その一
これは奇妙な。
私は部屋に入るや、目に飛び込んで来たそれを見直した。一見なんの変哲もない、淡い風景画の入ったカレンダーである。
小さいながらもよく整理されたこの部屋では、それほど不自然な代物ではない。だが、それに刻まれた年は十年以上前を示していた。そしてその
メモ欄は相撲観戦の枡席でもこうはなるまいと思えるような具合で、細かい文字でびっしり埋まっている。
「やあやあ、先にあがらせてしまったね。お目当ての本は今出すから、麦茶でも飲みながら少々待ってくれ」
部屋の主であるTが、お盆にグラスを二つ乗せ器用に階段を登ってきた。私は彼がお盆を置いたのを見計らうと、それを指さして。
「あのカレンダーは何か訳があるのかい?随分と古い物のようだし、かといって貴重な品にも見えないのだけれど……」
「ああ、だれも最初はそれに驚くね」
Tは少し恥ずかしげに笑いながら、大して驚きもせずに説明を始めた。
「つまるところ、僕は十年以上、いやちょうど十一年間同じカレンダーに予定を書き込み続けているんだ。ほら、例えば
高三の今日、僕は野球の練習試合があった。同じ年、ちょうど一週間後に友人と映画を見に行っている。中二の年は
三日後に期末テストだった。という案配だよ」
「しかしそれではどうも不便でないかい」
「不便?そりゃどうしてだい。月の日数ってのは決まっている。ある年にはは四月が三十一日まであったり、十二月が三十日で
終わってしまうなんて事態はありゃしない。曜日だって今日が何曜日かさえわかれば、後はそんなに難しい計算ではないだろ。有難いことに、
勤めにいく場所が僕にある限り、今日が何曜かを失念することはなさそうなものだ」
私はTの詭弁とも言えるような、この論理に恥ずかしながらえらく感心してしまった。なるほど確かに昨年のカレンダーを使っていたとて閏年を除いて、
書く欄がなく困ってしまうことはあるまい。曜日も壁に掛かっているカレンダーを見に行くのが早いか、計算してしまうのが早いか案外際どいところなのかもしれぬ。
「いや、これは実にたいしたもんだ。よくそんなことを思いついたね。常日頃君は常識に囚われすぎている、なんて
小言を教授に戴いている僕としては見習いたいくらいだよ。それに、なかなか経済的じゃないか」
そう心から褒めると、私はいったいなぜこのようなことを始めるに至ったのか、そのきっかけを執拗に訪ね始めた。最初は笑ってごまかしていたTも私の失礼にはほとほと参り、ついには観念したと見え
「そんなにたいしたことではないよ。きかっけは、そうだな。僕にとっては少しこそばゆい思い出だし、聞いている君にとってはありふれたつまらない話かもしれない。
まあ訪ねたからには責任を持って、聞いていってくれたまえ」
そういうとTはやはり恥ずかしそうに瞬きをしながら、ゆるりと話を始めた。