-第4章 虚無の世界 The World of Nothingness-
西暦2220年3月2日
惑星「アリエッタ」
クレイドシティ郊外 リベルティアヒル 382番地
不意に、暖かく強い風が、庭を駆け抜けていった。
その風が、白いワンピースの裾を大きくはためかせ、
本のページがバタバタと音を立て、捲られていく。
ざあっと吹き付ける風は、メリッサの肩までかかる長い髪をふわりと持ち上げ、なびかせる。
メリッサは庭のウッドチェアで読書をしていた。
急な風ではためく髪を抑えながら、次第に暖かさを増す太陽に手をかざし、目を細める。
思わず、「春ね」と呟いた。
ジョセフの両親の家に避難してきてから3カ月が過ぎ、季節は移り変わろうとしていた。
婚約者を無くし、身寄りも無いメリッサを、ジョセフの両親は暖かく迎えてくれた。
ジョセフの母・アレクシアは、白髪混じりの赤毛で、穏やかに微笑む笑顔が印象的な76歳のおばあさん。
父・ウォルターは、しっかりした顎鬚を持つ、快活な77歳のおじいさん。
二人とも未だに元気で、60代とも見える程若々しかった。
ジョセフの両親と会って、ジョセフは両親にそっくりだったのだと知った。
目元は母親のアレクシアと、口元や鼻筋は父親のウォルターと瓜二つだったからだ。
スターポートに出迎えに来てくれた二人を見た瞬間、絶対に彼らだと確信したほどだ。
彼らの家は、アリエッタの首都から50km程離れた閑静な住宅街にあった。
庭付きの一戸建てという一般的な郊外の住宅だが、メリッサにとってはそれが嬉しかった。
戦争が始まって以来増え続ける難民は、残存する惑星に避難を続けているが、難民キャンプのキャパシティは限界に近付いており、避難民でひしめき合っているらしい。政府としても様々な対策を続けているが、難民収容施設の建設よりも難民の増加の方が多い為、焼け石に水なのだという。
そのような環境に身重の状態で居たとしたらどうなっていたか、想像すると怖くなってくる。
ジョセフの提案は、メリッサにとって救い舟となったのだ。
二人は、メリッサとお腹の子供の事を色々心配してくれた。ジョセフがメリッサを我が子のように見ていたのと同じく、二人はメリッサを孫のように見ているのだろう。
二人も、ジョセフも、ジョセフの家族についての事はあまり多く語らない。
メリッサが知っているのは、ジョセフにはシャロンという奥さんとミレイナという娘が居た事。12年前惑星「コリオネル」にアルテリアンが侵攻した時、二人とも亡くなっている事。二人を亡くして程無くしてジョセフが軍に入隊したことだけだ。
12年前に10歳くらいの歳ならば、今はメリッサと同じくらいかやや上くらいの年齢だ。
だからこそ彼らは、ミレイナの姿を重ね、娘や孫のように接しているのだとメリッサは感じていた。
メリッサにとっても、今まで得たことのない親という存在を感じられたようで嬉しかった。
次第に風が強くなり始め、少し肌寒く感じ始めたので、家の中へ戻ることにする。
本を畳み、風が弱くなるのを待ってから立ち上がる。大きくなり始めたお腹のおかげで、以前よりもバランスを取りづらくなっているからだ。強い風に吹かれると、煽られてしまう。
お腹は丸みを帯び始め、胎動も起こるようになってきた。
子供がお腹の中で暴れている時、自分は母親だという感覚が、メリッサに喜びを与えていた。
だが、母親だと感じると同時に、未亡人だという事実がメリッサに影を落とすようにもなった。
そんな時、明るく包み込むような優しさで接してくれるジョセフの両親は、メリッサにとって大きな心の支えになった。自分は、多くの人に支えられて生きている。その事が、メリッサに生きる勇気を与えていた。
特に、アレクシアの存在は大きかった。
初産で、右も左も分からないメリッサにとって、母親というものを学べる存在となったからだ。
ジョセフも、死んでしまったライルも、メリッサの為に何かをしてくれた。
彼らのおかげで今がある。その思いは常に胸の中にある。
