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セカイにきせつを咲かせよう。  作者: 吉田 樹
第六章「微かに見えた姿」
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第2話「兄妹」

「基は、茜ちゃんの気持ちを少しでもわかろうとしたんだよ」





 その声は沙織のものだった。


 やさしくも厳しい声音。僕はつい、身を隠してしまった。





「お兄がですか?」


「基は茜ちゃんが今の状態になって初めて、兄として考えたんだと思う」


「……そんなの、そんなの違います。そんな、お兄」





 なぜ、二人がこんな状況になっているのかは分からない。でも、僕の言葉を聞いて沙織が家まで来た可能性が高いだろう。


 中の様子は見えないが、二人が真剣であることだけは伝わってきた。





「基があんなにも何かに必死になっている姿なんて小学校以来だよ。茜ちゃんが妹だから、そこまで必死になったのかどうかは分からない。でも、何も出来なかった自分自身が嫌で、だから自分を納得させるためにしたことだと思うんだよ」





 沙織の冷静な言葉に対して、茜の心が乱れ始めているのが伝わってきた。だからと言って、ここで僕が出て行ったら、よけいに事態を悪化させることも理解していた。





「お兄はあの日言いました。私に甘えたいって、頼りたいってそう言いました。お兄は私がいなきゃダメなんですよ。なのに、なんで、お兄が私の為になんて……そんなの、違いますっ!」





 いくら冷静を装って敬語で喋っていても、その声は焦っていた。抑えられない感情が溢れだしていた。





「茜ちゃんは、基のこと、お兄ちゃんのこと、好き?」


「……どういう意味ですか?」





 突然の質問に、茜は明らかな動揺を見せていた。だが僕も沙織の言葉の意味を理解するのには時間が必要だった。





「基は別に茜ちゃんのこと、好きじゃないと思うよ? 家族だから、兄弟だから、そう言った最低限の愛情はあるかもしれない。でも、自分が本当の危険に直面したとして、茜ちゃんと基、どちらかしか助からないとしたら、きっと基は自分を守るよ」





 そんなことはない。そう言いたかった。でも、言えなかった。きっと、沙織の言っていることを心が否定しきれないから。





「なんで、そんな、そんなことありませんっ!」





 それでも、茜は否定してくれる。僕の為に。でも、きっとそれが駄目だったんだ。それに甘んじて生きていた僕が間違っていたんだ。





「茜ちゃんだって、基のこと、嫌いでしょ? 頼りにならなくて、ダメな奴で、社会に適合できそうにもない」





 さすがに腹が立った。でも、僕は前のように自分を理解していない訳じゃない。僕はつらくても、その事実を受け止めなきゃならない。でも、茜は、否定してくれる。





「そんなことないっ! お兄は」


「お兄はなによっ! いい加減にしてよ! 基はあんたのものじゃないっ。あんたが安心するために基はふさぎ込んでいる訳じゃないっ。基は、あんたが輝くための道具じゃないんだよ!」





 沙織の感情はもう、自分自身を抑えることすらままならなくなっていたんだ。ずっと僕を守ってきて、助けてきて、だから。だからきっともう限界になっていた。





「甘えていたのはあんたじゃないっ! 基がいなきゃ、自分を保つことも出来ないくせにっ!」


「そんな、私は……だって」





 茜もきっと、心に余裕なんてない。僕が未熟だから、弱いから二人を傷つけてしまうんだ。なのに、僕は何もせずにここで聞き続けている。





「あっ……。茜ちゃん、私はこんなふうに言うつもりじゃなかったんだよ。ただ……」


「何なんですか。そんな、わかったような……分かったようなこと言わないでっ! お兄のことは、私がずっと見てきたんだから!」





 出て行ったらきっと悪化する。でも、僕はここで見ていることしかできないのか。





「それでも知ってほしかったの。基がどんな気持ちで、何をしたのか。……だからっ!」


「帰ってください」


「でも」


「かえって!」


「……ごめんね」





 一言残すと同時、沙織の足音が近づいてくる。焦って隠れようとしたが、玄関に隠れる場所などなく、結局鉢合わせすることになってしまった。





「あっ……」


「……そんな気はなくて、えと」


「っ」





 必死に言い訳を考えるも、そう簡単にいい言葉が思いつくはずもない。気まずそうな顔をした沙織が横を通過するのを、ただ黙って見送ることしかできなかった。





 気のせいかもしれないが、沙織の頬を涙が伝っていたように感じた。





 だめだ。僕はこの期に及んで決めあぐねている。沙織を追うべきなのか、茜と話すべきなのか。それとも、今は話すべきじゃないのか。





 いや、それは逃げでしかない。相手のことを考えているようなふりをして、本当は自分自身が逃げる道を探しているだけなんだ。それじゃあ今までと変わらない。ヒーローになろうとしても、生まれるのは偽物だ。そんなものは自分でなろうとするものじゃないのだから。なら、自分のために今のチャンスを生かさない手はない。





