73 子守
縮小して暫く自宅内で過ごしていたと思えば、久方ぶりに本来のサイズへ戻り悠然と空を泳ぐ礼龍は、何やらその長大な背中が奇妙な状態になっていた。
アリクイだ。
首から鼻先へと下へ湾曲する頭部、外向きに開いた耳、長い尾は半ば程から毛がない。頭胴長は二十センチ前後か。口元からてろりと覗く赤紫の舌は環形動物を思わせる。ミナミコアリクイである。但し、体毛は白黒茶ではなく、光の加減でほんのりチラチラと輝くホワイトシルバーに透明感のあるオレンジピンク、白毛をうっすらと化粧するのはレモンイエロー。
その恐らく子供だろう小さな影が幾つも幾つも、一体何十匹いるのやら、礼龍の波打つ長大な背中を尾の先から頭の先まで忙しなく行き来している。よく落ちないものである。
「…………何処で拾って来たの」
ゆったり身をくねらせながら低空を飛ぶ眷属を、牧草地と庭の境に立って呆然と見上げたカナンは、深く考えもせず、その割に至って全うな問いを投げかけた。
ここはお約束のあの台詞を言わなければならないのだろうか。
所謂「拾った場所に戻してきなさい」、と。
……思考は少々混乱ぎみだ。
主の困惑を知ってか知らずか、礼龍は我関せずの態で優美な舞いのように飛翔するのを止めない。
それでもカナンの前を去ろうとせず、一定の範囲内に留まっていることから一応意識してはいるのだろう。しかし、何か訴えたいことがあるにしても相変わらず顔はそっぽを向いたままだ。ミナミコアリクイ達は足下のうねりをものともせず、駆けたりぶら下がったり飛び跳ねたり、同族が背中を踏みつけていっても気にせず爆睡を続けたり、したい放題である。
[ホーム]で今まで見た記憶のないミナミコアリクイに、一体いつ住み着いたものやらと自身の放任さに呆れつつカナンが〔解析〕をかけてみれば、予想外にも彼らは通常の動物でも魔獣でもなく、残る選択肢の霊獣だった。但し、よりにもよって<あちら>側の霊獣だ。種族名はラダイラルウダと言うらしい。
「えっ……ちょっ……霊気はどうするの!」
コメディじみた言い種だが、実は結構深刻だったりする。<あちら>の霊獣に必要な霊気は<あちら>のもののみであって[ホーム]の霊気では代用にならない。また、子供はまだ魔力を霊気へ変換する能力を持たない為、食糧を自家生成することも出来ない。
霊気の供給がストップして直ぐに影響が出ることはなくとも、余り猶予がないのも事実である。
礼龍もそこは分かっているらしく、カナンの叫びに合わせて方向転換し、漸く彼女の眼前に滞空して顔を寄せてきた。
そうならそうと自ら話を振れば良いものを、と思い、窘める視線を送れば、どうやら後先考えず勢いで連れてきてしまったのを気にして彼なりに遠慮していたらしく、目線を気まずげに斜め下へ逸らされた。
それでラダイラルウダの生命維持に支障が出るようでは本末転倒だろうに、そこはもうぐだぐだ言っても始まらない、とカナンは意識を切り替えて現状に至った経緯の詳細を礼龍から聞き出すことにした。
きっかけは礼龍が気紛れに行っていた、光幕越しの〔千里眼〕による<あちら>側の観覧にあったらしい。
ラダイラルウダの住処に当たったのは単なる偶然だったそうで、礼龍が覗き見た時、ちょうど人族の魔術師集団による襲撃を受け、成獣がどうなったのか、その安否が不明のまま、子供達だけが取り残されていた。そして魔術師の攻撃の手は彼らにも既に向けられており、これは一大事、と礼龍は咄嗟に異界門を開き、〔転送〕で子供達全員を攫ってきたという(生物の転送は引き寄せるにせよ送り出すにせよ同一世界にいる必要がある。さもなければ門のように局所的に道を開いてそこを通すか)。
自身が<あちら>側へ渡って人族を退けなかったのは、精霊と違い、ヴルガレスは生命維持に[ホーム]の霊気が必要なことと、辜負族の<あちら>の霊獣に対する常日頃の所業を知るにつけ、不安を募らせていたカナンが界を渡ってはいけないと厳命していたからだった(辜負族にヴルガレスを傷付けられる力はない、と驕り侮るのは愚かだ)。そこを律儀に守りながら、同じ前者の理由で界を渡らない<あちら>の霊獣を[ホーム]へ連れ込んでいたのでは、何故駄目なのかを理解していないのではないかと頭の痛くなる話である。しかし、それをしてはいけない、とは約束しておらず、ましてや非常事態だったのでは頭ごなしに叱ることも出来ない。完全に想定外だったのだ。