今を生き抜くこと。それこそが最大の恩返しなのだと、メリッサは思っていた。
「メリッサ、風が強くなってきた。中に入りなさい」
と、ドアを開けてウォルターが出てきた。
「ええ、今行きます」
そう返事をして、空を見上げる。
太陽の光の筋が、青い空の中に白く輝いていた。
-----------------------------------------------------------------------------
西暦2220年3月4日
惑星「アルシャディール」衛星軌道上
地表から3700km
統合連邦軍降下戦訓練宙域G-4
『リードから各員、降下予定ポイントまであと210秒。降下前最終点検。各員報告せよ』
とヘルメット内蔵のスピーカーから指示が聞こえる。
ジョセフは、宙間機動歩兵選抜訓練過程を順調に進み、最終過程の機動戦闘降下訓練過程に入っていた。
ここまで行われた訓練の多くは戦闘機パイロットと似たような訓練だが、決定的な違いがある。
ジョセフ達はあくまで歩兵なのである。戦闘機のように三次元機動戦闘を行う機動戦闘スーツに搭乗して戦闘を行うとされていながらも、それはあくまで作戦に必要なスキルであって、本職では無い。
つまり、軍が求めたのは機動兵器「も」操縦出来る歩兵なのだ。
科学が進歩した現在では、座学というものは姿を消し、脳への直接的な電気刺激によって知識定着を行う刷り込み学習が主流であり、航空機の操縦に関連する知識は二日で習得が完了した。
一方、実技に関しては脳の運動野に対する知識と感覚の統合が必要な為、シミュレーターや練習機を用いた実技訓練が未だに行われる。
新しいことの連続で、最初は戸惑ったものの、どうやらジョセフには適性があったらしい。
周囲では脱落していくものが出る中、残留者の中で比較的年上のジョセフは、しぶとく残っていた。
ジョセフは今、機動戦闘降下の実践訓練の為、本物の機動戦闘スーツに搭乗し、ハッチの中に居る。
今回の作戦用に開発された機動戦闘スーツは、三次元戦闘を行う為の機動兵器であると同時に、歩兵用の機甲パワードスーツとしての役割も持つ。
正確には、大気圏内・宇宙空間での機動戦闘を可能にするコンバットマニューバーモジュール(CMM)と、地上での機甲戦闘の為のアーマードアサルトモジュール(AAM)に分けられ、地上戦への移行時や空戦への移行時にはドッキング・分離が行われる。
CMMは、重力制御推進機構搭載の空戦用戦闘モジュールで、多連装ミサイルポッド、76mm電磁誘導砲、30mm機関砲2門の武装と、最高速度4.1km/sを誇る。
AAMは、小型の核融合リアクターを搭載した陸戦用装甲戦闘モジュールで、7.62mm機関銃2門、12.7mm機関砲1門、3連装擲弾発射機、60mm対装甲ロケットランチャーという重武装と、強固な装甲を併せ持ち、時速65kmで移動できるアクチュエーターを装備したパワードスーツだ。
スーツ内部の生命維持・衝撃吸収用の内部構造フレームによって、ジョセフの身体はスーツ内に固定されている。体温調節用の循環系によって、スーツの中は快適だった。
聞こえた指示の通り、ジョセフは射出前最終点検を指示する。
「イクシズ、射出前最終チェックを開始」
『Yes Sir,Before Launch Sequence Start.(了解、射出前シークエンススタート)』と、合成音声が告げる。
イクシズ(Interactive Conbat Support Information System:ICSIS)は、対話型戦闘支援情報システムの愛称で、頭文字からイクシズと呼ばれる。
音速を遥かに超える高速戦闘の世界では、パイロットへの負荷を可能な限り軽減するため、機体の制御の大部分をイクシズが司る。パイロットは、機体の各種設定やモード変更などの指示をイクシズに与えるだけでいい。パイロットが行うのは、機体の操縦・索敵・攻撃という主要な要素のみで、これらの動作もイクシズのサポートが存在している。
