40.ヨハネスの視点1
――ああ、苛々する。
何度も何度も、昨日ジェラルドから言われた言葉を頭の中で反芻して、苛立ち続けている。
『ヨハネスに言えないことも、セオドアには言えるんじゃないかな』
彼女が僕を頼りにしていないことくらい、知っている。彼女は僕に相談なんてしたことがない。せいぜい婚約を解消したいってことくらいだった。
我儘も言ってくれない。
甘えてもくれない。
でも、なんでよりによって会って間もないセオドアなんだ。
なんであいつに相談なんかできたんだ。
『ヨハネスの声は届いていないみたいだし、愛し合っていないんだろう?』
そんなこと、分かっている。
婚約を解消したあの日、彼女は「私たち、そういう関係じゃないでしょ」と、事も無げに言っていた。
あれは、かなり堪えた。
頬にキスをして何度か好きだと言い合って、それでもそんな認識なんだと、まざまざと思い知らされた。
『セオドアに、自分の心の声ばかりに耳を傾けずに、あなたの言葉を信じろって言われたわ』
どんな相談をしたら、そんな言葉を言われるんだ。
何を言った。どうして僕に見せない心の内を、セオドアに見せられたんだ。
僕の言葉を信じていないのなんて、知っている。君は自分の見た夢ばかりを信じる。
『あなたの心が揺らがなければ、あなたを信じられると思う』
今まで信じていなかったってことだよね。
そんなにはっきり、頼むから言わないでくれ。
僕の声は、全く届いていないよね。
まるで、信じてくれていないよね。
頷かれると分かっていて呑み込んでいたその言葉を、どうして他の男なんかに指摘されなきゃならないんだ。
今も剣術の授業が終わり、急いで食堂へ向かっている。
ライラに会うためじゃない。
ライラの希望通りに、メルルに会うためだ。
――忌々しい。
他の女のためなんかに、急ぎたくはないのに。
ジェラルドなんて部屋に入れるんじゃなかった。式典で数回会っただけだ。
幼いながら嫌いなタイプであることはピンときた。これっぽっちも思っていないことを平然と言ってのける、同じ匂いのようなものを感じた。
セオドアは違った。
僕への興味と親しみや思いやりが伝わってきて、好感を持った。ジェラルドも、彼に対してだけは心を許しているようだった。
まさかジェラルドが、私的な場ではあんなタイプだったとは。
セオドア以外に対してはゴミを見るような目をたまにするなと思ってはいたけど、想像以上の性格の悪さだ。
だが……完全な嘘を言わない奴であることも、分かっている。
あれでも王太子。
言い逃れできるようなことしか言わない。
つまりは、悪意あるねじ曲げをしていたとしても、おそらく内容は間違っていない。
ライラの泣き顔が脳裏に浮かんで、ぐっと胸が苦しくなる。
セオドアの前では感動とやらで涙ぐんでたんだって?
――僕は怖がらせただけだ。怖がらせて、泣かせただけ。
その辺の壁を、勢いよく殴りたくなる。
目に映る机を、思い切り蹴飛ばしたくなる。
殴りたいのは、蹴飛ばしたいのは――……自分自身だ。
こんなにライラを好きになったのは、いつだったのだろう。
僕はずっと、ライラが苦手だった。
理想の王太子様像を勝手に押し付けられて、そう演じることを強要されてはいないのに操られている気分だった。
いきなり婚約の解消を提案され、理由は夢だと言われた。
面食らったけれど、突然彼女は話しやすくて面白い女の子になって……、いつの間にか彼女と会える日を楽しみに、励みにしながら日々を過ごしている自分に気付いた。
夢の詳細を問い詰めることもできたけれど、それはしなかった。夢の内容を必死で聞く僕を見せるなんて、格好悪いと思ったからだ。せっかく仲よくなった関係も壊したくはなかった。
彼女が他の男に褒められているのは見ていて気分が悪かった。好きなのかと思ったけど、彼女が違うと言うのなら分からないなと、最初はぼんやりしたものだったと思う。
それでも、もう手離す気はなかった。
彼女の望み通り婚約を解消するのなら、同時に再婚約を前提としていることも噂として流しておかなければならないとは、幼いながら思っていた。
