序章 作戦会議
成得は情報司令部隊の詰め所にて、事務椅子に乗って暇そうにくるくる回っていた。しばらくそれを続けていたかと思うと、急にそれをやめて勢いよく立ちあがった。
「はい。じゃあ、訓練するからそれの作戦会議を始めます。」
そう言って机をバンっと叩く。
「どうせくだらないことでしょう。余計な仕事増やさないでください。」
楓のその言葉に成得は、どうせヒマなんだからいいだろと口を尖らせた。
「それにこれは仕事じゃなくて訓練だ。腕が鈍らないように日頃から訓練は必要だろ?だから訓練がてら俺のお願いきいてよ。」
へらへら笑ってそう言う成得に楓は一瞥をくれた。
「この間、訓練と言って国の在り方をひっくり返した人の言う台詞ですか。あなたのおかげでわたしは余計な仕事を処理する羽目になったあげく、ひどいストレスに悩まされました。まずそれにどう落とし前をつけてくれるんです?」
いつも通り無表情で淡々と言う楓に成得は、ちゃんと生きて帰ってきたから許して、と悪びれた様子もなく言った。
「それに皆、話を聞いてくれるって。いや、俺の部下は皆優秀でかつ俺に寛容で助かるな。私用にこんな協力的になってくれるなんて、なんて皆優しいんだろう。」
全く心のこもっていない声で成得はそう言った。いつの間にか詰め所は作戦会議仕様になっていて、隊員たちは作戦会議を始める態勢に入っていた。ただし、今回は誰にも成得が何をしようとしているのか解らなかったようで資料などは一切用意されていなかった。その様子を見て楓は心の中でため息をついた。
「今回の作戦は清虚道徳真君を篭絡させることです。奴の訓練期間中に浮気の事実を一回でも作れればこっちの勝ち。誰にも靡かず奴が訓練期間を終了したらこっちの負け。何か質問、ないし意見がある人は手を挙げて。」
成得のその言葉に楓が手を挙げた。
「作戦内容は清虚道徳真君ないしは青木沙依の篭絡であるべきだと思います。前提としての目的が二人の恋仲を邪魔することにあるのなら、標的を両方にした方が作戦の成功率は高い。わざわざ成功率を下げる意味が分かりません。」
楓は成得がどうして道徳にだけ焦点を絞ったのか理解したうえで作戦の不備を指摘した。
現在、成得の策略で道徳と沙依は自分たちが恋人同士であったことはおろか、深く親交があったことすら忘れて過ごしている。その状態で道徳が第二部特殊部隊で三年の訓練期間を全うし隊員たちに認められること。それがクリアした状態で記憶を戻し、その時にまだ二人がお互いを想い合っているのなら、二人を結婚させるという条件で成得は二人を龍籠に連れてきた。それは崑崙山脈が襲撃をされるという情報を元に、そこで暮らしていた沙依を無事に避難させるための方便だったのだが、当の本人たちはそんなことは知らずにそれを鵜呑みにしている。前世での妹である沙依を溺愛している成得は、自分の権限をフル活用して二人の仲を邪魔して破局させようとしていたのだった。
楓の指摘を聞いて成得は薄く笑った。
「目的がどうあれ、かわいい妹の心が弄ばれるのはお兄ちゃん許せません。だから標的は道徳だけで。そもそも、俺のかわいい沙依を嫁がせる気なんてないの。かといって何もないのに認めないとか言ったら、約束破りに思われてお兄ちゃん嫌われちゃうでしょ。かわいい妹に嫌われたらお兄ちゃん生きていけないから、奴に不貞の事実を一回でも作ってそれを理由に交際も結婚も認めなくすることが目的なの。かわいい妹につく悪い虫を排除することが目的だから、標的は道徳だけでいいんだよ。」
そう豪語する成得に、隊員たちは思い思いの視線を向けていた。
「公私混同する重度のシスコン気持ち悪いです。隊長、今最高に気持ち悪いです。」
「兄妹だった時の記憶を取り戻したとはいえ、シスコンこじらせた相手が、今の実際の妹じゃなくて前世での妹とか超痛いです。」
