非科学な科学部のアリスな白昼夢 ~体験入部編~
登場人物紹介 (全話共通)
カメヤマ ナオキ
高1。身長150㎝のもやしっ子。近年稀に見るおかっぱ頭が特徴的。とにかく気が弱い。注射の針を見ただけで泣く。女子と目が合うだけで失神する。
オモダカ レイカ
高二。身長154㎝。闇の帝王のような話し方をする。粘り着くようなジト目。彼女を見た者はその後一週間は出会う人全てがジト目に見えると言われている。麺派。小麦製品をこよなく愛するが、米は大嫌いである。厨二病で、今すぐにでも革命を起こして全世界から米を抹消せねばならないと考えている。日々カメヤマを革命軍の一員にしようと洗脳に躍起になっている。
アボガドロ
高3。身長は2mを超える大男だが、なで肩で体格は良くない。本名不詳。目が異様に大きく、化学者のアボガドロの肖像画に似ていることから「アボガドロ」と呼ばれている。神を自称しているが、信仰してくれているのはオモダカのみ。胡散臭いオーラを放っているため、近づく者は少ない。
以上が科学部の人物紹介となる。
だが、読者諸氏はあまりこの情報を信頼しないで頂きたい。
ここからは、全ての性質、全ての現象、全ての法則、全ての概念は歪められうる。
ガチョウに乗った人は空を飛びうるし、仔犬のしっぽからは子供が生まれうる。
この門をくぐる者は、一切の常識を捨てよ。
我の名はオモダカ レイカ。
科学部員だ。
今日理科室にいるのは高二の我と、アボガドロ先輩のみ。
それで科学部員がみんな揃ったことになる。
科学部はひどい風評被害に苦しめられている。部長を教祖とした宗教団体だとか、世界征服を目論む過激派のアジトだとか。なぜか変人の巣窟との根も葉もない噂がたっているため、遠慮して入る人が少ないのだ。
一体どこからそんな意味不明な噂たったんだ。黒幕はどこだ。いるなら出てこい! 科学部の生物兵器の異名を持つ我がこの手で粉砕してやる。
まあいい。
今日は体験入部の初日。
まだ何も知らない子羊一年生を捕まえ、部員を増やすことができるかもしれないのだ!
と思っていたそのとき、ドアが開いた。
「しつれいしまぁーす。ここが科学部ですかぁ」
「新入生か! 歓迎するぞ」
身長が二メートルを優に超える先輩がゆらりと立ち上がる。
「私が部長だ。人間からはアボガドロと呼ばれている。種族はいわゆる神だ」
先輩が優雅に微笑み、微かにのぞく八重歯が光る。
先輩の顔はちょっと猫と似ている。高い身長と不思議にかわゆい顔がなんだかミスマッチで、我は地の果てに住む魔王の卑屈な側近のように、ひとり不気味な笑みを浮かべる。
「か、かみ?」
「君は人間のようだな。なんて名前だ?」
「カメヤマです」
「そうか。カメヤマ君。我が部に入ってくれて本当に嬉しい」
「いやまだ入ると決めたわけでは……」
「君、私が神だからといって怖じ気づきすぎだ。科学部に入ると決意したからには、まずそこを直さなければならない。なあ、オモダカ」
人間、第一印象が勝負。我は新入生に威厳を見せるべく、背筋をまっすぐにして言ったのだ!
