36.アンソニーとヨハネス
気を取り直して私たちも学食を選び、席に着いた。混雑しているので横並びだ。
学食は、食堂でも寮でも三種類の定食から選ぶようになっていて、学費に含まれているので料金もかからない。
メニューも、鶏肉の煮込み料理や野菜スープ、魚料理も一つはあるし、デザートにプリンやクレープがついていたりと、なかなかに豪華だ。
食堂で頼む場合、単品も用意されている。
学費が学費だものね……。
「労働の後のご飯は美味しいわね」
「そうだな。選ぶだけで体力を消費するよ」
「結構セオドアと授業がかぶっちゃったわね」
「下地にさせてもらったのもあるし、人が選んだのはよく見えるからな」
「あら、ヨハンでもそうなの」
「そりゃそうだよ」
どうでもいい会話をしながら、わいわいガヤガヤとした食堂で知り合いも散見する中、食事をする。午後に予定があるわけでもなく、自由で責任も何も負わない時間。
やっぱりいいわね……、この空気。
また味わえるとは思わなかった。
この学生特有の雰囲気に、また浸かることができるなんて。
自分の行動を反省したばかりなのに、またふわふわした気分になってきた。
「こういう時間、幸せを感じるわ」
そう呟いた直後に、斜め後ろから人の声がした。
「それは羨ましいですね」
久しぶりに会う、アンソニー・スコールズだ。
お忍びデートの時にはただ絵が上手い男の子だった彼は、既に若手の画家として名前をとどろかせている。
「ライラ様、お久しぶりです」
存在が派手よね。
制服を着ていて何か凝った物を身につけているわけではないのに、赤に近いピンクの髪が派手すぎてよく目立つ。
「ああ、帰っていたんだな」
「……ヨハネス様とは少し前に、王宮でお会いした気がしますけど?」
「もう忘れた」
「酷いなぁ」
相変わらず仲が悪そうだ。
「あなたのお父様から、私の誕生日プレゼントにあなたの絵をいただいたわ。才能が開花したのね。とても素敵な絵だったわ」
「ありがとうございます。ライラ様の助言のお陰ですよ。俺の絵に、自分らしさがないと指摘してくださった。自分だけの色を求めて旅に出たのが、今の俺につながっています」
「私が何も言わなくても、あなたはそうしたわよ」
「俺のこと、分かってくれているんですね」
覗き込むように見てくる桃色の瞳から、ありありと私への関心を持っているのが分かる。
ヨハンの機嫌も、だだ下がりだ。
「僕たちは、恋人同士の甘い空気を味わうのに忙しいんだ。挨拶が終わったのなら、どこかに行ってくれないか」
おおー。
そんなに分かりやすく追い払ってしまいますか。
「いいえ。お声をかけたのは、ライラ様からまた助言をいただこうと思いまして」
「絵心なんてないわよ、私には。あなたにはもう、そんなもの不要でしょう」
「あの頃から、ライラ様は一段と綺麗になられました。聞きましたよ、恋人宣言の話」
……婚約解消の話よね、きっと。
一応、周囲にはたくさんの学生がいるから、言葉には配慮しているようだ。もしかしたらヨハンの言葉がきつめなのは、外国から戻ったアンソニーに王宮で何か聞かれたのかもしれない。
「恋をすると、文芸家でも音楽家でも表現が変わると聞きますし、実際にそんな例も目にします。ライラ様も恋で頭がおかしくなって、こんなに魅力的になられたんですよね。俺も、恋をした方がいいと思います?」
恋で頭がおかしくなって……ね。婚約解消なんて必要のないことをするくらいに頭がおかしくなったって暗に言っているのよね……。
それにしても、なんでこんな場所でこんな恥ずかしいことをしゃべっているの、この人。
存在が恥ずかしいんですけど。
でも……そうね。
芸術には真剣に向き合う男。
まだ十六歳で、そんな時期よね。
私も真面目に答えようか。
「恋は、病のようなものよ。死ぬまで患うのかもしれないし、すぐに治ってしまうかもしれないわ。幸せな色かもしれないし、悲しい色かもしれないわね。答はあなたの未来にしかないと思うわよ」
「……なるほど」
「あなたが今の自分の色を失うことを怖れているのか、それとも変化を求めているのか、興味もないし知りたくもないけど、恋はしようと思ってするものではないわ。気付かないうちに絡め取られて、もうその中から出られなくなっているのよ」
食堂中が、シンとしている。
向かいにいる女生徒は、ほうと恍惚とした表情で潤んだ瞳をこちらに向けている。聞こえないはずの遠くに座っている生徒まで、何事かとこちらを見ている。
ちょっと、アンソニー!
