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隣人  作者: 鈴木
本編
82/262

82 盤上遊戯

 詳細なルールは知らない。

 故郷でのカナンは囲碁も将棋もチェスもからっきしで、この世界の盤上ゲームに関しても<あちら>の妖精絡みで少しばかり仕様に触れた程度の知識しか持っていない(辜負(こふ)族が興じる盤上ゲームの一つであるそれ(・・)は妖精が雛型を作ったものらしく、さもなければ精霊や妖精との雑談で話題に上ってもあっさりスルーして直ぐに忘れていた。カナンの盤上ゲームに対する関心はそんなものだ)。



 件のゲームはトラトルム・ランクゥルと言い、その盤面は碁盤に近く、碁盤より少しだけ大きく、升目も細かい。駒はチェスタイプの立体造型で、奪った相手の駒は再利用出来るものと即時破棄とがあり、各々特性を持つが大将はなく、囲碁に似た陣取りをするらしい。

 その駒の中で、最も数が多く、陣取りに多用して出入りの激しい使い捨てが精霊を想定されているのは恨み骨頂と言おうか。

 かつては明言され、現在は忌避されている盤面の想定は禁域だ。

 妖精が雛型のゲーム(チェクスブゥル)上に想定したのは陣取りではなく、生物を大陸全体に如何にバランス良く配し生かすかで、駒は全て再利用は出来ず、数の偏りは食物連鎖が前提にある為かトラトルムよりも極端だった。対戦相手への干渉は自身の駒との調和を考慮した改善の形を取り、協力型のゲームに近かった。

 現在、辜負族の間で広まっているトラトルムは、彼らの嗜好に合うよういいほど改変された後の物なのだ。







 さて。

 そのトラトルム・ランクゥルの体裁で魔道具が作られた場合、製作者が、或いは遊戯者が期待する効果とは何だろうか。


「禁域の支配だろう」


 他に何がある、と言いたげにアウレリウスは即答する。


「矮小な(いち)魔道具と禁域を結びつけるのは幾ら何でも無理がありませんか? 禁域自身が作製したのならともかく」


 盤面と禁域のリンクはもとより、駒と精霊のリンクもである。辜負族を筆頭に妖精、霊獣、魔獣、野生動物の駒は対象の魔力次第で強制的に連動させることも可能かもしれないが。


「まあ実際、禁域の霊威を僅かに揺らめかせることすら辜負族には出来んだろうな」

「それが分かっていて、どうして "禁域の支配" なんて推測をしたんです?」


 先の言と矛盾はしないが今一腑に落ちないアウレリウスの言い草にカナンは首を傾げる。


「夢を見るだけなら制約も制限もない。実現可能かどうかは関係がない」


 辜負族のあからさまに過ぎる積年の渇望は汲み取るに容易いと揶揄して男は嘲笑(わら)う。


「はぁ……そういうことですか」

「妄想するだけなら誰でも出来る」


 辛辣に執拗にトラトルムに籠められた執念を皮肉るアウレリウスは、しかし辜負族を侮っているのではなく、このまま世界の終わりまで存在し続けるのであれば、いつか禁域支配に手が届くのだろう、とそれを阻止する為の警戒を常に自身に課していた。彼らの強欲を具体的な言葉にして声に出すのも、そうして再確認・再認識することで惰性による弛緩を許さず緊張を維持する為だった。




 * * *




 豪奢な象嵌の家具に貴石をふんだんにあしらった調度、金糸銀糸を高級な布素材に惜しみなく縫い込めた室内装飾。皇族の持ち物にしては絢爛豪華さに洗練された趣がない、成金さながらの下品なその私室で、意匠過多な椅子に対面で座り、この国の皇帝と魔術師団長はトラトルムに興じていた。

 まだ年若い、成人してさほど年を経ていないだろう皇帝はリラックスした態で右手指を顎に添えて黙考し、白髪の目立つ壮年後期らしき魔術師は生真面目なのか緊張しているのか、両拳をそれぞれ大腿の上に置いて盤面を凝視している。

 魔術師は血が混じっているのか、膨れていない耳朶には一部が同化している翠石(いし)がある。

 帝国の魔術師団は実利主義で、所属する辜負族の種は雑多だ。自然妊娠ではありえない混血だろうと能力さえあれば役持ちでも珍しくない。現状、今代の皇帝の個人感情の反映はまだない。