よって、パイロットは直感的に機体を操縦し、索敵し、攻撃を行えるのだ。
機体の制御に必要な情報は全てHMD(Head Mounted Display)というヘルメットバイザーに装備されたディスプレイシステムに表示され、パイロットはどの方角を見ようとも機体の状況を掴むことが出来るし、イクシズへの指示は全て音声入力、重力制御推進の副産物で旋回時のGはほぼ相殺されるなど、昔と比べれば格段の進歩を遂げているとはいえ、それでも超音速の世界は厳しいものだ。
『Control system check start,Nuclear fusion reactor control system clear,Energy supply control system clear,Gravity propulsion control system clear,Life support control system clear,Fire control system clear,Reconnaissance search control system clear, ECM control system clear,Communication control system clear,IFF control system clear,All system integrated clear,Battle station complete.(コントロールシステムチェックスタート、核融合リアクター制御システムクリア、エネルギー供給管理システムクリア、重力推進制御システムクリア、生命維持管制システムクリア、火器管制システムクリア、偵察索敵管制システムクリア、電子戦制御システムクリア、通信管制システムクリア、敵味方識別管制システムクリア、全システム統合クリア、戦闘配置完了)』
と、イクシズからの報告が終わった。
「こちらツー、システムチェック終了、射出準備よし」と報告すると、
『ツー、確認した。待機せよ』と返答が来る。
この訓練では、6人編成の分隊で組んでいる。ジョセフが通信したのは、分隊長に当たるアレハンドロ・マクシミリアン一等軍曹、通称『マックス』だ。
『こちらスリー、チェック終了、準備よし』
『こちらファイブ、準備よし』
『こちらフォー、こちらもOKだ』
『こちらシックス、異常なし』
と、他の分隊員からの報告が聞こえ、全員分の報告が揃った。
ジョセフの分隊は、訓練時の臨時編成で出来たブラボー小隊の第一分隊だ。
コールサインはブラボー1。
ジョセフは二番機なので、ブラボー1-2だ。
マックスが『1-1から1-6、準備完了』と報告すると、
『2-1から2-6、準備完了』
『3-1から3-6、準備完了』と、他の分隊からの報告も返ってくる。
それを聞いて、小隊長役であるエレナ・クレインハート少尉が
『ブラボー小隊、準備完了。いつでも行けます』
と、ブリッジに報告する。
すると、その返答として、
『ブリッジより各隊へ、目標地点まであと90秒、射出に備えよ。繰り返す、射出に備えよ』
と、射出地点への更なる接近がアナウンスされる。
ジョセフ達のチームを載せているのは、海軍のナイル級強襲母艦の6番艦「エニセイ」だ。
今回の訓練で降下するのは総勢108名。そのうちの54名がこのエニセイに、残りのもう半分が僚艦であるナイル級8番艦「レナ」に搭乗している。
エニセイからはジョセフ達アルファ、ベータ、チャーリーの3個小隊、レナからはデルタ、エコー、フォックスの3個小隊、計6個小隊編成での降下訓練だ。
各小隊は、6人三個分隊の三個分隊編成なので、総勢18人のチームだ。
訓練では、機動戦闘降下の基本であるブーストフェイズからランディングフェイズまでの一通りの訓練を行う。機動戦闘降下は、大きく4段階に分けられる。
母艦からカタパルトで射出され、巡航速度に達するまでのブーストフェイズ。
各個に展開、機動し、大気圏突入可能な高度まで惑星に接近するターミナルフェイズ。