「青木隊長が小さい時からあれだけセクハラ繰り返してたのに、お兄ちゃんぶろうとしてるのがすごく気持ち悪いです。妹だと本気で思っててあんなことしてたって考えると、軽蔑します。現在進行形でやってることもものすごく気持ち悪いです。」
「え?隊長、本気で青木隊長のこと妹だと思ってたの?てっきりそう言うプレイが好きな変態だと思ってた。」
そんな似たような罵倒が、本気で軽蔑したような視線からからかい半分で楽しんでるような視線まで、様々な視線を織り交ぜてしばらく続いた。
「開き直ったシスコン、本当に気持ち悪いですね。いっそ嫌われて本当に死ねばいいのに。」
最後に楓がそう締めて一通りの罵倒が終わった。容赦ない部下たちの言葉に成得はうなだれた。お前たちみんな酷いとショックを受けたふりをしてみる。
「どうしても訓練と位置付けてそれをしたいなら、青木沙依も標的にするなら考えてあげてもいいですよ。もちろん、わたしは青木沙依を標的にしますが。」
そう言う楓にじっと見つめられて成得は背筋に冷たいものが走った。
「楓ちゃん。君がどっちもいけるの知ってるけどさ、お願いだから沙依には手をださないで。いろんな意味で俺耐えられないから、まじで。」
そう懇願する成得を楓は何も言わずにじっと見つめ続けた。いつも通り薄く笑って動揺を隠そうとするが、それが見抜かれていることが解っているからどうしても表情がひきつる。
楓は間違いなく龍籠で一番の諜報員だった。特に長期の潜伏調査を得意とし、相手の懐に忍び込み篭絡させ、荒業を使わず情報を搾り取ることに誰よりも長けていた。普段こそ無表情で無機質な話し方をするが、状況に応じてどんな性格の女にでもなり切ることができる。どんなキャラクターにもなり切るために普段は表情や口調から感情を一切消して過ごしているというのが本当の所だった。年齢も訓練の末、自由自在に思った通りの年齢に自分を変化させることができる。そして要望があれば誰のどんな要望でも条件通り相手の望むままを体現し、満足させることで演技力や技術を磨き続けている。そんな楓に標的にされたら、沙依は違う何かに目覚めてしまうかもしれない。そう想像するだけで成得は鬱だった。そんな成得の感情を読み取って楓は目を逸らした。
「今ちょっと鬱憤が晴れたので仕方がないから協力してあげます。他に隊長のバカな作戦に反対する者はいますか?」
楓の問いに隊員たちは異議なしの意思を伝えた。なんだかんだ言ってもここの隊員は成得に甘い。隊長の為なら大抵の事なら何でもやるような連中ばかりだった。それに隊員達もこのふざけた作戦を面白がっていた。実際、訓練にもなって楽しめるなら反対する理由はない。
「これは内部偵察の訓練だと思ってください。外での活動より、内部で動く方が諜報活動は難しい。皆さん気を引き締めて作戦に当たる様に。」
楓がそう場を締めて本格的に作戦会議が開かれる。道徳と沙依に関する資料が用意され、誰がどうアプローチしていくか、どこまで他部署を巻き込むか等が話し合われていく。
「目的は青木沙依と清虚道徳真君を破局させる事。目的達成の条件として青木沙依には手を出さない事。今の段階では情報が少ないので、まずは情報収集から始めましょう。作戦はそれから改めて立てるという方向で。隊長から何か補足はありますか?」
そう振られて成得はないと答えた。
詰め所が作戦会議仕様から片付けられていくのを眺めながら成得は考えていた。今のところ沙依と道徳に接触は見られないが、それも妨害するべきか。でも妨害しても記憶が戻った時にどう思うかには影響ないもんな。逆に接触させてどうにもならなかったという方が都合がいいか。情報収集にはやっぱり二人と親交が深かった崑崙の奴に訊くのが早いよな。そしたらあれのついでにあいつを呼び寄せるか。二人と仲良かったみたいだし。そんなことを考えて自分がどうするかを決め、成得は詰め所を後にした。