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セカイにきせつを咲かせよう。  作者: 吉田 樹
第四章「社会の営み」
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第2話「目の前と自分」

 結局その日は茜と話すことが出来なかった。いつも見せてくれる笑顔がないだけで、僕は茜に話しかけることすらできなかった。翌日の朝も会話はなく、ご飯を済ませた僕はこの空気に耐えきれなくて家を出た。いつもより少し早かったからだろうか。通学途中、田んぼに囲まれた田舎道に出たあたりで、思いもよらぬ相手に声をかけられてしまったのは。





「おはよう、基」





 少しためらったような、控えめな挨拶だった。





「……沙織。おはよう」





 昨日の今日だ。勿論会いたいはずなどない。それでもやっぱり無視は出来なかった。





「昨日はごめんね。私、基の気持ちも考えないで、自分の気持ちを押し付けようとしてた。だからさ、聞いちゃったこと忘れるよ。だから基も、自分がしたってことを忘れて。お願い」





 言っている意味が解らなかった。僕は自分のしたことが忘れなければならないようなものだとは到底思えない。忘れなければならない理由もわからない。





「何でだよ」


「基に、傷ついてほしくないから」





 また、そうやって姉のような顔をするのか。そんな上からの言葉なのか。





「余計なお世話だ」


「そうだよね。これは私の我儘かもしれない。でも、お願い」





 沙織は僕を見下してるんだろうか。自分がしたことに責任をとれないと。そう、思っているのか。あんまりにもそれは馬鹿にし過ぎだ。僕と沙織は一つも年の差がないのに。





「もう、ほっといてくれって言ったじゃないか」


「っ……ごめん」





 昨日に続いて今日も。僕がここまで沙織を拒絶したのは初めてかもしれない。だから、見たこと自体、初めてだった。いつもの寂しそうな顔とは違う。沙織の悲痛そうな、無理に作った笑顔なんて。





「先、行くね」


「……」





 走り去っていく沙織に、僕は何も言うことが出来なかった。気づけばもう学校は目の前で、校門に呑み込まれていく生徒の波にまぎれて、沙織の姿は見えなくなっていた。少し悪いことをしたような気もしたが、もとはと言えば沙織が悪いのだ。そう思いなおして僕も自分の下駄箱へと向かった。





 その日は始まりこそ気分をダウンさせるに足るものだったが、以降はとても平和なものだった。





 授業が滞りなく行われ、昼もクラスメイトの雑談が行き交うだけの至って普通の時間。


 誰かがいじめられることもなく、田中さんも一人ではあったが妨害を受けずに平和な時間を過ごしている。これが、僕の成し遂げた結果なのだと思うと途端に心地よくなる。誰かに話したくなってくる。でも、そんなことはしない。そんなものは自分が優越感に浸る為の行為で、言った後に返って来るものは、決して賛美などではないからだ。





 それでも、世界は不条理だったってことなんだろう。やっぱり理不尽だったってことなんだろう。





 それは、放課後の出来事だった。誰もが僕に可能性として示唆していた状況。危惧していたこと。僕の心をかき乱すもの。


 その事柄を当事者の一人となった僕自身が、まるで理解していなかった。理解をしようともしないまま僕は耳にしてしまった。彼女らの発する、どすの利いた声を。耳を疑った。空耳だと思った。そう、信じたかった。





「ねえ、田中。あの映像どうやってとったのかなぁ?」


「……知りません」





 田中さんの弱弱しい声がかろうじて聞こえた。本当に偶然だった。もしかしたら気付かなかったかもしれない。いや、きっと多くの人は気づかない。


 放課後のこの時間。殆どの生徒が部活動で校庭か体育館、もしくは特別教室へと移動している。一般教室がつらなる本館のトイレなど、この時間に使用している者は非常に少ない。いないと言っても過言ではないくらいだ。





 僕はたまたま提出物を出しに行って帰りが遅れた。帰る前にトイレに立ち寄った結果だった。声を聞いているだけでもその威圧が伝わってくる。それでも声は抑えられていて、耳を澄まさなければ聞こえない。この声が僕の耳に入ったのは、果たして運が良かったと言えるのだろうか。





