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隣人  作者: 鈴木
本編
99/262

99 余計なお世話

「渋い顔をしているな」


 あからさまに眉間に深い皺を刻み、いつになく子供っぽい、口を極端なへの字の形に折り曲げて会場を睨みつけるカナンを見下ろし、アウレリウスは愉快と呆れと苦笑と、他にも様々に感情の入り混じる複雑な表情を作った。


「アウルさんは特殊なので気になりませんけど、負の感情と共に形成された価値観はそうそう覆りません」

「だが、礼龍(らいりゅう)は?」

「あの子は人じゃないので。ええ、身贔屓の自覚はあります。でも、泥酔しても色々な意味で悪さをする子じゃないのでそういう点でも無問題です」


 絡み上戸、泣き上戸、笑い上戸、暴言、暴力、破壊、徘徊、路上熟睡、失禁、嘔吐三昧エトセトラ、そうした周囲を煩わせる醜態を何一つとして礼龍はしない。ただ、全身を仄赤く染めて気持ち良さそうにたゆたうだけだ(アウレリウス相手に口が軽くなったことが一回だけあったが、後にも先にもその一回だけだ)。


「なるほど」


 カナンより遙かに短いつき合いでも、今となってはカナン以上に酔った礼龍を知る飲み仲間のアウレリウスは、彼女が引き合いに出した酔龍の様子を思い浮かべたのか、当人の代わりにその主であるカナンへ慈眼を向けた。




 広場を囲う建物の中で最も高い屋根の上から二人が眺め下ろしているのは即席ビアガーデン―――ではなく、酒を飲み比べるイベントだ(味の比較ではなく酒量を競う方の飲み比べである)。

 参加者は男限定で、既に開始から数時間が経過しており、すっかり広場は出来上がった(たち)の悪い酔っ払いの巣窟に成り果てている。

 椅子に座ったまま爆睡している者や立ち上がって感情を爆発させ奇声を発している者、頭を掻き毟る・皮膚を引っ掻くなどの自傷行為をしている者、仰のいて号泣している者はまだいい。

 テーブルの上下や通路に嘔吐している者、所定の位置を離れて観客に殴り掛かったり、抱き着く・撫で回す・舐める・揉むなどのセクハラをしている者、所構わず用を足してアンモニア臭を一帯に飛散させている者、木製の椅子を叩き割ったりテーブルを引っ繰り返してまだジョッキに残っていた酒をまき散らしている者、服を脱いで全裸になりテーブルの上で腰を振っている者。

 つい先程カナンが礼龍の行儀良さの対比で思い浮かべた悪行の悉くを網羅している(流石に全裸はやらない以前に礼龍は服を着ていない)。

 櫓の上で見物している主催者への暴行は兵士に止められていたが、まともな理性を保持して飲み続けている者など数える程しかいない。


 急性アルコール中毒を起こして倒れている者がいないのは幸いなのか。幸いなのだろうが、しらっとした目でしか見られないカナンは素直に良かったね、とも思えなかった。

 地球の某国には、中世期の農村において酔っ払いが鎌で飲み仲間を刺し殺しただの、通りすがりの人間に因縁つけて頭を斧でかち割っただの、唐突に理由もなく後ろをたまたま歩いていた人間に矢を向け、止めに入った飲み仲間を射殺しただのの凄惨な事例がさして珍しくもないかの如くしれっと検視官の記録に残されているらしいが、それらに比べれば眼下の醜態など可愛いものだ―――と思えるわけもない。

 極端な例が基準になる筈もない。


 飲まれているのは故郷の中世期に西欧で常飲されていた、ホップを使わないタイプのエールに似た酒が主体らしいが(アルコール度数が同一かは調べてない)、酒の種類など更にどうでもいい。


