-第11章 出撃前夜 Eve Sortie-
西暦2220年5月19日
惑星「アルシャディール」
統合連邦海軍 フラクール基地 第四埠頭 バースBR5
第2艦隊旗艦 エベレスト級戦艦4番艦「ローツェ」 司令官室
コトンという軽く小さな音が聞こえる。
その音を挟んで、男が二人向き合っていた。
「う~む、そう来ましたか」
「さて、君はどう出るかな?」
「では、こちらで」
「ほう、そう来るか」
またしてもコトン、コトンという音が聞こえる。
それは、彼ら自身が生みだしている音だった。
「なら、これはどうかな?」
「これはまた、いきなり突拍子も無い手を」
お互いに相手の一手一手に反応を示しながらゲームは進む。
白と黒が織りなす幾何学模様の盤の上を駒が駆け、頭の中では互いに先を読み合う頭脳戦。
木材を模した合成構造材の壁に囲まれた部屋で、二人は静かだが熱い戦いを続けていた。
「司令、今更ですが、何故私とチェスを?」
「アンドリュー、司令は堅苦しくて嫌いだ。ケニスでいい」
柔らかな声でそう言うと、ケニスは口に咥えたパイプをぷかりと吹かす。
穏やかな印象を抱かせる声ではあるが、彼の容姿はその声とは似つかわしくない。
力強い印象を放つ眼は、右目しか開けられておらず、左目には眉から頬にかかる程の大きな傷跡がある。
また、右腕は二の腕から先が機械式の義手と化しており、叩き上げのベテランだと言う事を物語る。
しかし、威圧感を感じるかというとそうでも無く、やはり声と同じように穏やかな空気を纏っている。
「分かりました。では、ケニス。何故私とチェスを?」
「君は、チェスというゲームをどう捉える?」
「チェスというゲーム、ですか?」
「そうだ。このゲームをどう捉えているかだ」
「難しい問いですね。チェスは、士官学校でも盛んに奨励されているボードゲームですし、戦略性を問われるゲームですから、指揮官としての自らの力量を伸ばすのに有効なツールでしょうか」
「確かに、外れでは無い答えだ」
そう答えながら、ケニスはナイトを動かし、アンドリューのポーンを取った。
アンドリューはナイトが動いて開けた道に向けてビショップを滑り込ませ、左上のルークを取った。
これにケニスは再びパイプを吹かし、軽く唸った。
ポーンを取った代償にルークを失うのは大きな痛手だ。
ゲームを開始してからなかなか隙を見せなかったケニスだったが、アンドリューとの会話で気が逸れたのか、ようやく隙らしい隙が見えた。
「外れでは無い。ということは、当たりでも無いと?」
「結論から言ってしまえばこの問いに正解というものは無い」
「それでは何の為の質問なんです?」
「君という人間を深く知る為の問いだ。私はチェスというものに多くの可能性を感じるんだよ」
「可能性・・・ですか?」
「そう、可能性だ。君は自らの力量を伸ばす為のツールだと言った。それもまた正しいだろう」
「ケニスにとってはそうではないと?」
「そうだな。私にとってチェスとは、癒しであり、コミュニケーションツールであり、試練でもある」
「なにやら哲学的な香りがする話ですね」
「古来より、多くの者がチェスを芸術だと評す。盤の上で繰り広げられる攻防は、観る者を虜にする空気を放ち、その世界へと誘う芸術なのだと。私は、それを肌で感じる時がある」
「それが癒しですか」
「そうだ。時を忘れさせる程に観る者を魅了させる。そんな魅力をチェスは持っている」
そう答えてまたパイプをぷかりと吹かす。
ケニスは思いの外、ヘビースモーカーのようだ。
そんな事を思っていると、クイーンが一気に切りこんで来て、ビショップが狩られる。
今まで守りのスタイルだっただけに、この唐突な攻めは予期していなかった。
ふとケニスの顔を見ると、パイプを咥えた口角の端が僅かにニヤリと動いた気がした。
その微かにこぼれた笑みに嫌な予感がする。
「コミュニケーションツールというのは?」
「こうして盤を挟み、お互いに真剣にぶつかり合う。言葉ではなくその思考で語る。それがチェスだ。
それは時に、言葉以上の繋がりを育む。騎士道精神に則り、お互いの本質で対話をするからこそ、見えてくるものがある。私にとってチェスは、相手を理解する為のツールともなる」
「なるほど。なんとなく分かるような気がします。では、試練でもあるというのは?」
「かつて、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが語った言葉にこんなものがある。『孤独なとき、自分が世界の中で部外者と感じる時、チェスをしなさい。チェスは精神を高揚させ、戦争の助言役になるでしょう』。私はこの言葉が試練を表した言葉だと思っている」
「試練を表した言葉、ですか」
「そうだ。我々指揮官は、時に敵にならねばならない。部下を死なせる事になろうとも、大きな犠牲を払う事になろうとも、全体の勝利に繋がるものであるならば、血を流す決断を下し、命じなければならない。どれほど非情な決断であろうともだ。戦場で下す決断は、その場の緊迫した状況で出せるかも知れない。だが机上で下す決断は、よほどの勇気と度胸が無ければ難しいだろう。火急のもので無い限り、今編み出した決断が最良であるかどうか判断する時間は多分にある。人とは弱い物で、どうしても重い決断に直面した時は逃げの一手を打ってしまう。そうなれば、下の者達は困惑し、乱れるだろう。指揮官として、堂々たる威厳を保ち、部下を鼓舞する存在であり続ける為には、強靭な精神力が必要だ。そんなとき、チェスによって、自らを奮い立たせる。私は、そうやって幾度もの重い決断を下してきた」
