金次郎の契約
<金次郎>
住宅街の片隅にボクはいる。昔は小学校の校庭にあったみたいだけど、空襲で焼け野原になって、ボクの居場所も転々として最終的にこの場所に置かれた。
きっと、ボクがいた小学校は新しく作り直されなかったのだろう。帰る場所のないボクは、ただ、ここにいる。いつの間にかいて、昔からずっとここにいる存在となった。
ボクは、二宮金次郎の石像だ。都合のいいときだけお地蔵さんみたいな扱いをされて、お供え物してお祈りしてる人もいる。そういうんじゃない。お願いごとは、かなえてあげられない。ボクはただの石で、金次郎として親しまれてる「二宮尊徳」という人の像らしい。
昔はどの小学校にも金次郎像がいたという。でも大量生産できる銅像やコンクリート像が多くて手間のかかる石像はめずらしいらしい。前に、金次郎像を調べているんだという人が写真を撮りに来て、一緒にいる人にいろいろ説明していた。
そのわりには、あんまり大事にされてない。周りの草はボウボウだし、鳥のフンは強めの雨が降らないかぎり落ちないし、時々、区の人が義務的に掃除しにくる。いっそ、本当にお地蔵さんだったら、人間の姿になったりして人間になにかできるのかなと思う。
人間の姿になって・・・・・・
ボクはつぶやいて、ふと思い出した。
お地蔵さんが人間になって一緒に田植えを手伝ってくれる昔話を聞かせてくれる女の子がいたことを。その子は友達と仲良くできなくて、ボクの所に来ていろんな事を話して落ち着きを取り戻して帰っていった。忙しい家族には聞いてもらえない、たわいもない気持ちを、ただ聞いてくれる存在としてボクを頼った。
「金次郎さん」って呼びながら、ボクを本当の友達にみたいに思っていろんなことを話してくれた。七十何年以上前の話だけど。
あの子はどうしてるだろうか。
石像なりに胸の奥がキュウと痛んだ。
ボクに優しく語りかけてくれた子はあの子だけだった。細い手足、好奇心に満ちたまんまるの目、大きな口をあけて笑う子だった。
誰もいないことを確認してボクによじ登って、本に何が書かれているかのぞき込んだりしたこともあった。顔の大きさを比べようと、頬をよせてきたりもした。そんな無邪気な姿を黙って見てるだけ、話を聞くだけしかできない自分がもどかしかった。
愛しいと思った。
会いたいな・・・・・・
ピカッ
空が突然、光った。
夕立か。ここ数年の日本は熱帯にでもなったのか、局地的にすごい雨が降る。
そのあとゴロゴロという音が遠くでした。いや、遠くない・・・
ゴロゴロ
ズドオオオオーーーーーーーーーン
ものすごい音とまぶしい光と共に、ボクの目の前に、おばあさんかおじいさんか分からない感じの人が現れた。空から降ってきたのだろうか。どこかから瞬間移動してきたのだろうか、何かに巻き込まれて飛ばされてきたような感じではない。
雨が降ってくる様子ではない。
「だ、誰ですか?」
「管理人じゃ」
声も男か女か分からない。年を取ると性別が分からなくなるからな。この間も、ボクを散歩の途中の休憩所にしているご老人二人がいて、ずっと仲のいい姉妹だと思っていたら夫婦だった事が分かった。
「あ、区の人ですか」
「違う」
「でもボクと話が出来るって事は普通の人間じゃないですよね」
「そのとおり」
そうだ。石像であるボクの声が聞こえる人はいない。こうやって会話をすることはできない。
「管理人、ですか」
「そう。魂の管理をしている世界からやって来ました管理人です」
魂の管理って、なんだそれ。でも、この人ボクと会話ができるから次元の違う世界から来たみたいだけど。
「君に大切なお知らせがあるので、はるばるやって来た。いいニュースと悪いニュースどっちを先に聞きたい?」
「え?」
その管理人という人は、いいニュース、悪いニュースを左右の手で表現しながら、聞いてきた。どっちがいいと聞いておきながら悪いニュースを指している左手をボクの目の前に出して、こっちから聞けと言っている。
「じゃ、悪いニュースで」
「そうか。分かった。がっかりしないで聞いてくれ。しばらくしたら君はここにいられなくなる」
「はい?」
「ここ、この地域一帯が再開発の対象になっていて、このへんの民家は立ち退きをせまられている」
「さいかいはつ?」
「一度全部壊して、道を整備して、新しい施設を建てようって計画だ」
「なんで?」
「古い家がごちゃごちゃしてて、消防車も入れないような場所もあるからね。地震や火事で大災害になる前にどうにかしておこうって話だ」
そう言えば区役所の人たちがそんなような事を言っていたが、よく分からなかった。二宮金次郎は勤勉だったが、ボクは金次郎の石像でしかない。何十年もここにいるけど、この道を通る人達から得られる限られた情報だけで、たいした知識もない。
「住民たちは仮の住まいをあてがわれるが、君はどこに行くかも分からない。仮に移動先があっても、新しく整備された街に戻ってこられる保証はない。古い石像だけど有名な彫刻家が作ったっていう証明書があるわけでもないし、二宮金次郎の祟りがおきるようなこともなさそうだし。だだの石ころにされてしまうかもしれない。戦後この辺も色々変わったけど、よく生き残ったね」
