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隣人  作者: 鈴木
本編
81/262

81 身の程

 海岸に大量の魚の死骸が打ち上げられる状況はそれなりの頻度で発生する、人間的価値観なら異常事態とでも言える自然現象だが、その日、獣人族の領域の、西海の沿岸に浮かんでいたのは、魚だけに留まらないありとあらゆる海棲生物と、老若男女を網羅した人魚族(マーフォーク)の夥しい死体だった。



 原因は、彼らの住まう海域に猛毒が流し込まれたからである。


 獣人族の領域に隣接する人族の国の、やや海寄りに位置する内陸の町において、鉱物の加工の際の洗浄で出た有毒の廃水が河へ大量に流され続けた。

 郊外の川下から汚染していった為、町には目に見えた影響は現れず、住民の生活に支障を来すことはなかった。ただ、河は獣人族の領域を経由して海へと繋がっており、毒水は見事、人族の領する海域を冒すことなく人魚族の住処だけを強襲した。

 ごく最近になって始められた鉱物の加工で、水質への影響など大して検証もされずの暴挙だった。

 川下から流している時点で多少なりと悪影響を懸念したものと思われるが、同時に何らかの異常が自然環境に発生したとしても、自分達(の町)にさえ影響が出なければ構わないという楽観と利己があったのも確かだろう。

 汚染水の毒が海塩によって変質する類いのもので、河に影響が出なかったのも加工者達の環境に対する無関心を増長させた。


 海の資源を人魚族と共有していた(おか)住まいの獣人族が原因を突き止めて抗議しても梨の礫で、賠償や改善の兆しは未だ件の町にも、町の属する国にもない。

 町は獣人族に対し税金や資産を割いている余裕がなくなったのもあるが、国に関しては人族(ひと)相手ではないからと事態を軽んじている嫌いがあるのを否めない。





 * * *





 思惟の森経由で潜思の海より打診があり、カナンは強制転送でなく自主的に姿を消して大陸北西部の海上上空へ来ていた。海岸には人っ子一人いないが念の為である。辜負(こふ)族の領域で無防備に身を晒したままでいるのは、以前はともかく現在は落ち着かなくなっていた。

 また、今は海から立ち上る臭気も結界で遮断している。それなりに距離をおいてはいても、気流の関係で存外高空まで腐臭が届く。

 海中海面の惨状には未だ何の手も講じられておらず、汚染は広がる一方である。死骸の規模が甚大で、回収しても後処理に苦慮する現実もあるが、まず毒素を除去する目途が技術的にも金銭的にも立っていないのが放置の一番の理由だろう。


 上空からの俯瞰で汚染範囲を見定めたカナンは、一気に魔力を放出してその全域を覆った。表層だけでなく海の深層、その更に下の地中にまで浸透させる。



 カナンが見守る中、徐々に海面から薄汚い、大小様々な水泡が無数に浮かび上がり、ゆるゆると彼女の前の空間に集束した。

 そうして海より抽出した毒素を直ぐには消滅させず、ひと塊の球体にまとめて眼前に浮かせたカナンは、ぽつり、と誰にともなく毒を零した。


「これ、加工者達の町に撒きたいよなあ……」


 やらないけど。


 人魚族は関知しないとして、海面に浮かんだ者達だけでない、海中・海底をも埋め尽くした夥しい数の海棲生物の惨死には、加害者へ相応しい応報をしたい、と思う衝動をなんとか抑える。


 世界そのものが代償や反動という形でしっぺ返しをする魔力バランスの崩壊とは違い、スヴェムトゥリによる破壊工作と同種のこうした暴挙には、精霊達が直接、辜負族に代価を支払わせる。カナンは彼ら、もしくは禁域からペナルティへの協力要請がない限り何もしない。それがこの世界の客分、異物でしかない異世界人として身の程を弁えるということなのだ。


 代価を科される対象は、汚染水を流出させた加工者と、鉱物の加工に初めから噛んでいた国の上層部だが、十中八九、個人の罪科では済まされない。直接的ではなくとも何らかの形で巻き込まれる同族・同国人は出るだろう。しかし、精霊達の行う諸々にカナンが思うことは何もない。肯定も否定も。疑問を抱くことはあっても、それを彼らに対して口にすることもない。それもまた身の程だ(無関心の言い訳に "身の程" を便利使いしている自覚はある)。

