91 知っていることと知らないこと
シュールレアリスムかホラーか、グルステルリィラ垂涎の綿菓子雲に、地上から垂直で一本の柱が突き刺さっていた。高度何千メートル? 中空で繋ぎ止められた綿菓子雲目指して狛虎が一直線に柱を駆け上がっていく。乳白色の地に砂色の斑点があるその柱には、奇妙なことに一方に刷毛のような短い毛が綺麗に並び生えている。
さて、この柱、実は大地から直接生え伸びているのではない。地表に近くなるにつれて太さを増し、高さ三メートルほどの位置でやや直角に屈折して太く横長になり、下になる部分の四隅から更に窄まるように四本の細い柱が地上へ向けて伸びている。横長の端からは穂先のついた一本のロープが垂れ下がり、時折ゆらりゆらりと意思をもって揺れていた。
あまりにもアンバランスで立っていること自体が不自然なこの柱、何のことはない、ヴルガレスの霊獣である。ラクルリィマやウッカフェウプのような、十把一絡げに "獣" で括るのはどうなんだ、というタイプではなく、まま動物の姿をしている。
キリンである。
種族名はパルカパロル・テリスダラン。
ファンタジー定番の麒麟ではなくジラフの方だ。
このキリン、ろくろ首宜しく首が伸び縮みする。意外性があるようなないような、微妙な性能である。素の長さは通常のキリンと同じだ。
縮む方には当然ながら限界があり、寸詰まり感半端ない、胴体に直接頭がついている、少々見る者の精神を不安定に揺さぶる様相になる。
対して伸びる方には限界があるのか?とゲームプレイ当時は疑問視されていた。何しろ、何処まで伸びるのかを確認出来た者がいない。[ホーム]内であれフィールド上であれ、上空域には移動限界があり、プレイヤーは一定の高さ以上は上昇出来なかった。そのリミットを、パルカパロルの首は突き抜けていたのだ。
(ただのバグでしょって意見が大勢だったっけ)
遅れて現在狛虎の食事場となっている平原へ来たカナンは、痛くなるほど顔を仰向け、ぼんやりとそんなことを思い出した。
今なら一時ゴミの溢れたあの結界域で止まりそうだが、パルカパロルに何か問題が起きても困るので本人にも試さないよう約束させている。
ただ、定期的な確認などはしておらず、こっそり行なっていたとしても、問題が起きていないのなら身体的・精神的には異常がない、平素と変わりないということで、そこから約束の反故の事実を知り得ようもないのだが。
一々報告する義務を課しているわけでなし、無事が一番であるのであまり厳密にはしていない。
今回、飛翔能力のないグルステルリィラに乞われて人肌脱いだらしいが(彼につき合う頻度の高い礼龍は生憎不在)、綿菓子雲の上方で頭を留めている。一応、カナンとの約束は念頭にあるのだろう。
パルカパロルの首を登り切ったグルステルリィラは下から綿菓子雲へ単純に突っ込むのではなく、大口を開けてそこから早くも食べ始めた。とは言え、瞬く間にその小さな姿は雲の中へ潜り込んでしまう。
この雲、狛虎が吸い込む勢いで食べ進んでも一向に減らない。ゼリー湖のゼリー同様、なくなるそばから補給されていくのだ。今も狛虎の食べた後にはぽっかりと穴が穿たれるのではなく、直ぐに湧いてきた綿菓子で埋められてしまっている。
何処から?と聞いてはいけない。ファンタジーである。
また、水滴や氷晶の雲と違い、上に乗っても落ちない。飴の筈なのにベタつかず、綿のように弾力が効いていて中々に居心地が良い。色々ご都合主義かつ不条理なのは今更である。摩訶不思議、荒唐無稽、万々歳。
無限に補給される綿菓子雲だが、永遠に存在するわけではない。適当気儘に空を遊覧した後は砂糖水湖へ戻って還元(?)される。
ではパルカパロルが首で固定し続けた場合どうなるのか?
