◆カムラとシーナ5. 終着(本編77話前)
またまたどうして私は、こんなところにいるの……。
ライラ様の女子寮の部屋の天井裏で、コツコツという音を聞きながら、そっとため息をつく。カムラと知り合ってから、振り回され続けている気がする。
夜の点呼を終え、日誌を書いて寝る支度も整えてのことだった。いつもとは違い、天井裏から突然カムラが降りてきた。
暗殺者のような出で立ちだ。
その顔は真っ青で辛そうで……震えていた。
「どうしたんですか、カムラ。あなたがそんな……」
捨てられた子犬のようで、思わず抱きしめたくなる。私では意味がないと我慢をした。
「あのお方と……メルル様を、今日森で見失いました」
「カムラがですか。それは珍しいですね」
「あり得ないんです。誰かを見失うなんてこと、今まで生きてきて……一度もない」
「それもすごいですね」
「標的でもなく警戒すらしていないあの方たちを見失うなんて……あり得ない。絶対にあり得ないんですよ。気配すらずっと消えていました。今の私に……存在価値などありません」
カムラが誰かを見失うとは……。
そのたった一回で、ここまで自信を失うなんて。
「そんなことは、ないですよ」
「メルル様の前では、一度私が気配に気付かず主従としての会話をしてしまっているんです。お忍びの時に会ってはいるので問題はありませんでしたたが……私は護衛として自信がなくなりました。すぐに命を断とうかと思ったのですが念のため、あの方に今から確認をしに行きます」
「い……今からですか!? それはやめてください」
「これ以上は待てません。相談に来たわけではない。知らせとお願いに来ただけです」
またか……。
また私に、まずいことをしたら止めてと言いに来たんですね……。
「……なんの、お願いですか」
「天井裏、普段は侵入者を警戒して音が鳴るなどの仕掛けもありますが、ここからあの方の部屋までの仕掛けは、全て取り外しました」
また勝手なことをして……。
王族の私室には必ず、天井裏から降りられる場所が設けてある。窓や扉から侵入者が護衛を突破して来た時に、いち早く駆け付けるためだ。
廊下にも所々あり、だからこそ普段もカムラのような見張りを置いている。
この学園には、王族が入学することもある。
その場合は息のかかった職員が真向かいの部屋に配置され、最も近い部屋が王族へと必ずあてがわれる。
その部屋には天井裏への通り道が設けられていて、ライラ様の部屋もそういった仕様だ。
現国王様も、この学園に入学された時には職員の他に臨時講師としてクラレッドが入り込み、夜は彼が天井裏で警戒していたと聞いている。
ヨハネス様に王太子としての自覚が生まれた頃にお譲りになられ、今は筆頭執事だ。意味合いとしては護衛頭だけれど、護衛と名がつく者がいつも側にいるのはスマートではないので便宜上この国ではそんな役職名になっている。カムラから見習いの肩書きが消えたので、ヨハネス様の学園卒業後は今まで以上に仕事の引き継ぎがなされるはず。
「そこで私に待機させて、何かあったら止めてと言うわけですね」
「違います。何かあったら、殺してください」
「――――な」
「私は避けません。いつ殺してもらっても結構です」
初めて追っていた相手を見失い、自信を失ったカムラ……。ライラ様の腕の中で、死にたがっているのね。
「ご主人様の許可なく、命を落としてはいけないのではないですか」
「そう思うのなら、何もしなければいい。あの方が話さなければ……襲いますよ。それが嫌なら、確実に私を仕留めてください。あなたが出てきた程度では、私は止まらないでしょう。では、私は行きます。今回は窓から入ります。ノックの代わりくらいはしますよ。早く来てくださいね、間に合わなくなる」
「ちょ、ちょっと……!」
制止する暇もなく、窓から消えてしまった。
完全にパニック状態になっていますね……。冷静さを失い、おかしくなっている。
ライラ様なら、落ち着かせてくれるのでしょうか……。
壁を蹴り上げて天井裏に入り、ライラ様の部屋まで移動しながら、前にカムラの研究室をライラ様が訪れた時のことを思い出す。
あの日の夜、こんなことを言っていた。
『カムラがだんだん、駄々っ子に見えてきたわ。いつかもう少し踏み込んだことまで二人で話す機会がほしいわね』
ライラ様……悲鳴を少しでもあげられたなら、私はお助けします。カムラが止まらないのなら、殺してでも……。
でも、どうかお願いです。
カムラを助けてあげてほしい。
存在意義を失って、自棄になっているカムラを……。
祈りながら、コツコツとノック代わりの音の鳴る部屋の上へと移動した。
* * *
自室に戻り、呆然としながら椅子に座りこんだ。
話は全部、聞いてはいない。
ライラ様のあの言葉。
『なりたいわね、母に。あなたが産まれた時点から、あなたの母になりたかった』
その言葉を聞いてから、戻ってきた。
本当はライラ様がカムラを抱きしめただろうところで、もう大丈夫と立ち去ることもできた。もっと前の、条件があると言った時点でもよかったのに……そうはしなかった。
ライラ様の言葉にどうカムラが答えるのか気になって、留まってしまった。
母の愛情だった。
それしかない言葉だった。
早くに母親を亡くした私も……欲しかった言葉。
私がライラ様を大好きなのは、何も言われなくても、そんな愛情を感じていたからなのかもしれない。
あのライラ様になる前の彼女は、守ってあげたくなるようなご令嬢だった。自信がないのにあるふりを必死にして、大好きなヨハネス様には興味を持ってもらえず……味方になってあげたいと思っていた。
突然変わられてしまったライラ様からは、逆に見守られているような気分になった。
声が枯れているとか、少しいつもと姿勢がおかしいとか、小さなことにも気付かれて体調は大丈夫なのと心配されることもあった。
仕事のシフトも、大変ならご両親に相談するから……と。
愛されている。
そんな気にすらなった。
ライラ様は、カムラにまで……。
ぼーっとしていると、窓からカムラが入ってきた。
「終わったんですか、カムラ」
「ええ、どこまで聞きました?」
「母になりたかったと、ライラ様が言ったところまでです」
「ああ、やはりそうでしたか。動く気配は感じましたが注意を払ってはいなかったので。あの方に、そのあたりまでシーナに上にいてもらったと言ってしまいました」
「――――え」
「明日、謝っておいてくださいね」
そんな、ものすごく幸せそうな顔をして……。
ちょ、ちょっと待ってくださいよ。
え、ええー!?