 カナンとアウレリウスはそんな彼らの様子を、城の上空、最も高い位置にある屋根のそばで姿を消して滞空し、〔千里眼〕で観察していた。


 昼下がり。

 下働きに職人、商人、侍女、従者、文官、兵士、騎士、魔術師と、数多くの人間が忙しく立ち働き出入りする城にあって、頭上で浮かび立ち、彼らの主を注視する存在がいることに気付く者は一人もいない。

 警備体制が笊だと謗るのは酷だろう。相手が悪い。


 カナンは最初、禁域と精霊は放置で良くとも他の種はそうもいかない、と早々にトラトルムの効果を破壊しようとしたのだが、辜負族以外の駒の支配対象には影響を受けないよう既に手を打っているとアウレリウスが請け負った為、現在、男と共に傍観状態である。

 禁域の意思を汲んで、らしいが、稚気が見え隠れするのは気のせいではないだろう。



 いつまでピーピング・トム(誤用承知。自己皮肉)でいなければならないのか、自身の集中力に不安を抱きつつ漫然と見下ろしていたカナンは、ふと思いついて問いとも確認ともつかない言葉を零した。


「皇帝は当然、承知の上ですよね」


 現在興じているトラトルムが魔道具である事実を、である。

 一見、真新しいようでも、一から作り上げたのではなく遺物の魔道具を加工したものだ。


「無能なら知らんかもな」


 どちらでもいい、とアウレリウスは適当に返す。男にとっては承知していようといまいと大差ない。


「知らなくても、今のところは帝国に実害が出ていないからいいんでしょうけど」


 男と違って気になるのかカナンは言及を続ける。


 帝国全域の精霊からの報告とトラトルムの魔力の流れを追う限り、逆流はしても跳弾紛いの動きをしている気配はない。


「流石に禁域も羽毛で撫でられた程度のちょっかいに代価を要求はしない」


 カナンの話につきあうこと自体に苦はないのか、アウレリウスは特に嫌な表情(かお)もせずに応じる。

 トラトルムの魔力は支配下に置こうという明確な意思をもって禁域に迫るだろうが、表層にさえ届きもしない、結界さながらに取り巻いている霊威の表面を辛うじて擽る程度が関の山の小事にはペナルティも科されないと言いたいらしい。


「自領宣言には苛烈じゃないですか」

「あれはけじめだ。無視や曖昧で放置すれば図に乗る」


 同じ意思でも言霊に載せられるのは駄目なのか。


 魔法を使うのにも発声を絶対的には必要としないカナンは、故郷の知識を踏まえても納得出来るような出来ないような、曖昧な心持ちで一応は頷くが、それを見透かしている詠唱を全く必要としない男は彼女の消化不良も致し方ないとばかりに苦笑った。




 暫く眼下の対戦を注意深く監視していた二人は、不意に揃って顔を上げ、周囲の遙か先へ意識を飛ばした。


「……禁域に対しては何も起こせなくても別の場所に影響が出ていますね。帝国領外ですから未だ実害はなし、と言えるのかな」


 帝国の周辺一帯へ〔千里眼〕の視野を広げてみれば、隣国のとある町が竜巻に似た被害を受けていた。襲来しているのは顔がシュールレアリスム並に崩れた人型の奇妙な生き物の群れで、雑多の虫に似た翅を持ち、高速で飛び回って町で破壊の限りを尽くしている。精霊に取り憑きゲームの駒の如く自在に操る筈が、目標を捉えられずに歪んだか。

 禁域で撥ね返されていたトラトルムの魔力の一部が変則的な軌道を描いて隣国へ飛び火したらしい。


 〔千里眼〕越しに解析してみれば、シュールな襲撃者逹は禁域の霊威に触れた影響でもアウレリウスが何事かを細工したからでもなく、元々のトラトルムの魔力の具現で、その質を象徴的に表しているだけだった。