「なるほど、己と向き合う為の試練としてチェスを用いる、ですか」
「そういうことだ」
「深いですね。そういう発想は無かった」
ケニスの駒は再び守勢に入り、なかなか攻め辛い形になった。
先程の攻めでビショップを奪われたのが手痛い。
守りを固めた敵を突破するのは、容易な事ではない。
それなりの犠牲を払う必要がある。
「これは私の見解だ。ただの娯楽と捉えるか、他の何かと捉えるかは個人の自由だがね」
「いえ、勉強になります。それでケニス。最初の質問の答えは?」
「最初の?ああ、何故君とこうしてチェスをしているのか?という問いか」
「そうです」
「君の事だ。どうせもう気付いているのだろう?」
「さて、どうでしょうね」
「全く、とぼけるのが上手い奴だな」
「嘘も方便と言うでしょう」
そういって二人で笑い合う。
ケニスの言う通り、アンドリューは理由にもう気付いていた。
ケニスはチェスをコミュニケーションツールと評し、指した相手の人となりが分かると言った。
要はチェスを通してアンドリューをより知ろうとしたのだろう。
だからこそ、わざわざ艦隊旗艦の自室にアンドリューを呼び寄せたのだ。
「確かに、嘘を上手に付ける人間程、人の上に立つのに向いている」
「それは誰かの言葉ですか?」
「いや、私の持論だよ。人の上に立つ者は、常に多くの期待と責任を背負っている。馬鹿正直な者ではすぐに潰れるさ。一番向いているのは、適度に上手い嘘が付ける人間だ」
「なるほど、それは経験則で?」
「まあな、私ももう退役間近。今までいろんな人間を見てきたからな」
「退役間近でこんな大仕事を背負わされるというのも、大変ですね」
「まったくだな。もう少しで隠居生活かと思っていたのだが、こんな大仕事が舞い込むとは思いもしなかった」
「我々には、優秀な指揮官が必要ですから」
「お世辞はよしてくれ。私は自らを優秀だと評した事は無いし、評される価値も無いと思ってる。私はただの老いぼれの艦艇乗りだよ」
「いや、あなたは優秀です。この白銀の艦にのる誰もが、そう思っているでしょう。みんなが期待していますよ」
「なら、明日からの作戦で、私はその期待に応えるとしよう。艦艇乗りの魂と意地にかけて、彼らを地表まで送り届けようじゃないか」
「そう言ってもらえると心強い。よろしくお願いします」
そういって、アンドリューは頭を下げた。
指揮官として、任務だからやって当然という想いは持ってはならない。
人は誰しも、自らの危機には敏感だ。
例えそれが自らに課せられた使命であっても、命の危機を前にしてやり遂げる覚悟と精神性は並大抵の事ではない。それが分かっているからこそ、指揮官は部下を鼓舞し続ける。
命の危機を前にして、自らの使命に向き合わせ続ける勇気と覚悟をもたらすこと。
受け止めきれない重圧を、共に分かち、背負うこと。
軍という組織において、指揮官が担う役割は作戦を生み出す頭脳としての役割だけではない。
部下に向き合い、部下を支え、部下の不安を取り除く。
そして前へと進み続けられるようにする。
そうした精神的支柱としての役割が指揮官にはある。
ケニスにその点を心配する必要は無いだろう。
彼と短時間でも触れ、彼を知ったことで、アンドリューの不安は消え去った。
同じ指揮官として、艦隊を統べる彼もまた、それを理解していると分かったから。
「さて、チェックだ」
「はい?」
「チェックだ」
唐突にされたチェックの宣言。
よく見ると、ケニスのビショップがアンドリューのキングにチェックをかけていた。
ケニスの守勢を崩すため、多くの駒を前へと進めて守りが薄くなった所を突かれたらしい。
慌ててキングを動かし、ビショップの動線から外す。
それに対してケニスはクイーンを動かし、またしてもこう告げる。
「チェック」
いつの間にか、連続でチェックをかけられる状態が構築されていた。
慌ててチェックを外しにビショップでクイーンを取る。
しかし、食い込ませた牙をそうやすやすと離してはくれず、またしても同じ言葉がコールされる。
「チェック」
せめてもの抵抗として足掻いてはみるものの、結局状況を好転させる事は出来ず、
最後の言葉がコールされる。
「チェックメイト」
「いや驚いた、まんまと嵌められましたよケニス。お強いですね」
「私こそ驚いたさ。戦場の奇術師の名に相応しい戦いぶりを見れるかと思いきや、こうも簡単に終わってしまうとは思いもしなかった」
「お恥ずかしい限りです。子供の頃からボードゲームはどうも苦手で」
「そうだったのか。それは考えもしなかったな」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「いや、構わないさ。それより、もう一戦どうだね?」
「お付き合いさせて貰いますよ。今度はもう少し善戦出来るよう努力します」
「負けを覚悟して臨んでは駄目だ。勝負事は負けを思い描いた時点で負けるのだから」
「肝に銘じます。では、こちらも勝気で」
「どこからでもかかって来なさい」
そうして再び部屋の中にコトンという音が聞こえ始めた。