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隣人  作者: 鈴木
本編
84/262

84 使い魔

残酷な描写(爆発表現)があります。

 思惟の森に着くや目の合った足許の(マウルスノーヴ)に、カナンは「あー……」と気の抜けた声を漏らした。


 地球のフィクションでよく見掛ける、しかし、この世界では中々に珍しい存在と言える、魔術師の便利な外部器官――使い魔である。

 この世界でまで定番だとは思えないが、天鵞絨(ビロード)の毛並みは何処も彼処も真っ黒だ。カナンを真っ直ぐに見上げる瞳は金青緑のダイクロイックアイで、ゆらり、としなやかな尻尾を何処か神経質に揺らす。


 何故、禁域に入り込んでいるかは明白である。魔術師が送り込んだからだ。辜負(こふ)族の入域が禁じられていても使い魔は動物の為、当然ながら何の問題もない。が、短絡的な魔術師の思惑は叶えられない。


 何かを持ち出させようとしても、使い魔が禁域を出る時点で禁域のものは全て戻される。また、感覚を共有している場合は全てのリンクを切られる。使い魔の目を通して禁域内部の混沌具合を観察することも出来なければ、鼻を曲げる形容し難い植物の臭気を嗅ぐことも出来ず、動物の鳴き声や梢の鳴る音を聞くことも出来ず、舌を痺れさせる粘ついた花の蜜を味わうことも出来ず、身を委ねれば二度と抜け出せなくなる極上の羽毛よりも柔軟な苔の絨毯に触れることも出来ない。


 禁域内では排除対象である辜負族の魔力を纏っている為、野生の動植物と同様の自由は残念ながら使い魔には認められず、外界へ出るまで内部に存在するありとあらゆる生物から監視をされることになる(禁域自身の知覚が常時使い魔を捕捉しており、棲息生物による監視は、実際にはただの嫌がらせ(プレッシャー)でしかない)。

 代わりにではないが、主の魔術師と完全に縁を切るかどうかの選択肢を与えられ、諾と(しん)から望めば従属魔法(使い魔契約は従属魔法の一種。従属魔法に含まれない対等の契約魔法も存在するが、そちらの対象は使い魔とは称さない)より解放され、その後は自由に振る舞える。希求すれば以降の生活を禁域内で送ることも出来る。

 但し、身に纏う魔術師の魔力が遠隔操作され、もしくは時限式や条件付けで発動し、禁域の認識で実害に当たる行為がなされれば、即時、問答無用で主従契約は剥ぎ取られ、使い魔は外界へ放り出される。仕掛けた魔術師には呪詛返しだ。


 使い魔の離反後の処遇を利用し、契約なしに従属関係を成立させている使い魔に不要な従属魔法をかけ、主との決別を偽らせて魔法からの解放後も魔術師の望むままに行動させることは出来ない。諾否の真偽は使い魔の深層心理までを見通し判断される。


 また、主からの解放を望もうと望むまいと、弱肉強食、食物連鎖の環から逃れられないのは外界と変わらない。使い魔の立場を理由に殊更狙われ易くなることもなければ、人による使役を憐れみ手心を加えられることもない。



「――――からね、自力で生き延びて」


 円らな瞳で一心に見上げられようと、その所作にどのような意図があろうとなかろうと、カナンの放任は揺らがない。

 それを特別非情だとも思わない。過干渉は慈悲ではないし、善行でもない。

 大体、このマウルスノーヴは未だ使い魔のままだ。その身からは忌まわしい魔術師の魔力がこれでもかと自己主張を続けている。

 従属魔法の拘束力は薄く、主従契約はこの猫の自主性に依っているのだと察せられれば、尚更心証の天秤はマイナスに傾ぐ。


 己の呟きに何の反応も示さない猫を置き去りに、カナンは来たばかりだというのに[ホーム]へとんぼ返りした。何となく、このまま居続けても面倒に巻き込まれそうな気がした。




