75 呪詛による破滅も運命と言うのであれば確かに赤い糸は運命なのだろう
この世界で不可視の糸と言えば魔法による魔力の流れ、道筋を象る魔力糸であり、中でも地球において運命、宿縁、魂の伴侶、など言葉遊びのように様々に言い表される赤い糸は呪詛である(物の見方に絶対はなく、「妖精の祝福」のように呪詛ではないと認識する価値観もあるにはある)。
赤い糸も赤くない糸も当然ながら初めから繋がっているのではなく術者が故意に繋げる。後者は人に限らず、寧ろ物相手の方が多いが、前者は生き物、大概にして人が対象だ。中継、媒体として物を経由させることがあっても最終的には人に行き着く。
そして今、カナンの目の前で奇妙で滑稽な踊りを見せている赤い糸は、紛れもなく呪詛だった。
思惟の森へ着いた途端、眼前に転移してきたかのように突然出現した赤い糸は、カナンへ向けて猛然と襲いかかってきた。――のだが、その身を締めつけることでも企図したのか、カナンの身体をぐるりと取り巻いたまでは良かったものの、常態的に張り巡らされている結界に阻まれ、髪の先に触れることすら叶わなかった。
その結果、巻き付きを解いて結界に体当たりを敢行しては弾かれ、再び彼女を取り込んで蜷局を巻き、圧迫で破壊しようと試みるも僅かにすら軋まない結界の表面でつるりつるりと滑ってはすっぽ抜け、といった醜態を繰り返し、挙げ句、まるで同情でも誘うかのように惨めったらしくうねうねと悶えている。
内側から眺めている分には、笑いさえ湧き起こらない退屈な踊りを見せつけられている気分である。
思惟の森の霊威を越えて外界から仕掛けてきたのだとすれば侮れない力の持ち主だ、と一瞬、カナンの背筋を冷たいものが駆け抜けるが、精霊に確認してみれば、近くまで来たものの外からでは歯が立たなかったようで、森の中まで入り込んで仕込んでいったという。いや、森の浅い位置で仕込むだけ仕込んで出ようとしたが許される筈もなく、今は魔獣の腹の中らしい。
禁域で仕掛けられた呪詛は、効果を発揮する前に仕掛けた術者が死亡した場合、弱いものなら直ちに禁域の魔力に飲み込まれて消滅し、強いものなら澱に変じて、やがては澱みの木を構成する一要素となる。
カナンの目の前で踊り狂う呪詛は澱に成り得る程度には強力で、尚且つ、まだ仕掛けられたばかりの、ほぼ原型を留めている段階だった。そのような状態の呪詛の面前へ目標が出現したものだから、組み込まれていた命令が正常に発動してしまい、威力そのままに襲い掛かってきた、というのが顛末だ。
要するに、森へ来たタイミングが悪かった。
「………………」
心底厭そうに呪詛を眺め続けるカナンに、思惟の森は沈黙を守った。
ひたすらに沈黙した。
沈黙に徹した。
徹したが――――。
「…………処理しろってことですよね……」
深々と吐息を一つ。
言わずとも分かれ、とばかりに笑い含みのプレッシャーが方々からカナンに伸し掛かっていた。
元より放置する気はなかったが(一応)、はいはいと多少の不本意を滲ませつつ、カナンは呪詛の詳細を調べにかかった。
単純に浄化してしまうのでは溜飲が下がらない。
まず効果は――――
「長期的な魅了……」
そうきたか。
思わずテンプレな感想が零れる。
精神系でも支配や破壊を目的とした魔法はこれまでに何度か仕掛けられたことがあるが、思い返してみれば魅了だけはなかった。(辜負族認識での)人外に惚れられるのは、たとえ偽りでも御免だったのだろうか。しかし、他の隷従魔法の悉くが失敗してきた為、背に腹はかえられなくなったとか?
