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隣人  作者: 鈴木
本編
94/262

94 禁忌破り

 思惟の森に踏み入らず、境界の直ぐ手前に立って、外周付近に生えている木へ斧を振るう者がいたとする。

 これは果たして、賢いやり方なのだろうか?


 禁域を侵してはいない。その足は禁域の外だ。

 ならば、禁忌に触れない筈?


 ―――そんなわけはない。


 斧が境界を越えている。禁域の "内" にある木に刃を立てているのだから、越えずに出来る筈もない。

 同様に、森の外から腕を伸ばして下生えの薬草などを抜き取るのも不法行為、禁忌を立派に犯している(魔獣カロルレル・クスカのように、自ら境界を越えた存在を外界で狩る場合は許容されることもある。その軽率さに対する戒めとして。但し、食物連鎖の外にある妖精・霊獣はその限りではない)。


 大して考えずとも分かるその程度のことを、屁理屈を捏ねくり回して自己正当化し、堂々と犯しに掛かる最たる者は、やはり学者である。魔法を嗜む者も嗜まない者もいずれにもいる。

 言ってはなんだが、外周の植物はどれであろうと、禁域に限らず外界でも生育している種ばかりで、研究対象として特筆すべき性質はない。精々、外界の同一種と何一つ変わらない、という事実を再確認させられるくらいだ。

 外界でも見られる突然変異を期待しているのかもしれないが、それすらも "同じ" だ。外で起こり得る変異までしか外周の植物には起きない。

 しかし、一から十まで外界種と同じでも、禁域に生育する植物は一つの例外もなく、全て禁忌対象である。つまり、一度きりの人生、スペアのない命を賭けるには割に合わない暴挙である。何しろ、禁域のものに手をつけた直後に逃走を謀ったとしても、死は何処までも追い掛けてくる。魔獣の(あぎと)、精霊の耳目、禁域の霊威が、禁忌破りの不届き者を見逃すことは絶対にない。一息に命を刈り取る深淵が慈悲深く思えるほど、激烈な苦痛を死ぬまで味わわされることもある。






 * * *






 その日、思惟の森の外周に生えていたリザチオムという穀類の一束を引き抜いて持ち去ったのは、農業関連の研究に勤しんでいる中年の男だった。

 そのリザチオムは()(便宜上。厳密にするなら穀物らしく種子とも果実とも言い難い)の粒が標準の倍以上に膨らむ変異を起こしており、食用に適するものであるなら、培養して性質を定着させ、量産に漕ぎ着けたいと男はひと目見た瞬間に切望した。食べられる代物でなかったとしても、実を大きくする研究の助けになるかもしれないと期待した。


 思惟の森の外から手を伸ばした時、男の脳裏に禁忌に触れることに対する畏怖も躊躇も罪悪感もなかった。踏み込んでいないのだから、文句を言われる筋合いはない―――そのぐらいの強気で、強気になることで恐れそうになる自身を鼓舞して、男は罪を犯した。

 禁域の外周付近に腹を満たせるものは存在しないのが常であるのに、この時ばかり、あからさまに配されていた森の意図を訝ることもなく。



 くどくどしく前置きをした通り、このリザチオムも思惟の森にのみ生育している変異体ではない。ただ、男の暮らす町、町の属する国の内には存在せず、他国の情報を詳細に得られる環境下にいない為に、その事実を男が知らないだけだった。

 たとえ知っていたとしても、この変異体が真に有益であれば、他国人である男が実物を入手するまでには煩雑な手続きと長い時間、或いは高度な交渉術を必要とすると自己判断し、結局は同じ行動に出ていたかもしれないが。







 時にこけつまろびつ、疲れ果てても立ち止まることだけはせず、重い足を引き摺りながら漸う自身の居住する町へ帰り着いた男を待っていたのは、実りの時期を迎えていたリザチオムの全てが無残に腐敗してしまったという信じ難い知らせだった。