「……茜」


「っ⁉ お兄」





 きっとこれは沙織が作ってくれたチャンスなんだ。今、話さなきゃだめだ。


 それでも、リビングに入ってすぐに向けられた茜の顔をみて、僕はどうしたらいいのか分からなくなってしまった。





「……聞いてたの?」





 僕を非難するような目からは、涙が溢れていて。すぐに茜は焦ったように顔を背けた。


 僕はそれだけで、言葉を失った。





「聞いてたんでしょ⁉」





 立ち上がった茜の姿は、今にも脆く砕けそうに写った。だからもう、嘘なんてつけなかった。





「……聞いてたよ」


「っ⁉」





 言ってから気づく。それをきっと言ってはいけなかったと。でも、茜はすでに走り出していて。


 直前のことがフラッシュバックする。沙織に何も言えなかった。僕はいつも何があってもなるがままで、その流れを止めようとはしなかった。でも、





「まって!」





 僕はとっさに茜の腕をつかんでいた。


いまつかまなければ、取り返しがつかないような、そんな気がして。





「離してっ!」


「いやだっ!」





 でも、無理やりに引き留めても何も出来ない。そう思ってしまう。





「いたいよ」





 だからもう、そう言われたら離すしかなかった。





「……ごめん」


「……」





 でも、茜は立ち止まってくれた。だから、それが怖かった。窓から差し込む光が茜を包み込んでいるようで、ただ待つことしかできなかった。





「何でなの?」


「え?」


「なんで、いじめに首を突っ込んだりしたの?」


「……」





 うまい言葉を考える。何て言ったら茜がいい顔をするのか。でも、それは違うと気づく。ただ、ありのままに話さなきゃ意味がない。





「僕は茜のことを何も知らなかった。だから、知りたかったから」


「なんで」


「力になりたかったから。いつも助けてくれたから」


「なんで」


「僕は弱くて無知だから」


「弱くて無知ならそれでいいじゃない!」





 茜は僕を睨んでくる。振り返ったその目には、大粒の涙があふれていた。





「お兄はいつも私を頼ってきたじゃない!」


「うん」


「お兄は私より弱いじゃない!」


「うん」


「お兄は私がいないとダメなんでしょ!」


「うん」


「周りのことも、何にも見えていないじゃない!」


「ごめん」





 そうだ。そのとおりだ。でも、だから僕は変りたい。





「我儘なくせに!」


「ごめん」





「自己中心的なくせに!」


「ごめん」





「利己的なくせに!」


「ごめん」





「なら何でよっ! なら何で私を責めないの⁉ なんで、私にいじめのことを聞いてこないの⁉ 何で、私を理解しようとするの! 今更何で、そんなことするのよっ。いっつも私に甘えていたくせに! そんなのお兄じゃないじゃん!」


「……ごめん」





「何で、なんで謝るのよ……っ」





 崩れ落ちるように茜は座り込む。あふれる涙は拭えきれずに流れ続けていた。


 茜の嗚咽は僕を責めているように聞こえた。きっと、僕が全て悪い。僕がいたからこうなった。兄なのに、何も気づいてあげられなかったから。いや、それは傲慢だ。僕なんて、茜に勝る部分は一つもないのだから。それでも。





「僕は弱虫だ。何もできないし、しようともしない。壁があれば避けて通る道を探してしまう。だから、僕はずっと茜に甘え続けてた。でも、一方的じゃダメなんだって。受け身なだけじゃダメなんだって、そう思ったんだ。僕はもっと茜の事を頼りにしたいんだよ。だからさ、僕にも何かさせてくれないかな」





 あの日否定された言葉を、もう一度告げる。僕が茜の兄になる、そのスタートラインに立つために。





「……」 





 茜はただうつむいていた。涙は少し落ち着いてきたのかもしれない。それでも、まだ気持ちは高ぶっているようで。





 僕は逃げ出したくなった。もし、否定されたら。もっと茜が離れていったら。僕の言葉で茜が更に傷付いてしまったら。そう思うと、苦しかった。今朝となんて比べ物にならない。目の前にいる女の子の言葉が、僕にとっての全てになっている。


永久のような気がしていた。世界が時間を遅くしているのかと錯覚した。





「……か、……いた」





 茜の口から出た言葉は、弱弱しくて小さくて。





「え?」


「おなか、すいた」





 ちょっと怒ったように上目づかいで見上げてくる茜をみて、僕は初めて実感したのかもしれない。茜が妹なんだって。





「……今、つくるから」





 気づいたら涙があふれていた。立っていられない程に全身の力が抜けた。僕を理解してくれたことが、僕の言葉が届いた事が、嬉しくて仕方なかった。





「……まったく、何泣いてるんだか。もう、お兄は泣き虫なんだから」





 いつものように笑顔で慰めてくれる茜がそこにいた。それが無性にうれしかった。





「つくる、から……」





 これじゃあ今までと変わらないかもしれない。でも、今だけは茜の胸でこうしていてもいい気がした。





「……つくるよ、つくるよ」


「まったく……。お願いね、お兄」





 茜は優しくて、涙は止まらなくて、僕は思った。茜に恥じない兄になりたいと。もっと、頼られる兄になりたいと。





 僕は弱いから、賢くて強い茜の兄として未熟だと思う。でも、この日僕たちは本当の兄弟になった気がした。





 そして、僕自身が大きく変ることができた。そんな気がしたんだ。


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