79.屍を越えて
話を聞き終えたカムラは、少しの間放心していた。
「そう……ですか。あなたは本当に母だったんですね」
そこ!?
もう少し他にあるでしょう。
ここは現実じゃないの、とか。
「信じるのね」
そんな馬鹿なと怪しまれると思った。
「ええ、色々とやっと腑に落ちました。ずっと、たくさんの違和感を持っていたんですよ、ライラ様には。それがようやく全てスッキリしました。これからは、なんの疑いもなくお守りしますね」
……なんの疑いを持っていたのよ。
「ライラ様についても、理解が深まりました」
少年のような顔をして、覗き込まれる。
「……どんなよ」
「行き場を失った母としての愛情を、皆さんに注がれているんですね」
ぐっと胸が締め付けられる。
そうなのかもしれない。
本当は……息子を……。
「ごめんなさい、意地悪を言いました。これからまた、ずっとヨハネス様と一緒でしょう? 私と二人になる時なんて、ない。今日もたまたま補講があったから、ここにいられる。息子さんの代わりでいいんです。もう一度、抱きしめてはもらえませんか?」
なんって顔をするのよ。
私が十六歳の小娘じゃないと知って、安心して甘えられるようになったのかしら。
可愛すぎて可愛すぎて可愛すぎて、やばい。
「代わりじゃないわよ」
そう言って、思い切り抱きしめる。
「可愛い。ものすごく可愛い。さらっさらの触り心地のいい茶色の髪も、ずっとヨハンを守ってきたあなたの腕も、どこも何もかも全部可愛いわ。あなたの瞳の色もね、私のいた日本という国の、抹茶って飲み物の色にそっくりなのよ」
「こんな濁った色なんですか? すごく不味そうですね」
「趣深くて素敵な色よ。それに、少しだけ苦味のある大人の味で、すごく美味しいの。お菓子にもよく使われていたわ」
「へぇ。あなたにとっては、美味しい色なんですか」
「そうなのよ。あなたは、ものすごく可愛い。全部全部、本当に全部可愛いのよ、カムラ」
「……はい」
久しぶりに見た……全幅の信頼の目。
かつて拓海が私に向けてくれた目だ。
やらしさの欠片もない、ただただ信頼しかない、その表情。
本当に……小学生のような顔をする。
ずっと、表に出すことのできなかった顔なんだろうな。
「本当は私がずっと、あなたを守ってあげたいのだけど……」
「私の唯一の取り柄を、奪わないでください」
「唯一ではないのだけど。ええ、だからそこは諦めるわ」
「はい。早く守らせて。早くヨハネス様と結婚して、四六時中一緒にいてください。ずっと守りますし、あなたの敵になりそうな人は順番に消していきます」
「……そこは、平和的解決を目指させて」
「冗談です」
冗談に聞こえないのよね……。
「それで、疑問は解決した?」
「はい。奥にある花園は今の時点で三人、ヨハネス様と行かれたら四人しか入れない場所で、他にそういった場所はないんですよね。それなら問題ないです」
本当に、あっけなく納得したわね。
ここが現実の世界ではなく、私がいた世界のゲームが舞台なんて嫌じゃないのかしら。
「……ここが、その……私のいた世界のゲームが舞台で、しかも死後の世界かもしれないとか、軽んじられているみたいで気分が悪くならないの?」
「でも、いきなり消えたりもせず、続いていくんですよね」
「そうね」
「それならどうでもいいです。昨日の夕食の献立くらいに、どうでもいい」
そうなの?