 この時点ではまだ知る術もないが、男の属する町だけではない。丁度リザチオムの変異体が引き千切られた同時刻、農民達にしてみれば何の前兆(まえぶれ)もなく突然に、国内全てのリザチオムが見る間にどす黒く変色してどろどろに溶け、腐臭を放ちながら大地を腐液塗れにしていた。更には各所の倉庫で備蓄されていた分も全滅である。

 リザチオムのみに限定されている点は思惟の森が酌量したと言えなくもないが、無関係の農民にしてみれば厳重抗議もの、どころかリザチオムしか耕作していない者には絶望しかない。



 禁忌破りの犯人捜しは直ぐにも行われた。

 こうした "人災" に慣れているというのも実に嫌な話で、何が起こったのかを直ぐに察せる程度には辜負(こふ)族は禁忌破りを繰り返してきた。


 リザチオムの変異体を森から盗んだ男も早々に官憲に捕縛されるに至ったが、定番の斬首が即座に実行されることはなかった。

 牢へ入れられる前、兵舎の裏庭を過ぎる途中で、男は全身の皮膚にリザチオムの膨張した大小様々な実が無数に張りつくという、見るも悍ましい姿に成り果てた。しかも両足はリザチオムの根に変化(へんげ)して地中深く生え伸び、首はリザチオム同様に溶けて流れた。そして首のあった場所からはリザチオムの穂先が突き出してきたのだ。これは何度刈り取っても瞬く間に再生し、薄気味悪いことには、その度に男の呻き声が体の何処とも知れない場所から聞こえてくるのである。


 持て余した憲兵達はとりあえず男だったものを板で囲って視界から排除した。しかし忌まわしい呻き声が止むことはなく、魔術師に依頼してその上に分厚い土壁を構築させても完全に封じ込めることは出来なかった。


 禁域が禁忌を犯した者の即死を望まない場合、辜負族にはもはや打つ手がない。禁域の価値観を理解しない、共有出来ない彼らでは、直接禁域まで出向いて贖罪の申し出や免罪の請願をしても功を奏した(ためし)がない(逆効果であれば枚挙に暇がないが)。

 出来ることは下手に刺激をせず、禁域の気が済むまでじっと耐えることだけである。

 当然ながらそれを不服に感じる者も必ずおり、禁域へ突撃して事態を悪化させるまでがデフォルトだ。







「アンデッドとは別の意味でホラーなんですけど……」


 思惟の森の容赦なさにどん引いたカナンは、流石に蟻塚の如き件の土壁から視線を外した。

 うっかり〔千里眼〕で中を確認してしまい、最初から精霊頼みにしないのも良し悪しだと認識を改めた。


 兵舎の屋根の上、姿を隠蔽中なのはいつも通り。今回は事故ではなく、明確な森の意思を感じながらの転送だった。



 それにしても、米が張りついているようなものなら、もう少しコミカルな様相を呈しているのかと思えば、ぼこぼこと大きさの異なる瘤が幾重にも積み重なっている形で、とてもではないが正視に耐えない。


 ただ、あの見た目に関しては幻影である。看破系の魔法を使えば、欠損も変異もない五体満足な元のままの姿を見て取れる。偽りでないのは呻き声の方(外へも聞こえるようボリュームアップはされている)。

 男は足の先から頭部に至るまで、全身を回復することのない筋肉痛が襲い、ほんの僅かの身動きも出来ずに蹲ってじっと耐えているのだ。


 既にあの状態になって数日が経過しているが、その間、食事はどうしていたのか? 勿論絶食である。実質、餓死刑に掛けられたようなものだ。


「そんな刑がこの国、というかこの町にあればね……」


 苦しめて殺すことを良しとしない価値観の持ち主であれば、呻き声の消失などで内を確認する必要に迫られた時、あの土壁と木板を撤去して現れる餓死体を目の当たりにして、心理的に無傷でいることは難しい。それを見越しての処置であり、そのような人間が皆無であれば、森もこの手段は取らなかっただろう。禁忌破りは実行犯一人への罪科では済まされない。