 アウレリウスが早々と対処したのか、カナンが視た時には辜負族以外の生物は被害地から町中(まちなか)の他所、もしくは郊外へ移されていた。


「国力が拮抗していれば戦に発展するかもしれんが、所詮小国だ。抗議文書を送りつけるのが精々だろう。それも何をされたのかの原因に行き着ければだが」


 戦にならないのであれば問題ない――件の国の者には無情でもアウレリウスにはその程度の瑣末事でしかない。


 その点はカナンの価値観も同じで、コメントは返さず隣国の様子を窺い続ける。


「……それにしても随分と歪な精霊もどきです。姿が見えている時点で偽物なのがばればれですけど、帝国の魔道具に辿り着けなければ彼らの想定が何なのか分からないでしょうから、あの国の者達は実在の妖精とでも勘違いするのでしょうか」


 辜負族が視認可能な人型で腐敗していない人外といえば妖精か不壊アンデッドぐらいだが、アンデッドは魔術師ならばその異常な魔力から、嗅覚の鋭い者ならその隠しきれない死臭から直ぐに気がつく。


「妖精への冤罪は看過しますか?」


 視線を彼方からアウレリウスへ戻したカナンは、どちらかを選べない優柔不断ゆえではなく、必要性の判断がつかない不明から男の見解を求めた。


「物理的な実害が妖精に対して出るようなら某かの対処も必要だろう。……とは言え、わざわざあれの正体を喧伝するのもな」


 妖精への配慮より自身の面倒が優先らしく、アウレリウスは先々を想像して辟易とする様子を見せた。逆をいえば妖精への冤罪はさほど深刻ではないとも受け取れる。辜負族には冷酷な男も、養い親である妖精にはひとかたならぬ情がある。……成人した子供とその親に相応しい距離感もそれなりにはあるが。


「為政者にだけ伝えても、相手が帝国では自国民に真相を明かすとも思えませんし、だからといって国全体に私たちが言って回るのも何か違いますよね……」


 男の口調から状況を察し、幾らか気の楽になったカナンも声が緩む。


「妖精に直に当たり散らすなら国民の方だろうからな、そっちに知らしめなければ意味がないが、俺達がそれをやって為政者達に楽をさせるのも業腹か。

 連中にしてみれば、あれが妖精だろうと魔道具による疑似生物だろうとどちらでもいい、妖精がとばっちりを受けようと痛くも痒くもない。妖精の冤罪を晴らす労苦をしなくて済む、というのは、楽以前の、元より責任の埒外の認識だろうしな」


 後半はお互い様だと思っているのか、言葉の手厳しさの割に男の表情にさほどの怒りはなかった。


「それを直接要求するとなると、結果的にこちらが脅迫する形になるか、逆に足下を見られるか、ですか」


 何をどう言ったところで、こちらの要求を飲ませようとするなら単純な力関係から威圧、脅迫と取られかねない。譲歩したらしたで、弱みと勘違いして過ぎた要求をしてくる様が目に浮かぶ。


「どちらにしても面倒なことに変わりない。……いっそ端から放置するか? 妖精に対する辜負族の所業なんざ今更だ」


 辜負族に関してあれこれ思考するのが煩わしくなってきたのか、アウレリウスは投げ遣りぎみに吐き捨てた。


「そうですけど、何も負わせないのもちょっと……」


 それはそれで腹立たしい。


 不服を表情に滲ませるが、さりとてどうすれば最善かの提示も出来ずカナンは言葉尻を濁す。


「ふん…………ならあのトラトルムを破壊する前に、魔力の指向先を誘導して魔術師どもの研究棟辺りを襲撃させるか。現出する魔力の形(ぎじせいぶつ)を武装した帝国兵に改変してもいい。師団長と共にトラトルムの加工に関わっていた連中なら多少なりと警告に気付くかもしれん。関わっていなくとも魔力の質を視る者なら混在する師団長のそれを見分けるだろう」


 魔力は誰が仕掛けたのかを否応もなく知らしめる。竜巻が帯びる魔力と答え合わせの出来るデータを持たない件の小国では即断は無理だが、師団に属する魔術師逹なら団長の魔力など見慣れている筈。

 トラトルムに関わっていた者達に至っては、禁域に仕掛けた魔法を返されたのだと察せるなら、そして禁域を恐れる(・・・)なら、機械的な呪詛返しの解釈で済ませず、そこに何らかの意図を邪推するかもしれない。


 疑似生物を帝国兵に擬態させようというのは内乱を装うのが目的ではなく、外見から短絡的に妖精のせいにさせない為と嫌がらせである。冤罪を作るだろう小国へダイレクトにせず、帝国へ仕掛けるのは大本の原因だからだ。連帯責任と言ってもいい。