あれ、そんなに軽いものかしら。
「私はお二人をお守りできるなら、ここがどんなところであろうと、どうでもいいんです。卒業後は、すぐに結婚してくださいね。それじゃ、私はもう行きます」
「あ、待って。明日、ヨハンには言うの?」
「ライラ様に聞いた話自体は、聞かれない限り言いませんよ。前にライラ様にお聞きしたセオドア様との会話も聞かれませんでしたし。詳細は必要ですかと確認はしますが、聞きたくなったら本人に聞くといつも答えられます。ヨハネス様はどれだけ気になったとしても、ライラ様のご意思を尊重されます。でも、私がお二人を見失ったことに焦りを覚えて、こちらを伺ったことは言いますよ」
「……そう。ご主人様だものね」
「はい。この世界で初めて、私を信じてくださったお方です」
やっぱり裏切る気はなかったのね。
分かりにくいのよねー、カムラは。
「あ、でもシーナには裏切させちゃったかもしれないですね。すみません」
「……どういう意味よ」
「この学園、天井裏もさすがに音が出る罠みたいなものもあって移動しにくいんですけど、少し小細工して、ライラ様に了解もなくシーナに上にいてもらっていました」
「ええ!?」
「殺したいタイミングで私のことを殺してもいいですよと頼んでおいたんですが、来なかったですね。結構際どかったと思うのですが。シーナのことですから、ライラ様が前の世界の話を始めた時点では、もう聞くべきではないと立ち去っていたと思いますよ。自室でも、声が聞こえないように扉から離れて他事でもしているかと」
全身黒ずくめは、そのためか……。不貞の輩が忍び込んだのでシーナが倒しましたよ、というのを演出するためだったのね。眼鏡もしていないし。
そうなったら一部の間では大騒ぎだっただろうけど、講師が忍び込むよりかはまだマシってことかしら。臨時講師も行方不明になるけど……。
シーナが倒すなら、夜の内に全てをうやむやに徹底的に証拠隠滅されたことだろう。
あれだけの事があって、シーナが気付かないわけがない。だからこそ先にカムラも言っておいたのね。
しかし、それにしても……。
「シーナには、なんて言って頼んだのよ」
「お二人を昼間に見失ったので、今後の職務に不安もありますし命を断とうかと思ったのですが、一応ライラ様に今から確認してきますね、と。その過程で襲うかもしれないので殺したかったら避けないのでどうぞ、と頼みました。了解も得ずに、すぐにこちらに来ましたが」
なんて殺伐とした……。
ああ、シーナ……可哀想に。
今すぐ慰めに行きたい。
「ライラ様の腕の中で、死に損ないました」
「やめてちょうだい。一生気に病むわよ」
「それも含めて、いい死に方ですよね」
……死に場所を、求めているのかもしれないわね。
「あなたはもう、私にとって息子のような存在なのよ。長生きしなさい、命令よ」
「……まだ、私のご主人様ではありません。早く結婚して、もう一度命じてください」
「はいはい」
幸せそうな顔をして笑うようになった。
でも、本当はもっと……。
「カムラも、いつか結婚したら?」
「ご冗談を」
「冗談じゃないから。幸せになってもらいたいのよ」
「幸せになる資格は、ありません」
やっぱり……そう思うのね。
「需要があるから供給があるのよ。私たちが欲しているから、あなたのように地獄を見る人たちがいる。あなたの積み上げた屍は、私たちが積み上げたものでもあるの」
「…………」
「護衛は必要よ。でも、地獄を見なくてもいいだけの強さで事足りる世界にしてみせるわ。ヨハンと一緒に。いつか、あなたのいた組織が食いっぱくれるようにしてみせる。あなたが殺めた命は戻らないでしょう。だから、許されずに屍を背負いながら、幸せになりなさい」
「……ふ、ライラ様らしい、母の言葉ですね」
「そう、母の言葉。心に留めておいて」
「分かりました、留めておきます」
ふと、学園に入る前にヨハンと私の未来を占ったことを思い出した。一年も経たないのに、ずいぶんと昔のことのように感じる。
「婚約解消を宣言した日、バルコニーでヨハンとの未来を占ったのよ」
「……はい」
「出たカードは『死神』の逆位置。屍を越えて新しい未来を築く。そんな未来よ」
「……それは……」
「ついてきなさいよ。ずっと」
「はい。どこまでも、お二人にお供します」
すごく清々しい顔をしているわね。
これからも罪の意識に苛まれ続ける。
自分にとっての幸せが何かを考えることすら、簡単にはできないはず。
それでも――、せめてこんな顔をしていてほしい。
「あぁ、お礼に一つ、ライラ様に伝えておきます。本当は私のような立場で、このような差し出がましいことを言うのは間違っているのですが……」
何を言う気だろう。
前置きがいちいち怖いのよね。
「ヨハネス様のお心は、決壊寸前です」
「――――え」
「私がここに来たと明日報告することで、もっと酷いことになるかもしれません。明日、頑張ってくださいね。委員会が来週に持ち越されライラ様がお話をされたいということは、早朝に私から伝えておきます。それでは、いい夢を」
そう言って、来た時と同じように窓から闇夜へと消えていった。
……いい夢、見られるわけないじゃない!











