その二
それは僕が中学生だった時分のことだ。僕は年頃らしくごく自然に、友人と悪さをしたと思えば、ひんやり物思いに耽ったりした。もっとも
悪さといってもつまらぬ先生をふざけたあだ名で呼んでみるとか、掃除をドロンして近所の店に買い食いにいくとか、そんなものだったけれどね。
そして、これまた至極自然なことのように、僕はある娘に恋をした。
「ほぅ、饅頭割れば中から小判。如何なる由来かと思えば、このカレンダーの謎は若かりし頃のラブ・ロマンスかい。日頃の君の鉄面皮からは想像もできないね」
と、思わず口を挟んだならば、T曰く
「そう冷やかさないでくれよ。ほんとうに他愛のない話なんだから。ロマンスというには現実主義過ぎるなぁ」
などとにやけながらに応えれば、後はすいすい言葉を紡ぐ。
そしてこれも僕には普遍的心理のひとつと思われるのだが、僕が恋した娘というのも、今振り返れば特別美しいわけではない。というのも、
それまで恋を知らない男が恋に落ちる際、きっかけが容姿次第なんてことはそうはあることじゃない。女の美しさというものは歳を経て
色を一通り知り、やっとその価値を測ることができる、存外玄人の境地にあるものだ。若人も、時に源氏の君を模してか知らぬが、
やれこれと品定めなどをすることがあるけれども、風流趣味でこそあれ実質が伴ったものではない。
天真爛漫という歳ではないけれど中学生となるとまだまだ世を知らないものだから、恋に落ちるも人任せ。日々の相手の
ちょっとした振る舞いや、言葉の間の心持ちから、なんとなく心を寄せていくものさ。
「すると、君は花街あたりに出没する禿げ上がった怪坊主にしか、女の美しさを語れないというのかい」
「まあ、極論にはなるがその筋で間違いはない。それがいいってわけでは勿論ないさ」
「しかし、古今の文学の中には芸妓との人情話が随分あるぜ。ああいった輩にしても、女の身体だけを目当てにしているわけではあるまい」
「それはまだまだ青い男が、遊びと割り切れず引きずられた結果さ。そういう者もいるかもしれんが、ここでは問題外だ」
どうも納得しかねる話だが、ここは堪えて聞き手に回る。
とにかく、その娘も長い黒髪で肌は綺麗も、丸顔が少々過ぎた。背も低いとあっては器量が良いとはどうも言えない。