 大体、精霊がどうこうする前に、彼らは自らの所業の報いの一端を既に受け、巻き添えも出している。そこに精霊の懲罰が加わるのは彼らの認識では泣き面に蜂かもしれないが、カナンにしてみれば、ただの延長線上の事象に過ぎない。




 不気味な光沢を持つ暗灰色と黒とがモアレのように入り混じる毒素の塊を〔消除〕で片付けたカナンは、次いで海上へ飛来した多くの精霊達と共に海の洗淨と再生、命の循環を促す。

 形容し難い複数の濃色が混然とうねる海水は、カナンと精霊達の魔力を受けて瞬く間に清浄な紺碧を取り戻していく。

 水が透度を回復することで海中の無数の死骸の(かたち)もまたクリアになるが、カナンが悼む間もなく悉くが分解され、海へ還されていく。

 まっさらな状態へ戻しただけで、数多の生物が溢れ返る元通りの豊かな営みに戻るにはもう暫くかかるだろう。


 アドルトラの大地同様、この海原も当分は辜負族(・・・)から隠蔽される。

 諸悪の根源が人族であろうと、獣人族は完全なとばっちりとも言い難い。汚染水によって変色した自領の河を、そういうこともある、と呑気に放置したつけは負って欲しいものだ。

 他の種族に至っては鉱物の採掘や加工、売買などで大なり小なり関わっている。

 こうした大規模な隠蔽では対象の種族が限定されることの方が珍しい。辜負族のどの種族が引き起こした破壊でも、大抵、何処かしらで直接的、間接的に全ての種族が関与している。過度に排他的な国であっても例外ではないのだから、何とも仲の良いことである。





 カナンが視界に捉えた、海面は勿論、海中の還元された死骸の中に人魚族のものは全くなかった。

 彼らは一人の例外もなく、アンデッドと化して海を渡り、河を遡っていったのだ。

 海の安寧秩序はそれなりに保たれていたにもかかわらず、人魚達の遺骸の全てがアンデッドと化したのは、死の前に恐慌を経た為だろう。戦の一面と同じく、混沌への急落はアンデッド化しやすい土壌を瞬く間に形成する。そして、恐慌状態は人に激しい理不尽の念を抱かせる。意識的にも無意識にも。毒に侵され、完全な死に至るまでのもがき苦しんだ時間は、人魚達に世の不条理を恨ませ、生への多大な執着と未練を抱かせるに充分だった。



 海側でアンデッドの被害を受けることになったのは、加害者と同国ではあっても水質汚染とは全く関係のなかった海沿いの漁師の町である。

 漁場である海にアンデッドが大量発生した理由は、早々に親交のある獣人によって町の住民へ齎された。しかし、この先彼らの全員が、距離はあれど一応隣町になる加害者達の許へ直接抗議と避難に向かうことは恐らくないだろう。

 海を移動したのが襲撃相手を選ばないコープスやグールといった自壊アンデッドであるのに対し、数は少ないながらも河を遡ったのは復讐に凝り固まった不壊アンデッドのレヴァナントなのだ。

 目的は言うまでもなく、猛毒の汚染水を垂れ流した町の加工者達。

 レヴァナントは復讐相手しか襲わないといっても、いずれ事を成就してしまえば自壊アンデッドへと劣化して見境なく襲い始め、加害者以外が安全ということはなくなる。よって、アンデッドに追われてアンデッドのいる町へ逃げ込む、などという自滅行為は流石にしないのではないかと思われる。漁師の町へ警告に来た獣人達は遡上するレヴァナントも目撃していた。明確にレヴァナントであると識別出来る者がいなかったとしても、自壊アンデッドの群れから襲われることなく(・・・・・・・・)無事に分かたれ、件の町へと繋がる川を遡っていく人魚でも腐乱死体でもない存在(もの)を見れば推測するのは容易い。


