37.学園の隅っこでセオドアと
私は、阿呆だわ……。
ズンズンズンと人気のないところへ、早朝に一人で颯爽と歩いていく。
昨日はあれからヨハンと地図を見ながら学園内を回ったり、庭園の東屋で話をしてから寮へと戻った。
少しは予想していたけれど、シーナが夜に部屋に来て言った言葉が、これだ。
『学園長から注意がありました。入学して浮かれているのは分かるけれど、公序良俗を守るようにと。学園生活初日のことなので、今回は私を通しての注意だけです。今後もある程度は大目に見てもらえるでしょうけど……混雑している食堂で大注目されている中、キスは駄目だと思いますよ、ライラ様』
『ごめんなさい……』
学生特有の浮かれた頭で、馬鹿なことをしたとしか思えない。
うん、あれはないわよね、あれはない。
大注目の食堂で、あれはない。
完全にあれが許されて他の人まで同じことを始めたら、食堂がいかがわしい場所になってしまう。
護衛もなく学生独特の自由な空気の中、気安く話せるヨハンとずっと一緒にいて、完全に大学生だった頃の私になってしまっていた。
……大学生だった時にも、あんなことを人前でしてはいないけど。
公爵令嬢らしからぬ大失態だわ……。
『ヨハネス様も、学園長から注意されていますけどね』
『あら、そうなの?』
『学生同士は対等の立場ですから。少し言い方がまずかったと』
『ああー……』
やはり、職員の目は行き届いているらしい。
もう、完全なバカップルよね……これ。
今日は土の曜日でお休みだ。
学園で過ごしてもいいし、簡単な申請を出して外出してもいい。
王立学園からの需要もあるため、学園の周辺一帯は学園都市といった感じになっている。研究機関や大きな図書館、研究用の材料の揃った店などが多く立地している。
学生を当てにした店も多い。学生が余暇を過ごすのには、もってこいの場所だ。
……ヨハンは難しそうだけれど。
外出の申請も出すから、お忍び以上に危険性が増す。
ヨハンは公務のために、残念ながら今日は王宮へ戻っている。土の曜日は今後もそうなりそうだ。
昨日は色々と山のようにやらかしすぎたわ……。今日はもう、絶対に何もやらかさない。固い意志で、人のいないところで過ごしましょう。
そう思って、学園の寮の裏側にある共生の森と書かれているところに来た。
地図には、それ以外何も書かれていない。
道なき道を中に入ってみると細い遊歩道が現れ、たまに古びたベンチが置いてあった。その遊歩道も歩かず脇からもっと森の奥へと進むと、少し開けた場所にベンチがまた置いてある。
どう考えても、人嫌いの人向けの場所よね……。
でも目の前には芝生があるし、職員だけの小さな花見もできそう。もっと端まで行けば、この世界が舞台のゲーム「王立学園の秘密の花園」の、恋愛イベントが起こる場所に通じる池のほとりがあるのかもしれないけれど、そこに行くのはやめておいた。
――私は、ヒロインじゃないもんね。
学園祭の最後にその場所「秘密の花園」がイベント発生に使われるから、今は入ろうとしても入れないかもしれない。
でも、近づく気はなかった。
……この辺りは、人嫌いの職員さんが使っているのかしら。
誰もいないベンチに座ると、心の底からリラックスできた。
青々とした春の木漏れ日の下、鳥のさえずりが聞こえてくる。風に揺れる葉擦れの音は涼やかで、その色合いにも心が洗われるようだ。
ヨハンには、きっとカムラも付き添っている。
シーナは仕事中。護衛もいない。
ここに私がいることを誰も知らない。
ここで私が突然ラジオ体操を始めても、誰も気付かない。
本当に本当の……、一人の時間。
でも、ベンチからはみ出る私の頭が、誰かに見えてしまうかもしれない。
ふとそう思った私は、そのままベンチに横たわった。
一人きり。
自由の時間だ。
こういう時間も、必要よね……。
私はそっと、目を閉じた。
鳥のさえずりが子守唄のようだ。
――目を開いた時、初めて自分が寝ていたことに気付いた。
……ここ、どこだっけ……。
見上げると、そこにはセオドアがいた。
「セ、セオドア!? なななななな!?」
「やっと起きたか」
バサッと起き上がると、私が寝ていたベンチの、ものすごーく端っこにセオドアが座っていたことに気付く。
「な、なんで、あなたがここに……」
「それは私の台詞だ。ヨハネスはどうした」
「公務で王宮に戻っているわ。土の曜日はそうなりそうよ」
「それは難儀なことだな。それでお前は、こんな誰に襲われても文句も言えないような場所で、寝込んでいたわけか」
「う……、護身術くらいは……」
「寝込みを襲われては、ひとたまりもあるまい」
「……もっともすぎて、何も言えないわ……」
「はぁ……。無防備すぎて呆れるな。次からは気を付けるといい」
「ええ、ごめんなさい……そうするわ」
「私に謝る必要はない」
……そうよね、女性が一人で人気のないところで寝てるって……それも駄目よね。
まさか一人でいるのに、やらかすとは。
ん? 一人?