無断で上にいたって……。
「……酷いです、カムラ」
「ご主人様は、裏切っちゃ駄目ですよね。説明責任、果たしておいてくださいね」
「……裏切って勝手に死のうとしていた人に言われたくないですね。殴りたくなってきました」
「いいですよ。殴りやすいように、ここにいてあげましょう」
そう言って、以前のようにベッドの上に横になった。
また……、靴を脱がずに。
「ものすごく迷惑なんですけど」
「布団に横たわりたい気分になりました。殴りたければ、どうぞ」
以前は柔らかすぎてベッドは落ち着かないと言っていた。どういう心境の変化だろう。
ライラ様に包まれているような幸せを、思い出せるから……?
「私、寝る時間なんですけど」
「隙間はありますよ」
「……隙間って……」
早くどいてという意味を込めて、カムラの顔の横に座る。
「私は、息子のような存在だそうです」
「はい、よかったですね」
「完全に失恋しました」
そんな幸せそのものの顔をして言われましても……。
「……恋、だったんですか?」
「分かりません。でも、失恋もしてみたかった」
「……そうですか」
カムラは一度、ジェラルド様の失恋を見るか聞くかしている。羨ましくなるような何かを感じたのかもしれない。
あの時は、告白する機会を与えてやれと言われたらしい。ライラ様に断らせる……とも。
もし受け入れたらどうするのですかと聞いたら、その場で掻っ攫って学生結婚するしかないなと言われ、引き受けたらしい。
私はその時間にカムラに頼まれて図書館内に待機させられていて……、お二人が閉じ込められているから開けてほしいと、書庫の本を渡されつつ頼まれただけだ。
二人で会っていることも見張っていることも知っていたから、カムラが閉じ込めたのだろうとは思ったものの……、経緯は後から聞いた。
「あのー……、カムラ? 目を閉じないでほしいんですけど。私、朝の仕事もあるんですよ?」
「隙間で適当になんとかしてください。私はもう少し、あの方の側にいたい」
「……天井裏で寝たらどうです?」
「戻るのが面倒です。そのうち、仕掛けを戻しに行きますよ」
「……それは、いつなんですか」
「さぁ。いつなんでしょうね」
もう、本当に隙間で寝ようかな……。
「とりあえず靴を脱がしますよ。いい迷惑です」
「そうでしょうね。同情します」
カムラにとって、私はどんな存在なんでしょうね。
触れてほしくてたまらなかったライラ様に抱きしめてもらって……。きっともう、何かを聞き出すために襲おうとはしないのだろうなと思う。
――自分ごときに脅しもせずに、言いたくないことを言うはずがない。
そんな思いは、きっと消えた。
ライラ様にとって大切な存在なんだと自信がついて、次からはまるで息子のように可愛くお願いでもするのかもしれない。
「もういいです。隙間で寝ます」
「あなたのベッドですから、ご自由に」
カムラにできるだけ触れないようにしながら、同じ布団に入る。
外側を向こうかと思ったけれど、気が変わって内側を見た。
「……普通、こちらを見ないようにするものではありません?」
さすがに気になるようだ。
「居心地が悪くなって、出ていけばいいと思いまして。それに、私の大好きな人を大好きだと思っている人の顔を見るの、好きですから」
「……ご主人様やジェラルド様をあなたが見つめていた記憶は、ないのですが」
「さすがに畏れ多いです。カムラくらいがちょうどいい」
「そうですか。まぁいいですよ。あなたなら大して気になりません。出て行きたい時に出て行きます」
本当に……この人にとってなんなのでしょうね、私は。
それよりもライラ様です。
いつ謝りに行きましょう……。
本当は今すぐ謝りたい。
せめて朝早くにでも謝りたい。
でも……明日は委員会を延期までして、ヨハネス様とお話をされると聞いている。その前に、私のために余計な気を回してもらいたくはない。
遅くはなりますが、夜の点呼の時に謝りましょうか……。
大好きなライラ様に無断で話を聞いたあげく、カムラの前半の失礼をスルーして黙って戻ってきてしまった。
全部全部、この人のせいなのに。
「そういえば、お二人を見失った件は解決したんですか?」
「ええ、しましたよ。昨日の夕食の献立くらいに、どうでもいい理由でした」
……意味が分からない。
でも、全ての疑問が氷解したような顔をしている。それならそれでいい。
私たちは護衛だ。ご主人様が聞かれたくない言葉まで聞いてしまう。だからこそ、お守りするのに支障がないようなことなら、言われない限り聞かない。それが私たちの仕事であり、生き方だ。
カムラもヨハネス様にはそうしているし、私もライラ様にはそうありたい。
――九歳のライラ様へ抱いた強いカムラの想いは、終着点を迎えたのでしょうか。
未だ少年のような顔をして天井を見上げているカムラを脳裏に焼き付けながら、目を閉じた。











