72 過剰防衛
鬼族は殺人を許容してはいないが、一方で強い者が正義、に近い部分がある。
秩序を乱す闘争は厳罰ものでも、両者合意の上での力比べに罪科はなく、万が一殺してしまっても罪に問われない。また、一方的に攻撃を受けた状況での反撃による殺害も同様である。襲撃された側に瑕疵があったとしてもそれは変わらない。襲われるだけの理由に法的な問題があるのなら、それはそれとして別に裁かれる。
思惟の森へ人族の女を投げ込んだオーガの男とその弟との戦いは、兄が先に手を出したことに加え、禁忌を犯すというオーガ族の掟においても一切酌量の余地のない理由から、弟の兄殺しは罪に問われなかった可能性があった。
しかし、真実を語る術は封じられ、語れたとしても確たる証拠も目撃者もなく、その言の信憑性は弟の為人にのみ拠ることになり、何より当人が罪悪感から罪科を強く望んでおり、今更な推測には何の意味もない。
* * *
「……過剰防衛がないっていいですよね」
円環列島の一角。
深淵内部での用を済ませたカナンは、いつも通りに帰還の意思を伝えて外界へ戻してもらおうと虚空へ呼び掛けてみたところ、別件で深淵に来ていたらしいアウレリウスが現れ、ついでだと言うので、便乗で列島上空へと共に転移してもらっていた。その際、いきなり足場のない場所へ転移んだのはアウレリウスの悪戯だったが、〔飛翔〕を即時発動して事なきを得たカナンが呆れたように見上げても、男はつまらないと失望するでも悔しがるでもなく、何処か愉快げに目を細めただけだった。
その後はアウレリウスと別れて帰宅するだけの筈が、ふと見下ろした地上で数人の辜負族が乱闘をしており、その中にオーガがいたことで後味の悪い記憶を呼び起こされたカナンは思わずじっと見入ってしまった。
場所は森が途切れ、階段の踊り場のような平地を形成している山の中腹辺り。戦っているのはオーガの他に人族と獣人族で、魔術師はいないらしく全員が武器を巧みに操り、何人かは殺意丸出しで攻防を繰り広げていた。
「全員クェジトルだな」
つき合いがいいのか単なる野次馬か、カナン同様、立ち去らずにいたアウレリウスが律儀に解説をする。
「よくある怨恨だろう。優勢の方が劣勢の連中から襲撃を受けたらしい」
「もう調べたんですか」
感心より呆れを滲ませてカナンが応じる。
「この程度のことは、わざわざ要求しなくとも勝手に精霊達が囀る」
「アウルさんの場合はそうなんですね……」
カナンはこちらにいる時、精霊達が何をおいても知ってほしいと思うほどの深刻事でもない限り、積極的な辜負族の話題は遠慮させてもらっている(緩い要求だからか、全員が全員、カナンの意に沿ってくれるとは限らず、一切斟酌せずに口の滑らかな精霊もいる)。
心情を掘り返せば色々鬱屈したものも出てくるが、最大理由は関心がないからである。
そうして二人が戦いそのものに対しては是も非もない会話に興じながら、呑気に観戦をしている間に決着がつき、優勢側が勝利を収めた。
クェジトル同士のいざこざは当事者だけでの解決を促し、<深淵の門>は基本的に干渉しない。犯罪に関わる可能性もあるため報告義務はあるものの、ただの個人的な揉め事であり、無関係の人や物を巻き込んでさえいなければ、怪我人が出たとしても特に罰則はない。ただ、個人間の問題でも死者を出した場合のみ聴取と状況に相応した刑罰が科されることがあり、その際、罪に問うかどうかの裁定はかなり厳密に行われ、なあなあで済まされることは殆どない。
<深淵の門>が殺人を看過しても、殺害理由が禁域にとっての罪に相当するのであれば(捕食や自衛の為の殺生は、当事者だけで完結しているのであれば大概において罪に当たらない)、その殺人者は深淵に潜った途端に息の根を止められる。クェジトルとしての資格を失うからだ。それを<深淵の門>も承知しているが、だからといって "どうせ深淵が処罰するのだから" と罪科の手間を深淵に押しつける無責任は許されない。
クェジトルの価値観として罪に問う必要はないと裁断した上で<深淵の門>が殺人者を罰することなく解放し、探索に戻らせたのであれば深淵は利用されたとは受け取らない。しかし、罪科なしには済ませられないと判断しながら、二度手間になるのだから自分達は楽をしたい、といった観点での罪科放棄は許せないらしく、実行すれば<深淵の門>全体に何らかのペナルティが科される。
不問裁定を深淵が厳正と受け取るか、慣れ合いや面倒からと判断するか、その境界をクェジトルが厳密に見極めることは難しく(法規定に則って不問にしたとしても、心内に怠惰の念があれば利用されたと判じられる場合もあり面倒臭い)、殺人が起きる度に処理に奔走する者達は頭の痛い思いをしている。
決着後、勝者達は生死確認の為にか地に伏した者達の体に触れていたが、どうやらオーガだけは相手を殺してしまったらしく、消沈した様子で項垂れていた。仲間達がしきりに何かを言ったり肩を叩いたりして慰めても一向に納得する素振りを見せない。
故郷でも円環列島でも似た価値観が常識であるにもかかわらず一々罪悪感を抱くのは、オーガとしては特異なのではないだろうか。
殺人に関する慙愧が種族として例外なしの常態であるなら、返り討ちOKな法にはならないだろう。