そっか、セオドアは人嫌いだもんね。
人がいない場所を探して、同じようにここに辿り着いて座ろうかと思ったら、私がいたのかもしれない。
あれ?
でも、私がいたのなら立ち去ればいいはず。
「私が襲われないように、守ってくれていたのね」
「……結果的に、誰も来なかったがな」
「ありがとう。迷惑ばかりかけているわね」
「いいや、私が勝手にしたことだ。このまま通りすぎてお前が襲われたとあっては、寝覚めが悪い」
「そうよね。知り合いが襲われてはね……」
「友人だろう?」
「……え?」
「昨日、談話室に行く途中でそう言っていたはずだ。違うのか?」
まさか、セオドアが私を友人と認識してくれていたなんて!
「ゆ、友人よ、友人! れっきとした、紛うことなき友人よ!」
「それならいい」
「あなたにも、そう思ってもらえていたなんて……私の片思いかと思っていたわ」
「またお前はそういう……。ヨハネスの苦労が偲ばれるな」
セオドアがため息をついて、首を振った。
お腹のすき具合的に、そろそろ昼近くなのかしら。
木漏れ日の中、二人でベンチに座って木々のざわめきを楽しむ。
これって……いいのかな。
偶然だし、浮気にはならないわよね?
「そういえば、昨日の食堂のはすごかったな」
「――ぐ。だから、ここで一人反省会をしていたのよ」
「寝ながらか?」
「反省、できていないわね」
「ふっ……お前らしい」
セオドアの笑った顔を、初めて見た。なんて優しく穏やかに微笑むのだろう。
この人もこの人で魅力的よね……。
さすが、メイン攻略対象キャラクター。
攻略しなかったことを後悔してしまいそう。
ゲーム内でライラをフォローしていたのも、この人だけだった。メルルを扱き下ろす悪役令嬢の私に言った言葉は、確かこんな感じだ。
『そのへんにしておけ。お前にはお前の正義があるのだろう。だが、それが相容れぬ者もいるということだ……』
ライラが少し言い過ぎましたわと反省していた相手も、セオドアだけだったはず。他者への懐の大きさは、全キャラクターの中でピカ一だ。だから私も、心を許して話せてしまう。
できる限り、二人きりにならない方がいいわね……。
「色々とやらかしてばっかりで、自分にがっかりするわ」
「今しかできないことだ。卒業すれば、もう一度婚約して妃教育があるのだろう。終わればすぐに結婚し、王太子妃としての仕事が待っているはずだ。今の内に、思う存分やらかしておくといい」
……やっぱり、婚約解消の話は耳に入っているのね。
考えないようにしていた先の未来をいきなり突きつけられ、頭が冷える。
ヨハンとメルルの間に何もなければ、その通りだ。どちらか分からないから、具体的には考えないようにしていた。
学生独特の自由な雰囲気に浸りすぎていたかもしれない。大好きだったゲームの舞台でもある。もう少しそのことを、自覚しなければ。
「……お前らしくないな。嫌なのか?」
私の表情の変化から、突っ込んで聞かれる。
第二王子だからこそ、できる質問ね。
普通は誰も王太子妃を嫌なのかって考えはしない。喜んで飛び付くものとしか、きっと思わない。
「私でいいのかしらって、思いもあるのよ」
「お前しかいないだろう」
「もっと彼に相応しい人がいるかもしれないって。学園生活の中で見つけてしまうかもしれないと……」
「ああ、それで婚約解消か。まさかお前が、そんな殊勝なことを考えているとは思わなかったな」
思いっ切り、本当の理由がバレたわね……。
「ああ、だから……か」
