-第7章 鋼鉄の流星 The Meteor of Steel-
西暦2220年3月4日
惑星「アルシャディール」衛星軌道上
地表から160km
統合連邦軍降下戦訓練宙域G-4
『By the Phase Shift In 3 2 1 Now(フェイズ移行まで、3、2、1、今)』
イクシズの合成音声が淡々と告げる。
地表からの高度160km。
まもなく大気圏突入が始まる。
大気圏突入においては、イクシズの綿密な軌道調整によってサポートがなされるが、それでも尚危険度は高い。
『Atmosphere Entry Standby.Armed is All Store.Heat Resisting Shield Deployment.Attitude Control Set,Orbital Descent Angle 7 Degrees,Angle of Attack 32 Degrees.Ground Speed 4.0km/s.Inrush Course Is Normal.(大気圏突入スタンバイ。武装を全て格納。耐熱シールド展開。姿勢制御、軌道降下角7度、迎え角32度にセット。対地速度4.0km/s。突入コース正常)』
大気圏突入という行為は、宇宙に進出した人類にとって長きに渡って難題であり続けた。
秒速数kmという高速で大気圏に突入すると、進行方向の大気は機体を避けきれず、高密度に圧縮され、高温となる。断熱圧縮と呼ばれる現象だ。
大気は数千度にまで加熱され、大気中の分子構造は崩れ、イオンやプラズマとなる。
高温となった大気は光輝き、燃え上がる炎で機体を包み込み、その眩い光は、流星の如く空に輝く。
宇宙開発黎明期は、この熱からいかにして機体を守るかという戦いの時代でもあった。
人類が宇宙に進出し始めた当初、先進国では有人宇宙往還船が作られ、選ばれし宇宙飛行士達が乗り込んで宇宙へと旅立った。
しかしそれは、命を懸けた旅でもあった。
少なくない命が大気圏突入の失敗によって失われ、彼らの命は天に輝く星となった。
宇宙という広大な世界に人類が版図を広げる為には、母なる星に帰る術をより安全に、より確実にする必要があった。
その答えとして生み出されたのが、軌道エレベーターだ。
2051年に地球で開業した軌道エレベーターは、人類の宇宙進出を急激に加速させた。
宇宙に安価かつ安全に進出出来るようになった人類は、学術研究や科学技術が急速に発展していった。
その繁栄を享受した結果がアルテリアンとの戦争状態に突入する前の多星間文明だ。
現在では、重力推進機関の普及により民間船は音速以下の速度で大気圏離脱と突入が可能であり、断熱圧縮による高熱からの防御をさほど考慮しなくてもいいが、軍はそうではない。
大気圏離脱や突入時は大きく軌道を変更出来ない為、敵からの攻撃に脆弱となる。
故に、高速で大気圏に突入し、速やかに降下する必要があるのだ。
『リードより各機、突入時は一時通信が不可能になる。分かってるな?』
「ツー、コピー」
『スリー、コピー』
『フォー、コピー』
『ファイブ、コピー』
『シックス、コピー』
大気圏突入時、機体を包むプラズマによって、無線通信は使えなくなる。
昔の宇宙往還機では、機体上部のプラズマが希薄な部分から通信を行うものがあったが、その為には軌道上に通信中継機能を持った衛星等が必要となる。
機動戦闘スーツは、敵地への降下を想定しているため、そのような通信中継機を確保する事は期待出来ない。よって、大気圏突入中の通信機能は搭載されていないのだ。
「イクシズ、突入シークエンスの経過をレポート」
『Yes Sir.(了解)』
機体は32度の迎え角で降下し続ける。
機首は斜め上を向き、正面を見据える視線の先は暗闇の宇宙だ。
視線を少し左右に振ると、アルシャディールが見える。
星系の恒星システリアによって生み出された海の星アルシャディールは、海が星の大部分を占める為、人類の居住する惑星の中でも飛びぬけて青く見える星だ。
平和な時世ならば、宇宙から見るこの星の青さは心を洗われるように美しい。
『Current Altitude 120km.Now Ground Speed 4,487m/s.Until Mesopause Reaching at 89 Second.Rate of Descent 338m/s.Attitude Control Is Normal.(現在高度120km。現在の対地速度4,487m/s。中間圏界面まで89秒。降下率338m/s。姿勢制御正常)』
中間圏界面は、地表からの高度約85~90kmにある大気層の境界を指すものだ。
大気圏という言葉は大きく一括りにされた表現で、実際には外気圏や熱圏、中間圏、成層圏、対流圏といった大気層に分類される。
中間圏界面は、熱圏と中間圏との境界の大気層のことであり、大気層の中で最も温度が低い。
その温度は平均でおよそ-93℃と極寒の世界だ。
『Entry Phase Advance Ratio Is 32%.(エントリーフェイズ進行率32%)』
大気圏降下中は、イクシズによる自動化のおかげで、搭乗者は完全に手放しで降下が可能だ。
そのため、降下中は手持ち無沙汰となってしまう。
計器類のチェックは行うものの、昔のように固定式の計器はもはや無い。
