◆カムラとシーナ3. 予感(本編31話後)
「シーナは、どう思います?」
「……私、今寝ようとしていたんですけど」
いきなりカムラが部屋の中に現れて、驚く。
公爵家は、王宮ほどの徹底警備ではない。
戦える使用人はご主人様の真横と真向かいに小さな小部屋が与えられ、そこで物音に警戒しながら休む。
天井裏は、一定時間おきに旦那様の執事が巡回している。
天井裏の確認は、侵入者の警戒だけでなく、蟻や蝙蝠、ネズミなどの害虫の駆除にも必要だ。使用人部屋からも出入りできるようになっているので、突然カムラが上から降ってきた。
「どうなっているんですかね、カムラの体は」
「さぁ。気が付いた時には、こうでしたから。気配に鋭敏で、遠くの音まで聞こえ、人には気付かれない。なぜか足音も意識しないと出ません。不思議ですよね」
天賦の才、としか言いようがない。
警備をかいくぐって、ここまで簡単に来られるなんて。
「でも、さすがに声が姉にも届くんじゃないですか。分かっているとは思いますが、ここ、物音の警戒のために扉薄いですよ」
「はい、なのでさっき会ってきました。ちょっとした伝言もありましたし。シーナの部屋にも寄ると伝えたので、大丈夫ですよ」
「――え。レディの部屋に、勝手に入らないでください」
「あなたは、いいのですか?」
「半ば諦めています」
「それはよかったです。で、今日ですが、王立学園前で三人で泣いていましたよね」
「……よく知っていますね」
ヨハネス様は、ライラ様を愛し、気にかけていらっしゃる。
ライラ様が外に出たら、知らせでも入るようになっているのかもしれない。
「ええ。ミーナも側にいるような様子でしたので、遠くからつけていました」
思った以上に、カムラは外での役回りも多いのかな……。
「それで、何しに来たんですか。同情しに来たんですか? いいですよね、カムラは」
「いいえ、シーナにも学園に来てもらいます。職員として入れるように動くので、了解をもらいに来ました。ただし、あの方にはご内密に」
「ええ!?」
思わず、ものすごい笑顔になって、カムラの両手を握りしめてしまった。
「本当ですか? 嬉しいです。カムラ、来てくれてありがとう!」
「え、いや……まぁ……仕事ですから」
す、と手を払われる。
ちょっと馴れ馴れしく、しすぎたかな。
「でも、この時間はあり得ないと思います」
「ああ、時間は私の判断です。この時間が都合よかったので」
ヨハネス様とライラ様以外への気遣いが、全くないですね……。
「姉は、どうするのです?」
「お二人とも四年間、好きにしていいと提案されたばかりですよね。ミーナには、あなた方の父親の、今の居場所を伝えて参りました。会うことをご希望されるのなら、正式に公爵様ご夫妻にも、ご説明する機会をいただきます、と。各国を回りたければ、渡航費用もお出しします。ミーナの視点で各国の情勢を把握されるのも、今後のお二人のお役に立つかと」
父は、私が一歳の時に行方不明になったと聞く。私に記憶はないけれど、姉にはわずかにあるのかもしれない。
詳細は、私は知らない。知らなくてもいいと思っている。
「そうですか。ヨハネス様は本当に、素晴らしい方ですね」
「ええ、もちろんです」
あ、ちょっと自慢気で嬉しそう。
それにしても、ヨハネス様の気の回し方が半端ではないですね……。つくづく、ライラ様のお相手はヨハネス様しかいないと感じられる。
「婚約解消で、もう少しカムラも落ち込むかと思っていました。誰からもおかしいって言われないですよね。どんな根回しをされたんです?」
「あの方が、おっしゃっていた通りですよ。それ以外ですと……卒業後の結婚式のプランも、個別に具体的に話されていましたが。おそらく、卒業から大して日を置かずに、ご結婚されるかと」
「……ライラ様はそれは……」
「知るはずがないですね」
「ですよね……」
「プレッシャーをお感じになるといけないので、婚約解消の件と合わせて、あの方には指摘されないようにとお願いされていました」
「……抜かりないですね」
完全に外堀を埋められていますね……。
まぁ、いいのかな。
ライラ様が、ヨハネス様にご好意を持たれていることは、疑いもない。
ヨハネス様の心変わりがないのなら、婚約を解消してしまった手前、それが最善なのかもしれない。