慌ててはいても、ラダイラルウダの身体浄化を連れ込む前に行う理性があっただけまだましか。そのまま連れてきたのでは[ホーム]の環境的に問題があったらしい。礼龍はしれっと何もなかったんだからいいじゃん的にスルーしたが、一部始終を<あちら>の精霊と共に見ていた[ホーム]の精霊がきっちり暴露してくれた。
「……」
カナンのこれ見よがしな溜息にも礼龍はどこ吹く風。
さて、どうしたものか。
礼龍が事を起こした時はともかく、今は<あちら>側の精霊が帰ってしまっていて[ホーム]にいない。
とりあえずラダイラルウダの子から聞き出した住処へ、残存している彼らの魔力を頼りに簡易の異界門を開け、そちらにいる精霊とコンタクトを試みる。
霊獣の守護地ゆえに手薄なのか、数は少ないながらも幸い直ぐに精霊と意志疎通が叶い、早速子供達を帰していいか尋ねてみれば、未だ人族の魔術師が彷徨いており、もう暫く避難させておいて欲しいと逆に依頼されてしまった。
そう言うからには生命維持に関して何か対処法を知っているのではないかと助言を乞えば、あっさり解決方法を伝授された。
「私がするのね……」
いや、それ自体は別に良いのだが。
何となく親とはぐれた子供の世話をする迷子センターのスタッフの気分である。それとも、親代理(?)の精霊に預けられたわけだから託児所職員の方か? 数がちょっと尋常でないが(本職の方々から見れば生温い数なのだろうか。一人で食事の世話をする数として。それはそれでブラックな気もする)。
彼らへの供食方法は至って簡単。カナンの魔力を<あちら>の霊気に変換して与えればいいだけである――――実に簡単だ、方法さえ知っていれば。
知らなければどうにもならない、は今更言っても仕方がない。
「〔小結界:特化〕〔転送〕〔標本複製〕〔変換:霊気〕」
<あちら>の精霊から教えられた魔法を自前の同系統の術で再現、ダイレクトに使えないものは複合して新しく構築する。手順は<あちら>の霊気を拡散しないよう予め作っておいた容器型の専用結界内にサンプルとして取り寄せ、それをベースに自身の魔力を変換する。
霊気への変換は契約したことで得たヴルガレスの能力で、カナン本来の魔法ではない。もっとも、カナンは自身の魔力を変換したが、[ホーム]、<あちら>双方の霊獣が行う霊気への変換は同じ界に属する他者の魔力にのみ作用する能力で、自身の魔力は弄れない。カナンが彼らの魔法を借用する際、その性能に多少なりと変化が生じることは珍しくなく、ヴルガレスの他の能力でも起こる現象だ。
〔標本複製〕さえ可能になれば礼龍でも出来そうに思えたが、ヴルガレス自身が特定の霊気を必要としているからか、たとえ他者の魔力に対してであってもそこは駄目らしい。
「それにしても」
いつまで預かるんだろう――。
<あちら>へ行って魔術師達を追い払うのは容易い。しかし、永続的に霊獣の住処へ来られない状態にするとなるとそう単純にはいかない。
強力な結界で住処を覆えば、端的な魔力規模の格差から人族は二度と踏み込むことは出来なくなるだろう。ただ、異物であるカナンの魔力を半永久的に<あちら>の限定的な場所に留めるのは、たとえ指向先が明確でもあまり良いことではないのだ。
「…………」
見上げれば、カナンの生成した霊気に包まれることで腹が膨れて眠くなったのか、ミナミコアリクイの子が親の背にしがみつく様に似た姿勢で礼龍の上に整然と並ぶラダイラルウダの子供達は、一様にすよすよと寝息が聞こえてきそうな安心しきった顔で熟睡していた。
「はぁ……」
暫く様子を見てもう一度<あちら>の精霊に確認しよう、とカナンは現状での事態の改善を色々諦めた。
* * *
カナンの憂慮は精霊に確認するまでもなく、数日で解消された。
<あちら>から迎えが来たのである。
牧草地に悠々と寝そべる礼龍の身体の上をちょろちょろと忙しなく動き回る、ラダイラルウダの子供達に霊気を与えていたカナンの背中へ不意に掛けられた声は馴染みのあるものだった。
「そいつらの親は全員、救い出して住処へ戻した」