全てが統合され、分かりやすくHMD上に投影されるので、どこを向いていようが計器を見る事が出来る。
これが当たり前のジョセフからすると、昔の固定式計器でなんとかしていた時代はひどく不便に感じるものだ。時代と共に進歩する技術の流れの差異を目の当たりにした人間共通の感覚だろう。
機体の速度や姿勢、表面温度、エネルギー配分率などの情報を確認し、異常が無いかをチェックしながら、周囲を見渡す。
機体はアルシャディールの自転と同方向に飛行しているが、機体のスピードは自転のスピードより速い。
眼下の星がゆっくりと夜を迎えようとしているのを追い越しながら、機体は翔ける。
太陽の光で輝く昼間の側から、影となる夜の姿へと急速に変貌を遂げていく。
白光りする青から黒光りする青へと変化するグラデーションが眼下を駆け抜けていく。
黒に染まりつつあるアルシャディールの北極方向に視線をやると、青白く浮かび上がる雲が目に入った。
中間圏界面に生まれる雲、夜光雲と呼ばれる雲だ。
この雲は、普通の雲が生まれる高度1万mよりもずっと高い中間圏界面に生まれる。
高度が高いため、沈んだ太陽に下から照らされ、青白く浮かび上がって見える。
昼間は対流圏や成層圏の厚い大気等によって太陽光が散乱し、夜間はこれほど高層の雲を照らす光源が無い為に、観測することが難しい。
日の出前や日没後の限られた時間にしか見られない。
「キレイな雲だ・・・」
思わずそう呟いた。
『Can Not Recognized.Please Speak Again.(認識不可。もう一度話してください)』
「分かるか?イクシズ。あの美しさが」
『Sir,Can Not the Check Instruction.(サー、命令を確認出来ません)』
「冷たいな、お前は」
『Can Not Recognized.Please Speak Again.(認識不可。もう一度話してください)』
イクシズは機械らしい風情の無い回答を続けた。
支援システムであるイクシズは、膨大な数の類似した指示表現を認識して動作しているに過ぎない。
その所管業務は戦闘や航法など必要とされるものに特化しており、たわいもない雑談などは出来ない。
予めインプットされたプログラムでしかなく、人格や感情といった要素はどこにもない。
だが、宇宙空間という特異な環境で聞き続けると、機械が発する声でも一人の人間と錯覚してしまう。
音声対話型のシステムが普及したことによって顕在化した、クラーク症候群だ。
ロボットAIをモチーフにしたSF作品の代表的作家、アーサー・C・クラークの名前から名付けられたこの症状は、高ストレス環境下で音声対話システムと頻繁に会話する人が陥りやすいとされる。
ただ単に、孤独や不安といったストレスを会話という手段で紛らわそうとする。
特に精神に悪影響もなく、機械と会話しようとするだけ。
それがクラーク症候群だ。
『Current Altitude 92km.Soon Entered the Mesosphere Interface.Heat Resisting Shield Normal Operation.Attitude Control Is Normal.Anti Shock,Anti Flash Shield Standby.(現在高度92km。まもなく中間圏界面に突入します。耐熱シールド動作正常。姿勢制御正常。対ショック、対閃光シールドスタンバイ)』
ヘルメットバイザーにサングラスのような遮光フィルターが掛かる。
突入中のプラズマによる発光から目を保護するためだ。
『Atmospheric Drag,Adiabatic Compression,Within an Acceptable Error.Entry Phase Advance Ratio Is 47%.(大気抵抗、断熱圧縮、許容誤差内。エントリーフェイズ進行率47%)』
大気圏突入が進行し、機体を徐々に炎が包み始める。
音速の13倍以上の速度で大気圏に突入する機体が、炎に包まれ輝きを増していく。
大気圏突入の振動が体を震わせ、轟音を響かせる。
『Airframe Surface Temperature 874 Degrees.Temperature Rate Of Climb Is Nomal.(機体表面温度874℃。温度上昇率正常)』
イクシズによる細やかな姿勢制御が続き、機体は常に同じ姿勢で降下し続け、機体を包む炎と輝きは厚みを増し続ける。
地上から見れば、流星のように輝きを放ちながら空を流れて見えることだろう。
『Transmission Noise Increase.Allowable Limit Breakthrough.Incommunicable.(通信ノイズ増加。許容限界突破。通信不能)』
降下が進み、プラズマの密度が増したことで、通信不能領域へ突入した。
ここから先、数分以上に渡って通信が出来ない。
イクシズに完全にコントロールされた突入である以上、ジョセフに出来ることは何もない。
ただ機体に身を預け、赤く燃え上がるプラズマに包まれて降下し続けるしかない。
振動と光に包まれながら、鋼鉄の流星となって星へと舞い降りるジョセフは、イクシズが続けるアナウンスを聞きながら、静かに瞼を閉じた。