ハッキリと好きだと自覚したのは、メルルに会いに行ったあのお忍びの日だ。
あの時に買ったオルゴールはよく聞くし、寮にも持ってきた。あんなに安っぽい代物が、こんなに大事な思い出になるとは思わなかった。
あの日――、彼女は僕の頬にキスをした。
あの夜は寝られなかった。
もしかして僕のことを好きなのかなって。
大好きだって言ってくれたし。
婚約の解消も、僕の心が変わるからっていうのが理由だった。
昔はものすごく僕に憧れていたはずだし……なんて、ぐるぐる考えていた。
自分の気持ちを確かめたくて、あれから会うたびに僕は彼女の頬にキスをした。
いつも堂々としている彼女が、照れた様子で気まずそうに僕のキスを受け入れるんだ。なぜか自信がなさそうで、あちこちに目をやって戸惑っていた。
可愛くて可愛くて、何度もそんな彼女が見たくなった。
甘い台詞を言ったり口説いたりすると……、ものすごく不安そうな顔をするんだ。
それなのに信じたそうで。
僕は安心してほしくて、どう言えば彼女が信じてくれるのか考えて考えて……。
いつの間にか、どうしようもないくらいに夢中になった。
恋に落ちて、やっと分かったんだ。
――君は僕に、恋をしていないんだって。
もし僕が、彼女と他の男が恋に落ちる予知夢を見たのなら、全力でそれを阻止するはずだ。
出会いもさせない。
会話もさせない。
ずっと側にいて遮ってやる。
でも彼女は受け入れているんだ。
僕が他の女性に恋をするのを当たり前のように受け入れて、それを前提に動いていた。
『ちゃんと私はヨハンのものだと言ったわ。あなたしか考えられないって、ジェラルドに言った』
そう言っておけば、丸く収まるからだろう?
どう言えばその場を切り抜けられるか考えて、冷静に対処した。
それだけだろう?
このまま僕が君を手離さなければ、きっと君は僕を選んでくれる。
好意を持ってくれていることも、家族に対するような愛情を持ってくれていることも、自覚している。
今まで何度も好きだと言ってくれたのも、そういう意味なんだろう。僕から突き離される不安を未だ持ち続けていることも、分かっている。
でも……僕に恋はしていない。
二人きりになりたいとか離れがたいとか、そんな意識はまるで感じない。こんなに僕は君に触れていたいのに、君からは何もしてくれない。きっとミーナやシーナに感じているのと、似たような感情だ。
……いや、それよりも弱いかな。僕と四年間離れることになったって、泣いてはくれないだろうからね。あの話を聞いて彼女たちにすら嫉妬した。
君の夢の話……、今では怖くて聞けなくなった。
予知夢だけでは説明できないことも多い。タロットカードもボードゲームも、予知の範疇ではないことは明らかだ。
君のことだ、上手く誤魔化せはしないだろう。問い詰めれば全容が分かるかもしれない。
それでも……聞けない。
あれだけ僕に憧れていた君が、ばっさりと僕への想いを消せるほどの夢だ。絶対に僕を愛せない理由が出てきてしまうんじゃないかって恐れている。
メルルの存在も当てた。
リックやメルルが学園に入学することも、カムラの臨時講師入りすら当てた。
メルルにこれから会うのは……、僕も少しだけ怖い。
僕がライラの立場なら、絶対に会わせない。万が一にも奪われないように、そんな機会は絶対につくらない。
どうして君は僕とメルルを予知夢通りに会わせようとするんだ。分からないから、苛々して仕方がない。
でも、それで君が僕の想いを信じられると言うのなら、会うしかない。
それしか……、ないんだ。
学園に入って、君の気持ちに少しずつ変化が生じているのは感じている。行動や言動に矛盾が多くなってきた。僕への好意と予知の狭間で揺れて今までも一貫性はなかったけれど、これまで以上に僕が側にいることを当たり前のように思い始めているのは確かだ。
この学園で、君の望む全ての願いを叶えよう。どんな小さなことでも、口に出さないような願いも――、全て。
君にとって、必要不可欠な存在であり続けるよ。
君を必ず僕に惚れさせてみせる。
この、四年間の学園生活の間に。