その特異な個体が特異さを顕著に表す機会に二度もカナンが遭遇したのは何の偶然か。
「…………」
一度目はともかく、オーガ族の法の一端を知った上での今回は、カナンにとって正に "好奇心は猫を殺す" の感を否めなかった。少なくとも精神的には。
「"過剰防衛"……?」
思わず、といった態でぽつりと零されたカナンの小さな声を、耳聡く拾ったアウレリウスは怪訝な眼差しを傍らへ向けた。
「故郷の法律に精通していないので正確無比には説明出来ませんけど、要は攻撃を受けた時の反撃を "やりすぎだ" と見做されてしまうことです。この過剰防衛に相当すると判断されてしまうと何らかの罪に問われます。
対して反撃もやむなしと認められることを正当防衛と言いますけど、そちらは非常に認定が厳しい。反撃は身を守ることを目的としたものでなければ駄目だとか、相手よりも殺傷力の高い武器を使っては駄目だとか、色々条件がある上に状況次第で様々に解釈が変わってくるので、それら全てを満たして認められることは中々に困難でした。
ではどう対処するのが最善なのかといえば、"とにかく逃げろ" が鉄則らしいです」
感情の抜け落ちた顔で淡々と答えるカナンに、その諦念した様子と話の内容とに対する二重の意味でアウレリウスは眉を顰めた。
「そうそう都合良く逃げられるわけがないだろう。お前の故郷は先に殺った者勝ちだったのか? 無抵抗で黙って殺されろと?」
「建て前上は一応、そうではないですけど、反撃する側は仕掛けてきた側の生命維持に配慮しなければならないので本質はそれに近いのかもしれません。あと、過剰か正当かの境界の曖昧さがデメリットになる対象は限定的でしたね。力のない人間には難しくても、金やコネや権力を持っていたり、情報操作や思考誘導に長けた者なら容易くその位置を変えられましたし」
「妙に実感が籠もっているな」
僅かに見せた情動を察してアウレリウスが指摘すると、今度こそ取り繕いもせずにカナンは盛大な溜息をついた。
「ええまあ。ちょっと武器を持った凶行中の強姦殺人犯を木板で張り倒したことがあって。打ち所が悪く一発で昏倒させてしまったのを後になって訴えられました。有罪です。因みに強姦殺人犯は責任能力がないと判断され、実質、無罪放免のようなもので服役はしませんでしたね。――ああ、私が殴ったせいで記憶が飛んで、とか、まともな受け答えが出来なくなって、とかではないですよ」
正確には外置きされていた軽量なメニューボードで、打ち所が悪かったのは倒れた際のことだけれど――投げ遣りぎみにカナンは内心でつけ加える。詳らかに何もかもを男へ明かすつもりはない。
また実際には、襲われていたのはカナンではなかったのだからと、正当か過剰かの議論すらされなかった。カナンが行動した時点で既に被害者は死亡していたと認定された後は(その判断が順当なものだったのかは分からない)、司法も世間も完全にカナンをただの暴行者扱いだったのも皮肉過ぎて笑えた。
犯人は監視という名の厳重な警護の元、安寧で自由な人生をその後も謳歌し、リアルタイムで動画を全世界へ配信しながら助け手の邪魔をしていた協力者達は、にわかも真正も一人として法廷に引き出されることはなかった。「子供のやったことだから」はなんと便利な魔法の呪文か。責められるのはいつでも責める側だ(子供ではない者達も何故か引き摺り出されはしなかったが)。
矢面に立たされ、妄想逞しい侮蔑と嘲笑と好奇の目に晒されたのは被害者側の人間だけだった。
――――ありふれた理不尽だ。
「責任能力」の有無による不公平は、実にありがちな、他面においての利を優先した結果、その皺寄せとも言える。もっとも、入念な準備を前もって行っていた犯人に本当に「責任能力」がなかったのか、ないと判断されたことが倫理的にはともかく法的に正しかったのかどうかはカナンには分からない。
前準備の情報を事実として伝えていたメディアはいつの間にか沈黙した。いいほど経ってからそれが嘘偽りない事実であると、確たる証拠と共にカナンに齎した者がいたが、何もかもが遅すぎた。
理性があって倫理の認識が欠如している者を「悪事を悪事と判断する能力がない」と見做すのであれば、どの道結果は同じだ――――諦念はもはや揺るぎなかった。
「……お前の故郷にはまともな法がなかったのか?」
鬼族やクェジトル、深淵の法がまともかはさておき、例えば人族の法の理不尽を掻き集めたかのように。
「相手を選んでまともに機能していました」
アウレリウスの意図を察しながらも、カナンは敢えて微妙にずれた答えを返す。
それに、事が起きてしまった後で一番厄介だったのは法でも犯人でもない――――蛇足も心の内でだけ。
「…………」
コメントに困る言い草だな、と心中で思えば、案の定アウレリウスは言葉を途切らせ、カナンは自身の浅慮を自嘲した。
「…………すみません、忘れて下さい。今更異世界で文句を垂れても仕方がないですよね」
――――言葉の端々に同情をくれと滲ませておいて、忘れても何もない。構ってちゃん過ぎる自身の浅ましさに反吐が出る。
後悔の二文字を顔面に張りつけて俯き加減になるカナンの小さな頭に、後頭部から抱え込むようにして男の太い腕が回され、やや横向けられた顔――その両目を大きな掌が覆った。
「……アウルさん…………?」
泣いてませんよ……?