「何が?」
「昨日、愛し合っているのだろうと聞いたら、ヨハネスが珍しく口ごもって話題をそらしていただろう。違和感があった。なるほどな、そういうことか」
そんな会話したかな……思い出せない。おかしいな、寝起きだし寝ぼけているのかな……。
後で、もう少ししっかりと思い出そう。
「しかし、お前より相応しい女が他にいるとは思えないけどな」
「ありがとう。でも、例えばメルルと比べちゃうと、あなたなら分かるでしょう? そこにいるだけで空気が華やいで、あの笑顔だけで疲れが飛んでいく。可憐で、守りたくなって、可愛くて、でもすごくしっかりしている」
「それは思った以上に……なんというか……まるでお前があの者に、恋をしているようだな」
確かにそうかもしれない。
でも、恋をしていない人だって、誰だってそう思うんじゃない? メルルに会った瞬間から私は、『この子は特別だ』って感じた。
「お前があの者に感じるその感情を、ヨハネスはお前に対して感じているんじゃないか?」
そう……なのかな。
私にあの種類の可愛さは、ないと思う。
「お前は、自分の心の声ばかりに耳を傾けているように見える。もっとヨハネスの言葉を信じてやれ」
ヨハンの、言葉……。
ゲームの中ではメルルに愛を語っていた。でも……ここでは違う。ずっとずっと何年もの間、私を好きだと言い続けてくれている。
「私は……ヨハンの言葉を、今まで軽んじていたのかな」
信じてこなかった。
いずれ消えるかもしれない感情だと、そんな意識で聞いていた。
「だろうな」
「はっきり言うわね」
「あいつが軽々しくああいった言葉を言うせいで、お前も慣れてしまったのだろうが……艶やかな薔薇と可憐なスイートピーを比べることに、意味などあるまい」
あの子だけは特別。
そう思っていたけど、違うのかな……。
「私は、艶やかな薔薇?」
「……例え話だ」
「私、昔から年寄りじみてるとか言われるのよ。弟とか、そのへんに」
「年寄っ……はは、なるほど」
「やっぱり納得しちゃうんじゃない。萎れた薔薇と咲き誇るスイートピーなら、スイートピーの方が魅力的ではないかしら?」
「意味合いが違うのではないか? お前はお節介で世話焼きで、よく周りを見ている。そういうことを言われたのだろう。私も昨日は楽しかった。やり方は強引かもしれないが、あのような時間を過ごしたことは今までなかった。全てお前のお陰だ。あの者ではない、お前のお陰なんだ」
そんなことを言われたら、嬉しくて涙ぐんでしまう。
そうか……、この人も第二王子。
友達何人かと、わいわいと何かをする機会はほとんどなかったはずだ。
ヨハンと違って兄はいるから、兄弟での遊びはあったのかもしれないけれど。でも、「友達とドロケイやってくるー!」なんて世界とは、無縁だったに違いない。
「私、あなたと友達になれて、よかったわ。今日こうやって話ができて……よかった。今まで気付けていなかったことに、気付けたと思うわ」
……鼻声になってしまったかもしれない。
「それは何よりだ」
「あなたとも、もっと小さい頃から友達になりたかったわ。皆で盛り上がりながら、くだらない遊びをしたかったわね」
「ふっ……そう言うな。無理だと分かっていて、私までそう思ってしまう」
この人とこんなふうに過ごすことは、きっともう二度とない。最初で最後の、終わらせてしまうには、もったいない時間。
私たちは静かに、そよ風の揺らす葉の囁きに耳を傾けた。