「先輩のおっしゃるとおり。このような軟弱な人間が同調圧力に負けて、米が主食などとぬかすのだ。もっと革命精神が必要なのだ! 」
「その通り。君は変わらねばならない。なぜなら変わらなければならないからだ」
「やっぱり今日は帰ります……」
カメヤマがなぜか帰ろうとする。
が、ここで逃げられてたまるか! ポケットからそっと試験管を出す。中身は密かに合成した催涙剤。女の武器は涙、それは人類が小麦を栽培するずっと前から決まっている。試験管の栓を開けて一息に吸い込むと、我は涙に濡れた上目遣いでカメヤマをじっと見つめた。完璧に計算された傾き、角度、方向で。
カメヤマがぼふっと顔を赤くして失神する。
フフ、ちょろいのだ。
「ぶらぼー」
催涙剤の余波を受けた先輩が、大きな目をしばたたきながら手を叩く。
「先輩よ、これどうしよう?」
「ろ過すればいい。お湯に溶かして再結晶すればどんなものでも浄化できるよ」
「……ヒトって水に溶けるのであるか?」
「根気よく混ぜさえすれば溶けないものはないよ。神である私が言っているんだ、安心なさい」
そこで倒れたカメヤマを先輩と二人がかりで特大ビーカーに入れ、熱湯を注いだのだ。
錫杖みたいに長いガラス棒で辛抱強く混ぜる。
なかなか溶けない。
「先輩、これホントに溶けるのか?」
「気合いが足らんのだよ、気合いが。ほら見てなさい」
先輩は腕を捲ると、勢いよくビーカーに手を突っ込み、じゃぶじゃぶやりはじめた。
先輩がぎゅっと目をつむり、額の皺から汗が滴り落ちる。
闇夜を切る流れ星のように汗の粒が光った瞬間、カメヤマの体がどろりと崩れた。ビーカーの水と混じり合い、とろりとしたピンク色の液体になる。
慎重にビーカーを持ち上げ、ろ紙を入れた漏斗にカメヤマを注いでろ過する。
これでカメヤマも一皮二皮むけるはずなのだ。
よっぽどろ過がこわいのか、カメヤマは漏斗にへばりついて抵抗するのだ。
ヘタレが。
ブフナー漏斗で無理矢理吸引ろ過してやった。
ろ液を冷ますと、カメヤマの結晶が析出した。
実験は成功。
カメヤマの結晶は見違えるような逞しい青年。
一方、ろ紙にはカメヤマの短所が残ったのだ。
気が弱すぎて地上に留まることができなかったらしい、ろ紙の不純物はメソメソ泣きながら風船のように浮かんだ。そして開いた窓からふわり飛び出して空の彼方へと消えていっちゃったのだ。
さて。
我はニヤリ微笑む。
白く光る筋肉。
知性を感じる瞳。
このカメヤマの結晶。これ程の逸材があろうか?
こいつは大物。間違いなく大物。きっと腐敗した既得権益者をその拳をもって殲滅し、民衆を導いて全世界の主食を麺とする英雄となるに違いないのだ!
「なあカメヤマ!お前には才能がある。一緒に腐ったご飯派勢力を粉砕しようと我は勧誘するのだ!」
だが、カメヤマの結晶はハキハキと答える。
「そんなことをしてはご飯派の人がかわいそうです」
「な、なにをいう!米なんてものを食う行為はまごう事なき悪、あってはならないことなのだ」
「自分の価値観を他人に押しつけるのはよくありません」
「……うるさい」
前言撤回。
やっぱこいつだめなのだ。
軟弱さが抜けたのはいいものの、扱いやすさまで抜けてしまったらしい。
「私もちょっと自分磨きしてみようかな」
見ると、先輩が熱湯の中に浸かって溶けている。
「オモダカ、私をそこの漏斗に注いでくれ」
言われた通り、先輩の水溶液を漏斗に注ぐ。
先輩はすんなりろ紙を通った。ろ紙の上には不純物一つ残らない。ろ液からはいつも通りの先輩が再生した。
さすが神。完全たる存在である先輩は完璧に純良らしいのだ。
「オモダカ、君もろ過を試してみろ」
我も熱湯に浸かってみる。全身の細胞を繋いでいる柵がほぐれ、解放されたような感触が貫く。じわり肌から浸透した水分子は、カドヘリン、インテグリン、その他細胞をまとめるのに必要ななにかを侵し、砕き、破壊し、遂に我はふわりと溶けたのだ。
先輩が我の溶液を漏斗に注ぐ。
ところが。
おかしなことに漏斗からは一滴の我も滴らないのだ。