宇宙空間用の装備をパージし、大気圏に突入するエントリーフェイズ。
大気圏内に突入し、目標地点への着地並びに陸戦への移行を行うランディングフェイズの四段階だ。
今回の訓練は、この一連の流れを通しで行う。母艦からの射出間隔は毎秒1機、すなわち、全員が射出されるまでに54秒かかる。
『ブリッジより各隊へ、20秒前、カウント開始する』
というアナウンスと共に、カタパルト前方のゲートが開かれていく。
HMDに表示されたタイマーがカウントダウンを始める。20秒後には宇宙だ。
『5、4、3、2、1、射出!』
そのアナウンスと共に、次々とカタパルトから機体が射出されていく。
ナイル級のカタパルトは、艦の左右両舷に二本ずつの計4本があり、これらが1秒ずつのズレで機体を射出していくのだ。機体を射出したカタパルトはすぐに次機の射出準備を開始し、4秒後に射出を行う。
ジョセフの目の前にセットされていたマックスの機体が加速され、射出されていく。
すぐにカタパルトのセットアームがジョセフの機体を射出開始位置に移動させ、セッティングする。
電磁カタパルトの出力が上がり、加速が開始される。
機体の重力制御のおかげで射出のGは殆ど感じないほどに軽減されているが、じんわりとシートに押し付けられる感触を受ける。
視界の左右を流れる艦の外壁が速度を増し、高速で流れ去っていく光景が、かなりの加速をしているのだと実感する。2秒と経たない内に、ジョセフは虚空の中にいた。
音も、光も、空気も、人間が生存出来ないこの空間が、ジョセフは好きだった。
たとえ一瞬であろうとも、無になることが出来るからだ。
このときだけは、全てを忘れ、安らぎを得ることが出来るような気がしていた。
が、そんな時間は早々に終わりを告げてしまう。
『リードから各機、スワン隊形で集合せよ』
と分隊用の通信チャンネルで指示が来る。
通信チャンネルには、分隊用、小隊用の2種類があり、基本は分隊用のチャンネルを使う。
小隊用チャンネルは小隊長から全体への伝達くらいでしか用いられない。
スワン隊形は編隊飛行の隊形のひとつで、白鳥のようにフォーメーションを組む。
1番機と2番機が縦に並び、2番機を頂点として3から6番機が三角形に隊列を組む隊形だ。
「ツー、ウィルコ」
と返答し、1番機の現在位置を確認する。データリンクで確認すると、ジョセフ機の2.5km前方、やや右斜め上の位置で同方向に航行していた。
左手のスロットルレバーを少し捻り、速度を10%程増速させる。
右手の操縦桿を傾け、右にややロールしながらピッチアップをする。
マックス機の航行ベクトルに自機を合わせ、機体姿勢を戻す。
HMD上のマックス機の表示が、徐々に近づいてくる。
1km、500m、200mと近付き、100mの地点で速度を同調させる。
大気圏内よりも速度の速い宇宙空間では、編隊の各機間の距離も広く空けるからだ。
「ツー、位置に着いた」
と、編隊位置への遷移を報告する。
「イクシズ、機間を維持せよ」
『Yes Sir,Formation point holding mode』
イクシズに1番機との位置関係の保持を指示し、周囲を見回す。
左を見ると、青く輝くアルシャディールの姿が見えた
その輝きは、漆黒の闇の中に浮かぶ青い宝石そのものだった。
『見てるか?青いな』
とマックスが言った。
「ああ、見てるよ。綺麗だ、とても」
と告げた。この青い星を、戦火に染めない。
それが俺達の使命だ。
心にそう刻み付ける光景が、目の前に広がっていた。
『スリー、位置に着いた』
『フォー、同じく』
『ファイブ、こちらもOKだ』
『シックス、こちらも位置に着いた』
と、分隊員からの報告が来る。
『リードから各機、隊形集合確認、後続隊の集合完了までこのまま旋回待機する。指示を待て』
「ツー、ウィルコ」
アルシャディールから視線を戻し、編隊各機を見渡した。
漆黒の闇を舞う銀翼の群れは、星からの光を受けて、輝いていた。