カナンが魅了される対象が、呪詛を掛けた魔術師ではないというのも奇妙だ。いや、自身でないからこそ思惟の森へ踏み込んだのか。生きて出るつもりでいたようだが、それが実現可能だと夢想していたとは限らない。強制であれ自主的にであれ、自身を使い捨てる気でいたのなら魅了対象を他者に設定していたのも頷ける。
ともあれ、呪詛の処理で浄化以外と言えば呪詛返しが効果的だが、
「掛けた当人が死んでしまっていたら、呪詛を返しても意味ないか……」
「魅了対象に返してやればいい」
消去法で思いつく方法を順次上げていこうと口にしたカナンの呟きに応える声があった。
「……アウルさん?」
いつの間に来たのか、背後から掛けられた馴染みの低音にカナンが振り返ってみれば、何処か不機嫌な、呪詛という理不尽に対する汎用的な不快感とは違う苦みを窺わせる態のアウレリウスが、醸し出す気に違わない渋面で佇んでいた。
「魔術師に呪詛を指示した人族の男がお前の飼い主になる手筈だった。命じた奴も同罪だ」
「飼い主……まあ、そうでしょうね」
恋愛が題材の物語群よろしく、妻や愛人にする為に惚れさせようとしたのではないだろう。せいぜい家畜か人形だ。
「普通に返して命令者の元へ行きますか?」
「呪詛の主体を魔法を掛けた魔術師の魔力から、紐付けされた支配予定者の皇族の魔力へ移行させればいい。それで代償の指向先が変わる」
カナンに歩み寄ったアウレリウスは奇っ怪な踊りに没頭する赤い糸を不快げに見下ろし、聞いてしまえば(彼らにとって)実に簡単な手順を説明した。
「純粋な疑問なんですけど、魅了系の呪詛を返したらどうなります?」
「通常は呪詛の対象者に掛けた側が惚れる」
「え、厭ですよそれ」
「通常ならだ! それ以外がなければ呪詛返しなど薦めん」
珍しく強い語気で心外だとアウレリウスは補足する。
「つまり?」
「この呪詛はお前を対象にしているがお前個人を対象にしているわけではない。"思惟の森の隣人" という曖昧な指定で掛けられたものだ」
「ああ、私自身のことは知らないんですね。それで有効な呪詛を発動出来てしまうんですから、やっぱり力のある魔術師だったんですねえ」
当の魔術師が既に死亡しているからか、しみじみと他人事のように言うカナンに、そんなものは感心しなくていい、とアウレリウスはやや呆れぎみに返す。
「ということは、この呪詛を返した場合、魅了の対象としてアウルさんも含まれます?」
アウレリウスは全ての禁域の "隣人" であり、当然、思惟の森にも該当する。
「含まれん」
即座に否定したアウレリウスは嫌悪全開だ。他者の性的指向に頓着しない男だが、自身が当事者にされるのであれば全力拒否らしい。
嫌悪が前面に出たのは相手が人族だからか。しかも "皇族" と言うからには帝国の人間なのだろう。それではさもありなんだ。
「女の "隣人" に限定されている」
「そこは知ってるんですか。まあ、人間扱いをするつもりがなくても、そちらの指向の人以外が同性を性的に魅了したいとはそうそう思わないですよね」
「お前な……」
「ただの可能性の話ですよ」
男を揶揄っているのではないと言わんばかりの真面目顔でカナンは軽く首を傾げて言う。それを疑う気はないのだろう、アウレリウスは何処か疲れた吐息をついて話の先を継いだ。
「とにかく、"隣人" が対象である以上、その "隣人" を偽装すればいい」
「偽装ですか?」
「適当な人形を造って森に仮認定させ、外にでも転がしておけば勝手に熱を上げる」
「ええ?」
流石に予想だにしていなかった回避策にカナンは目を見張る。
「仮認定って……」
森がやってくれるかどうか……と言い掛け、露骨に面白がる気配と共に了承する意思が脳裏へ伝えられ、カナンは言葉を途切れさせた。
「………………大丈夫なんですか?」
代わりに、直ぐには具体的な方法を思いつけないが、人形が何らかの形で悪用されるのではないかと懸念を示す。