 処置の結果だけを見て市民が他人事のように当局を責めるのであれば、森はその利己を眺めて辟易するだけだ。


(この場合の(おり)の一時的な増加は許容するんだものなぁ。戦のような(よど)みの木が出来る規模じゃない……とは思いたいけど、過去はともかく、今は下地があれば禁域へ集められる前に発生するかもしれないのに……)


 それでも、罪科を与えないという選択肢はないのだろう。

 辜負族の澱はそれ自体が彼らの罪の証、罪科であるのに、その澱の為に禁域が手加減をして彼らの好き放題にさせるのでは意味がない。


 ……意味がないのだが、澱みの木の除去も吝かではないのだが、どうにも理不尽感の抜けないカナンだった。禁域に対してではなく、辜負族に対して、である、勿論。



 余談だが、禁忌破りの男が筋肉痛で責め苛まれているのは、単純に研究者にありがちな運動不足から、一体何年振りという全力疾走を長距離で敢行した結果、体のあちらこちらに自然発症したそれを禁域が利用し、全身へ隈なく拡大したからである。

 常日頃から体を鍛え、筋肉痛にならなかったとしても、別の苦痛に見舞われただろうから自業自得とも言えない。根本の、禁忌を自分都合で解釈して犯したことがそもそもの自業自得の原因だ。





「…………で、結局、何をすればいいんだろう……」


 示唆存在はあれ(・・)だろうが、当面、澱みの木の発生する気配はなく、現状でカナンがすべき要素が見当たらない。延々と不毛な争いを続けている某国の魔術師ギルドの塔を、事故を装って認知させたように、今回もカナンに見せることだけが目的だったのか。


 甚だ不本意ながら、カナンはもう一度人工蟻塚を透かし観てみた。

 今度は最初から幻影全般を無効化する看破系魔法を発動。禁忌破りの男は幸い、某国前国王の如く絶滅種素材で全身を装っていることもなく、中年男のストリップは見ずに済む―――たとえ見る破目になっていたとしても、蹲った状態なので曝け出されるのは後頭部と背中、尻ぐらいで、視覚の暴力というほどではないが。


「………………………………あー…………、あれ、かな」


 〔千里眼〕の併用でズームアップしつつ観察してみた結果、目に留まったのは胸元へ抱え込むようにしている右手。その、上体に隠れて素では視認出来ない手が持っていると思われるリザチオムの穂先が、左の脇の下から僅かばかり覗いていた。

 言わずもがな、男が思惟の森から盗んだ森の一部だ。

 茎や葉はすっかり萎れて変色しているが、先端部に鈴生りだった実は幾らか数を減らしてはいても残っている分に異常はないようだった。


「落ちた分も回収……は、全部はしなくていいか」


 カナンが確認するまでもなく、男がこの町へ入るまでに落とした分は既に森へ還されている、と精霊から自主的な知らせがあった。町の中では一時(いっとき)、服の胸元に忍ばせていたらしく、観ればシャツの内側に二、三粒が紛れ込んでいる。

 カナンは早速、男が手に持っている分共々、服の中の実にも〔転送〕を掛けて一気に移動させた。

 自分の手元へ引き寄せるのではなく、ダイレクトに思惟の森へと送る。もはや朽ちるだけの茎と葉も忘れない。その身も遠からず分解され、森の大地へ還っていく。何一つとして辜負族の許には残さない。


 何故そこまでして、と問うのは無意味だ。ならば、何故、人に与えなければならない、と問い返されるだろう。差別を不当と、他種族同様、平等に扱われる権利を主張するのであれば、祖先が種族として負った禁忌を犯さないという義務だけでなく、この世界の均衡を乱し、幾つもの大陸を滅ぼした咎をまず償わなければならない。祖先のやったこと、では済まされない。その義務を果たさずして何を主張しようと禁域は認めない(澱を無くしたいのであれば有効な償いの方法を教えろ、と種族の罪に向き合わず、利害だけを念頭に自ら考えることを放棄した戯言は論外だ―――澱の存在を知った辜負族に、時折それが効果的な交渉材料になると勘違いして禁域に強要してくる者がいる)。