アウレリウスである。
唐突な訪問はいつものことで、すっかり馴れ切ったカナンはその点に関しては喫驚もせず静かに体ごと振り返った。礼龍も他人事ではないと思ったのか、伏せていた頭をのっそりと擡げる。
「全員無事だったんですか…………」
やや呆然と返すカナンは不謹慎な反応をしているのではなく、正直、人族に襲撃されて返り討ちに出来なかったのであれば無事では済まないだろうと思っていたのだ。そうした現実をこれまでに何度も目の当たりにしてきた。
一体ニ体なら実験用に拉致された可能性もあっただろうが、数十体全員を生きたままとは、襲撃した魔術師達はどれほどの能力を有していたのか。
勿論、無事であるに越したことはなく、安堵の気持ちも嘘偽りなくあった。
「連中の力はそう大したものじゃない。たまたま策が上手い具合に "嵌まった" だけだ。運も実力の内、とお前の故郷の言葉で言うなら、まあ力があったと言えなくもないが、破滅が速まっただけで後が続かなければ所詮その程度だ」
カナンの言葉にならない疑問を察してアウレリウスが補足する。
「破滅……ですか」
襲撃者達は百人には満たなかったようだが、その集団だけを指すにしてはそこはかとなく不穏を感じるニュアンスだった。
「独立した組織ではなく、国ぐるみだったからな。おまけにラダイラルウダが一気に管理地を離れた為に魔力の調和が崩れた」
「それは……もしかしなくてもこの子のせい……」
礼龍がラダイラルウダの子供を[ホーム]へ連れ込んだのが原因かと顔色を変えるカナンに、
「違う」
アウレリウスは即答で、少々呆れを滲ませながら否定した。
「チビどもが何体いたところで成獣一体の代わりにもならん。礼龍の判断は短慮ではあったが強ち間違いでもなかった。親に対する質としてならともかく、実験材料にでもされれば一溜まりもない。成体間近の子供と違い、生まれたばかりに近い幼体だからな、まだ体が脆い」
―――[ホーム]同様、<あちら>の霊獣にも寿命はない。ただ、ごく稀に、禁域がその身の還元を望むことがある。
一呼吸を置いて語られた、一見、脈絡なく思える話はカナンには初耳だった。
禁域に訊いていないのか沈黙されたのか、理由まではアウレリウスも知らないという。
今回、魔術師集団に拉致されたラダイラルウダは丁度その為の代替わりを段階的に行っている最中にあり、幼体の数ばかりが集中して多いのもその為だったのだと続けられ、無関係でないどころか肝要だったのかとカナンは得心する。
ただ、寿命による死のない霊獣でも、魔力の規模により、この大陸中に蔓延する深淵へ集められる前の澱に中てられ、身の内から徐々に蝕まれていくことがあり、存在保持の限界を察して、禁域への還元を自ら願い出る霊獣もいるという。ラダイラルウダの親達は多少の個体差はあれど正にその状態にあり、アウレリウスはそちらの影響もあるのかもしれない、とも付け加えた。
「そうですか……」
礼龍に非があれば共に罪科を負うつもりだったカナンはほっと息をついた。きっちり "短慮だった" と釘を刺すことも忘れないアウレリウスの厳しさも共に噛み締める。魔力を<あちら>の霊気に変換して受け渡す手段があったから良かったものの、なければラダイラルウダの子供達がどうなっていたか。眷属には<あちら>に興味のある者もない者も関係なく、万が一の対処法を周知徹底しておく必要があるだろう。特にカナンへの即時 "報・連・相(提唱者の真意ではない方)" は必須だ。
「元々連中の研究で、広域に亘る均衡が既に危うくなっていたのが主たる原因だ。襲撃はその研究で儘ならない魔力の調和をラダイラルウダにさせるのが目的だったらしい。
ラダイラルウダは最後の関、その不在が止めになった」
「では、破滅というのは……?」
聞くまでもないかと思ったが、敢えてカナンは追求した。わざわざこの男が話題を振ったのは、知っておけ、という意図も含まれている気がしたのだ。ならば憶測で済ませず、正確に知っておきたかった。カナンが問わずとも男は自主的に話したかもしれない。しかし、一方的に聞かされるのと自らの意思で聞くのとでは気構えが違う。
「流石に霊獣を単体で殺害した場合と同列には扱えん。たとえ一体として絶命させていなくともな。
