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隣人  作者: 鈴木
本編
86/262

86 甲斐

 死の瞬間まで自分のしたことに対する後悔も反省も謝罪もなく、その為に不本意に殺されようとしている状況下で、平然と己の人生に満足していると言い切る相手に復讐を遂げて男が得られたものは、ただ虚しさだけだった。


 死を厭わない者に死を与えて、何の意味があったのか。

 自分もまた仇と同じ下劣な人間に成り下がっただけだ。


 命乞いをさせたかった。泣いて謝らせたかった。あいつを殺すのではなかったと絶望の淵で後悔をさせたかった。

 それが叶わないなら、せめて報復に憤り、何処までも下衆で浅薄な命根性の汚い人間として振る舞って欲しかった。


 仇は人として底なしの(うろ)にいようと、精神は最後まで揺らがなかった。好んで住み着いている泥濘を恥じてはいなかったが誇ってもいなかった。


 一面では男の復讐を当然のものとして受け入れた。


 だが、仇は自分が後悔しないことで男の復讐が諸刃どころか男にだけ傷をつけると察して嘲笑った。

 己の命さえ使って他者を――男を殺す行為に愉悦した。

 男の思い描いた通りの復讐をさせないだけで、容易くその精神を殺せると、そう見切って己の娯楽に利用した。


 ―――今が楽しければいい。生きること、生き続けることに何の価値も見出さず、執着もない。


 これほど復讐し甲斐のない相手もいない。

 恵まれた環境で安穏と生きていた男が、安定した生活や成熟した人間関係の全てを捨ててまで辿り着いた仇とは、そういう人間だった。








「あの男が殺した男も、最初の殺人は仇討ちだった。だが、あの男と違い、そいつは殺人の快楽に目覚め、後はそうした意味で堕ちる一方だった。更に言うなら、その最初の殺人で殺された男が、殺される原因になった殺人の相手もそいつにとっては仇だった。実に見事なまでに連鎖している。それ以上は精霊の饒舌を封じたから知らんが、遡れば際限なく繋がっているのかもしれん」


 日暮れ間近。薄暗い貧民街の路地で無気力に蹲る男を見遣り、アウレリウスは己の語る内容に是も非もない淡々とした口調で経緯を求めたカナンへ説明した。

 殺し合いが人対人で収まり、他の存在を巻き込んでいないのであれば、その動機と合わせて特に思うところはないのだろう。


 崩れかけの家屋が不完全に形成する四つ角の隅に姿を消して堂々と立つカナンとアウレリウスの視線の先には、素材だけは良い、元は上質な衣服だったのだろう、今は汚れも擦れも破れも際立つ草臥れた(なり)で、生気のない目を地面に向けて座り込んでいる若い男と、その前でナイフを握り、振り上げた右手をぶるぶると震わせ、その先へ踏み切れない自身に苛立っているのか、酷く顔を歪ませて男を睨み下ろす若い女がいた。


 女は男が復讐した快楽殺人者の愛人だった。

 恋愛とは全くもって恐ろしく複雑怪奇なもので、人格破綻、狂気の具現だった殺人者を嘘偽りなく愛していたらしい。少なくとも愛人が殺されて復讐しようと思い立ち、実行寸前にまで至る程度には。


「…………アウルさんはもう何かをしたんですか?」


 蹲る男に、なったかもしれない自身の姿を見ることはなく、憎悪対象(あいて)の性質が似通っていようと同じ選択肢は自分にはなかったのだなと、カナンは改めて己のどうしようもない性格を自覚し、アウレリウスの明らかにした復讐話には何のコメントも返さなかった。男の復讐を否定する気はないが共感もない。

 代わりにいつものように禁域の意向の確認をする。


「ああ、人払いを多少な」


 家屋の土壁から剥き出しになっている木の骨組みに背を預ける形で腕を組んで立っていたアウレリウスは、横向けていた顔を正面に立つカナンへ戻してから答えた。そして何処か彼女の表情を窺うように目を細める。


