52.図書館でアンソニーと
一日の終わりに、シーナがヨハンからの手紙を手渡しながら、嬉しそうに見守るような笑顔をくれる。
「こちらがヨハネス様からのお手紙です。今日も楽しそうな顔をしておられますね、ライラ様」
いつも土の曜日の前日夜に、内容のない手紙を渡されるのよね……。
今回もこんな感じだ。
『愛しいライラと一緒にいられない時間は、まるで永遠のように感じられる。会っている時は、一瞬なのにね。日の曜日に会えることだけを楽しみに、明日も行ってくるよ』
前に目を離すとすぐ他の男といると文句を言っていたし、気を付けてという意味も含まれているのかもしれない。
ヨハンの手紙は長文の時もあって……たまに何度か読み返してしまっている。昔買ってもらったオルゴールの音色を聞きながら過去を振り返りつつ読む、なんてこともある。
自分もそうされたらと思うと、恥ずかしすぎて返事が書けない。
我ながら変な顔になっているだろうなと思いながら、ヨハンの手紙をたたんだ。
「分かる? 楽しいのよ」
「ふふっ、私も嬉しいです」
早く委員会開始の金の曜日にならないかなーなんて、クリスマスを待つ子供のような気分だ。
「本当は、シーナも一緒にボードゲームができるといいのにね」
「いえ、ライラ様が楽しそうにされているだけで充分です」
「カムラはどうなのかな。いいなーって拗ねる気持ちとか、あるのかな。それとも護衛して張り付いていられれば落ち着くのかな」
「あら、使用人のことなんて、お気になさらないでいいのですよ。学園生活は今しかありません、謳歌ください。拗ねていても、無視です無視」
「あはは、言うわねー。でも苛々しているのかもと思うと……」
「私も休みの日には気にかけているので、ご心配されずに」
「そうなの?」
「ええ」
言われてみれば、夜の点呼まで自由って日もあるに決まっているか。
普通の職員さんはオフの日に交代要員を頼んで翌日まで外出するなんてこともできるようだけれど、シーナは私の夜の警護があるので、それはできない。
だから毎晩こうやって話しているけれど……、休みの日もあるわよね。
「カムラと、学園デート?」
「そんなんじゃありません!」
うーん、あのカムラの様子見?
想像ができない……どんな会話をするのだろう。
でも、メイドのプライベートに入り込みすぎてもよくないわよね。突っ込んで聞くのは、やめておこう。
「明日はヨハネス様が王宮に戻られる日ですね。どう過ごされるのですか?」
「ううーん、そうね。まだ課題なんかは出ていないけど、復習と予習をしつつ……余裕があったら図書館で過ごそうかなって。今のところはね」
「そうですか。私も明日はお休みなので、午前中にボードゲームを取りに戻りますね。いい本が見つかるといいですね。それでは、そろそろ失礼します」
「ええ、よろしくね。おやすみなさい」
「明日も、いい学園生活を」
シーナと話し終えた後の部屋は少し寂しい。もっともっと、しゃべりたい。
ヨハンの部屋には、これくらいの時間にカムラがどこからともなく現れるのだろうか。そして、少しだけ話をして天井裏に潜むのかもしれない。
カムラの見ている世界は、どんな景色なのだろう。
……シーナにだけは、分かるのかな。
* * *
翌日、午前中に勉強をして食事をとると、予定通り図書館へ入った。
ここもでっかいわよねー……。
そして、息を呑むほど美しい。
王立学園の図書館だ。国の威信もかけて見映えよくしたのかもしれない。
まるで小さなコンサートホールのようだ。
たくさんの椅子や机を、円の形で壁一面の二階建ての本棚が取り囲んでいる。
ちらほら見える学生たちを横目にそのまま真っ直ぐ奥へ進むと、またも天井まで伸びていくような圧巻の本棚が出迎えてくれる。
そこから横の通路に入ると、やっと前世の図書館を思い出すような本棚がずらーっと並ぶエリアに入って、安心する。
……高級感と重厚感はあるけれど。
重々しすぎて夜だとお化けも出そう。
ずんずんと歩いていくと、突然カラフルな色がたくさん目に飛び込んできた。
この世界にカラー印刷は存在しない。きっと手で色をつけたのだろう。
「画集……かな。いえ、画家の紹介?」
しゃがみこんでどの本を読もうかと眺めていると、『若き天才画家 アンソニー・スコールズ』というタイトルを見つけた。
この学園にはアンソニー本人がいる。
文章はさておき、もし本人の挿絵ありで図書館に寄贈でもしていたのなら……とんでもない値段のはず。
手に取った瞬間に、背後から声がした。
「ライラ様、俺に興味があるなんて嬉しいです」
そうよね……。
アンソニーの本を手に取る。
フラグよね、完全に本人が来るフラグだった。
私が馬鹿だったわ。