襲撃者達は奴らを擁する国ごと大陸から隔離した。魔力調和の崩壊で起こる異常もろとも。家畜以外の他種族は全て除外、家畜は道連れになるかどうかの選択は個々にさせた。件の国に属さない辜負族は関与の有無で一蓮托生の者と故郷に帰す者とに分けた」
「………………」
中々に壮絶な処置だった。
隔離は謂わば出口のない異空間に国ごと封じ込められるということだ。それも魔力バランス崩壊の代償付きで。国のあった場所には自然物だけが残る。
ラダイラルウダの拉致だけでなく、既に魔力バランスに手を加えていたのも処置が苛烈になった要因なのだろう。
遠からぬ国の末路はムオニネアが良い例か。
かの国とは異なり、異世界人の魔力が関わっていないからこそ採れた処置ではあるが、受ける代償に大きな差はない。精々、復讐者不在で精神への直接的なダメージを免れられるくらいだ。
留意すべきは澱の処理。
隔離された者達が変わらず生み出し続けるだろう澱が隔地から<あちら>側へ流れることはなく、当面の影響は苦慮する必要がない。ただ、先々で隔地を消滅させる際、禁域の澱みの木さながらに凝集した澱を処理せず異空間に放置すると、何れ<あちら>側にも悪影響を及ぼし始める為、同時に浄化しなければならないらしい。
自身が請け負い、カナンの関与を要しないその事実にまで男が言及したのは、これもまた記憶しておけということなのだろう。次がないとは限らず、その時アウレリウスが対処出来る保証もない。
件の国に属さず、襲撃或いは襲撃者達に関わりもなく、完全に部外者でありながら一蓮托生を望む者がいたかもしれない可能性は――アウレリウスが考慮する筈もない。男の辜負族に対する非情はカナンに勝り、カナンと違い、その立場ゆえに正当だ(あくまでカナンの認識では。アウレリウスにはまた違った認識があるだろう)。
引き裂かれたかもしれない恋人達の行く末は考えないことにした。カナンにとってはどうでもいいと言えばどうでもいい。自分本位上等、自身の所属する国家の長が世界を荒らす浅薄者であった運の悪さを呪うにせよ、長の暴挙を放置したつけの支払いを理不尽だと逆恨みするにせよ、その立場にいる者に愛情を傾けた悪縁を嘆くにせよ、悲歌慷慨(では少々厚顔か。後の祭りだ)、幽愁暗恨、幾らでも好きにしてくれ、である。カナンには関係がない、彼女が肝要とするのは親しんでいる霊獣の一種族を虐げ、精霊に多大な迷惑を掛けるところだった事実だけだ。
守るべきもの、守りたいもの、守れるものの範囲は広くない。己が何者かも、賤手の持てる限界も弁えている。
「ないとは思うが、連中が隔地から戻って来ないよう、お前も気に掛けていてくれ。そう長い間じゃない」
「分かりました。あと、大陸側から彼らを呼び戻そうとする意思にもですか」
「そうだ」
アウレリウスの魔力を凌駕出来る存在がいるとも思えないが、戻れなくとも試みだけで大陸に何らかの影響を及ぼす可能性がないとも言えず、元より協力に否やのないカナンは神妙に頷いた。
万が一にも戻ってくるとすれば、魔力バランス崩壊の代償も引き連れてになる。
冗談ではない。
自然回復を待ってはいられないほど広範囲に亘って人族の崩した均衡は、これから精霊と霊獣とが早急に修復することになる。それを無意味無駄にされるのでは堪らない。
代償だけを隔地へ残す方法?
そのような人族にだけ価値のある虫のいい展開には、たとえ可能であったとしてもしない。
そこまで酷くなる前に何故止めなかったのだ、と自分達の所業、或は無行動を棚に上げて責任転嫁や非難をする者もいるが、禁域サイドは、辜負族のすることには結果に対処をすれど基本的に不干渉である("隣人" を転送して未然に干渉させることがあるのは、大概にして気紛れでしかない上、してもしなくても良いという適当具合だ)。
大体、止めたら止めたで辜負族は干渉するなと突っ撥ねる。
統制は嫌、指導も嫌、完全な奔放を保証した上で辜負族の都合に配慮した尻拭いだけはしろ、とは、禁域サイドは来寇者の、保護者でも奴隷でも便利道具でもない。
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