「人払い、ですか」


 頬に男の視線を感じながらも、カナンは前方を向いたまま無表情に言葉の一部を繰り返した。意識は視界の端から端を認知し、なるほど、と頷く。

 まともに住める場所の少ない貧民街では昼夜関係なく誰かしらが路地にいるものだが(夜間の危険に配慮出来るだけの余裕がない)、今は件の男女以外誰もいない。


「言っておくが、今回は俺は喚んでいないぞ」


 他にやるべきことはもうないと暗に告げ、カナンの無駄足に関して前科があるだけに、アウレリウスは先手を打って彼女からの責めを回避した。


 言われて漸く以前の男の所行を思い出したカナンは、傍らの男を見上げて苦笑った。


「分かってます。何となく、禁域の事故に加えて牽かれたんじゃないかな、という気がしました。……アウルさんの話を聞いて」

「…………」


 引き寄せられたのは未だ疼きを忘れない過去の瑕か。


 求められるままに語ったはいいが、静かに耳を傾けるカナンの表情から察するものがあったのだろう。アウレリウスはやはり、と言いたげな苦い眼差しを向けはしても、敢えて追求する言葉は口にしなかった。


 軽く吐息をついて組んでいた腕を解き、カナンに一歩近付く。


「奴らは気が済むまで好きにさせておけばいい。けりがつけば結界も消える」


 抜け殻の男と一途な女。

 奴らとアウレリウスは言ったが、殺すにせよ殺さないにせよ、実質事態を動かせるのは女一人だ。男の虚ろはもはや手遅れだった。


「…………そうですね」


 一瞬、二人の姿を瞳に映し込んだカナンは、しかし直ぐにそちらへ背を向け、その隣へ寄り添うように並んだアウレリウスの転移によって[ホーム]へと帰宅した。











 * * * * * * * * * * * * * * * *











 その日、一人の連続殺人犯が法廷で射殺された。


 殺したのは被害者の家族の一人だった。

 銃社会の某国ではさほど珍しくもない凶行だったかもしれないが、日本では一般人が銃を使用しただけでも尋常ではなく(銃というものがどんどんと小型化・高性能化され、素材の多様化も進み、取り締まる側の技術と法がまるで追いついていないという残念な現実もある)、ましてや公判中の裁判所に持ち込み、殺人を現実のものにしたのだ、マスメディアは挙ってセンセーショナルに報じた。

 凶悪犯に対する軽科・無罪判断が珍しくなくなり、言葉遊びで仇討ち(実際にあった中世期の仇討ちではなく、勘違い・思い込みにより都合良く改変された仇討ち)の復活を望む声が絶え間なくネット上を賑わせても、それを実行に移す者が現実に現れるとは誰しも考えていなかっただけに、賛否入り乱れ、暫く方々で騒ぎ立てられた。




 そんなリアルの喧噪も、呑気な個人主義VRゲーム内では何処吹く風。


 クエストを受けようと総合ギルドへ来ていたカナンは、依頼書が張りつけられている態のフェイクボードに表示されている一覧を暫くぼうっと眺めていたが、不意に隣から掛けられた無遠慮な声に僅かながら眉を顰めた。


『相手に後悔させながら逝かせるのが一番復讐としては効果的だよなぁ』


 一見脈絡がなさそうなその言葉は、一覧の終わり近くにある、それを堂々と募集するってどうなの?と見る者を胡乱にさせる、復讐支援要請のクエストを意識してのものなのだろう。

 顔を動かさず視線だけをカナンが隣へ流してみれば、見知った中肉中背、黒髪黄色肌、自己主張の薄い顔面パーツ、と一昔前には典型的な日本人姿と言えたアバターの男が、上体を少しばかり屈めてこれ見よがしにボード下部を覗き込んでいた。


『というか復讐の甲斐があるよなー。まあ後悔の種類にもよるけど』


 顔に当たる視線からカナンの注意を引けたと察した男は、姿勢を正して彼女に体ごと向き直り、毒満載の無邪気な顔でそう付け足した(表情の形容がおかしいのは、男の性状を知る者と知らない者との受け取り方の違いを端的に表した結果だ)。