あんたのせいで、食堂で堂々と恋を語る将来の王太子妃様みたいな構図になっているじゃない! 私はよく通るような発声練習まで、させられていたのよ!
どうしてくれるのよ!
あーー、穴があったら入りたーーーい!!!
「とにかく、する前から考えたって無駄だということ。分かったらもう行ってちょうだい」
忘れよう。人の噂は七十五日。きっと明日には皆忘れてくれる。
……あれ? 七十五日も忘れてくれないってこと?
いいやもう。
私が忘れられるなら、それでいい。
「確かに……そうですね。もしかしたら俺は、変化を求めながらも自分の色を見失うことを怖れていたのかもしれない。こんなに有名になっては、誰もそんなことを指摘してはくれません。ライラ様、俺はあなたに興味がある。誰のものでもなかったのなら、俺は……」
「離せ、アンソニー」
いつの間にか、アンソニーが跪き私の手をとっていた。それと同時にヨハンが立ち上がって、ものすごぉぉぉーく、よく通る声で制止する。
まずい……もう大注目だ。
リックやセオドアやメルルの方は、恥ずかしいから見ないようにしよう。
「アンソニー、そなたの絵画は私から見ても美しい。今後も民の心を潤してくれるだろう。だが、ライラ・ヴィルヘルムは、私のものだ」
完全に、王太子モードで話しているわね……。
「自由恋愛の中で選んでほしいのでは、なかったのです?」
この迫力のヨハンに口答えできるのが、アンソニーよね、ほんと。
ゲームでは、この度胸を生かすような恋愛イベントが用意されていたのかもしれない。
「そうだな。私の力ずくの排除に耐えきれるのなら、考えてやらないこともない」
……絶対王政の君主みたいなこと言ってるけど……これ、駄目なやつじゃない?
「もう一度言おう。彼女は――、私のものだ」
腹の底から響くような、怖い声。
さすがのアンソニーも肩をすくめ、立ち上がった。
「俺も、我が身が可愛いですからね。諦めますよ。お幸せに」
そう言って、ひょいひょいと逃げて行った。
どうするのよ、この雰囲気……冷えきっていますけど。
やっぱり外国から戻ってきたアンソニーに、私のことを口説いてもいいですか、なんてことでも言われたのかもしれないわね……。
仕方ない、和ませるか。
「あーあ。大人げないわよ、ヨハン。分かっているんでしょ。ものすっごく子供っぽい」
「ああ。君が触れられて、抑えきれなかった」
さっきまでの凍てついた空気が引っ込められ、もう一度椅子に座り直した。
「ほんと、私のことが好きよね」
「ああ、そうだよ。君は誰にでも親切すぎる」
「前にも聞いたわね、その言葉」
「馴れ馴れしすぎるんだ」
かつてと同じ会話。
そういえばあの時も、「僕のものだ」なんて言っていた。今よりも幼かった、一番最初のお忍びデートの時の、あなた。
――そういうところは、変わっていないのね。
ふふっとつい、思い出し笑いをしてしまう。
あの日に初めてかわいいではなくて、格好いいなと思った。男の子に憧れる女の子の気持ちにもなって……記憶にある前のライラの想いと重なり合うように好きなんだと自覚をした。
あなたが他の誰かを好きになるまでは、と。
もし、あなたが私を選んでくれるのなら……好きなままでいてくれるのなら……。
「私は、ヨハンしか選ばないわよ」
そう言って、あの日と同じように彼の頬へとキスをした。
――そう、私は自らとどめを自分に刺してしまったと言える。
ここでの一連の出来事、『ライラ様を口説くと力ずくで排除されるらしい』ことと、『ライラ様が食堂で恋を語り、ヨハネス様にキスをした』ことが――、
この後、学園中に知れ渡るのには、そんなに時間はかからなかった。










