-第19章 エースの軌跡 The Trajectory of Aces-
西暦2220年5月22日
惑星「フロラーナ」極周回高軌道帯戦闘宙域
地表から1万8000km
「In sight!. Fire.(捉えた!。機関砲発射)」
視界には、宙を駆ける敵機と、それを追いかけて滑るレティクルがあった。
HMDのVTGDは6.5Gを示し、Y軸旋回によって迎角指示器は目まぐるしく視界を踊る。
レティクルの中心・ピパーが敵機に重なった刹那、トリガーを一瞬だけ引き絞る。
その瞬間、獣のような唸りを上げて、機関砲が発射される。
発射された弾丸は、10発に1発の割合で仕込まれた曳光弾による軌跡を形作り、敵機に吸い込まれるようにして飛んでいく。
僅か一瞬。1秒にも満たない射撃だが、100発を超える弾丸が発射され、烈火のごとく襲いかかる。
大量の弾丸を浴びた敵機は大きく爆ぜ、その勢いのまま漂い始めた。
幾度となく見たその光景は、いつ見ても慣れ親しむものではない。
宇宙を舞台にした命の駆け引き。
一瞬の油断と、判断の誤りが自らの命を奪いに襲い掛かってくるのだ。
「Bandit shoot down.Request order.(敵機撃墜。指示を乞う)」
『Grim to Ares 3,Bandit 2, Vector 2-4-0.Decent 3-0.Distance 3.0.(グリムからアレス3、敵機2、方位2-4-0。3-0に降下せよ。距離3マイル)』
「Ares 3,Copy.(アレス3、了解)」
グリムから指示を受け、敵機の方位に機首を向けるべく操縦桿を右に倒した。
機体は素早く反応し、翼を右に傾ける。
左後方に目をやると、トリガーの機体も翼を傾け、追従してきている。
エレメントという2機で構成される編隊は、戦闘機編隊の最小戦闘単位だ。
攻撃を担当するリードと、それを援護し背後を守るウィングマン。
お互いに信頼しあったパイロット同士が組むエレメントは、殆ど乱れることが無い。
阿吽の呼吸によって、細かな指示など無くともお互いの思考を共有し、ウィングマンはリードに追従する。
『Rader contact. Bandit 2,Identification is Fighter.(レーダー探知。敵機2、識別は戦闘機)』
「Ares 3,Copy.Tallyho.(アレス3、了解。敵機視認した)」
僚機であるトリガーが、敵機を識別する。
戦闘機の2機編隊。既に戦闘が開始されてから10分以上が経過し、敵の航空機群と味方の航空機群が入り乱れた乱戦になりつつある。
レーダー上の光点だった敵機も、見る見る内に距離が詰まり、1マイル以内に近付いていた。
こちらのやや下方を通り抜けるようなルートだ。
「トリガー、お前は左をやれ」
『Wilco(了解)』
「Ares 3 Engage.(アレス3交戦)」
『Ares 4 Engage.(アレス4交戦)』
交戦を告げるコールをした後、操縦桿を大きく傾け、右ロール。
背面飛行に映ると、HMDに映る敵機のアイコンを視野に入れ、そちらに向けてピッチアップ。
射撃モードに機関砲を選択し、敵機のアイコンにレティクルを重ねる。
敵機もこちらに気付いたのか、ピッチアップをして応戦の構えに移るも、主導権を逸した敵機に、反撃の機会は無かった。
レティクルに収まった敵機を注視しながら、トリガーを引き絞る。
「Ares 3,Fire.(アレス3、機関砲発射)」
『Ares 4,Fire.(アレス4、機関砲発射)』
Fireは、機関砲の発射コールだ。
自機が何を発射して攻撃したのか周囲に伝達する為の符丁で、4種類のコールが存在する。
Fireは、機関砲による射撃を示すコール。
Fox1は、パッシブ誘導方式のミサイル発射を示すコール。
Fox2は、アクティブ誘導方式のミサイル発射を示すコール。
Fox3は、機関砲を除く無誘導方式の兵装発射を示すコールだ。
ピッチアップしつつあった敵機は、その弾丸を背中に受ける。
迸った火流は、敵機に襲い掛かり弾け飛ばす。
火線を一身に受け、大きく爆ぜた敵機だったが、ピッチアップの勢いは消しきれず、
こちらへ衝突するコースへ乗った。
反射的に、右へブレイクし、ひらりと躱す。
「Ares 3 To Grim.Bandit shoot down. Request order.(アレス3からグリムへ。敵機撃墜。指示を乞う)」
『Grim To Ares 3.Info standby ….Bandit 4,vector 3-3-0,Climb 4-0,Distance 4.6.(グリムよりアレス3へ、待ってください…。敵機4、方位3-3-0、4-0に上昇、距離4.6マイル)』