『…………何、突然』


 親しくなかろうと、顔見知りである以上、無視をするのも憚られ、カナンは視線をボードへ戻してぽつりと応えた。

 対応が素っ気なくなったのは、隔意のせいではなく嫌な予感がしたからだ。


『んー? なんか、復讐心が湧かないのを気にしてる風だったから?』


 己の意図にカナンが気付いたと勘違いしたのか、男はいきなり核心に触れてきた。

 言葉の字面だけなら気遣いを窺わせるが、男の口調も表情もあからさまに面白がる風で質が悪い。


 具体的に言われて、忌まわしくも男の本題がリアル事情の方だと思い至ったカナンは、しかし顔色を変えるようなことはせず、無言で身を翻してその場を離れた。

 男が後を追ってくること前提で、早くも遅くもない平素の歩調でギルドを出ていく。


 表通りの人波に乗り、城門へ向かうカナンの傍らを遅れずに男も進んだ。





『……別に気にしてはいないよ。自分がそういう(・・・・)人間じゃないのは今更だし』


 街の賑わいが殊更盛んな中央広場に差し掛かったところで、カナンは人目を気にせずにする内容ではない先程の話に、抑え気味の声で応えを返した。街の外へ出るまで応じない選択もあったが、そこまで神経質にならずとも、飽きっぽく、所詮凶悪事件も他人事でしかない世間の大半はカナンの事情を忘却しており、勿体ぶることでもないと半ば開き直りで早々に口にした。現行のニュースに過去の事件を無神経に絡める動きも幸いリアルでは見受けられない(ネットまでチェックする自傷行為はしていないが)。

 ただ歩みは依然緩めず、一所に留まるようなことはしない。

 開き直りはしても、自分達の会話が現実の何の事件を指し示しているのかを正確に推測する者は絶対にいない、などと楽観もしていないからだ。隣の男のようにリアルバレさえしていなければ大丈夫、とも思えない。何しろ、件の殺人犯に(たとえ無罪同然で裁判が確定していようと、カナンにとってあの男は永遠に殺人"犯"だ)ゲーム内で襲撃された経験がある。幾らでも軽い口を披露出来る環境にあの男がいる現状で、カナンの個人情報が守られているなどとどうして安心出来ようか。

 それでも人込みで話題に応じるのは、くどいようだが開き直ったからだ。自棄とも言う。



 この手の広場ではデフォルトなのかという中央の噴水を迂回し、立ち並ぶ露店には目もくれず行く先だけを目指す。


『合理的なのは悪いことじゃないけどなあ』


 特別自己否定したつもりのないカナンの言葉に、男は中途半端な肯定を示した。

 皮肉ではないのだろうが、今一引っ掛かりのある言い方に、カナンは少し捻くれた口調で返す。


『実現可能で効果的な復讐を思いつけないからやらない、という合理的理由が?』


 被害者が幸福になる(人間的・社会的成功を得るなどして見返す)ことが最大の復讐だとする適用可能範囲の狭い理由ではない。そのような理想的な選択が通じる相手ではない。復讐する側の人生に、される側が関心を持っていなければ、その自己満足(ふくしゅう)はただの道化だ。

 そもそも犯人の性質以前に、死んでいる被害者がどう幸福になれると? 残された者を被害者のカテゴリーに入れて幸福になったところで何の復讐になる? それで復讐になると思うのは、寧ろ、もはや不幸が不動となった本来の被害者を蔑ろにしてはいないか?

