8 運の悪さは呪っても切りがない
冒頭に残酷な描写があります。
『なんでもっと早く持ってきてくれなかった! 今頃持って来られたって遅えんだよ! 俺は病気で両脚を失ったってのに、他の奴らが薬で五体満足に生きられるなんて許せるか!』
そう喚き散らした男は、村へ流行病の薬を届けようとしていた使者を、はした金で雇った流れ者に指示して殺害させた。
報酬の足りない分は使者から奪った薬を売ればいいと唆して。
直ぐにその事実は村人達の知るところとなり、薬が間に合わず四肢を失ったり、最悪、死亡した者の家族は男を寄って集って嬲り殺し、男の妻と幼い子供は病を移した上で、その後、改めて届けられた薬も与えられず村の外へ放逐された。
既に手足は腐り落ちていた為、二人は助けを求めて移動することも叶わず、打ち捨てられた場所で身体が急速に腐敗していく苦痛と、堪えがたい飢餓ゆえの狂気に半ば救われながら、最期まで身を寄せ合って死んでいった。
だが、これは男の家族に限ったことではなく、薬によって生き延びた村人達は早々に村を捨てて出ていき――そう、薬があれど最早手遅れだった者達は容赦なく見捨てられた。
ただ、死に場所が墓場の外か中かの違いでしかなかった。
* * *
ある人族の国の辺境、標高の高い緑豊かな山の中腹の、やや迫り出した崖の際。
禁域がカナンをこの地へ転送したのには別の目的があり、元より辜負族の引き起こす事象を彼女に見させたからといって、その際に取った行動の如何に関わらず彼女に責任を負わせることはない。故にこれはただの偶然で、無残な結末を目の当たりにさせ、崇高な断罪者ぶって責めているのではないだろう。
それを分かっていて尚、この場でわざわざ、カナンが過去に何もせず流した案件の果てを見詰めているのは、何処か不快な既視感を刺激されたからだった。
気紛れな男が鬱然として一点を凝視するカナンの傍らに現れたのは、それから直ぐのことだった。
「それが事の顛末か」
胡坐を崩した形で草地に座る男は、無慈悲なほどに昼日中の陽光によって全てが曝け出されている、眼下遠くの無残な廃村を〔千里眼〕越しに感情の窺えない目で見下ろし、淡々と語られたカナンの話には特に悲哀も憐憫もなく、村人の生き死にには関心がないとばかりのそっけなさで返した。
「それでお前は干渉しなかったんだな」
責めているのではなく単純な確認、といった口調だった。
「……アウルさんは、酷いと思いますか?」
そう思っていないことを分かっていながら、つい口を衝いて出てしまった己の言葉にカナンは直ぐにも後悔した。
肯定されたいのか否定されたいのか、自分でも判然としていないのだ。
――――助けられる力があるのに助けない人間も加害者だ。
不意に、今となっては遠い昔に投げつけられた言葉を思い出し、口内に苦みが広がる。
「いや」
カナンの心情などお構いなしでアウレリウスは思ったままを口にする。
「結果は大して変わらなかっただろう。逆恨みがお前にも向けられただけだ」
慰めではなく、ただ揺るぎない事実を語っただけとばかりの毅然とした物言いだった。
カナンの使う回復魔法であれば、流行病も治せるかもしれない。
しかし、完治させられるかどうかには厳しい条件があり、始末の悪いことに、その条件を満たしているかの判断は実際に術を使ってみるまで分からないのが現実だ。
これはカナンに限らず、僅かながらいる辜負族の使い手にも共通することで、端的に言うなら、この世界で回復魔法を行使するには代償がいるのである。それも術を施される側の寿命という、本末転倒な。
一回の魔法でどれだけ寿命が削られるかは、怪我・病気の状態や個体差もあり、未だ予測はつかない。そもそも余命がどれだけあるかなど、誰にも――カナンにも知る術はない。一か八かで魔法を実行して、完治した途端、死亡するということも有り得る。実際そうした前例は幾つもある。
承知の上で賭けに出ながら、いざ負けたとなると、残された者が術を使わなければ生きられただろう時間を惜しんで術者を責めたくなるのも分からないではないが、言われる側は度重なればたまったものではない。時には身に危険が及ぶことさえある。
限られた人間だけを救った場合の逆恨みに加え、術が失敗した場合(と施術された側が解釈する治癒の一点においては成功例)のそれもアウレリウスの言葉は指し示していた。
また、薬に関しては元より調合法を知らなかった。
知っていれば間に合うように[ホーム]の設備で調合出来たかもしれないが、薬草類の配合割合や加工手順は開発者しか知らず、作るとなると情報開示請求と調合許可申請をしなければならない(通るか通らないかは別にして)。