「ええ」
「二宮金次郎が好まれた時代だったからかもね。でも、これから先は微妙だね」
「微妙か」
「今、二宮金次郎がいる小学校なんてないよ。いてもさ、座って本読んでたりするの。歩きながら本を読むそのスタイル、流行らないんだ。というか危険だからマネしちゃダメ」
「そうなんだ」
驚いてみたが実感がない。
「そこで、いいニュースだ」
管理人は何かをたくらんだような顔で、右手を差し出した。
「今、アメリカニューヨークの病院に、日本と二宮金次郎像が大好きな十二歳の少年がいる。あ、日本人とアメリカ人のハーフね。お母さんが日本人だけど、日本には一度も来たことがない。その子の、最期の願いなんだ」
「だからボクは願いがかなうお地蔵さんじゃないから」
「少年は五年間昏睡状態で、体は成長しているが七歳で時間が止まっている。直接魂に語りかけることができるわたしにだけ、夢を語ってくれたんだ。少年は実にユニークな子でね。祖父が教えてくれた二宮金次郎像と母の故郷の日本で過ごしたいというんだ。そこで魂の契約を持ちかけた」
ボクは話についていけていないのに、管理人はわざと無視してるのか話を続ける。
「毎日ではないが、一日のうち八時間、お互いの魂を交換するという契約だ。期間は最大で今年のクリスマスまで。少年は二宮金次郎の石像になり、君は少年の体を借りて人間になるんだ。好きなところに行ったり、会いたい人に会たりできる」
会いたい人に?
「まあ、体の調子があるから、クリスマスぐらいが限界かな。あんまり寒い時期は保証できないから、この夏から秋の間だな」
管理人の説明はさっぱり分からないが、会いたい人、その言葉にボクは心が動かされた。
あの子に会いたい。お地蔵さんが人間の姿になったように、全く別人としてだけど会いたい。きっとおばあちゃんになってると思う。おじいちゃんみたいになってるかもしれない。会っても分からないだろう。生きているかも分からない。けど、人間として探しに行くことができるのなら、どんな姿でもいいから会いたいと思い始めた。
「人間になった君自身が、石像である君を守るように働きかけることができれば、君は石ころにならないですむかもしれない。チャンスだと思わないかい?」
「そういう意味か。なるほど」
「おや、それ以外があったのかな?」
管理人はにやにやとボクを見た。
「会いたい人が、いる」
「へえ。君の夢もかなうかも知れないってことだな。じゃあ契約成立ってことでいいね」
そういうわけで、今日からボクは人間になった。
といってもニューヨークが夜の間。外が暗い時間、夜の8時から朝の4時までの八時時間という契約になった。時差が十三時間なので日本では朝の9時から夕方の5時まで。
その間、人が見に来ても見た目ではばれないようになってはいるらしい。少年につながれた機械も正常に反応するようになってるとか。
人間として動き始めたが、どこから行けばいいのか分からない。とりあえず人がたくさん集まりそうな場所へ出かけた。あまり遠くにいくと石像の場所が分からなくなるので、地図がありそうな駅の近くへ出た。駅に隣接する大きな建物に入った。
石像として、あの場所から動かなくても、世の中の変化には対応してきた。何十年の月日をボクはボクなりに生きていた。人々がどんなものに興味をもっていてどんな生活をしているか、それなりに分かる。だけど、人間として動くのは初めてなので、実際に触れたことのないものには、どう対応していいか分からない。普段は、ぞうりなのでクツをはいて歩くというのが意外と難しい。
建物の中はお店が沢山あった。ピカピカの床にクツのまま入っていいのか戸惑った。
動く階段があった。おそるおそる足を乗せたらクツを引っかけて脱げてしまった。慌てて手すりにつかまったら、手すりも動いていた。吸い込まれるようで怖くて離れたら、クツだけ上に連れて行かれてしまった。歩行は危険なのでおやめくださいと放送が流れている。不慣れなボクがクツを追いかけて歩いたら事故を起こすかも知れない。危険と言われる階段に再び乗る勇気はなかった。
クツはあのままどんどん上がってどこへ行ってしまったのだろう。どうしよう。
この体でいられるのは午後5時まで。ちょうど夕焼け小焼けが鳴るからわかりやすい。その時間までに石像のところに戻らなければ、消える瞬間を他の人間に見られたらこの体で行動できなくなってしまう。
あの子に会いたい一心で人間になるなんて決めちゃったけど、何をすればいいんだ。
そばで同じように、落胆してる人が見えた。と思ったら、鏡のようにピカピカな窓に映るボクだった。ボクはこんな姿になっていたんだ。石像の二宮金次郎とぜんぜん違う。
ボクはガラス窓に近づいて自分の顔をもっとよく見た。小さな中庭みたいになっていて、そこに出る扉はない。人が入れないから、ボクの姿は外からは見えないだろう。
「なかなか男前だな。石像のボクは雑な目鼻立ちだったからな。何よりこのすべすべの肌うらやましい」
ボクは面白くなった。不安な気持ちをしばし忘れて、いろいろなポーズをガラス窓に映した。