 また、たとえ果たしたとしても、やっとスタートラインに立てるだけで、世界の不文律を守るという、この世界に生まれた存在(もの)が、この世界で本能に身を委ねるだけに留まらない生き方(世界にとっては理性も本能の一部でしかないが人の認識に合わせるなら)をしたいと望む以上不可分となる義務を尚も無視し続けるのであれば何も変わらない。



(地球でなら、人権に義務は伴わないとでもごねるのかな……)


 犯罪という遵法(ぎむ)を放棄した行為に及ぼうとも常に犯罪者の人権(けんり)が優先され、やった者勝ち、生き残った殺人者(もの)勝ちに成り果てていた社会では、義務を念頭に置く者は奴隷根性の染み着いた愚者でしかなかった。少なくとも身元を明かしての公的場においては、影響力のある人間の思想に追従、妄信、利用、免罪符にする形で、その価値観がマジョリティになりつつあった。


 男に対する罪科にしても、


「たかが稲泥棒ぐらいで……の認識になるんだろうけど」


 "人権" は人間自身が人間本位に人間(みずから)を万象の最上位へ据え置いただけの、人間の為に、人間の都合だけを押し通す、人間の社会においてのみしか通用しない権利であり、この世界に似通った価値観があったとしても禁域がそのままを受け入れることはない(付随する様々な要素を取り払い、シンプルに "生きる" という一点に関してのみ観照するなら、それは権利を主張するような、しなければならないようなことではなく、人間に限らない、命ある全ての存在に生まれながら備わっている当たり前のただの事象だ)。


 ならばいっそ、最初から辜負族を拒絶し、排除しておけば良かったのではないか?


 その疑問に対する答えをカナンは聞いたことがない。


 推測は幾らでも出来る。例えば、辜負族がこの大陸に生きる時間は、禁域が何事かを見定める為にある? それがアウレリウスの言う猶予期間なのではないか。


 だが、アウレリウスや精霊から聞く限り、辜負族はこの大陸へ来寇する前と、何一つその性状が変わっていないように思える。どれだけ世代が変わり価値観が変容していっても、種としての根本は何一つ。


(そういう私も "人" だけど…………)


 この手の思考に支配される度、カナンは滑稽で仕方がない。


 種族は違えど所詮は同じ穴の狢。


(アウルさんとは決定的に違うところ…………)


 羨ましい、彼のようにありたかった、というわけではない。

 過去があって今のカナンがあるのだ。

 ただ、完全には彼らの側に立つことの出来ない自分が、時々どうしようもなく虚しくなるだけだ。






 * * *






 件の国では禁忌破りの男が死亡した後も暫くはリザチオムの不作が続き、そうした苦境の中、人々が禁域の罪科の苛烈さを忘れ去る前に、他国からリザチオムの変異体が町へ齎された。


 男が思惟の森から盗み出した変異体と同等のものが。


 それはリザチオムの不作とは関係ない、かねてより水面下で押し進められていた共同研究の一環であり、事情を知らされていなかった者達は、これまでの苦しみは何だったのだと呆然とした。

 禁忌破りの男は、逸らずとも少しばかり我慢をすれば、望みのものを罪過なしに手に入れられたのだ。


 情報共有の大切さを今更痛感させられたとて遅過ぎる。


 罪を犯した男は既に死に、農民達の味わった苦しみがなかったことになる筈もない。


 誰を恨むべきか?


 人の間で(かど)の立たない相手――――憎しみの向かう先は禁域。


 人は学習しない。













覚書

禁忌破りの男 ソワダイド・フロヒガツア


関連

23 潜思の海

48 適材適所

63 こんな日もある

65 一人のものは全員のもの

84 使い魔

85 裸の王様

88 侵蝕

89 厄介払い

93 無限(かもしれない)攻防

血気

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