 残された者が幸福になることこそが被害者の望む復讐だ、と二言目には口にする死者の代弁者気取りにはうんざりだ。


『実現可能で効果的な復讐はあの犯罪者に対しては存在しないから効果的じゃないものも含めて復讐自体をやらない、っていう合理的判断が、かな。

 色々世の中なんでもよくて後悔とは無縁な人間っているもんだよ』


 一部、カナンの言葉を鸚鵡返ししながら、男は大袈裟に肩を竦めた。神経を逆撫でる笑いは引っ込め、代わりに大仰な呆れを見せる。


『罪悪感や倫理観じゃなくて後悔と無縁なの?』


 感覚的に捉えていた仇の理解し難い性質を、意外に他愛ない言葉で表され、カナンは納得出来るような出来ないような、曖昧な心持ちで首を傾げた。


『罪悪感がなかったり倫理観のおかしな人間でも後悔する奴はするよ。後悔しない人間てのはまた別』

『ポジティブ・シンキング?』

『あー、あれも後悔はするんじゃないかなあ。後悔しない奴ってのは自分にとって都合の良い悪いどっちの状況でもしないんだよ』


 何でも肯定的に捉えるからといって後悔しないとは限らない。後悔を経た次段階として肯定的解釈に転じさせることもある。

 都合が良かろうと悪かろうと、どちらの状況でも後悔しない、と男が言うのは、自ら招いた悪い状況を悪いと認識したまま、否定的なままで後悔をしない歪みのことだ。


『それは単に楽天的なだけじゃないの』

『それもありかもな。でもあの犯罪者はそんな陽性じゃない。あれは自分の取った行動の結果を楽観視してるんじゃなくて興味がないんだよ。思い通りになってもならなくても、誰に迷惑かけてもかけなくても、したいことをしたい時にしたいようにやれればそれでいいし、やれなくてもやっぱりそれでいい。

 周りがあれこれ手を回しただけで、判決が死刑になってたとしても反省も後悔も命乞い的な足掻きもしなかったんじゃないかな』

『しなかったでしょうね』


 声音が地を這うのに構わずカナンは即答する。


『うん、そう、それ。そのことが分かり切ってるから何をやっても復讐になんない。だから復讐心が湧かない、ってのは別にいいんじゃない、って話。まあ、だからって無罪はないけど』


 反省も後悔もさせられない刑罰を無意味扱いで形骸化したのでは犯罪者天国だ。


『でも、有罪にすることに固執しても、苦しいのはこちらばかりであちらには何の痛痒も与えられない』


 長期化する裁判は肉体も精神も極限まで疲弊させる。

 幼馴染みという立場でしかないカナンとは違い、遺族には耐え切れず裁判半ばで他界してしまった者もいる。その事に軟弱・脆弱・愛情がないと謗る外野もおり、彼らに元からいるありもしない被害者の瑕疵ばかりを妄想し、それがさも真実であるかの如く責め立てる輩が加わり、更に残された者達を追い詰める。

 世間の大半の無関心、飽きっぽさはそうした意味では寧ろ救いだ。

 だが、ほんの一握りの悪意が遺族の心に致命傷を負わせることもある。


『そうなんだよなあ。刑罰ってなんだろう?』

『秩序を維持しているという建前を守る為の記号』

『身も蓋もないなー。…………なんかまた話が逸れた』

『逸らしたのはあなたでしょう』

『あはは』


 至極真面目な話をしていた筈なのに、最後は妙に締まりがない。

 承知で乗ったのはカナンだが。




 実のあるようでない話で道中の時間を費やした二人は、城門を抜けるや否やあっさり別れた。カナンは癒しを求めて[ホーム]へ帰宅し、男は何処へ行ったものやら。


 結局男は何をしたかったのか。


 強がりでなく、カナンは復讐心が湧き起こらないことを気にしてはいなかった。そして、悪い意味で人の機微に聡いあの男も分かっていただろう。


(読み誤って慰めに来た…………ってことはないよね)


 それにしては、相も変わらず言動が愉快犯過ぎる。












覚書

抜け殻の男 ロアンラル・レッゼマイテ

快楽殺人者 ヴィンヒメルヒ・ルミカウィセ

上記の愛人 ビュディラ・レドセノギ


知人 ジョン・タロウ・スズキ・スミス (ID)


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後悔

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