80.止まらない震え
「おはよう、ライラ」
「お、おはようございます……」
ものすごい緊張感でいつもの東屋に来た。
朝食も喉を通らず、夜も全然寝られていない。
「……すごい顔だね」
やっぱり出てしまっているのね……。
いつも通りぎゅっと手を握りしめられ、ヨハンの動きが止まった。
「はぁ……。こんなに震えられたら、何も聞けないじゃないか」
「……止まらないのよ。ここまで来るのも大変だったわ」
ヨハンの顔を見たら、よけいに震えが激しくなった。共生の森に一緒に行こうと思ったのに、足が震えすぎて歩けないかもしれない。
「どうしてこんなに震えているのか、聞いてもいいかな」
心配そうな表情で私を見つめてくれる。
どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。
カムラに「ヨハネス様のお心は、決壊寸前です」と言われて、夜の間ずっと考えていた。
この学園生活で私がしたことだ。
二人きりでいたいヨハンの意向を無視して、確認すらせずに皆と毎日、談話室で会っていた。
セオドアの横でも眠りこけていた。
委員会も私の意思だ。ヨハンがしたいとは一言も言っていない。本当は二人きりでいたかったのかもしれない。
アンソニーにも興味を持たれるようなことを言ってしまって口説かれるし。ジェラルドとも二人きりで繰り返し会ってダンスまで踊った。
カムラとも昨夜、あのザマだ。
何度もフォローしなければと思っていたはずなのに、何もしてこなかった。
アンソニーの相性診断を見て、言いたいことがあるのかなと思った。でも、もしそれらを責められても……言い訳もできない。ごめんなさいしか言えない。
もう既に私から気持ちが離れかけているのかもしれない。よくよく思い出すと、最近は以前より口説き文句が少なくなっていた気もする。空気扱いしていると指摘もされていた。
彼は……隠すのが上手い。愛情を通り越して怒りを抱かれていても、おかしくはない。
そもそも支えてもらうばかりで、支えた記憶が全くない。
――気持ちが離れていく予兆を、私は全部見逃していたのかもしれない。
「こ、怖いのよ……」
「何が?」
「ヨハンに、嫌われたくない……」
「――――っ」
あれ?
ヨハンの手まで震えた?
「わざとなの? なんで色々聞きたい時に限って、そんなに可愛いことを言うの。もしかして、ものすごく僕のことを好きなのかと勘違いしてしまう」
「……勘違いじゃないでしょう」
「だといいけど」
たまに、こんな言い方をヨハンはしていた。
……好きだという想いも、届いてはいなかったのかもしれない。
「一緒に、共生の森の池の近くまで行ってほしいの」
「この足で?」
「……震えが止まったら」
「夜になりそうだ。僕が連れて行くよ」
そう言って、私をお姫様抱っこで持ち上げた。
「わわ、わ、ちょっと」
「はいはい、暴れないで。行くよ」
「待って。王太子様が、こんな重いものを持っちゃ駄目でしょう」
「いいんだよ、日頃から鍛えてもいる。言っただろう? 僕がいなければ立つことすらできなくなればいいと思ってたって。願ったり叶ったりだ」
「うぅ……」
自分が情けなくて涙が出てくる。
ずっと我慢をさせていた。
それが思っていた以上の我慢だったのかもしれないと、カムラの言葉からやっと分かった。
ヨハンの我慢の上に今までの学園生活が成り立っていたことを、突き付けられた。
「もー、なんで泣くの。君を抱っこしているから涙を拭いてあげられない」
「そんなの、しなくていいわよ」
寝不足もあって、かなり精神的に不安定だ。
不安定な者同士どうなるのか分からないけれど、でも……言う言葉は決まっている。
そのまま歩き続けて、池のほとりへ着いてしまった。
覚悟を決める。
「ヨハン、もう降ろしてくれて大丈夫よ」
「はは、君らしいな」
「え?」
「あの時もそうだった。婚約を解消し恋人だと宣言した日、君は震えていた」
「ああ……ヨハンが何も言っておいてくれなかったから、緊張したのよ」
「なのに、会場についたら震えがピタっと止まった。あの時のことを思い出した」
ヨハンも緊張していると気付いた時ね。
「君が震えていたことに気が付いたのは、その時だったけどね。男として不甲斐ないなと落ち込んだよ。今後はずっと君を怖がらせたりはしない。そう決めたんだけどな」
落ち込んでいたとは知らなかった。
そんなふうに思ってくれていたことも。
ヨハンが不安定だとカムラが教えてくれたのに、そんな様子すら私には見せない。
全部……隠してしまう。
私のために。
「あの奥に柵があるわ。一度一人で行って、壊れていないことを確認してほしいの。私と行くと、違う景色が広がるわ」
メルルと恋愛イベントを経ていないヨハンなら、一人では入れないはず。
「……分かったよ」
そう言って小走りに向かうヨハンを見て、私への愛情を感じた。意味が分からないだろうに、私の言った通りにしてくれる。
ずっとそうやって……守られてきた。
「確かに、壊れてはいなかったよ」
ヨハンが戻ってくる。
「私と行けば壊れるわ。きっとね」
そうして、私たちはそこへ足を踏み入れた。










