむき出しにしながら大人げもなく俺を睨みつける。
仮に俺とセリーヌに何があってもお前には関係ないだろう。
いい大人なんだ、そこらへんは割り切ってもらわないと。
「勝手なことを言うな、エレン。俺達は何もしてない」
「そうですわ、エレンさん。私達はエレンさんのことを心配していただけですから」
「私の心配をしながらナニをしようとしていたんだろう?」
エレンの鋭いツッコミに俺とセリーヌはお互いの顔を見合わせる。
そしてさっきのことを思い出して顔を真っ赤にさせた。
「やっぱりな。カイトは変態だからいつかセリーヌに手を出すとは思っていたが今だったとはな」
「カイト、お前だけズルいぞ。ひとりいい思いをするなんて。俺がどんな思いで嵐を切り抜けようとしていたのかわかるのか?」
「それは感謝しているよ」
「感謝だと?どの口がそんなことを言うんだ。お前は俺が必死な時にナニをしていたんだぞ!」
「船長。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!」
シーボルトはグラスをテーブルに叩きつける。
シーボルトの言い分もわからないでもないが、考えすぎだ。
俺とセリーヌは人目も憚れるようなことはしていない。
ただ、軽くキスをしただけだ。
俺もはじめからそんなことをしようと思っていた訳じゃない。
ただ、その場の雰囲気とセリーヌの瞳がそうさせたのだ。
セリーヌはキスを欲しがっていた。
だから俺はそれに応えただけだ。
「キスをしていたことは認める。だけど、それだけだ」
「本当にそれだけか?カイトは変態だからな。キスだけですんだとは思えない」
これ以上、余計なことを言うんじゃない。
悪酔いし過ぎだ。
それにシーボルトの収まりがつかなくなる。
今もやけ酒を飲みながらひとり興奮している。
「カイトさん、もう正直に話してしまいましょう。隠し通せませんわ」
「な、何を?」
そう言ってセリーヌは改まるとおもむろに立ち上がる。
そしてみんなを見渡すと静かに口を開いた。
「私とカイトさんは愛し合っています。だから、みなさんも静かに見守っていてください」
「愛し合っているだと!やっぱり!お前って奴は!」
シーボルトは目を真っ赤にさせながら俺の胸ぐらを掴みあげる。
まるで敵を見るような鋭い眼差しで。
背後からただならぬオーラが湧き上がっている。
殺意を感じる。
今のシーボルトだったら迷いもなくやっているだろう。
「シーボルト、誤解だ。俺とセリーヌは好きあっているだけだ」
「認めたな、カイト。出会った頃から怪しいとは思っていたんだよな。カイトのセリーヌを見る目は私達に向ける目とは違っていたからな。それにセリーヌは希に見ぬ美人で巨乳。変態のカイトならドンピシャだったろう」
「何で、カイトだけ美味しい想いをするんだ。俺だって安い報酬で頑張っているじゃないか……。だったら俺にも欠片ぐらいくれてもいいじゃないか」
シーボルトはその場に崩れ落ちてがっくりと項垂れる。
こればかりは神様でも分けることが出来ないだろう。
好きの気持ちだ。
相手がいないと湧いて来ない。
そのうちシーボルトをいいって思う女性が現れるさ。
きっとな。
俺が潮風を受けながらカッコつけているとエレンが俺の肩に手を回した。
「で、カイト。式はいつだ?」
「式って?」
「結婚式に決まっているだろう。お前らは好きあっているんだ。なら、結婚をするのが普通だろう」
「け、結婚ってな。俺達はまだそこまで行っていないぞ!」
「私は構いませんけれど」
マジか!