 カナンの渋面の訳は今更である。


 酒飲みに対するマイナス感情は、仮令(たとえ)アウレリウスという大酒飲みに親しもうと依然として変わらない。そもそもこの男はついぞ酔っ払った例しがない。



 余談だが、ワインやビールの飲み比べが西欧で過去に行われていたかどうか、カナンは知らない。日本酒の飲み比べは平安時代からあったと聞いたことがあるものの、その話を振った人物もヨーロッパ事情までは調べ切れなかったらしく詳細を知らず、さりとて、わざわざ自力で探したくなる程の興味もカナンは持てなかった為、眼下の狂騒を目の当たりにするまですっかり忘れていた。

 かつてアルコール度数の高い酒は特権階級のみが消費するものであり、醜態を晒す類いの酔っ払いが表だって取り沙汰されるようになったのは、高度数の酒が庶民でも手の届くようになった近代に入ってからのことだという話もあるが、飲み比べ同様、自主的に酒に纏わる知識に触れようと思わないカナンは、雑談で語られることのなかったそれも当然ながら知らない。故に眼下で酔っ払いが量産されている状況が社会構造的?文化的?に正しいか正しくないかを一々気にしたりもしない。

 もし地球での頽廃的な酔っ払いの(俗世間における)出現時期がいつ頃であったかをカナンが知っていたとしても、ここは異世界で、欧米人に似た外見をしているだけの、中身は全くの別種族の彼らが地球人と同じ原理で酒に酔うとも限らず、結局は地球基準の考証などどうでもいいと流しただろうが。

 視界内(そこ)に質の悪い酔っ払いがいる、その事実以外は些末事ですらない。







「この混沌っぷりはさておいて、特に干渉を要する問題があるようにも思えないのですが。今回もまた事故ですか」


 そうであれば直ちに立ち去る、と脳裏で魔法の準備をしつつカナンは男に確認する。カナンとアウレリウスの二人を絶対的に必要とする事態など未だかつて一度もなかったことを思えば、大概において両者揃っている時は一方が事故か両方が事故だ(さもなければ二人もいらない小事に気紛れや悪戯で揃って送り込まれるか。そんなものは事故も同然だ)。


「まだ何とも言えんが…………まあ、最近、禁域はいらん世話をする嫌いがあるからな。どちらもが故意の可能性もあるが、何かをさせる為とは限らん」


 単純に肯定か否定が与えられるものとカナンは予測しての問いだったのだが、意外にもアウレリウスはよく分からない答えを返してきた。

 これ見よがしに眉間に皺を寄せ続けるのも疲れてきたカナンは、素の平静な表情に戻って男を見上げた。その頭上に疑問符を浮かべ、首を傾げる。


「いらん世話、ですか?」


 いらない世話――それは実情はどうあれ、表面的には善意に起因する行動ではなかったか。

 対極、とまでは言わないが、今一つ禁域と合致しない心理である。如何せん悪戯好きのイメージが強過ぎる。いや、ありがたい心遣いとはならず、ありがた迷惑扱いされている時点で寧ろらしいのか?

 そういえば、以前にも、霊獣のチェスヴルタオランラ絡みで余計な世話らしきことをしていた(かもしれない)、とカナンは思い出す。あれと同じような意図かと男へ問えば違うと即座に否定された。


「俺がそう解釈しているだけで、禁域(れんちゅう)は深く考えていない、その場の思いつきかもしれんが」

「はあ……」


 男の歯切れの悪さに益々不可解な表情になるカナンだったが、詳細を語る気はないらしく、アウレリウスは苦笑して一時(いっとき)口を噤んだ。






 酒の飲み比べは尚も続き、最終的に痩せた若い男と壮年手前辺りの巨漢との一騎打ちになった。

 勝負は五分。飲む速度は開始直後に比べれば衰えているが、示し合わせているのでもないだろうに、双方ペースダウンの程度が殆ど同じの為に中々差がつかない。


「…………実は主催者企図の出来レースで、打ち合わせているってわけじゃないですよね……」


 終わりの見えなさに飽いてきたのか、惰性で眼下を見続けていたカナンは、男に聞くことではないことも、捻くれた見方であることも分かっていてそう猜疑を零した。


「今期の酒の出来が期待以上だったことに気を良くした領主が、出来の悪い酒の処分に放出した催しらしいからな、それはないだろう。参加しているのは庶民ばかりで、勝利に細工する程の価値がない。優勝したところで領主ではない、参加者の自尊心が満たされるだけで得るものもない」


