2.異世界転生
気付いたら、ずいぶんと豪勢なベッドの上にいた。
なにせ天蓋がついている。一瞬ホテルかと思ってしまったけれど、大声を出して私の名前を叫ぶメイドの姿を見て、今の状況をある程度は把握した。
「ライラ様! お目覚めになられたんですね! 大丈夫ですか、私のことは分かりますか」
淡い金髪を後ろで留めている彼女は、私の身の回りの世話をしてくれて、護衛も兼ねている専属メイド、ミーナだ。
その時にやっと、ここでの記憶がじわじわとよみがえった。
私は、ルビア王国の公爵令嬢、ライラ・ヴィルヘルム。
お父様やお母様の期待に応えるため、そして、いずれこの国を担うヨハネス様の妻として相応しい女性になるため、日夜、勉強やお稽古ごとに励む努力家でもある。
けれど……ここは「王立学園の秘密の花園」という乙女ゲームの世界でもあり、私の立場はヒロインを悪し様に扱き下ろす悪役令嬢だ。
好きなキャラクターとの恋愛を楽しむ乙女ゲーム自体は、高校生の時にはまった。
このゲームをプレイしたのは、息子の妊娠中だ。十二年以上前になる。正直、細かい設定などは忘れてしまった。それでも悪役令嬢でもあるライラのことは、ヒロインの立場でゲームをしながらも少し同情をしたからか、いまだに名前と共に覚えている。
――どうして、こんな世界に私はいるのだろう。
乙女ゲームの世界に入り込むなんて、通常は考えられない。この世とあの世の狭間なのだろうか。
それにしては、こちらの世界での記憶がありすぎる。階段の手すりを滑り台のようにして落ちた記憶もしっかりとあるし、これまで歩んできた人生も、リアルだ。
頭も痛む。今まで寝ていたのは、そのせいだろう。
……でも、一番に思い出すのは、間近に迫るトラックとその強い衝撃だ。
あの一瞬で、長い走馬灯を見た。
不仲だった両親。
不安で縮こまっていた幼い私。
愛していると言われたくて、はまった乙女ゲーム。
取引先との打ち合わせで出会った、夫との結婚。
妊娠してつわりが酷くなった頃から夫とは不仲になり、かつてはまった乙女ゲーに、もう一度手を出した。
家事と育児に非協力な夫とは仮面夫婦を続けていたものの、息子が十歳になった頃から少しずつ家族三人の会話が増えた。
わだかまりは解けないけれど、再構築に向けて頑張ろうかと思っていた矢先だった。
「ええ。分かるわよ、ミーナ。心配かけてごめんなさい」
思った以上に、可愛らしい高い声が出た。そういえば、ここではまだ十歳にも満たないのだっけと思いだす。
息子よりも小さくなってしまったことに、違和感も強い。
両手を見ると、瑞々しくほっそりとした綺麗な手をしている。自分でありながら、この子を守らなければ、と強く思った。
「ラ、ライラ様? 頭を打たれてしまったからでしょうか。そのような殊勝な……」
ミーナの言いたいことはよく分かる。
私、ライラの性格が高飛車で、使用人に対しては上から目線の物言いをしていたことも、よく覚えている。
仕方ない……。
精神年齢は一気に老けてしまったものの、多少の演技は必要か。
「ミーナの目を盗んで危ないことをしたのを、反省しているのよ。私はどれくらい眠っていたのかしら」
自分の口調があまりにもお嬢様しすぎていて、笑えてくる。でも……口調まで変わってしまっては、ゴーストにでも取り憑かれて別人になったと思われそうだ。
慣れていくしか、ないだろう。
「丸一日は眠っていらっしゃいました。すぐに奥様にご報告して参りますね。旦那様も奥様も、とても心配していらっしゃったんですよ。もちろんローラント様も」
ローラントは、二歳下の私の弟だ。
ゲーム内では私のフォローをする場面もあったけれど、今の時点では、年齢相応の小生意気な男の子だ。
「そう。どうりで喉が乾いて、お腹も空いているはずね。軽食の準備もお願いできるかしら」
「あ、そうですね……気が利かず、申し訳ありません。すぐにお持ちしますね」
「ええ、お願い」
ピタリとミーナの動きが止まる。
「本当に、ライラ様でいらっしゃいますか? 失礼ながら、いつものライラ様なら、気がつくのが遅すぎる、の一言くらいはあるかと思いまして。やはり打ちどころが……」
「長い夢を見て、今までの自分の言動を反省したのよ。でも、本当に喉が乾いているの。急いでほしいところね」
「し、失礼しました。急ぎ、お持ちします」
慌ててミーナが部屋を出ていく。ほっとした気持ちで部屋を見回した。
まるで、育児休暇を取った後の職場復帰のような気分だ。何がどこにあるのか、知っているはずなのに、すぐには思い出せない。
頭の痛みを抱えつつ、ふらふらとした足取りで鏡台の前に座った。
紫の長い髪に、深い海の底のような青い瞳。気の強そうな顔をしているけれど、美しい。
私は、普通の顔だったからなぁ……。
かつての自分を思い出す。
名前は、藤咲綾香。
夫はハンサムで、そっくりな顔の息子、拓海もまたイケメンだった。
可愛い、可愛い息子だった。
私がいなくなって大丈夫だろうか。今後の学費は、私の保険金でなんとかなるはず。残り数ヶ月で中学生だった。父親の帰宅を待つくらいは、もう一人でもできる年齢だ。
だからきっと大丈夫だと思う。
でも……。
楽しそうに毎日私と話してくれる、優しい子だった。
トラックにひかれた私を、できれば見ないままお別れしてほしい。心に深い傷を負わないで、前向きに生きていってほしい。
拓海、拓海、拓海――――……。
どうか、どうか幸せに。
どんな生活をしてどんな人生を歩むのか、もう見ることができないことに絶望する。私にできるのは、この世界で死ぬまで祈り続けることだけだ。
――息子のいない世界など意味がないと、捨ててしまいたい。
でも……、同時に自分自身であるライラにも、幸せになってほしいと心から思う。
このまま何もしなければ、今までの努力も水の泡。いつか結婚できると信じていたヨハネスは、ポッと出の平民出身のヒロイン、メルル・カルナレアに奪われ、人目を避けるように領地内の田舎に引きこもっての隠居生活が待ち構えている。
メルルが違うエンドを選べば、私はヨハネスの婚約者のまま。待っているのは、愛のない結婚生活だ。
投獄や死刑にはならないとはいえ、前世では両親の不仲を見続け、自分は温かい家庭をと思ったにも関わらず失敗し、こちらの世界でもそれが叶わないなんて、残酷すぎて気が遠くなる。
愛のない冷えきった生活が、どれだけ地獄かは身に染みている。
……この子、ライラの今までの思いは、どこにいってしまったのだろう。私が転生したことで、乗っ取ってしまったのだろうか。手すりを滑り台にしたのも、自分を変えたいと望んでいたからだった。
私はこの世界で、ライラのためにも幸せにならなくてはならない。
息子のいない世界で幸せになろうとすることに罪悪感はあるけれど、まだ小さいこの子の手に幸せな人生をあげたい。
今までライラが歩んできた人生がある。
捨ててしまっては申し訳ない。
命を捨てるという選択肢を選ばない以上は、温かい家庭を、今度こそ掴みとることを目標に生きていこう。
――神様が、死ぬ間際に一瞬だけ気紛れに見せているのかもしれない、このあやふやな世界で。