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号哭岸で殺人鬼を待つ

作者: 市

号哭岸という崖がある。号哭せざるを得ないような境遇の人間がこぞって飛び降りるような崖だと言われているが、その波音が号哭する人間を思わせるからだと私は思う。ネットでこの場所を見つけた時は分からなかったが、実際に来てみると確かに号哭する人間のようだ。まあ、号哭岸は号哭岸でありその由来がなんであろうと関係はない。こんな冷めた性格だから、会社からも恋人からも見放されるのだと自嘲する。


御察しの通り、私はつい先日会社をクビになり、恋人にも振られた。伸びきった髪は今更手入れする気にもならず、こんな体はさっさと脱ぎ捨てよう、全て投げ捨ててしまおうという気持ちを増長させただけだった。自分の体さえも味方にはなってくれない。そんな虚しさが今更のように現れ、指先がツンと痛んだ。痛いなあと呟く労力さえ失った私は、誤魔化すように目を閉じ、高波の音に集中する。


五感のうち一つが欠けると、他の感覚が研ぎ澄まされる。どこかで聞いたような事だが、実際そうなのか。それとも、人気がない所為か。普段は気にも留めないような人一人の気配が気になり、目を開けた。


そこには、絶壁に腰掛ける少女がいた。


綺麗な黒髪が潮風に靡く。ただ無言で、そこに“いるだけ”の少女。絵にはなるが、危険な事この上ない。しかし、生憎今の私に少女を止めることはできない。代わりと言ってはなんだが、ここで何をしているのかと聞いてみた。


____人殺しを待ってるの。


そう答えた少女の声は、よく通る綺麗な音だった。口のみならず、目にもご馳走。この場合には耳にもご馳走か。あいも変わらず、私は変なところに注目する。この場合、常人なら言葉に注目するだろう。なぜ、人殺しを待つのか?とか。或いはそんなことを言うな。命を大切にしろ、とか。


少女は私をそんな常人と間違えたのか、問われる前に答えた。死にたいのに、死ぬほどの勇気がないのと。だから、殺してくれる誰かを待っているの。この背中を無言で突き飛ばしてくれる誰かを。


なるほど、と私は感心した。確かに「死にたい」という気持ちは誰にでもあるものだ。しかし、自殺に踏み込むまでの勇気___これを勇気と言っても良いのかはわからないが___を持っているものはなかなかいない。この少女は幸いな事に、私とは違う常人だったのだ。


少女がこちらを向いて、もう帰るわと言った。これから死のうとしている私に気をつかったのかもしれない。


私は、なんの予告もなく少女の胸を押した。ゆっくりと少女の体が倒れる。しかし、白く細い手が崖をはし、と掴んだ。


何するの、死にたくない、怖い、助けて。先ほどまでとは全く矛盾した言葉が青ざめた少女から発せられる。私は無表情のまましゃがみこみ、その手を崖から無理矢理離した。


少女の世界が上昇する。やがて絶叫も消え、私は踵を返した。死にたいと彼女が言うから、それを叶えてやったまでだ。


人は誰しも死にたい死にたいと言いながら生きているなんて、私は知らない。




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