カナンの訴えは承知の上の男に無言で無視された。
* * * * * * * * * * * * * * * *
『助けてやんないの?』
自らは動こうという意志が全くないのを棚に上げて男が問う。
『代替行為には何の意味もないよ。…………あなたもあの子の気持ちを代弁する?』
『まさか』
答えの分かり切った質問をするカナンに、オーバーアクションで心外だと言わんばかりに男は肩を竦める。
『それにこっちは自分の意志でほいほいついてってるし、同じに扱ったら駄目なんじゃないかなあ。操作出来る応報は公平にしなきゃ』
『神様気取りかってまた言われるよ』
『アホらし。奇跡も天罰も端から人間がやることだよ。じゃなきゃ、ただの偶然、ただの確率でしかないものを都合のいいように振り分けてるだけだ』
大通りの一角に立って路地の奥を見詰める、最近不本意にもリアルばれをしてしまったVRゲームでの知人にうっかり気付いてしまったのが運の尽き。後からその場へ来たカナンは絶妙なタイミングで振り返った男と目が合った為に話し掛けられ、無視するのも流石に気が咎めて男に近付いてみれば、路地奥の開けた場所で行われている惨事を顎で示され、絶句すると同時に挨拶だけで立ち去るべきだったと自省した。行われている暴虐がついでなのか主目的なのかは分からないが、フラッシュバックは相当部分だけでなく全てを一気に見せつけてきた。
どういう経緯で現状に至ったかは今の男の言葉で大凡の見当がつく。一歩路地へ入ればライブハウスやクラブの裏口が存在する通りだ。何を餌にされたかも件の連中の服装を見れば想像に容易い。
男は補足で、路地へ入る前に警告を発した者がいたが煙たがられた挙句に逆ギレをされていた、と言い、それを聞いて、子供だから仕方がない、で割り切れる寛容さも年長者の義務感も持ち合わせていないカナンは「どうしようもない」と吐息を洩らす以外何をしようという気にもなれなかった。
男が "応報" の言葉を持ち出したのは、そうした一部始終を見ていたからというのもあるのだろう。
嘘をつかれているとは思わない。誠実だから、正直者だから、ではなく、皮肉の意味で、男は他者の瑕疵を捻じ曲げて公言することをしない。
振り切るのではない自然な仕種で顔を逸らし、カナンが通りの人波へ戻って行くと、男もその後を追って路地のそばを離れた。
『あの場所に用があったんじゃないの?』
傍らに並んで歩く男をカナンが怪訝に見上げれば、男は『否』と片眉を上げて否定した。
『ネギしょったカモが嬉々として鍋に入ってくなあと思ってちょっと見てただけ。多少は意外性を期待したけど予定調和過ぎてつまんなかったな』
『そう……』
神を否定した口で予定調和を語るか――と、皮肉交じりになる指摘はしなかった。この男なら分かっていて言ってそうだ。
後はもう会話もなく、夜の繁華街をただ無言で駅へ向かった。
よりにもよってあの駅へ向かう途中で見せるか――――気持ちは鬱に沈むが、放置した非情に罪悪感はない。
誰も代わりにはならない。
カナンの心を占めるのは、当てつけから未だこの地を離れない自身の底意地の悪さと、救いのない頑固さに対する自嘲だけだ。
世界は今も尚、あの子を貶める。
電子の海に撒き散らされた肖像は、人間が死に絶えるまで、何処かの、誰かの悪意の中で弄ばれ続けるのか。
覚書
オーガ ゼンルランズ
人族 シェイーヴィ
獣人 レアメルラ
知人 ジョシュア・明海・白木・モーガン
関連
28 儚い縁
35 罪の所在
47 過ぎし日
55 無邪気
67 代わりはいない
70 遺されるものは様々
※強姦殺人犯
現行法の罪名では、強制性交等致死傷罪、もしくは殺人罪