「Ares 3,Roger.(アレス3、了解)」
絶え間なく下される迎撃指示に対して、機械のように体が動く。
操縦桿を左に倒し、緩旋回。
左上方をねじれ方向に航過しようとしていた敵編隊のスラスターが、一瞬だが煌めくのが見えた。
「Ares 3,Tallyho.(アレス3、敵機視認した)」
『Ares 4,Copy.(アレス4、了解)』
敵機もこちらに気付いていたのか、旋回機動に入っている。
お互い、機首を向け合い正対する位置取り。
『Saber Caution.Head On.(セイバー警告。ヘッドオン)』
トリガーから、ヘッドオンになると警告が入る。
ヘッドオンとは、敵機と正面から向き合っている状態の事を指す言葉だ。
敵からの反撃を最も受けやすいが、こちらも火力を集中しやすいハイリスクハイリターンの位置取りだ。
反射的に牽制にかかると、敵機の鼻先に照準を向け、機関砲を発射する。
直後に操縦桿を倒し、ややピッチアップをするとバレルロールに入る。
ぐるりと一回転する視界の中で、敵が放った機関砲の火線が頭上を流れていくのが見えた。
その直後、敵機も後を追うように通り過ぎていく。一瞬のすれ違いだが、そのわずかなタイミングにも駆け引きが存在する。
バレルロールの機動から後ろを振り返ると、敵機は2機ずつの編隊に分かれ、ロールに入ろうとしているようだ。
一瞬見えたその機影とロール方向からすると、シャンデル機動とスライスバック機動だろう。
シャンデルは、45度バンクから斜め上方に宙返りし、ハーフループする機動で、
スライスバックはその真逆、135度バンクから斜め下方に宙返りするハーフループ機動だ。
右に分かれた敵機がスライスバック、左に分かれた敵機はシャンデルに移っていた。
どうやら、上下からこちらを挟み込むよう腹積もりらしい。
『どちらから行く?』
「右だ」
『Roger.(了解)』
バレルロールの回転する勢いを殺さず、そのままスプリットSに移る。
スライスバックは、斜め下にループするが故に降下高度が小さいのが特徴だ。
スプリットSは、完全背面からのループなので、降下高度が大きくなる。
少し遅れてループを始めたこちらだったが、降下高度の差によって敵機の下に潜る事が出来た。
死角となる下から突き上げるように敵機を見上げ、ループからの勢いのままピッチアップする。
反応がやや遅れたのか、敵機がロールを終える頃には照準が済んでいた。
「Fire.(機関砲発射)」
そのタイミングを見逃さず、トリガーを引き絞る。
一秒にも満たない航過射撃。だが、高レートの機関砲から発射される弾数は、
それでも十分過ぎるほどの火力を有している。
一機に射撃後、着弾を視認する前にラダーを踏み込み、機を滑らせてもう一機を照準に入れ、
再びトリガーを引き絞る。
砲弾は、ロールを終えて背面に移った敵機に突き刺さり、瞬く間にその身を散らす。
爆ぜる敵機を横目に高速で通り抜け、ズーム上昇。
その刹那、トリガーの警告が耳に響いた。
『正面敵機!急速接近!』
「ブレイク!」
反射的に操縦桿を右に倒し大きく引き付けると、視界は機敏に反応し、ぐるりと回る。
対して、トリガーは左方向にブレイクを切った。
敵機は2機でこちらと同数になったが、こちらの攻撃直後にタイミングを合わせて仕掛けてきている為、
反撃よりもまず防戦を優先しなければならない。
トニーの脳裏には、お互いにブレイクを掛けた後、敵機が分散したらシザースで反撃、
どちらかに食い付いたらデコイ戦術で反撃するプランが出来あがっていた。
「さあ、どっちに食い付く?」
そう呟いた直後、心に思った事が素直に口を通して出ている事に気付き、笑みがこぼれる。
命の駆け引きに身を置き続けた結果、トニーはこの状況さえも楽しむようになってしまったらしい。
首を目一杯捻って振り返り、後ろの敵機を視界に入れ続けていると、2機がそれぞれ分かれる機動を取っていく。
1機は、トリガーを追って右旋回。
もう1機は、トニーを追って左旋回を取った。
シザース機動に持ち込み、オーバーシュートさせる。
体に刻み込まれた経験則で、考えるより前に体が反射で動き始め、敵機と逆の右方向に操縦桿を捻る。
「Ares 3 to Grim.Check Reinforcement.(アレス3よりグリム。増援は無いか)」
『Grim to Ares 3.No.(グリムよりアレス3。無い)』
「Roger.(了解)」
グリムに外野からの邪魔が入らないか確認しつつ、敵機がシザースに嵌り、右旋回を始めた頃を見計らってすかさず左旋回に放り込む。