「問題ない。所詮、何の力もないただの人形だ。"隣人" 認定は呪詛の指向誘導の為だけの記号に過ぎない。仕掛けさせた皇族一人が「これは "隣人" だ」と喚いたところで、周りには自我のない物言わぬ肉の塊にしか見えん。人形をお前と同一に見做す "嘘" は、元よりお前が個体単位で辜負族に掛けた制約魔法が機能している限りつけん。それでも気になるなら〔解析〕系統の対策でもしておけばいい。期限を決めて人形を崩壊させる頃には件の皇族の体面やら信用やらも適度に失墜している」
「はぁ…………」
ピュグマリオンさながらに人形に人としての愛を捧げるだけでなく、これは "隣人" だ、と声高に主張すれば、確かに正気も常識も疑われるだろう。
悪辣に嘲笑うアウレリウスを、カナンは自分でもよく分からないまま不思議そうに見詰めた。男が何に憤り、あからさまな侮蔑を見せているのかに思い至れない。辜負族の行う呪詛は確かに唾棄すべき忌み事だが、今更のような気もする。何度遭遇しても嫌悪がなくならないのは当然だとしても、何か腑に落ちなかった。だが、その何か、が分からない。
「……なんだ?」
「いえ……」
自身の物問いたげな視線を怪訝に見返してくるアウレリウスに、困惑を隠さず眉尻を下げてみせるも突き詰めてはいけない気がして、カナンは胸の内の疑問から目を逸らした。
答えを知ったところで、胸苦しくなるだけで何も返せない――何故だかそんな予感がして怖じ気づいた。知らなければ今のままでいられる――――。
「……人形は私に似せなくてもいいですか?」
「何でも構わんだろう。いっそ男にでもしてやれ。属性だけ女にしておけば呪詛も喰いつく」
追求してくれるなというカナンの無言のサインを汲み取り、アウレリウスも気にする素振りを見せず呪詛の話題に戻った。
「アウルさん……」
「ああ、だからといって俺の外見は使うなよ」
「使いません」
軽口の応酬で二人の間に蟠りかけた空気の色を変える。
心理的な余裕を取り戻したカナンは早速、呪詛返しの準備を始めた。
生贄(?)となる人形は、既に呪詛を仕掛けさせた皇族を特定しているアウレリウスに〔千里眼〕と〔光幕〕を駆使して姿を眼前に映し出してもらい、それを参考にしながら〔複製〕と〔傀儡〕を用いて瓜二つに作製する。アウレリウスの前で男の裸体像を造るのは憚られたので衣服も同時にコピーした。
アウレリウスは内臓までそっくりに造らせたがったが、排除行動に出られた場合の凄惨さをうっかり想像してしまって辟易し、以前に自身の身代わりを造った時とは異なる、外観と質感だけ人体を模した、中身の様相は素材の木片同様の木質に似せたものにしておいた。
これではピュグマリオンではなくナルキッソスだと自身の所行に呆れつつ、次いで人形を何の変哲もない無害なただの無機物に見せかける為の、看破系の魔法対策を施す。支配系の魔法も一切遮断。形に反する性属性を付与するのも忘れない。
更に、設定した期限内は破壊されても元通りに再生される機能をつけ、対象の皇族からは一定距離以上離れない追尾機能も与えておく。拘束された場合は微粒子レベルまで自壊し、場所を移動させて即時再生することで常態的な自由を確保させる(もはや "ただの" 人形ではないだろうという突っ込みは却下)。
物理的には無害でも、魅了される当人はさておき周囲で見守る者達の精神には極めて有害なこれらの仕様はアウレリウスの発案だ。よほど腹に据えかねるものがあるらしい。
その後、思惟の森の "隣人" 認定を受けた人形を、アウレリウスが〔転送〕で件の皇族の元へ送り込むのに合わせて呪詛返しを発動した。
アウレリウスと会話する間もぐねぐねと悍ましいダンスを披露し続けていた赤い糸は、カナンの術の発動と同時にあっけなく消滅した。
「そういえば」
きちんと皇族の元へ呪詛と人形が届いたかどうかを〔千里眼〕で確認した後、不意にアウレリウスが今思い出したというようにそう切り出した。
「……なんですか?」
何とも形容し難い、本人も表情に困っている態で見下ろしてくるアウレリウスを見返し、カナンは今度は何なのだろう、と少々構え気味に問い掛けた。
「いや、お前の故郷には、いい年をした人間が指に赤い糸を括りつけて馬鹿騒ぎをする祭りでもあるのか?」
「………………は?」
「直ぐに消したから詳細は知らんが、あの残留思念の男がいたのは覚えている。お前の記憶だろう」