その間はずっとそこに留まり続けることになる。雲側から特に何かしらのアクションがあるわけでもなく、パルカパロルの、というよりグルステルリィラの気の済むまで留め置いても支障はない。
ただ、あまり長く滞空させておくと味が落ちるらしい。
そう愚痴っているのはグルステルリィラだけで、妖精達はその味の変化も気に入っているらしく、各自の好みの問題でしかないのかもしれないが。
狛虎が食事を愉しんでいる間、当然パルカパロルは暇を持て余す。
眠っていてもいいのだが、首を伸ばした状態での立ち寝は非常に危うい。起きている時は意識的にこのアンバランス状態を保持出来ても、眠るとなると魔力で補う必要がある。それ自体は困難なことではないが、一度やると暫く首を伸ばせなくなるというペナルティがつく。そう頻度のあることでもないだろうに、運営が何故そのような仕様にしたのかは不明だ。
首を伸ばす伸ばさないは本人の気分次第で、一定期間伸ばせなくなっても[ホーム]運営的に不都合が生じることはほぼない。パルカパロルの首の伸縮にのみ頼らなければならない事態がないからだ。飛翔能力持ちはそれなりにおり、カナン自身も飛べる。都合が悪いと感じるとすればパルカパロルが伸縮行動に楽しみを見出している場合だろうが、カナンのヴルガレスの彼はどちらかというと自主的に行うことはあまりない。今回も久し振り過ぎて加減がきかなかったのか、最初、一気に高空まで首を伸ばしてしまっていたのが庭先から遠目にも見て取れた。
(うーん……どうしてるかな……)
パルカパロルの様子が気になり、〔千里眼〕で見るまでもないとカナンは発動待機させている〔飛翔〕を再起動して飛び立とうとしたが、その時。
(……あー……)
空の高みで発現した馴染みのある魔力に、カナンは一旦〔飛翔〕の発動を取り止めた。代わりに使う必要もないとつい先ほど選択除外した〔千里眼〕でパルカパロルの頭の辺りを窺う。
綿菓子雲から突き出した、地球のキリンのものよりも長く捻れた三本の角を持つ逆三角形の顔のそばに、案の定、アウレリウスが滞空状態で佇んでいた。双眸に珍しがるような光を閃かせてパルカパロルの目を覗き込んでおり、彼とは初対面なのか、或いは首を伸ばす様を見るのは初めてなのだろう。
「アウルさん、おはようございます」
「こんにちは」と言うには微妙に早く、「おはよう」ではやや遅い気もしたが、どちらでも大差ないなら、と後者で挨拶をする。
上方へ向けて声を張り上げたのではなく、所謂、精神感応系の魔法を駆使してである。
あのゲームにはテレパス系の魔法や機能はなく、こちらへ来てから精霊達の協力を得てカナンが新たに構築した魔法だ。アウレリウスは元から自在に扱えていた。長く精霊達と親しみ、且つ彼のスペックを思えばさもありなんではある。
「――――ああ、おはよう」
直ぐにも返事はカナンの脳裏へ返ってきたが、まだパルカパロルと話でもしたいのか降りてくる気配はない。
それなら今の内に家へ帰ってもてなしの用意でもしよう――そうカナンが決めて踵を返せば、ふっと頭上が陰った。後方へ仰のいてみれば背後にアウレリウスが立ち、日差しを遮ってカナンを見下ろしていた。逆光だが近さに加え、まだ〔千里眼〕が効いており、男の笑みをはっきり認識出来た。愉快がる系統のものではなく、至極鷹揚なそれだ。
「彼との話はもういいんですか?」
いつまでも仰のいたままでは首が痛くなるので、頭を真っ直ぐの位置に戻してからカナンは体ごと振り返り、少し後退して再度男を仰ぎ見た。
「大した内容じゃない。挨拶と――」
言葉を途切れさせたアウレリウスは斜め後方上空を振り仰ぎ、直ぐにカナンへ視線を戻した。
「あの首の訳を訊いていただけだ」
穏やかだった笑みに少しだけ愉快げな感情が混じる。それでも質の悪いものではなく、何処か子供じみた色を滲ませてカナンを見詰めた。
「面識がありました?」
「まあな。あれは初見だが」
今度は振り向かず、肩越しに握った右手の親指だけを後方へ向けて指し示した。
「珍しそうでしたね」
そう言ってアウレリウスを促しながらカナンが歩き出すと、男も横へ並んで歩みを進める。歩調はカナンがベース。合わせてもらうことに恐縮していたのはもう随分と前のことだ。
「禁域でもあれはない」
「首が伸びる?」
「そう」
ヴルガレスや禁域の益体もない話に花を咲かせながら、二人はのんびりとカナンの自宅へ向かった。
それから暫く後。パルカパロル以外の居住区住みのヴルガレスが出払っている時、グルステルリィラがカナンに綿菓子雲へ上げて欲しいと頼んできた。
「パルカパロルはどうしたの? 断られた?」
リビングの窓から牧草地の端を千里眼で透かし見れば、パルカパロルは足を折り曲げて長閑に昼寝を満喫していた。だからだろうか?
しかし、グルステルリィラの答えは、断られたのは間違いないが理由は首がまだ伸びないからだという。
結局、アウレリウスが去った後に寝てしまっていたらしい。
「もう直ぐひと月になるのにまだ駄目なんだ……」
この世界へ来て一体何十年目? 地球でパルカパロルをヴルガレスに迎えてからは更に数年プラスだ。その間、ペナルティ期間を知らなかったのは迂闊というべきか無関心過ぎるというべきか。
パルカパロルが滅多に首を伸縮させないのだからペナルティを受けていたとしても平素と変わりなさ過ぎて気付きようがない、とカナンは誰にともなく内心で自己弁護する。
詳しい生態に関心がないからといって、決してパルカパロルに愛情がないわけではない。好物や弱点など押さえておくべき点はきちんと把握しており、その他はヴルガレスの望むままだ。彼らは個性を持つが人間のようにネガティブな思考だけの者はおらず、きちんと自己主張する。どのような瑣末事でも知ってもらいたいと思えば自ら話し、彼らにとってどうでも良い、放置されて問題のないことは自ら話さないのは勿論、訊かれても答えないこともある。
パルカパロルの首の伸縮ペナルティも当人が気にしていないのだから、あれこれ追求しようとは思わなかった。
今回、思いがけず知る機会を得たが、下手をすれば一生涯知らずに終わっていたかもしれない。
パルカパロルはともあれ。
「〔飛翔〕は不可、〔転移〕は制約あり。グルステルリィラはお前の何をまともに共有しているんだ?」
「な……なんでしょう……」
まるで追求したことのないカナンは、アウレリウスの素朴な疑問に冷や汗を垂らしつつ言葉を濁した。
不足を身内に周知して、それぞれが自主的に補い合う。"出来ること" は存外、共有せずとも困らない。それだけ日々、コミュニケーションに怠りがない。
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