77 不可解
「俺があいつを構うのは、強いて言うなら自己愛だよ。似た思考、似た価値観だから。あっちは同族嫌悪みたいだけど」
同一個体の残留思念が複数あるなど聞いたことがない――――。
アウレリウスは目の前に再び現れたカナンの知人だという男の姿を、心底うんざりした態で見遣った。
しかも、何故またしても自分なのか。
なまじ日本語を既にヴルガレスからの教授で習得済みなのが痛い。以前の、精霊の通訳を介したことで情報に制限を掛けられた時とは違い、今は直接的にかなりの精度で男が何を言っているのかが分かってしまう。
「自己陶酔とはちょっと違うんじゃないかなあ。自己肯定ではあるよ、うん。
他人に自分と似た欠点を見つけると大抵は嫌悪するけど、俺の場合はほっとするんだ。でもってそいつの欠点を肯定することで自分の欠点も許された気になる。
虚しい行為だって? しょうがないじゃん、なんでかダイレクトに自分自身を肯定してやれないんだから。その癖、駄目人間でも存在してていいんだって認められたがってる。でも誰も、俺の望む通りには認めてくれない。なら自分でどうにかするしかない。
あいつは丁度いい分身なんだよ」
深思の山の頂よりやや下った位置にある森の中、崖裾にぽっかりと穿たれた洞の底から沸々と湧き出る温泉で寛いだアウレリウスが、手近な岩の上部に引っかけておいた服を全て着終わった直後にこの残留思念は現れた。
以前と同じ意思のないただの記録。にもかかわらず図ったようなタイミングでの登場である。まるで男の裸など見たくないと言わんばかりの。
「あいつ自身は俺を肯定しない。俺を嫌悪してるからじゃなくて、自分の同じ部分を嫌悪しているから肯定出来ない。でも、そういう自分の駄目な部分を開き直って受け入れてもいるから、俺を否定もしない。それがいいんだよ」
既知の魔力だったことからカナンの知人と判じたが、その外見は以前とは全く異なっている。
体の線の細さは以前と大して変わりないが、身長は頭半分ほど高くなっている。端整な顔は前より彫りが深くなり、通った鼻梁にはっきりとした目元、瞳は黒に近い濃茶ではなく青みの強い紫。髪は黒ではなく光の加減で金にも見える極めて薄い茶色。皮膚に黄みがかった色はなく、白というにはやや濃い、表現し難い色相をしている。
カナンにでも聞かない限りアウレリウスは知り得ようもないが、最初に遭遇したこの残留思念は、一昔前に典型的と言われた日本人の容姿をしていた。しかし、今は混血をはっきりと窺わせる国籍不明の容貌である。最初は現在のカナンとさほど差があるように思えなかった外見年齢も、目の前の姿ではある程度上に見える。
服装もやはりアウレリウスには馴染みがなく、今回は薄灰で白い縦縞の入った、所謂甚平をややはだけぎみに着ており、首には白いタオルを引っ掛け、足には何も履いていなかった。
「誰かに認められたいって思うけど、あいつの場合はそれらしく認める言葉を吐かれたら逆に萎える。駄目部分を駄目同士で舐め合ってるだけの駄目人間関係だって? だよなぁ。まー、いいじゃん。それで生きていようって気になれるんだし、誰も困ってないし」
残留思念が誰の話をしているのかは想像に容易いが、これは思惟の森の見せる他者の記憶同様、当事者以外が安易に知ってよい内容ではないのではないか。そう思う一方で、どうにもこの男は自らの意思でアウレリウスを選んで過去をぶちまけているのではないか、という気もそこはかとなくして対応に困った。消し去るのは簡単だ。だが、この残留思念の心残りという名の欲求不満を満たしてやらなければこの先何度でも現れそうで、考えるだにげっそりとなる。
禁域が関与しているのかとの疑念をもって山の意思を探れば、意識的に放置はしていても故意に引き込んだわけではないらしく、つまり禁域の霊威をものともせず入り込む力があり、尚且つ禁域の排除対象ではない、アウレリウスがこの大陸の何処にいようと憑き放題なのだ。
「駄目部分の改善~? あはは、出来るもんならとっくにやってるよ。それに何でもかんでも他人の価値観に合わせる気もないしなぁ。他人が良いって言ってることの全部が全部、良いとも思わないし。
結構、ただの多数意見でしかなかったりするじゃん。個性個性うるさい癖になー。数の暴力? 多数決万歳って?