セリーヌは結婚の意味を知っているのか。
お互いに一生離れないで暮らしてくことなんだぞ。
それがどれだけ大変なことかわかっているのか。
燃え上がっているのは最初だけなんだ。
熱が冷めたらお互いの嫌なことばかり目につくようになる。
そうなったら貯金をするように鬱憤が溜まって行くのだ。
そんな状態のまま一生だなんて地獄でしかない。
結婚は夢への招待状ではく地獄への招待状なのだ。
もし、結婚をするのならば期限付きの条件を突きつけたい。
10年、いや5年だな。
「セリーヌは気持ちが固まっているみたいだぞ。カイトはどうなんだ?」
「お、俺は……」
セリーヌのとの新婚生活は楽しいものとなるだろう。
あんなことをしたり、こんなことをしたり。
ムフフフ。
だけど5年も経てば熱は冷めるだろう。
それにセリーヌもアラフォーに足がかかる。
いつまでも若々しくいられることはないのだ。
年老いたセリーヌを受け入れるだけの覚悟がないと結婚はできない。
それよりも何よりも俺は勇者にならなければならないのだ。
結婚になんて構っている暇はない。
「俺には勇者になる使命があるんだ。結婚なんて出来ない」
「カイトさん……」
「結婚しても夢は追い駆けられるぞ」
「俺は勇者になることを優先する。だから、結婚をしてもセリーヌをないがしろにするだけだ。それならば最初から結婚をしない方がいい」
俺はセリーヌに背を向けながら決めポーズをとる。
なにせ俺は不器用な男だから……。
一度に二つのものを追い駆けるなんて芸当は出来そうにもない。
それにこの若さで結婚だなんて抵抗があり過ぎる。
俺はまだ16歳だぞ。
わざわざ足枷をするような真似は出来ない。
「カイトさん。私は待ちますわ。カイトさんが勇者になるまで支えますから」
「女にここまで言わせたんだ。カイト、責任をとれ」
何でセリーヌはここまで積極的になれるんだ。
適齢期だからと言ってもそれだけじゃ説明できないだろう。
俺達はまだ出会って間もないのだ。
あんなことやこんなことなどいろいろ経験して来たけれど、それだけではまだ足りない。
神様の前で約束を出来るほど気持ちは固まっていないのだ。
「セリーヌは本当に俺でいいのか?」
「もちろんです。カイトさんしか考えられません」
「そうか。わかった。考える時間をくれ」
セリーヌの真剣な眼差しを前に俺にはそうとしか言えなかった。
考えて答えの出ることではないけれど、今はそうとしか返事が出来ない。
セリーヌをひとりの女性として、将来のパートナーとして選ぶためには俺も覚悟を決める必要があるのだ。
勇者を選ぶか、セリーヌを選ぶか。
道は二つだ。
16年間生きて来た中でも一番の選択だ。
どちらかを選ぶかによって俺の人生も変わって来る。
それだけに慎重にならなければ。
「おいおいおい。カイトは本当に羨ましい奴だな。キスをしてエッチをしてその上結婚か?何でカイトだけモテるんだよ」
「船長、航行に差し支えます。それ以上、飲まないでください」
「これが飲まずにいられるかよ。俺だって一生懸命生きて来たんだぞ。それがなんで今だに独り身なんだ。不公平じゃないか」
シーボルトが独り身なのは船乗りをしているからだろう。
そんなに結婚をしたいのなら船乗りを止めればいいんだ。
他の仕事だって世の中にゴロゴロしているだろうに。
すると、マシューが気を利かせてシーボルトに耳打ちをした。
「船長。セレスティア王国にはエルフの酒場があるらしいですよ。粒揃いの美人が揃っていて朝まで楽しめますよ」
「それは本当か!」
「エルフは希に見る美人の種族ですからね。不細工など見たこともない。期待をしてもいいですよ」
「よしっ!セレスティア王国へ向けて出発だ!」
マシューの言葉にすっかり気をよくしたシーボルトは浮かれ足で操舵室へ向かった。
時を戻そう。
エレンがクラーケンに食われて絶望していた頃、エレンはひとり彷徨っていた。
あいにくクラーケンが咀嚼したのはワナック号の残骸でエレンは無傷。
多少の切り傷はあったが致命傷に至るほどではなかった。
「真っ暗で何も見えやしない。ここはどこなんだ?」
足元に感じるのは柔らかな肉感。
うねうねとうねりながら奥へ奥へと押し込んで行く。
それに抵抗するように出口へと向かう、エレン。
その先が出口なのかわからないのだが。
すると、何か硬いものが足にあたって転んでしまった。
「痛ててて……何だよ、これ?」
足にあたったものに手を伸ばすと手慣れた感触がした。
それはいつも自分が使っている大剣のような形状をしていて――。
「こいつは剣じゃないか。何でこんなところにあるんだ」
剣はだいぶ錆び付いているがまだ使えそうだ。
それに落ちていたのは剣だけでない。
プレートメイルや戦斧、金銀財宝まであった。
恐らく、クラーケンに襲撃された船のものだろう。
死体がないと言うことを見ると胃液で溶かされてしまったと見るべきか。
「こんなにお宝があるなら持って行かない手はないな」
そうは言っても運ぶ道具はない。
その上、どこが出口なのかもわからないでいる始末。