「……私のあとでも、つけたのかしら?」
「ええまぁ。館内で見かけて何を読むのかなーと。その本、入口のところにも最近の話題本として同じものが置いてあったんですよ。こんなに人がいないところで、わざわざ探し出して読もうとしてくれるなんて、感激です」
「……たまたまよ」
彼はメルルのメイン攻略対象者ではあるものの、ゲーム内でもそんなに他のキャラとの絡みはなかった。誰かと兄弟なわけでもないし、仕えているわけでもない。わざとメルルと仲よさそうにしてみせて、メルルのお相手の嫉妬を買う程度のもの。
彼の描く絵画は、今はもうかなり高額だ。
何かのトラブルが起きた時に尻拭いなど頼まれても面倒だし、この世界でもそんなに親しくはならないようにしようと思っていた。
……なぜか、好かれたけれど。
「ライラ様、本っていいですよね。読んでいる時は、その本のことしか考えられなくなる」
「そうかもしれないわね」
なんで休日に、よりにもよってアンソニーと二人に……。本を手に取ってしまったのが間違いだったわ。
「ねぇ、ライラ様。早く読んでくださいよ。俺のことだけを考えて、俺の世界に入り込もうとしてくれたんですよね」
「あなたが邪魔したんでしょう」
「それは痛恨の極みですね。嬉しくて、つい」
うん、早くここから脱出しよう。
この本もしまおう。
「ちょ、ライラ様、しまわないでくださいよ」
「あなたこそ、くっついてこないで」
思い切り後ろから覆うようにして手を掴まれた。アンソニーの派手な顔が間近に迫って、目がチカチカする。
最近、こういうの多くない?
「いいじゃないですか、一緒に読みましょうよ。俺を舐め尽くすように、隅々まで堪能してください」
出たわね、変態発言!
これが、このキャラの売りだったのよねー。
「あなたがいない時に気が向いたら読むわ。今日はもう、おしまいよ」
「そんなぁ。それなら、いつ読むのか教えてくださいよ。ライラ様の心が俺に染められているのかなと、想像するのを楽しみますから」
「あーもう、鬱陶しいわね。他の女の子を口説きなさいよ。若き天才画家なんでしょ、ときめいてくれる女の子はたくさんいるわよ」
アンソニーとは、あの覗き見事件から特に距離感がおかしくなってしまった気がする。
より、身近な存在に思われてしまった。
「ああ、そういえば前にライラ様が覗き見していたメルルちゃん、ライラ様が魅力的だとお感じになっただけあって、可愛いですよねー」
「……え」
「美術の授業で彼女の描く色彩が独特で、興味が湧きましたね」
「彼女は駄目よ、あの子は駄目。他にしなさい」
「ええー、酷くないですか。自分はヨハネス様がいるのに……」
「彼女にも愛を育む相手がいるから、駄目ったら駄目。駄目駄目の駄目」
「え……そんな相手がいる女の子を、ヨハネス様と話をさせて自分の方がかわいいって言ってほしかったんですか。少しばかり、えげつない趣味をしていますよね、ライラ様」
「――ぐぅ!」
「あれ、なんでそんな蛙が潰れたような声を?」
い……息も絶え絶えだわ……。
ダメージが大きすぎて、アンソニーに屈してしまいそう。
「も……もう無理。疲れたから行くわ。あなたの相手をしている余裕がないわ」
「俺のせいで疲れてくれたんですか? 余裕のないライラ様も新鮮で、そそられますね」
ヘルプ!
誰か、ヘルプミー!
「あなたも、いい趣味をしているわね」
「そうでしょう? ヨハネス様に溺愛されている凛とした美しいライラ様が、突然覗き見をしていたり、突然蛙が潰れたような声を出される。そそられずにはいられない。あなたが動揺してくれるだけで、ぞくぞくするんですよ」
……ギャップ萌えってやつね。
そうか、公爵令嬢なのに気さくだからという理由で好意を持ってくれる人がいるのかと思っていたけれど、ギャップ萌えのせいだったのかもしれない。それで親近感を抱かれているのかも。
かなり色々、やらかしてきているからなぁ。
「それに、人のものって燃えますよね。婚約、解消されたんでしょう? 俺のものになったらと考えるだけで、一日中妄想していられる。俺、ライラ様の足なら喜んで舐められますよ」
それよりアンソニーだ。
屈するわけにはいかない。
さっさと追い払おう。
「とにかく、私とメルルは駄目。他にしなさい。もう疲れたの、さっさと行って」
振り払うように立ち上がってそう言うと、やめ時だとさすがのアンソニーも思ったようだ。
「仕方ないですね。またいつか、ライラ様と二人きりになれることを祈っていますよ。たまには俺との未来も妄想してください」
「……しないわよ」
アンソニーが出口の方へと向かって行く。
追いかけたくはないので、奥に行こう。
もう、絶対に誰にも会わないほどの、奥へ。