人間社会で生きてくデメリットだって割り切れるんなら無理して変える必要もないよ。まあ、割り切ったからって餓えがなくなるわけじゃないから自己解消してるんだけどな」
吐き出したいだけ吐き出させるか、とアウレリウスは突っ立ったまま腕だけは振ったり組んだり力ませたりとせわしなく動かす男を放置し、長期戦の構えで近くの岩場に腰を降ろして足を組み、背後の崖に上体を凭せかけた。
思惟の森に取り込まれた記憶の再生ではない、独立した残留思念であり、且つ "あいつ" がカナンを指すのなら、この男の語る内容は恐らく彼女の知らないものだろう(男がこの後に委細漏らさず彼女へ告げていなければ)。
あまり当人に聞かせられる話ではない上、最初にこの男に遭遇した事実を告げた時のカナンの反応からして、今回は一々申告する必要もないか、と瞼を閉じて鬱陶しいその姿だけでも視界からシャットアウトしたアウレリウスは、しかし聴覚を完全に封じることはしなかった。
たった一人の聴衆が実際に聞いているかどうかなど意思のない残留思念が頓着する筈もなく、それをアウレリウスも承知している。
単に好奇心に負けたのだ。カナンの記憶ではないという負い目のなさも、知りたいという欲求を後押しした。
しかし、何を知りたいのか? カナン? この残留思念? 後者はないと断言出来るが、前者とも言い難かった。
カナンに関することを知りたければ本人に聞けばいい。本人が言いたくない、知られたくないことまで知りたいとは思わない。
ではカナンに対する他人の評価を知りたいのか? それも違う。他者の抱く印象は他者のものでしかなく、ましてや信用・信頼どころか面識すら全くない人間の価値観など、アウレリウス自身の解釈・判断に何の影響も及ぼしはしない。
「大体、駄目部分直せって説教垂れられるほど、あんたは欠点皆無な完全無欠人間なわけ? 能力じゃなくて性格面の話。自分で振っといて自分は直す努力をしてるから良いって? ダブスタだなあ。
努力ってのは具体的な成果を出して初めて「努力した」って言えるもんらしいよ。結果に結びつかない、目的を達せないなら何もしていないも同然なんだって。
努力は必ず報われる、とか、さもいいこと言った!的にドヤ顔で主張する奴いるけど、当たり前だよ。報われた場合だけを指して努力したって言ってんだから、そりゃあ "必ず" にもなる。
てことで、欠点の未だ直ってないあんたは現時点ではなんにもしてこなかったも同然ってわけ。お仲間じゃん。
そもそも "努力" って、他人を主観丸出しフィルター満載で可不可優劣つけまくって評価して "あげる" 為に使う言葉であって、自分に対して使うもんじゃないよ。あ、"他人" は自分以外ってことだから身内込みな」
ならばこの残留思念――――男とカナンとの関係を知りたいのか?
それも何か違う気がした。カナンにとってこの男がただの知人でしかないのは彼女の言動から窺い知れた。本人も自覚していない感情があったとしてもそれをわざわざ自覚させてやる義理もない(この場合の義理は男に対する義理だ)。その感情がトラウマとなってカナンの生活に支障を来しているのであれば別だが、この男に関しては至って平静でいるように見える。心を乱すことがあるとすれば、カナンの深層に根を張っている別の人間。その瑕を引っ掻く鉤がこの男だろう。
以前に見た、別の姿のカナンは恐らくこの男の記憶が元だ。カナンの過去を知る者など、この世界には既に死んでいるこの男以外にいない。
[ホーム]の住人が、カナンがよく口にする "故郷" にはいない、[ホーム]という異界に限った存在であり、カナン自身は通常別の世界で生活していたことは聞いている。[ホーム]の何処にもあの慟哭するカナンのいた奇妙な場所が存在しない以上、あちらがカナンの本来の生活圏であり、そこには[ホーム]の住人達はいない、つまりあの記憶をヴルガレスや妖精達は持ち得ないことになる。
あの慟哭こそがカナンの瑕。この残留思念の男は、カナンが瑕を負った過程を知っているのだ。
――――その詳細を知りたいのか?