まずは、出口を探すことの方が先決のようだ。
すると、天上からドロっとした液体が落ちて来た。
「うわぁ!何だ」
液体がエレンのビキニアーマーに触れるとジュワジュワと溶けて行く。
エレンは慌てて液体を振り落とした。
「こいつはクラーケンの胃液か」
液体は徐々に量を増やして行きボトボトと落ちはじめる。
同時に胃壁がうねうねと動き出して中にあるものを奥へと押し込む。
エレンは慌てて剣を手に取り胃液をかわしながら出口へ駆け出して行った。
「地獄だな……」
金銀財宝や武具類は溶けてはおらず胃の中に残っている。
しかし、船の残骸は目もあてられないほど悲惨な状況になっていた。
クラーケンは船を襲撃して、そのまま胃袋の中に放り込むことで腹を満たして来た。
それが食べ物でも食べ物でなくても構わずに。
それだけ自分の胃液の消化力に自信があるからなのだろう。
ただ、金属類を溶かすほどの効力はなかったようだ。
おかげでクラーケンの胃袋の中は金銀財宝の保管庫になっている。
これならば海賊にも奪われることもないから安全だろう。
「このままここにいたら私もああなってしまうな。ここから出なくては」
出口を見やると細い筒状の管が通っている。
胃袋のように動きはしないので簡単に進めそうだ。
恐らくだが、ここが人間で言う食道のあたりなのだろう。
エレンは剣を杖代わりにしながら歩きにくい食道を歩いて行った。
「しかし、蒸し暑いな」
胃袋ほどではないが食道にも熱が届いている。
胃液で溶かされる時に発生する熱が溜まっているからだろう。
胃袋は胃液で食べ物を溶かして、胃袋の運動によってしごきとるように食べ物を消化させて行く。
それは人間の胃袋と同じ構造でクラーケンも同様なのだ。
ほとんどの生き物はそうやって食べ物を消化する。
すると、食堂の出口の方からゴゴゴーと音がして勢いよく海水が流れ込んで来た。
「うわぁぁぁぁ!」
エレンは抵抗も出来ずに胃袋まで押し戻されてしまう。
「くぅぅぅ……落ちるかよ」
エレンは剣を胃壁に突き刺して胃袋に落ちるのを防ぐ。
見ると胃袋の3分の1は胃液が溜まって湖のようになっていた。
あそこに落ちたら間違いなく溶かされてしまうだろう。
「ふー。危なかったぜ」
ギリギリの所で止まったエレンは上を見上げる。
いつの間にか食道が傾き上下になっていた。
クラーケンが体制を変えて泳ぎはじめたからだ。
しかし、これで出口まで登るのが大変になった。
食道の壁は固くはないがブヨンブヨンしていて掴み難い。
剣を突き刺して杭にする方法も考えられるが一本だけでは心もとない。
「出口に出れないのなら出られるようにすればいいだけの話だ」
エレンはない頭を捻ってあるアイデアをはじき出した。
それは内側から剣で傷をつけてダメージを与える方法だ。
どれだけ効果があるかはわからないが何もしないよりマシ。
エレンは食堂が平行になるのを待ってから、さっそく実行をした。
「オラオラオラ!お前がどんなに強い奴だって内側は鍛えられないだろう!」
エレンは剣を振り回しながらクラーケンの胃袋を傷つけて行く。
その度にサラサラとした青い液体が飛沫のように吹き出して来た。
それは紛いもなくクラーケンの血液。
クラーケンは銅の性質を持った血小板で酸素を運ぶから血が青いのだ。
さすがのクラーケンでも内臓の内側から攻められたら一溜りもない。
何の抵抗も出来ずにエレンのされるがままになっていた。
「さあさあ、私を吐き出せ。出ないと胃袋が血の海に変わるぞ」
人間は内臓に神経が走っていないので痛みもなにも感じない。
クラーケンも同じ構造だとしたら何のダメージも受けてはいないことになる。
だがしかし、急に血圧が下がったとしたら体の異変には気づくだろう。
そこがどのような状況になっているのかもわからずにだが。
すると、クラーケンが海水を大量に飲み込んで胃袋を洗い流した。
「野郎、こんな手で来やがったか!」
エレンは剣を突き立てて海水をやり過ごす。
まるで風に靡く旗のように靡きながら必死に耐える。
しかし、海水で滑って剣から手を離してしまう。
「うわぁぁぁぁ!」
海水にもまれながら胃袋の中に消えて行く、エレン。
何の抵抗も出来ずにされるがままになっている。
そしてピタリと動きが止まると今度は逆に海水が流れ出した。
「何だ?」
海水はエレンを巻き込んだまま出口へと向かって進んで行く。
胃袋を出て、食道を通り、そして口から勢いよく海水を吐き出した。
エレンは海水に揉まれながら大海原に投げ出される。
しかし、そこは深い深い海の中。
エレンは泳いで海面上に這い上がれる訳もなく。
クラーケンが吐き出した海水の勢いで舞い上げられたのだった。
(私はここで死ぬのか……。こんなに深いんじゃ泳げそうにもない)
太陽の光も全く届かずに海は深い瑠璃色に染まっている。
冷たい海水に体温を奪われて手足は僅かに動くばかり。
やっとのことでクラーケンから逃れたけれどこれでは打つ手はない。
そう諦めかけた時、クラーケンの吐き出した海水が泡ぶくとなって目の前を通り過ぎた。
(これだ!)