「知りませんじゃないよ。あんたなんかを庇おうなんて奴は、うちのクラスにいないんだよ。わざわざこんなことに首を突っ込むなんて、馬鹿のやることだからね」





 呼び出された時に聞かされたのか他が情報源なのかはわからないが、どうやら証拠が映像であると知っているらしい。





「本当に、知らないんです。お願いします。許してください」


「黙って。いい? うちらの質問にだけ答えればいいんだよ。余計なことは言わなくていいの」





 これはなんだ。何でこうなった。いじめは解決したはずじゃなかったのか。





 まさか、ばれないような陰湿なものになるなんて。こんなのへたすれば悪化するんじゃないだろうか。いじめグループは、自分たちが罠にはめられたとでも思っているような口ぶりだ。このままエスカレートしていっても、きっと誰も気づかない。





 現場は女子トイレ内部。男子である僕にはどうすることも出来ない。勿論、盗撮だって無理だ。きっと、一回証拠をとられている分警戒しているに違いない。


いや、それ以前に。怖かった。何かをするのが、どうしようもなく怖かった。





 今日見た教室の風景と同じだ。これもまた僕の行動によって生み出されたものだ。より、陰湿に、ばれないように行われるいじめ。向ける感情は、学校側にばれたことへの恨みと怒り。お門違いもいい所だが、きっとそんな理屈ではどうにもならないものなんだ。彼女の言葉がふと思い起こされる。人間の行動原理。それは、感情。こういうことだったのか。





 沙織もわかっていたんだ。きっと佳奈も、この可能性を考慮して、一度僕に確認をとったんだ。そうか、僕が理解していなかっただけなのか。





 彼女は言っていた。僕は自分を見失っていると。確かにそうだ。自分の行動の理由はおろか、それが何を意味するのかなんて、考えてもいなかった。結局僕は、何も変わっていなかった。所詮、井の中の蛙だった。いや、もっとたちが悪いかもしれない。大海を見た気になって、それでもふんぞり返る蛙。きっと、僕はそんなものだったのだろう。みじめだ。滑稽だ。結局何も進歩がない。何かをするべきじゃなかった。





 気付いたよ。彼女が思っている程にも、僕は出来ちゃいなかった。僕は無知だ。なのに、それを知ることも出来ない。結局、そうして僕が並べたのは言い訳だ。言い訳を並べて、自分は駄目だと言い聞かせて、だから何をやっても仕方がないと諦めるふりをして、結局逃げているだけなんだ。





 僕は、そのいじめを認識し続けるのが嫌でトイレを出た。カバンを背負って走り出した。また、逃げるんだ。でも、それでもきっと進歩なんだ。今、逃げていると自覚できたのだから。





「くそっ」





 それでもなぜだろう。悔しかった。いや、きっとこれは悔しさとは違う。でも、限りなく近い何かだ。感情が爆発しそうだ。もう、何も分からない。結局、僕は何も分かっていなかった。それだけでいいんじゃないだろうか。いや、良くない。


僕のしたこと。その結果。それを、僕はどうしても受け止めきれなかった。





「……何なんだよ」





 下駄箱までついても上靴を脱ぐ気力すらなく立ち尽くしてしまう。何も見ようとせずに逃げ回るだけで、なのに結果を出そうとしてそれがこのざまだ。





「ははっ……」





 笑えてくる。僕はこんなにも無知で無力で小さいのか。でも、もう僕には関係のないことだ。関係のない赤の他人の為に何かをしようとしたこと自体、間違いだったんだ。きっとそうだ。もう、余計なことはしない。もう、何かをしようなんて思わない。僕は彼女が言う程の人間ですらないのだから。





 膝が震えていた。頭は真っ白だった。結局どんなに言い訳しても、心の整理はなかなかついてくれなかった。何も出来ず、何をする気力も起きず、ただ立ち尽くしていた。何も考えられなくなっていた。


そんな時、僕の携帯電話がけたたましく鳴りだす。機械的な動作ではあったが、かろうじて電話に応じた。





「あ、すいません」





 女性の声。電話の相手は茜の担任だった。





「実は……」





 茜の担任が、兄である僕に電話をかけてくることが、異常であることにすら気づいていなかった。そんな精神状態である僕の耳にその言葉が飛び込んで来た瞬間、僕は走っていた。





「すぐに行きますっ!」





 そのくらい、その言葉に僕は衝撃を受けたのだ。







――――桐原さんがクラスメイトにけがをさせてしまいまして


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