それもまた違う。
円環列島でカナン自らがその片鱗に触れたことがあるが、そうして当人が語るのならまだしも、赤の他人から知らされて良い内容ではない。
複雑に考えず、単純無難に捉えるなら、この男やカナンに絡む事柄ではなく男がアウレリウスに憑く理由、その手掛かりを期待して耳を傾けているのか。
しかし、意思のないただの記録相手ではそれも薄い。
何よりそれはアウレリウスの懸念が孕む狭義的な好奇心ではなく、不快な現状を打開する為に必要な情報欲求だろう。
知りたい、という自身の欲は自覚しながらも、その正体を掴めないもどかしさ。
(面倒な……)
儘ならない不快さを誤魔化すようにうっすらと瞼を起こして残留思念の様子を窺えば、良く回る口は未だに絶好調だった。
「俺にちょっかいかける暇があるなら直接あいつに言えっての。渡り? 紹介? 冗談だよな? 人の話聞いてた? 俺とあいつの関係性でそれ、要求する? ……ていうかさあ、あんたの目的ってあいつじゃないよな。もう死んでるの知らないの? ……あー、今更、人の瑕をほじくり返して何をしようっての。思い出え? 今頃?」
どんどん剣呑になる口調に合わせ、男はその整った顔を憚りもせず嫌悪と侮蔑で醜く歪めていく。
「いい趣味してんなあ。手に入れて何処に流すつもりなわけ? 例の動画にでも挿入すんの? 別に常識人ぶるつもりはないけど、チクりはするよ。それなりに気に入ってるからな、あいつのこと。その後は何もしないけど」
状況は分からないが、確かに自己申告通り、この男は常識人ではないのだろう。カナンに相手の存在を知らせると宣言したその表情は、どう見ても愉快犯のそれだった。先に呆れ顔を見せた後、不気味なまでに無邪気な笑みを浮かべたのだ。
この男を前にして渋面を作っていただろうカナンの故郷での様子が容易く想像出来る。
内心でそう吐息を零しつつ、一旦伏せた瞼を上げて再度男の顔を見たその時、青紫の瞳と真っ向からかち合った。
――いや、アウレリウスの目を見ているようでいて、何処かその向こう、彼の目の奥、或いは瞳に映り込むここではない彼方を見詰めているような、何とも不可解な、覚束ない眼差しをしていた。
男の記憶の中で、アウレリウスのいる位置に誰かがいたのか、それとも、この残留思念はただの記録を装った意思持つ存在なのか。
真実を見極めようと鋭くなるアウレリウスの視線を避けるように、男は直ぐにふいと顔を逸らし、それと共に踵を返した。
「話がそれだけなら俺はもう行くよ。
くだんない話のせいですっかり湯冷めしちゃったからなあ。俺も人が好いよ。無視すりゃよかった」
右手を後方へ向けてしっしっと追い払う仕草をしながら最後まで毒吐きを続ける男は、僅かばかり振り返って口元の嘲笑を見せつけた。勿論、アウレリウスにではなく、記憶の中の話相手に対してで、先程とは違い、もうその紫眼は彼を見てはいなかった。
相手は期待通りの反応を示したのか、男は蠱惑というには毒のある表情で目を細め、一瞬、狂気じみた感情を瞳に閃かせるや、次の瞬間、忽然と姿を消した。その唐突さは転移に似ているが、アウレリウスには一気に霧散する魔力が見えていた。今度こそ残留せず、跡形もなく消滅した。
あっけないものだった。
吐息をついて立ち上がったアウレリウスは残留思念のいた場所まで歩み寄り、その場を起点に周囲の広域を〔探査〕して完全にあの男が消え失せたことを確認した。念を入れるまでもなく分かっていたのだが、どうにも自分の能力に対する自信や信頼を過信と疑わせる不気味さがあの男にはあった。
カナンと同郷なのだ、カナンに匹敵する魔力を有していたとしても不思議ではない。たとえ既に死んでいたとしても(異世界人は転移時の影響なのか、個体別ではなく世界ごとで魔力の強弱に統一性があるように思われると精霊は言う。贄として召喚された異世界人達を含めても、同一世界からの複数人転移のサンプルが少ない為、確定ではない)。
「…………」
結局、残留思念の気の済むまで語らせたが、アウレリウスはあれで自身へのつきまとい(?)が終わったとは到底楽観出来なかった。
一体何がしたいのか、何を望んでいるのか、皆目見当もつかない。
いい年をした、知人ですらない男の毒吐きを延々と聞かされる苦行に耐えたというのに、何の実りもなかった現状は悪態をつく気力さえ萎えさせた。
自分が何を知りたかったのかも判然とさせられず、その癖、目的のものは得られなかったという未達成感だけは妙にはっきりしていた(よもや挙げた可能性全てだったのでは、などとは間違っても考えたくない)。
唯一得たのはどうでもいい、あの残留思念が何故この場所に現れたのか、その理由だけだ。
あの男は「湯冷めした」と言っていた。
それが答えだろう。
折角温泉で心身を休めたというのに、湯に浸かる前より疲れた―――らしくない草臥れた溜息を深々と吐き出したアウレリウスは、しかしもう一度温泉に入ろうという気にはなれず妖精郷へ転移した。何が違うのか、あの場所へは残留思念が入り込むことはない。あの男がその点でも例外でなければ、とりあえず精神的安寧は得られる。
―――あの男がカナンの元へ現れないのは、同じような位置付けの異界である[ホーム]に彼女がいるからなのだろうか。出現のタイミングとその時点でのカナンの居場所の相性が悪い?
所詮ただの憶測だ。
覚書
残留思念 ジョシュア・ユースフ・シロー・ウィロック・アルカイツ・シブシソ・アンラ・ゴヤスレイ・カウイ・アリヒ・リュース・バハドゥウル・ガリー・グリフィズ・アオ・ディエス・リンド・(省略)・アルテゥル・明海・白木・モーガン
関連
28 儚い縁
29 怨讐は廻る
33 後始末
40 茶会
47 過ぎし日
67 代わりはいない
70 遺されるものは様々
72 過剰防衛