 城のエールは通常、召し使い達の飲料だというが、この町の領主はワインを常飲する一方でエールも好んで痛飲しているらしい。


「賞品とか賞金はなしですか。有形無形どちらも」

「ないな。参加した連中の目的は(しつ)の良い酒のただ飲みだ」

「質が良い、ですか? ついさっき出来の悪い酒って……」

「領主にとっては、だ。それでも庶民が日常的に水代わりとして飲んでいる物に比べれば格段に良質だ」

「そういうものですか」


 興味なさげに素っ気ない返しをしたカナンは、ふと思いついてアウレリウスを見上げた。


「アウルさんにとっては……?」


 色々言葉が足りないが、アウレリウスにはそれだけで何を訊かれたのか分かったようで、軽く肩を竦めて吐息をついた。


「若い頃に一度飲んだが、二度と飲みたくはないな」

「領主が出来が良いというお酒もですか?」

「俺の言うのはそっちだ。出来の悪い酒も水代わりもどっちも飲んでいない。それ以上の質だという酒が口に合わなかったんだ、それ以下と最初から分かっている悪酒なんぞ、好奇心にも飲みたいとは思わん」

「アウルさんの若い頃からだと、今のものはそれなりに品質も改良とか向上とかされていそうですけど」

「解析すれば一発だろう?」

「それはまあ……」

「前にも言ったが、妖精郷や禁域の酒に慣れた俺には辜負(こふ)族の酒は飲めたものじゃない」

「……あー……そういえばそんなことを言ってましたっけ……」


 [ホーム]の酒の質を評する際にアウレリウスが引き合いに出していた、辜負族製と妖精郷・禁域製の間に厳然と横たわる越えられない壁――その差。

 口頭で味の違いを訴えられても実感出来る筈もなく、興味もないカナンでは実際に飲み比べてみても善し悪しが分かるわけもない、と覚えていてもしょうがないこととしてすっかり忘れていた。

 料理で酒は使うが、それは全て家妖精(ブラウニー)が作ったものか礼龍と妖精の合作である日本酒で事足り、わざわざ辜負族の技術(さけ)に頼りたいとも思わないのだから、その質に関心を持たない――味の悪い事実を常日頃忘却しているからと言って困ることは何もない。


 気の抜けた声で悪びれもせず(反省がないのではなく自身に対する呆れが先立って態度に表す優先順位を無意識に間違えた)、男の過去の発言を、当人に指摘されるまで忘れていたというカナンに気分を害するでもなく、アウレリウスはそんなものだろうなと苦笑った。

 酒に絡むカナンの無関心をどうこうしようという気はアウレリウスにはない。本人が稀に零す、過去に何人もの酔っ払いから受けた被害と、ヴルガレスからも赤裸々に語られた泥酔者達の悪辣な所業(そちらはVRゲーム内での出来事に限られ、加害者達はもれなくアカウント削除されている。酔っていたから、を言い訳にさせない厳しさは、リアルで溜まった酔っ払いによる鬱憤を晴らす目的も兼ねたA氏の嗜好だ。現実社会の酔っ払いに対する激甘具合は前世紀から変わらない)を聞くにつけ、仕方がないと納得していた。そこで付随的なマイナス要因を理由に主体である酒に興味を抱かないのは人生損をしている、などと言おうものならカナンに絶対零度の目で見据えられるだろう。アウレリウスとて、そうした価値観の押しつけは、余計なお世話、他人に自分の人生の損得を決められてたまるか、と拒絶する類いの不快事で、それをする者達と同列に成り下がる迂闊はしない。