「あのお方は……どう思われているのでしょうか。ご好意は間違いなく、あるでしょう。でも、あの頃から一貫して、予知夢を信じていらっしゃる」
「そう……ですね」
「最初にお聞きしたんです。婚約解消を提案された、最初の最初です。一つの人生を終わらせてきたと、おっしゃっていました」
「人生……ですか」
予知夢を見たことは、聞いていた。
それだけでは、なかったのだろうか。
「あの方は今の年齢になって、はっきりと分かります。十六歳の少女とは、思えない。成熟した女性の色香すら感じる。卒業まで繋ぎ止めることが、できると思いますか?」
「何があっても裏切りませんよ。そういうお方です。ヨハネス様ほど真っ直ぐではないかもしれませんが、恋をされています」
「……されていますか」
「はい。もしかしたらそれは、カムラの言う成熟した女性の恋に、近いのかもしれませんが……」
少なくとも、その人しか見えなくなって夢中になる、といった恋ではないのは確かだ。
相手を思いやり、幸せを願い、傷つくことが前提にあるような恋。
ヨハネス様が愛を語るたびに、不安に瞳が揺れる恋……。
「まさかシーナから、成熟した女性の恋なんて言葉が出るとは思いませんでした」
「それは、カムラが……」
「私は、色香と言ったのです。どんな恋なんです? 少女の恋とは違うんですよね。あのお方は、どんな恋をされているんですか」
――まずい。ものすごく食いつかれた。
「私も、恋に詳しいわけじゃ……」
「そうですよね。恋、したことないですよね」
「それは、あんまりな言い方ですね……ないですけど」
「それなら、なぜ……いえ、そこはどうでもいいです。シーナの見立てでいいので、どんな恋をしていらっしゃるのか、教えてくださいよ」
だ……誰か、助けてー!
なんでこんな寝る間際に、ご主人様の恋について語らないといけないのー!
うわーん!
「嫌です! 私の心にしまっておきたい部分です、そこは」
「大きな声を出さないでくださいよ。隣、あの方の私室でしょう。さすがに起きてしまいます」
「それなら、もう帰ってください」
「それは、私が嫌ですよ。成熟した女性の恋なんて答も出なさそうなこと、考えたくないです。今、教えてください。早くしないと眠れませんよ?」
なんで、こんな夜遅くに……。
しかも、恋なんてしたことがないのに、カムラ相手に語るなんて……。
「どうしましょう。あのお方のメイドにナイフで脅すわけにも、いかないですし……」
「勘弁してください」
「興味のない人を、襲いたくもないですし……」
「それも、勘弁してください」
そういう方法しか思いつかないのかな……この人。
「仕方ないですね、ベッドを占領しましょう。寝たくなったら、吐いてください」
そう言って、私のベッドにドカッと寝そべった。
「……靴のまま、乗らないでくれません?」
「早く吐かないから、いけないんですよ。ベッドって落ち着かないですよね。柔らかすぎる。天井裏の方が落ち着きます」
「それは、カムラだけです」
「それで? 吐きたくなりました?」
「はぁ……一言だけですよ」
「仕方ないですね」
「相手の幸せだけを、一心に願う恋です。分かったらどいてください」
「――なるほど」
どいてと言ったのに、寝そべったまま天井を見ている。人のベッドで、物思いに浸らないでほしい。
「あの方は昔、私にも幸せを祈っていると言いました。違いはなんですか?」
「報われたいと思っているかどうか、ですかね」
「そうですか」
あのー……私の布団の上で、目を瞑らないでもらえませんかね?
「報われたいと思っていなければ、恋ではないのでしょうか。少しほっとしました。――私は、恋をしているわけではない」
ドキリとする。
それは……どうだろう。
ライラ様への想いを恋だと感じてしまえば、きっと――、一生苦しむ。
「大好きな方、だとは思いますよ」
「前に、そう言っていましたね」
カムラが、そっと両手を天井に向けてあげた。
「もう、触れてはもらえないのでしょうか……」
――この人は、ずっと望んでいたのだろうか。
九歳のライラ様が、両手を握りしめた時からずっと。
もう一度、触れてほしい――――、と。
その強さに似合わない、純粋で小さなその願いに、胸が熱くなる。
どうしよう……。
恋を、してしまうかもしれない。
ライラ様を一番に大好きな、この人に。