我の全ては醜い不純物としてろ紙の上に鎮座するのみである。
「……先輩、これはどういうことなのであろうか?」
「タマネギの皮を剥き続けると、遂にはなにも残らなくなってしまうねえ。ははは」
「変なこと言ってごまかさないでほしいのだ……ってあれ」
我は不意に体が軽くなるのを感じた。
ふわりろ紙から浮かび上がり、天井に衝突する。
開けっぱなしの窓からお邪魔してきた風に弄ばれ、テレビにぶつかり、ドラフトにぶつかり、カーテンにぶつかって、窓から外に飛び出してしまったのだ。
外に出た我は、凄まじい速さで上昇していく。
あまりの速さに五感が追いつかなくなり、全世界がごちゃまぜになって上下左右東西南北の概念が消滅したんじゃないかって感じがする。
青かった空が闇色になり、星が自分の真横でちかちか光り始めたころ、ようやく我は止まった。
遙か下に地球が見える。
「どこなのだ……ここは……」
「ようお嬢ちゃん、新入りかい?」
なんか毛皮を着たもっさい男が話しかけてきたのだ。
「何者だ、原始人」
「オレはオリオン座だ。ここは星座の世界。ろくでなしが打ち上げられる牢獄みたいな場所さ。オレは女につきまといすぎたせいでこんなところに来ちまった。ところでお嬢ちゃんはなにがあってここに来たんだ」
我は毛皮臭い猿人は無視し、下界を眺めることにした。
不思議なことに、あんな遥か下の世界の様子が、細部まで衛星写真みたいにはっきり見えるのだ。
しかも、建物の中まで透視でき、声まで聞こえる。
理科室の中を覗いてみたとき、二つの肌色の塊がもぞもぞ動いているのが見えた。
透明人間にこねられているパンの生地みたいだ。
それは……アボガドロ先輩と……カメヤマの結晶……。
先輩の声が聞こえる。
「いや……君のような美少年を抱けるとは……ぶふぉ……古代ギリシア時代より少年との恋というものは至上のものとされ……んぐぅ……神である私は……ぬ!」
むっとした臭いが漂うのを感じる。
理科室からそっと目をそらす。
つまらない。
なんであんな反革命分子が先輩の寵愛を受けるのだ。畜生。全衆生、小麦以外の全衆生を、この手で、粉砕してやりたいのだっ……!
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、お肉は好きカナ??? うさぎ座んとこ行ってオレと一緒にうさぎ食わね?? うさぎ座まじうめーよ、お嬢ちゃんみたいな若いコと食べたらさらにうめぇだろーな、でもお嬢ちゃんはうさぎよりもっとおいしそう笑、なーんちゃって笑笑 、あれお嬢ちゃんもうおねむカナ!?? 、オレお嬢ちゃんともっとおしゃべりしたいのにナ泣 、あ、魚座の寿司あるんだけど一緒に食わね? ってぐふぅ!」
我は野蛮人に鉄拳を喰らわした。
類人猿の手から滑り落ちた寿司を、そのシャリを取って足で踏み潰す。
「我は今絶望的に機嫌が悪い。そんな我に米製品を見せるな!」
人似猿はほっぺたをさすり、
「ああ……いい……。アンドロメダ座にやられた以来の感触……」
と意味不明なことを言っている。
あ、そういえば。
「おい、原人。ここにカメヤマというもやしっ子は来なかったか?どこにいるのか我は知りたいのだ」
「ああ、それっぽい子が今夏の空にいるぜ。羅針盤座が言ってた。ここは冬の空。夏の空までは遠いから、もし行きたいならオレの仔犬座貸してやるから乗っていくといい。オレは一緒には行かないがな。あそこにいるサソリ座がこわ……いや大嫌いで見たくもないんだ」
「断る。人に米を押しつけようとするようなろくでなしから物を借りるなど、人の道に反するのだ。自分の足で行く」
ふと、きらきら光る帯のようなものが目に入ったのだ。
それは、川だった。水面が牛乳のように白く煌めき、その上を掠めるようにカササギが飛ぶ。
天の川だ。
天の川、夏の空と冬の空を横切って環状にぐるぐる流れる川。
この川に沿って歩けば、いつかは夏の空に出るはずだ。
メソメソしていた頃のカメヤマが懐かしい。
我は天の川の河原を歩み始めた。