 幸いと言っていいものか、死後、直接自壊アンデッド化した者達は人魚としての特性を保持しており、陸へは上がって来られない為、海にさえ出なければ身の危険はない。ただ、収入や食料の多くを海産物で賄っている漁師では、いつアンデッドの脅威がなくなるかも分からない先の見えない状況は死活問題に直結してしまい、町に留まるという選択も厳しいかもしれない。アンデッドが自壊し切るまでには自然法則に依らない個体差があり、通常の死体の腐敗速度は当て嵌められない。


 また、見た目が完全に変異すると聞いていた不壊アンデッドのレヴァナントも、生前の特性を一部引き摺るのだとカナンは今回初めて知った。もはや人魚の姿をしていないレヴァナントが律儀に河を遡ったのはその為らしい。陸へ上がれないわけではないようだが、必要がなければ水場を好んでいた。

 自壊アンデッドと併せて〔千里眼〕で様子を確認した時のことだ。

 野次馬ではなく某国の戦後のアウレリウスの対処に倣い、辜負族以外がアンデッドの被害を受けないよう、処置を施す必要があったからである。



 禁域はカナン達を戦などの大規模な破壊に対し、事前に関わらせることを殆どしない。

 動物は各自の危機管理・危険回避能力を鈍らさせず、また養わせる為では、との推測も出来なくはないが植物は逃げようがなく、辜負族の破壊のままにさせる禁域の干渉基準は今一よく分からない。

 事が起きている最中は彼女達の方が近寄らず、今回のような事後処理には任意で駆り出されることもある。

 成熟寸前の(おり)の木のような、大陸ないしこの世界自体を崩壊させる、大規模のレベルを突き抜けた厄災には問答無用で干渉させられるが、これはカナンも他人事では済ませられない、恐らく隣接する[ホーム]にも影響が出る(推測に留まらず一蓮托生であることは後にアウレリウスから告げられる)ので否やはない。






 ふと、汚染域の境界へカナンが目を向けてみれば、何人かの人魚がうろうろと行ったり来たりしていた。毒素の染み渡った危険な海域からは一定距離を保ちつつ、外周に沿ってゆらりゆらりと尾鰭をしならせ移動している。本人達にそのつもりはないだろうが、見ている分には優雅な舞踊のようだ。

 〔千里眼〕で捉えた詳細な姿は青年と壮年の男女が一人ずつ、計四人いた。この世界の人魚は男も女も腰より下に長い魚の胴と尾鰭を持つ。男だけが某深きもののような形で人間と魚が混在していたり、頭だけが魚の形をしているということはない。

 大量の人魚が死亡し、その数を激減させはしたものの全滅したわけではなく、精霊に確認してみれば、難を逃れた者が頼った先の氏族の者を案内してきたところらしい。


 暫く思い思いに幻影の汚染域の周囲を彷徨いていた人魚達は、やがてひと所へ集まり、今度は岸へ向けて泳ぎ出した。そちらにはいつの間に来たのか、猫科と思わしき耳と尾を持つ一人の獣人が佇んでいた。

 人魚の一人が先んじてそちらへ近付くと、海面からあまり距離のない岸壁の上で待ち構えていた獣人は、岩の先で膝を突いて屈み込んだ。そうして腰に下げている布袋から取り出した、大人の掌ほどの陶器の瓶を人魚へと手渡した。海水の浸入を防ぐ為か、瓶の蓋と胴の間は蝋の塗付された帯布で目張りがされている。

 受け取った壮年の人魚はそれを胸元で大事に抱え込み、直ぐにもやや離れた位置で見守っている同族の許へと戻っていった。そして、彼らが海中へと去っていくのを見送ってから、陸の獣人も踵を返した。



 一部始終を見届けたカナンはどうしたものかと対応に迷った。

 予感がして、人魚達が持ち帰った瓶と、獣人の布袋にもう一つあった瓶とを解析してみれば、中身は先ほど浄化した筈の汚染水――毒素だった。どうやらカナン達が来る前に採取していたらしい。

 あれを無害化する目的で研究材料にするのであれば問題はない。しかし、悪用の危険性も完全には否定出来ない。

 折角レヴァナントの干渉で大元の鉱物加工が停止し(いつ再開してもおかしくないが、執拗に汚染を繰り返すなら、いずれ国そのものがなくなるかもしれない。禁域の自領宣言のペナルティは臨機応変に他事でも適用される)、当面の海への脅威は取り除かれたというのに、別所を毒で荒らされるのは勘弁して欲しい。