エレンは迷うことなく泡ぶくの中に飛び込む。
そして泡ぶくの浮力で海を登って行った。
あいにく泡ぶくの中には酸素があって窒息することはなかった。
しかし、だんだんと意識は遠のいて行って海面上に上がる頃には意識を失っていた。
その後でどうやって助かったのかはわからない。
ただ、私を呼ぶカイトの声だけは聞こえていた。
「……レン。……エレン。しっかりしろ!」
「ぶはっ!ゲホゲホ」
誰かの声に静かに目を開くとカイトが必死の顔が飛び込んで来た。
心配していたのはカイトだけでない。
セリーヌやシーボルト、マシューまで不安そうな顔を浮かべていた。
「おい、エレン!聞えるか!」
カイトが私の体を激しく揺する。
そこで返事をしてもよかったがそれだけの元気は残っていない。
今はただ、このまま眠っていたい気分だった。
「とりあえず船室へ運ぶぞ」
カイトとシーボルトが私を抱きかかえて船室へ運ぶ。
その姿にやっと気持ちが解けてほっと胸を撫で下ろした。
それからはじまったのだ。
カイトとセリーヌのじゃれ合いが。
私を心配するどころか二人っきりの世界にどっぷりとハマって。
おかげでカイトの弱みを握ることが出来た。
これをネタにしばらく美味い酒が飲めそうだ。
あれからどのくらい海を進んだのだろうか。
俺達を乗せた船はセレスティア王国の沖合でやって来ていた。
「船長!セレスティア王国が見えます!」
「やっと着いたか。おい、カイト!セレスティア王国へ着いたぞ!」
急いで甲板に駆け上がると目の前に巨大な島が広がっていた。
小高い山を覆い尽すように緑が溢れてたくさんの鳥の群れが見える。
とりわけ港のある街は発展していてセレスティア城の外観が見てとれた。
「あれがセレスティア王国なのか」
「帰って来てしまったのですね……」
セレスティア王国を見るなりセリーヌは顔を曇らせて俯いてしまった。
そんなに母国に戻ることが嫌なのか。
両親と喧嘩でもしたのか。
それくらいにしょんぼりしている。
確かに喧嘩をして家を出たのなら気まずいだろう。
だけど久しぶりに親子が再会できるのだ。
きっとご両親も期待していることだろう。
「セリーヌ。元気を出せよ。事情はわからないけど、せっかくセレスティア王国に帰って来たんだからな」
「カイトさん。私はセレスティア王国に戻りたくはありません」
「今さら何を言っているんだよ。もう、そこまで来ていているんだぞ」
「それでも私は戻りたくありません」
セリーヌは頑として譲ろうとはしない。
ここまでセリーヌが自分を主張するははじめてだ。
きっと何か大事なことを隠しているに違いない。
それを言わないのはまだ俺を信用していないからだろうか。
「セリーヌ。訳を話してくれ――」
「カイト!港に上陸するぞ!手伝ってくれ!」
「セリーヌ。後でちゃんと説明をしてくれよ」
そう言い残して俺は上陸の準備をはじめた。