その為には当然、人族の領域に行かなければならず、それが嫌なら精霊に訊くという手もあったが、それはある意味、窃盗紛いの行為だ。
精霊はあらゆる場所に存在し、日々、人が無意識に垂れ流す情報に意図せずして触れている。
それらの情報のうち、由来が辜負族に限ったものでなければ気兼ねなく聞き、生活にも役立てられる。しかし辜負族限定で、尚且つ新薬の調合法のような地球でいう特許に関わりそうなものを聞くのは、どうにも決まりが悪い。
そもそも聞いて薬を作ったところで、<あちら>側へ――開発者のいる国へ持ち込んでしまえば必然、出所が問題になる。
人の命に係わるのだからそのようなことを言っている場合か、と非難されそうだが、見も知らない、縁もゆかりもない人間の為に犯罪紛いに手を染める気になれるほどカナンは自己犠牲精神に溢れてはいない。
人族の為だけの法など知ったことではないと常日頃から思ってはいても、その人族の為に人族の法に抵触する行為をし、人族の法に拠った価値基準で責められるのではやってられない。
感謝などはどうでもいい、ただ関わる全ての人間が完全な無視に徹してくれるのであれば一考の余地がほんの僅かなりとあったかもしれないが、利権が絡んだ時の人の執念深さを知るが故に、その可能性がカナンの念頭を過ることは一瞬たりとてなかった。
「流れ者ってのは、随分と都合良く登場てきたな」
起こしていた上体を背後の樹に凭せ掛け、アウレリウスは後頭部で両手を組んで、隣に座るカナンの小さな頭を見下ろした。
「勿論、本当の流れ者ではありません。出戻りしていた兵士崩れの村人です。お金と薬を得た後は隣国へ逃亡してから売ったようです」
「生きているのか?」
「監視つきですが」
「ああ、バレた時の保険か」
村のある国に対し、所謂、産業スパイをしたのではなくそちらの人間が勝手に持ち込んだのだ、と主張する為だろう。
「――――――ふん」
暫時、中空を睨みつけるように見上げていた男が不意に呆れ混じりに鼻を鳴らし、どうしたのかとカナンは怪訝な眼差しをそちらへ向けた。
「アウルさん?」
「……いや、持ち込んだのは確かにその兵士崩れが勝手にやったことだがな」
見上げてくる凪いだ瞳に視線だけを横目で返し、アウレリウスは聞くか?とその内容の不快を窺わせる警告含みに問い掛ける。
鼻を鳴らした段階で予測はついたが、男の気遣いにカナンは微かな笑みで謝辞を示し、頷くことで話の先を促した。精霊に訊いたか〔過去視〕をしたか、いずれにしても男にそれをさせたのはカナンが醜悪な自己弁護話を聞かせたことがきっかけだ。アウレリウスはそれこそ自分が勝手にやったことだと言うだろうが、それでも男だけを不快にさせるのは気が引けた。
カナンの心情を察してか、男は無意識に呆れを態度に表した己の迂闊さにもまた悪態をつきたそうな表情を一瞬見せ、その後、溜息と共に何を知ったのかをカナンへ伝えた。
「あの兵士崩れは隣国に同じ病を患う知人だか友人だかがいた。薬の強奪に同意したのはそいつに使うつもりだったかららしい。一部でなく全部を奪ったのは、売った分の金を病で働けないそいつの生活費の足しにする為だった。
だが、隣国へ着いてみれば、いつ、何処から漏れたものやら、大金をちらつかせる輩が待ち構えていた。一応、量産が叶えば知人にも使うという条件でそいつに薬の全てを売ったが――ひとつ残らず寄越せと要求する時点で結果は見えているだろうに――案の定、王侯貴族の患者を優先している間に知人は病死した。
ついでに手に入れた金の殆どは知人が生きている内から自分の懐の中だ。知人に薬が間に合わなかったのは、待つ間の延命処置に金をかけなかったからというのもあった。有効な延命処置を施せるだけの金は充分にあったんだがな。
何の為に人殺しまでして薬を入手したのだか、絵に描いたような "大金に目が眩んだ" 状態だったわけだ」
「……そうですか」
蓋を開けてみれば正直ありふれ過ぎた話で、カナンは何を思うでもなく、ただ気のない応えだけを返した。
使者を殺して奪った薬を売った、その事実だけを知っていた時と大して兵士崩れに対する印象は変わらない。
動機に同情の余地があれば、結果の如何を問わず心証や罪科に斟酌を加えるべきか?
心証をプラス方向へ変えろというのは無理だろう。そして罪科はカナンの関与することではない。
カナンの変わらない顔色にアウレリウスはほっとした色を僅かばかり瞳に滲ませ、朽ちるばかりの廃墟へ視線を戻した。
薬の掠奪に絡んだのは兵士崩れと唆した男―――だけでいい。それ以上、登場人物を増やしたところで何も変わらない。
覚書
使者を殺させた男 カダンルー(・ロハキッド)
兵士崩れ ペウード(・ワビャナー)