 * * *




 本人が望んでやった以上憐れむのはお門違いで、そのつもりは微塵もないが、使い魔のマウルスノーヴはカナンが去った直後に跡形もなくなった。

 カナンに僅かばかり遅れて、思惟の森の散策から帰宅した[ホーム]の精霊がもういないと零したのに加え、転移直前、嫌な魔力の揺らぎを一瞬感じ取っていたのもあって、よせばいいのに〔光幕〕で先程までいた森の中を覗いてみれば、猫の姿は既になく、代わりに少しばかり飛び散った血の痕が出来ていた。周囲の木々や下草は爆風にでも煽られたかのような揺れの余韻でざわついていたが、それも直に収まり、後はいつもの静謐が辺りを押し包んだ。

 周辺一帯の空間に纏わる千々に弾け飛んだらしき魔力の残滓は、ほんの少し前に触れたマウルスノーヴの――マウルスノーヴが受容していた魔術師のもの。異界門越しに感知した、さもありなんな事実にカナンは深々と溜息をつき、門扉をくぐって再度森へ足を踏み入れた。


 猫から殺気は感じられず、魔術師の魔力の指向先もカナンではなかった。遠隔操作か、フラグが立つと発動する類いであったなら "隣人(プロクシムス)" の殺傷が目的であった可能性もないではないが、そこまで複雑な魔法(しかけ)にも思えなかった。

 単に忌々しい禁域を破壊したかっただけという動機もありえない話ではない。"隣人" 目的で直接入り込んで来る辜負族にも、ついでのようにあらん限りの破壊活動をしていく者はおり(した気になっているだけで全て幻影)、一見行儀が良さそうな研究目的の者も、破壊ではなくサンプル採取だと自己弁護して、手の届く位置にある枝の悉くを折り、樹皮を剥ぎ、地面をごっそり掘り返して下草を根刮ぎ奪っていこうとする(それも幻)。他にも、地球で同様の行為をよく見掛けるが、記念と称して樹の幹や岩肌などに氏名を刻印する行動はカナンにはよく分からない習性である。


 ともあれ、猫の暴挙の後始末はカナンに負うべき責任のある事柄でもないと思うのだが、遭遇してしまったのが運の尽き、意識の片隅に引っ掛けてしまったストレスは、解消しないことには落ち着かない。



 右掌を胸元より少し先で上向けて差し出し、そこへ森に拡散された魔力の残滓を収斂させる。

 掃除機に吸い込まれる埃や塵さながらの様相で(表現がアレなのは対象へのカナンの心証が地を這っているので仕方がない)周囲から一気に集められた魔術師の魔力は、ボコリ、ボコリ、とガスの湧き立つ泥土の塊のような小球体をカナンの掌の上で形作った。

 マウルスノーヴを粉々以上に弾けさせた凶悪な魔法は名残もなく、純粋な魔術師の魔力だけになっている筈なのだが、随分と汚物的な外観である。カナンの嫌悪(かんじょう)は反映させていないので、これが魔術師の性根なのだろう。美しい赤光を纏い、雪の如く融け消えていった異世界人の魔力の儚さとは比ぶべくもない。


 いつまでも正視していたい絵面でもなく、カナンは禁域の法に則ってとっとと返してしまうことにする。

 といっても返すべき呪詛(まほう)は既に発動してしまっている為、一旦復元する必要がある。この魔力が、主体ではなく記録(データ)として保持している呪詛の詳細を抽出し、そっくりそのままの魔法(もの)を再構築してもう一度起動させる。但し発動と同時に反射させ、プラスアルファを乗せて魔術師に返す。



 右掌を出力口に、魔力塊へ次々と術を施していったカナンは、準備万端整い、さあ、と呪詛返しを仕掛けようとした途端、ぞわぞわした不快感を足下に感じ、その衝撃で魔法を暴発させ掛けて咄嗟に魔力の昂まりを縮小させた。