「それで酒宴――というにはかなり下品ですけど、あれを見ていても熱のない表情をしていたんですね」


 眼下へ向き直ったカナンの視線の先では、漸く限界が近付いてきたのか、巨漢が痩身の男にリードされ始めていた。


「俺はそんなにつまらん顔をしていたか?」


 酒なら何でもかんでも感情を揺さぶられると思われていたのであれば心外だ、と本気で不満を感じているのではないのが見え見えな笑いを口元に刷いてアウレリウスが聞けば、


「至って平常なだけです」


 男の戯れ言と察したカナンも、失言したと後悔や焦燥を見せることなく端的に答えた。


「美味い酒を前にしてもそう極端に変わるとは思わんがな」

「[ホーム]でお酒を飲んでいる時の顔を鏡で見てみます?」

「そこまであからさまか?」

「…………」


 アウレリウスの執拗さに、比較対象を酒以外の事物にまで広げて男の機嫌の変動を思い返したカナンは、あっさりと前言を撤回した。


「………………お酒以外の理由で上機嫌の時とあまり変わりませんね」


 まずい酒と対比すれば歴然だが、美酒を前にした時だけ殊更に浮かれるということもない。アウレリウスの歓喜のツボを正確に把握しているわけではなくとも、カナンが思い出せる範囲で充分、男が機嫌の良さを見せていた状況に酒が絡んでいなかったことはある。


 しかし、別段、美酒を得た時にだけ特別なリアクションをしても良い気がするが、この男に限って、差をつけない理由に、"ばつが悪い" や "子供っぽくて気恥ずかしい" などということがあるだろうか――――ちらりと横目で見上げてきたカナンの物問いたげな目線を、男は片眉を上げただけで何も言わずにいなした。

 彼女の不審を分かっていて、追求するなということなのだろう。

 何が何でも知りたいことでもないのでカナンは直ぐに意識を眼下へ戻した。







 飲み比べの結末は、意外にも壮年前の巨漢の勝利で終わった。

 痩身の男がジョッキ二杯分リードしたところで突然、電化製品が電池切れでも起こしたようにぱったりと昏倒したのだ。

 一旦テーブルに突っ伏した後、ずるずると椅子から滑り落ちてひっくり返った若い男を尻目に、脂肪大半でもないらしい中途半端な巨体の男はゆっくりしたペースでジョッキ二杯半を飲み干して優勝した。


「結局、何もありませんでしたね」


 周囲から沸き起こる歓声に腕を振り上げて応える男は、一見理性を保っているようで、その実真っ赤な顔色をして目の焦点も既に怪しくなっていた。そろそろ最後まで競い合った相手と同じく、こちらも正体をなくして倒れそうだ。

 ただ、どちらも身体的には中毒などの問題もなく、それを見てとってのカナンの嘆息だった。ざっと広場全体を情報収集に特化した系統の魔法全般で探ってみてもやはり注意を引く存在はない。


「まあな。俺達の相互理解の程度が少しばかり確認出来たぐらいか」

「……なんですか、それ」


 酒の飲み比べと何の関係があるのだ、と怪訝な目をカナンが向ければ、


「 "いらん世話" だと言っただろう」


 男はどうしようもない、と何かを諦めたかのような苦笑を浮かべてみせた。


「………………それって、わざわざお膳立てしてもらわなければ出来ないことでしょうか」


 細かく時間を計るのであれば頻繁に、とは言えないかもしれないが、それなりの頻度でアウレリウスは[ホーム]を訪れており、こちら側で意図せずカナンと顔を合わせることもままある。禁域のお節介を必要とする程、アウレリウスと親交を深める機会を持てていないとは思えなかった。

 少なくともカナンにとっては。

 短命なただの人間だった当時と変わらないカナンのその感覚より、悠久不変の存在だろう禁域が随分と気の短い捉え方をしたものだ、との違和感もあった。

 長命・不死の者は時間感覚がおおらかなイメージがあったのだが、認識を改める必要があるのだろうか――そんなことまで自問してしまう。


 眉尻を下げ、何とも言い難い表情で見上げてくるカナンに、男はただ、同じ言葉を繰り返した。


「だから、いらん世話、だ」







覚書

巨漢   ダレサハス・ナッジェヴ

痩身の男 エメナディム・ヌヴァーグド


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