 小国の者や研究棟の魔術師がカナン達の存在を知れば、防げるものを防がなかった無行動を逆切れで追及してきそうだが(これまでの経験から、そう邪推したくなるぐらいには魔術師、ひいては辜負族に対して負の信頼がある)、その資格があるのは八つ当たりが現実になった場合の妖精達であって、辜負族に対し負うべき義務は彼女達には何もなく、辜負族が巻き添えを厭わない存在(もの)達を救うついでに、であろうと彼らを助ける義理もない。

 自分達に都合の良い時だけ同族認定でコンビニエンスな道具扱いされるのは御免である。――人外認識のまま、異能者(ちからあるもの)辜負族(ちからなきもの)を守るのは当然の義務だ、と、真理、常識、人道を装っていながら、その実、ひたすらに自分達を甘やかす為だけの価値観を押し付けられてもそれはそれで嫌だが。

 辜負族の脅威から辜負族を守れ? ふざけた話だ。霊獣ラダイラルウダの拉致をした国の末路のようなカナン達を介した禁域の干渉が窺い知れる状況では、度々、当事者・部外者問わずの辜負族によるそうした虫のいい悪態が精霊達の耳を穢すが、辜負族から辜負族へ向けられる直接・間接的破壊行為は辜負族自身でどうにかするのが道理だろう。



「警告にも師団長の魔力にも気付きながら、それでも妖精の仕業だと主張されてしまうのでは?」


 その可能性をアウレリウスが考慮していないとはカナンも思っていないが、その場合にどうするつもりなのかを知りたくて追求してみる。


「構わんさ。精々不快にさせられればそれでいい。どう小細工しようと人間は信じたいものしか信じず、信じたくないものは信じない。帝国も、小国もな」

(おり)の実存を信じないように?」

「澱を筆頭に、精霊、禁域の意思、魔力バランス――いや、何に対してもか。他者(ひと)の感情、事の成否、都合の悪いものの悉く。目に見えない事象だけでなく、厳然と目の前にある現実さえ都合が悪ければ信じない。

 …………ああ、俺達が妖精の潔白を小国で訴えたところで、あの疑似生物(見た目)は帝国を効果的に責められない八つ当たりの矛先――格好の生贄を作る大義名分にされるだけで耳も貸されず無意味か。……なんだ、今まで通り妖精に厳戒させる方が合理的じゃないか」


 妙に得心した様子でアウレリウスはすっきりした表情を見せる。


「元々人にも人里にも近付きませんし、わざわざ狩る目的で捜し回る質の悪い者逹への警戒は今までも習慣付いていたとは思いますけど。

 結局妖精の冤罪は放置で、研究棟への襲撃は実行するんですか?」


 冤罪回避はおまけで嫌がらせの方が主体だったのかと呆れつつ、カナンは最終確認をする。


「襲撃はもうやらせた」


 だが、男の答えは既に事後報告となっていた。


「………………………………アウルさん」


 いつの間に、は聞くまでもないと飲み込んだ。

 提案した時点で実行していたのだろう。この男の魔力の動静を視るなど、見せるつもりのものでもない限りカナンには無理だ。


 ちらりと眼下へ目を向けてみるが、皇帝と魔術師は相変わらず温度差のある対局を続けており、領内の異変に気付いた――その報せを受け取った様子はない。


 この時、改めてトラトルム盤を視界に入れたカナンはあることに思い至り、視線を上げて再度小国のある方角を見遣った。


 何事かを確認し、つい、とアウレリウスを見据える。


「……トラトルム盤の素材の原産地であるあの小国に事が飛び火したのは偶然でしょうか」


 何となく回答(こたえ)は分かっていながら敢えて問う。


「偶然だ。

 盤と小国の間にある道筋が直接的な原因だが、遺物の加工に伴いこの大陸で新たに作られた駒や塗装材の産地、加工道具の製造地、関わった職人や魔術師の出身地などとトラトルムの間にも、あと僅かで消え失せるだろう各々の魔力の残滓による微弱な道筋は残留している。

 禁域で撥ねられた魔道具としての魔力の殆どがトラトルム自身へ返ってきている中で、極端に逸脱する例外が出現したのはただの偶然でしかなく、その魔力が複数ある中の一つに過ぎないあの国との道筋に載ったのも紛うことなきただの偶然。都合のいい必然はない」