「何…………」


 予定を乱された苛立ちを滲ませ、足下を見下ろしてみても何もない。ただ、時折ゆらり、と波打つ魔力を感じ、暫く注視し続ければ、徐々に姿を現してくる存在があった。

 半透明の小さな毛玉。艶やかな黒い毛並みにしなる長い尾、環状に色の連なるダイクロイックアイ。

 死んだ筈のマウルスノーヴ―――その残留思念だ。

 カナンのボトムに覆われた脛の辺りへ身をすり寄せているが、物理的に触れているわけではない。残留思念に実体はなく、先程の不快感は認知していない死の気配に、カナンの常態させている感知魔法が警鐘を鳴らしたのだろう。


 脚に尾を絡めたり、頭をこすりつけ、時折顔を上げてはじっと見詰める、などの挙動をしきりに行うマウルスノーヴの記録(メモリー)でしかない必死さは、自己犠牲的な、というより自己陶酔的な訴えに思え、感動や同情より、あまり質の良くない憐憫や呆れが込み上げてきて、カナンは猫にも、自分自身にも辟易となった。


「残留思念のあなたがそう(・・)なのは生前に勘違いしていたからなんでしょうけど、呪詛(まほう)を魔術師に返すのはあなたの仇討ちが目的じゃないよ。

 禁域に対して行われた罪過は、辜負族の都合に合わせた辜負族の為の天秤ではなく禁域の天秤で重さを量る。森に実害は出なかった、森の何をも傷付けていない、は酌量の理由にはならない。頭の中だけの画策で踏み留まっていたなら罪科も変わったかもしれないけれど、実行に移した時点で応報は確定している。辜負族の社会では "その程度" でも、禁域の認識は残念ながら違う」


 ―――だから、自爆した(・・)マウルスノーヴ(あなた)がしなくていい、しないで欲しいと望んでも聞き入れられない。


 しかし、猫は禁域の、或はカナンの無情を理解しない。する意思が存在しない。何を言おうと同じ動作を繰り返すだけ。


 自我のない再現装置(リピーター)に何を告げても無駄なのはカナンも分かっている。ただ、それでも、諭す言葉を口にせずにはいられなかった。


「…………」


 害はなくとも放置するには些か障りのある残留思念を、今度こそ何も遺させず消し去ることは容易いが、強制するのも気が引け、カナンは先に呪詛返しを決行した。


 視線を右腕の先へ戻し、術を発動させる。


 魔術師の魔力が中心へ萎み込むように消滅する寸前、足下の気配が殺気に似た膨らみを見せるが、それも一瞬だけ。魔力が完全に消え去ってしまえば、マウルスノーヴも後を追うように未練を解放した。






 * * *






 突然人気のない路地裏から、人でごった返す大通りへ駆け出したローブ姿の老いた男に、アウレリウスは片眉を上げて軽い喫驚を示した。




 とある人族の町の上空、透過・飛翔状態で眼下を見遣るアウレリウスは、厄介な変異、よりにもよって禁域でしか発生してこなかった(おり)の木が、この町の領主の城の二重存在として生じた為に、いち早く察知して自主的に処理をしにやってきていた。

 澱の木はアウレリウスの魔眼には城と完全に重なり合って見えたが、クェジトルにも視認出来る深淵内部とは違い、この町の住人には全く見えていないようだった。



 祭事に相応しい晴れ渡った蒼天の下、通りを埋め尽くす人々の熱気は凄まじく、出店や複数の大道芸で賑々しい大広場の興奮は最高潮に達していた。

 ローブの男は犇めく人垣を迷惑も顧みず強引に掻き分けて進み、広場北の城へ続く街路上に幅広でさほど高さを持たせず設置されている櫓へと近付いた。その台上では領主が持ち込ませた豪奢な椅子に座して広場の喧噪を愉しげに見下ろしており、当然ながら男は周囲に控える兵士に行く手を阻まれる。しかし想定の内だったのだろう、兵士逹を引きつけてから躱した男は櫓の側面へ回り込んだ。


 男が櫓の下へ潜り込んだタイミングで、アウレリウスは自身ぐらいしか感知出来ないだろう偽装・隠蔽の施された、覚えのある魔力が男の内から溢れ出ようとしていることに気付き、ああ、と何処か納得した態で見守る。