同時にスロットルをやや絞り、敵機を前方に押し出す為に減速を始める。
急な旋回方向の変化に、敵機が慌てたようにぐらりと揺れ、遅れて追従してくるのが見える。
1回、2回、3回と旋回方向を変え、小さく鋭く飛び続け、6回目の事だった。
トニーの旋回を追いきれなくなった敵機が、トニーの眼前を横切るように追い越し、無防備な背中を曝け出す。形成逆転だ。
そこから、敵機の方へ旋回し、今度は背後を付け狙う。
さらに3回ほどの旋回を経た頃、
その僅かなチャンスを見逃さず、トリガーを引き絞る。
「Fire.(機関砲発射)」
再び火を噴いた機関砲は、容赦なく砲弾を吐き出していく。
砲弾の雨は敵機を舐めるように横切り火花を散らすと、瞬く間に爆ぜていく。
煙を噴きながら、漂い始める敵機を視線で追うと、コントロールを失ってスピンし始めるのが見えた。
トニーは撃墜を確認し、スロットルを押し上げた。
機体は加速を始め、失った速度を急速に取り戻し始める。
「トリガー、そっちはどうだ」
『もう少し。あと60』
「了解」
レーダーのデータリンク画面を見ると、トリガーと絡み合っている交点が丁度消えたタイミングだった。
「ナイスキル」
『レーダークリアだ』
もう一つのレーダー交点、トリガーの機体はトニーの右側2マイル後方を示している。
再度エレメントを組みなおす為、トリガーが近付きやすい右旋回に遷移する。
周囲を見回していると、緩やかにトリガーが近付いてくるのが見えた。
流れるような機動で、しなやかに翼を振るその操縦は、相変わらず無駄が無い。
トリガーの操縦は、ウィングマンとして最適な軌跡を描く。
それは、一長一短で成せる技ではない。
「損傷はないか?」
『そっちこそ、食らってないだろうな?』
「当たり前だろ」
『だろうな』
命の駆け引きを先ほどまでやっていたとは思えない程の軽口が、自然と交わされる。
そういったやり取りをする程の信頼関係がある証でもある。
軽口を交わしながら、敵の撃墜報告をグリム宛てに発信しようとしたその時だった。
『Grim to all planes.Emergency.(グリムより全機。緊急事態)』
若干焦っているかのようなグリムの声に、心がざわつく。
彼ら管制官は戦場を俯瞰し、戦局を見極めながら最適な指示を出すことで部隊の戦力を最大化するのが使命だ。
その任務故、情報を持たない通信は滅多に行わない。
特に、状況伝達の無いエマージェンシーコールのみというのは非常に珍しい。
考えられるのは、詳細な状況伝達よりも緊急度の伝達を優先するべき事象が起きたということ。
「Ares 3 to Grim.What's wrong.(アレス3よりグリム。どうした)」
『Bandit 1.Already 12 ally planes down.It's high speed!.(敵機1。既に12機撃墜された。速い!)』
ざわつきの正体は、グリムの悲痛な報告が明らかにしてくれた。
味方機12機を撃墜する敵機の出現。
その事実が、どれほど衝撃的なのかをトニーは知っていた。
統合連邦の戦闘機と、アルテリアンの戦闘機とのキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は、おおよそ4:1であり、単機での戦闘能力は統合連邦軍側に分がある。
性能の統合連邦軍、数のアルテリアンというような図式で、航空戦では数的劣勢による敗北が多い。
トニーが知る限り、アルテリアンの戦闘機が連続で12機を撃墜した事例など1つも無い。
グリムの報告が事実なら、考えられるのは新型機が出現して、性能か力量が今までとは桁違いに高いという可能性だ。そんな敵機を放置すれば、より被害が拡大する。
迷っている暇など無かった。そして、トニーにとって決断を躊躇う理由も無かった。
未知の新型を、この手で落とす。
エースの出した結論は、これほどまでになくシンプルだった。
「Ares 3 to Grim.I'll be there.Count on me.(アレス3よりグリム。俺が行く。任せろ)」
『Roger,Ares 3.I will count on you.Vector 0-8-0.Climb 7-0.Distance 1-6.4.(了解、アレス3。任せる。方位0-8-0、7-0に上昇、距離16.4マイル)』
「Wilco(了解)」
「トリガー、敵機とのマージ(交戦)前に離れろ。周りから茶々入れさせないでくれ」
『分かった。必要なら呼べよ?』
「ああ」
短いが、お互いにとって充分過ぎる程の言葉を交わし、トニー達のエレメントは左へと翼を振った。
軌跡は鋭く、力強く、まだ見ぬ敵との戦いへ向いていた。