 海賊以上に、海に住む彼らが海を汚すことは有り得ない、とは言えない。

 (おか)に住む者達だとて、平気で大気を毒し大地を枯らすのだ、大して違和感のある話でもない。

 人魚族の祖先も来寇する前に暮らしていた海を腐らせ、棲息していた生物の悉くを死滅させている(運命論者ならば、このただの偶然も因果応報と評するだろうか)。



「どうせ復讐に使うなら、レヴァナントみたいに関係者の人族だけをピンポイントに汚染してくれないかな……」


 自然を巻き添えにせず。


 復讐とは無関係の破壊工作に利用される可能性もあるが。


 人の善性を盲目的に信じてはいないが否定するつもりもなく、現時点でどちらに転ぶとも判断がつかない以上、静観が無難か――――問題があればまた禁域が問題を投げてくるだろう、とカナンはこの場では何もしないことにした。




 無害化に成功した場合、既に浄化され、毒素が(辜負族には実体があれど)海にとってはただの幻影でしかなくなっている為、解毒処理を施されたところで何の効果もなく、その一点に関しては徒労に終わることになる。ただ、海の回復に尽力した事実こそが禁域や精霊にとっては重要であり、全くの無駄にはならない。

 ……のだが、そもそも精霊が尻拭い(破壊された自然の再生補助)と隠蔽をしている事実自体を知らないのだ、端から徒労だと嘆くこともない辜負族のストレスは気に掛けるまでもないだろう。


(それ以前に誰が破壊したのって話だよね)


 心労を気に掛けるなら禁域サイドだけで充分。








 件の町をスルーして更に河を遡上したレヴァナントの影をカナンは見た気がしたが、そちらはアウレリウスが引き受けるという通達が海伝いに禁域より届き、それは重畳、とすっぱり関心を投げた。


 本音を言えば他のアンデッドへの対処もやって欲しかった。


 今更な上に身勝手な贅沢を言っても始まらないのはカナンも分かっている。潜思の海の依頼を受けた際に単純な浄化処理の文言で納得せず詳細を突っ込めば良かったのだ。


 自業自得とはいえ、やはりアンデッドとは疎遠でいたいカナンだった。








 * * *








 結局、獣人達の持ち帰った毒素はどうなったのか?


 辜負族以外への影響は未然に防いだ。元よりカナンの脳裏にあった推測の天秤の多分に傾いでいた側の結果だったので、特別驚きもしなかった。


 殺傷道具へ流用したのは無害化の研究をしていた者達ではなかったが、非合法に行われた行為でもなかった。物は違えど、同種の物質の研究における応用拡大はよくあることだ。地球でも、この世界でも(地球では兵器開発が先であることの方が多いと言う者もいたが、実際のところがどうだったのかは詳しく調べたことのないカナンには分からない)。



 カナンの取った対応の具体的な内容は、過去の自身の行動をなぞったものである。

 麻薬フルニエムソウムの原料となる植物同様、責のない鉱物には手を出さない。

 腐敗したフルニエムソウムと似た位置付けの加工廃水の処置は、製造者である辜負族の責任であり、再び自然を荒らすようならその都度の対処になるだろうが、それまではやはり放置する。

 但し、他種族への害を直接阻止した毒に関しては、透過薬のように、その効果を辜負族限定に変質させた。殺傷道具として既に分けられていたものだけでなく、転用の可能性がある無害化研究用のサンプルの全ても。


 ―――このくらいは、これまでの経験からして、禁域に対応を投げられたカナンの干渉してよい範疇だろう。


 あとはもう、残っている毒の限り、好きなだけ辜負族()殺し合えばいい。

 辜負族だけを。















覚書

青年の男人魚 サヴァーテイン・ルグラヴィット

青年の女人魚 ルヴァミラ・ロハーヴェーレ

壮年の男人魚 ベザンロデフ・ファディヴェンシャル

壮年の女人魚 コーヴェニナ・ファディヴェンシャル

猫科の獣人  ワーロジェスト・テハムチェダ


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19 吸血鬼?

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74 話が違う

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