 カナンの予感に違わず、アウレリウスはきっぱりと断言する。臆測の入る余地もないと言わんばかりに。


「 "都合のいい必然" ですか」


 引っ掛かりのある言い方にカナンは首を傾げた。ぴんとくるようなこないような、今一つ形にならない。


「何の理由も無いより明確な理由が存在する方が、どうにもならない理不尽に対する精神的な折り合いをつけ易い。納得出来るかどうかは別にしても。

 小国の連中が妖精に冤罪をかけるとすれば、見た目からだけでなく必然を必要とするからだ。

 八つ当たりの大義名分を立てるのにも必然があるに越したことはない。だが、実際には必然(そんなもの)は存在しない。

 ならば、信じたいものだけを信じる為に、信じさせる為に、ただの偶然を必然にすり替えればいい――となる。それが "都合のいい必然" だ」

「はぁ……」


 気の抜けた相槌を打つカナンも、偶然を必然にしたがる人の性情は以前から認識していた。しかし、故郷では運命的な意味合いを含ませて必然を語る口にしか遭遇してこなかった為か、アウレリウスの解説を受け、今更のように広義の "必然" を思い出して、自身の思考の偏りに呆れると共にこっそり自省した。




 腑に落ちた顔をしながら覚束ない返事をするカナンにアウレリウスは片眉を上げるが、そのことには触れず、そろそろ片をつけるかと宣言する。

 このまま傍観を続行し、帝国と対等に渡り合える国にでも飛び火されては堪らない。互いに辜負族だけを減らし合ってくれるのであれば願ったり叶ったりだが、大概の場合においてそうとはならず、道連れ、ないし一方的に蹂躙されることになる辜負族以外の規模は洒落にならない。


 だが、トラトルムの即時処理とはならなかった。本人にそのつもりはないのだろうが、カナンが男の遂行に向かう意思を暫時(とど)めた。


「……アウルさん、あのトラトルムを無害化してもまた作ると思うんですけど、辜負族以外に施した処置は永続なんですか?」


 事務的な目でトラトルムを見据える男が術を仕掛ける寸前、カナンは閃かされた新たな疑問を熱の籠らない声音で吐き出した。


「といいますか、辜負族は過去にも魔法で他の種族を意のままにしようとしたことがあったんじゃないですか? 従属の魔道具があるくらいですし。なのにこれまで同じ対処をしてこなかったのは何故です? やっぱりアウルさんの魔法をかけっぱなしには出来ないからですか? でも私逹の魔力(ちから)はよほど大規模なものでない限り、指向性や被術対象さえ定まっていれば一応大丈夫な筈では?」


 先の疑問を口にしてみれば、次々と別の疑問が湧いてきて止まらなくなったとでもいうように、カナンは続けざまに、しかし淡々と、質問と確認とを男へ投げ掛けた。


「……ああ、まあ、確かにこの先も同じようなものを作り続けるだろうし、過去、直接的に魔法で支配しようとした例も枚挙に(いとま)がないがな」


 カナンの立て続けの問いを苦笑いで受けたアウレリウスは、軽く肩を竦めながら視線を向け、彼女の言を肯定した。

 支配系の魔法の使い手の数は少ないが(特に精神支配系はこの大陸では稀少で、未だ従属の魔道具が遺物頼りなのはその為だ)、同じ者が繰り返せば件数も乗算で跳ね上がる。本人は数に入れていないらしいカナンが仕掛けられてきた回数や、アウレリウスが若年時に繰り返しその身に被った諸々を含めるなら更に増える。ただ、カナンの受けた最も新しい被害ではその稀少な魔術師が使い捨てにされており、支配魔法を使わせる側には、命じる自身の有り(よう)を棚に上げて使い手に対し忌避感を抱く者も少なくなく、稀少魔法を使えるからといって必ずしも社会的地位が高いとは限らない。


「対処に関しては随時行ってきた。理由は俺の魔力を特定の存在に固定・永続させることに問題があったからじゃない。そこまで甘やかす必要はない、と釘を刺されたからだ」


 聞いてしまえばさして意外でもない理由でも、カナンには思いもつかなかったのか、意味深に微笑(わら)う男の顔を凝視し、ぱちくり、と音が聞こえてきそうなほど大仰に瞬きをした。