"消した"、"記憶"、で例によってアウレリウスが思惟の森に他者――今回はカナンらしい――の過去を見させられたのだと察する。
幸い見られて困る類いのものではなかったようだが、いつのものかに思い至りげっそりとなった。
イベント自体にではなく、芋づる式に蘇った特定人物の表情に対する条件反射だ。
「祭りと言えば祭りですが、一回限りのもので、定期的に行われるようなものではないです」
「そうなのか?」
「主旨は聞かないで下さい。意味のあるものではないので。アウルさんの言った通り、ただの馬鹿騒ぎです」
「……そうか」
それ以外にはない、と頑なな様子で口を噤むカナンに、心情的な瑕とは別方向で知られたくない内容なのだろう、とアウレリウスは窺い知れる陽気を言い訳に揶揄う真似はせず、苦笑いで話を切り上げた。
* * * * * * * * * * * * * * * *
カナンがプレイしていたVRゲームに『赤い糸』という突発イベントがあった。
ゲーム内にいるプレイヤー全員の右手の小指に突然、伸縮自在の赤い糸が括りつけられ、その先にいる相手と組んでクエストをクリアするという内容だ。
赤い糸は完全にランダムで繋がれ、組む相手とどうにも反りが合わない、リアルの事情で時間が合わない、など様々な理由でリタイアを望む者も当然ながらいた為、イベント用のメニューをタップするだけで手軽に権利放棄出来る仕様にはなっていた。
救済のつもりなのか、一回だけリタイアした者の中から希望者を募って赤い糸がシャッフルされたが、それで何割がイベントに残留したものやら、公表もされず、わざわざ集計をする者もおらず、最終的に一体何人が参加し、無事クリアしたかは誰も知らずじまいである。
あのゲームでは珍しいプレイヤー同士の協力を要するイベントだったわけだが、A氏の本音は、最初からくどいぐらいにソロ推奨だと明言しているにもかかわらず、協力型のシステムを作れ、とゲームの主旨を履き違えたクレームが執拗に繰り返されてうんざりし、その意趣返しをしたかったのではないか、とプレイヤーの間では囁かれていた。
確かに赤い糸を繋げる、もしくは維持するのが目的ではなく、まず断絶する為の手段を探して協力し、ばっさり断ち切ってソロになることで次の段階へ進行するイベント内容は嫌みである。
『別にいいんじゃないかなあ。"切る" には始まりの意味もあるんだし』
『始まり…………ああ、"スタートを切る" とか "火蓋を切る" とか? でも、それだと意趣返しにならないんじゃないの』
ゲーム内に存在する、とある町の雑貨店。
(カナンにとっての不運な)偶然で再会した男が振ってきたのは、数日前から進行中のイベントに関する噂話だった。
二人揃って即行で棄権したイベントのことなど放っておけばよいものを、と呆れながらも、商品を見る傍ら、なんとなくで相手をする。
『意趣返し云々は本人が言ってるわけじゃないんだから好きに解釈すればいいんだよ』
『まあ、そうだけど』
それはそれで、相手次第でややこしいことになるのでは――――その混沌さえも面白がっていそうで(A氏とか目の前の男とか)、カナンは己の不穏な考えを言葉にせずに飲み込んだ。
『どうせ最期は誰だって独りきりだし』
『それも解釈次第でしょ。大体そこまでは流石に深読みのしすぎだと思うよ』
『まーねー』
へらりと笑う男の表情は、含むものの何もない無邪気にも、救う手立てのない猛毒を孕んでいるようにも見えた。
『運命も奇跡や天罰と一緒だ』
自分を見据えながら男が零す独白めいた呟きに、カナンは直ぐさま過去の発言を思い出して諦め混じりの吐息をついた。
『偶然ってこと?』
『人間が好き勝手にお膳立てするってのもね』
何が面白いのか、死にかけていることの多い男の目は愉快で仕方がないと笑っていた。
覚書
呪詛を掛けた魔術師 ウェイシーダ・ニハテラン
呪詛を命じた皇族 ヴァンロッザル・ブレーマッド・ベーネンヴェル
知人 ジョン・タロウ・スズキ・スミス (ID)
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