 男を追って櫓下へ足を踏み入れた兵士は、あと少しのところで相手を掴み損ねていた。

 というのも、兵士の手が届こうとした―――その瞬間。


 男を起点とした半径百メートル内の空間は、原形を留めず微細なまでに弾け飛んだ夥しい血肉と骨とで埋め尽くされていた。

 老若男女、貴賤、職業関係なし。勿論、領主も例外ではない。



 魔法の効果範囲外にあって難を逃れた人々が、恐慌状態で将棋倒しになり、更に自滅していく様を、アウレリウスは無表情で眺め遣った。


 陽気で屈託がなく、およそこの世の不条理、人の理不尽とは無縁に思える町人逹も、日常の裏側では救いのない闇を飼っていた。ただの妄想で終わらない、仄暗い嗜好、破滅的な衝動、蓄積された鬱屈、そうした人の暗部の全てを家の奥、屋敷の地下、路地の裏、夜の帳の向こうで表出しているのである。その果てのない悍ましいまでの饗宴がなければ、流石に戦でもない平時に、禁域の牽引を無視した澱の木を自らの足元で生み出すことはなかっただろう。




 術を返されたことを察した魔術師が数多くの住民を巻き込んだのは、領主さえ確実に仕留められれば良いと、他に配慮する必要性を感じなかったからか、それとも住民逹に対しても恨みがあったか(そうであれば最初から直接狙えばいいだけで禁域を介するまでもないのだが)。

 アウレリウスの長い人生の中で時折見掛けた、呪詛返しをした禁域への当てつけを意企しての所業であれば、無関係の者逹を巻き添えにすることで、己のものでしかない罪過を転嫁出来たつもりで禁域の罪悪感を煽ったのかもしれないが、それは甚だしい勘違いである。一向に罪科を果たさず、自覚すらせず、土足でこの大陸に踏み込んでから今をもって破壊に際限のない来寇者(しんりゃくしゃ)達を、何故禁域が気に掛けなければならないのか。多少なりの痛痒を感じるとすれば人以外が影響を受けた場合のみ。

 そもそも自爆する場所を選んだのも自爆魔法を仕掛けたのも魔術師であって、魔術師の破壊工作物(しょゆうぶつ)を只まるっと返却した程度の行為に何の咎があり、被害者である禁域の何処に罪悪感を抱かなければならないほどの責任があるというのか。

 そう、カナンが以前より受けている森の意に従って行った呪詛返しは、爆発の威力自体には何の改変も加えなかった。

 一見、何もかもが吹き飛んだかのような凄惨な広場で、屍とも言えない細切れの残骸を曝しているのは辜負族だけだ。虫一匹、植物の葉一枚、損なわれてはいない。


 カナンが施した返す呪詛への細工は、基本、ワンパターンである。しかし自身も身に覚えのあるアウレリウスは食傷したりしない。馬鹿の一つ覚えではなく、彼らにとっては理に適った定型の処置だ。

 辜負族(ひと)以外の命を蔑ろにしながら何故人を助けないと責めるのならば、主体逆転の思考を突きつけるまで。ダブルスタンダードはお互い様である。「人だけが突出した特別な存在だと自認するのは自由」だが、その優越が罷り通るのは辜負族社会だけだ。








 幾らか数を減らしたとはいえ、この町の住民の大多数は生き延びている。

 町が存続する限り、町に暮らす辜負族が変わらない限り、再び澱の木がこの地に生じることは想像に難くない。


 クェジトルの一人も出せず、汚染物質(おり)を生成するだけの町の住人を滅するのは容易い。



「…………」


 忌々しげに舌打ちをしたアウレリウスは、結局何もせずに転移した。


 思い切る境界を見失ったのはいつからだ?













覚書

マウルスノーヴ ウリケクーケ

使い魔の主   ツォガント・ヘングシェック

領主      アレティゴ・ヒルツブレーホ


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3 禁域

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63 こんな日もある

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