「それは禁域から?」

「禁域と精霊、だな。自衛出来る範囲ではさせろ、ということだ」


 多少ニュアンスは違うが、自衛云々は以前カナンもこの男に諭されたことがあり、少々自意識過剰ぎみに念を押されている気がして決まり悪げに眉尻を下げた。


「護られてばかりでは能力的にも精神的にも成長を望めなくなるからだろう。今回のような質の悪い状況では、俺が気付いて自主的に動くより前に、向こうから口頭で依頼してくるか例によって転送(とば)されることの方が多かった」


 そういうわけだから、この場へ来る前にしておいた対処は一時的なものだ、とカナンの最初の問いに男は漸く答えた。


「何度あのトラトルムを作ろうと潰せばいい。作る度に警告を苛烈にしていけばいい。その内禁域が切れるかもしれんが、辜負族は学習能力があるようでないからな、代が替わり都合の悪い事実の悉くを忘れた頃に自滅してくれる可能性も高い」


 千年以上の長きに渡り人の性質をその目で見続けてきた男の言葉だけに、可能性を語っても楽観ではなく信憑性をもって救いのない未来を思い描かせてくれる。


「…………まあ、全てが全て学習しないわけではなく、学習した者の後嗣(あと)に必ず都合良く忘却する個体が生まれては周囲を巻き込んで自滅する、その繰り返しだけで、種そのものに自滅する気配の一向に表れないのが厄介なんだが」


 再び感情を削ぎ落とした顔を足下へ向ける男の視線を追ってカナンもそちらを見下ろしてみれば、部屋の入り口で廊下側にいる者から何事かを耳打ちされた魔術師が、青い顔をして皇帝を振り返ったところだった。研究棟の惨事でも伝えられたのか。

 足早に皇帝へ歩み寄った魔術師は一瞬躊躇った後、何やら覚悟を決めた表情で口を開いた。

 静かに耳を傾けていた皇帝は暫くして唐突に立ち上がると、膝脇に立て掛けていた剣を掴むやその鞘先を魔術師の薄い腹へ手加減なく打ち込んだ。

 素の腕力なのか剣に魔法補正でも掛かっているのか、後方へ吹き飛ばされた魔術師は背中から壁に激突し、跳ね返って近くのテーブルと椅子とを薙ぎ倒しながら床に倒れ込んだ。

 その様子を冷酷に見下ろしていた皇帝は、伏した魔術師の頭を念入りに踏みつけた後、傲然と部屋を出ていった。


 一連の流れが芝居がかって見えてしまうのは、カナンが故郷で肥やした趣味知識、先入観のせいか。


 陳腐な寸劇に何の感慨もないアウレリウスは対局の途中で放置されたトラトルムへ魔力を飛ばし、一瞬で木屑の山に変えてしまうと、〔千里眼〕を阻害して顔を上げさせたカナンに目顔で帰宅を促した。





 *





「懲りず祖先の轍を踏み、この大陸を壊し切る前に―――こちらの手を煩わせることなく、辜負族(れんちゅう)が種として自滅してくれれば面倒がなくて良いんだがな」


 去り際、静か過ぎる声音で落とされた非情で無情に聞こえる吐露は、しかし、この男をそう鬱屈させるだけの放埒、暴虐を辜負族が何代にも渡って続けてきたのだろうと思えば、嫌悪も拒絶もなく、そうですね、とただ自然に零れるままに、カナンは小さく受容の言葉を返した。


「事が起こる度、起こされる度に、そう渇望する」


 〔転移〕で消える瞬間に見せられた男の微笑に狂気はなかった。





 *





 今はまだ大丈夫。そう思える男の様子に身勝手にもほっとする。


(……そもそも彼は私とは違う)


 それでも―――



 浅ましい感情は、変わらずカナンの中にある。














覚書

皇帝 ヴァンデガルン・ユーディネラ・ルノガーシェル・グレムレウダル・ヴェルラトル

魔術師団長 セオヴァル・ラネッヒーニ


関連

07 気まぐれの代償

65 一人のものは全員のもの

73 子守

75 呪詛による破滅も運命と言うのであれば確かに赤い糸は運命なのだろう

80 繰り返し

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