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隣人  作者: 鈴木
本編
70/262

70 遺されるものは様々

 裕福な商人の箱入り息子が起こした悪辣な犯罪に関して、母親は被害者やその家族、或いは世間に対し一見低姿勢で謝罪に徹しているように見えて、その実、息子の擁護と自己弁護だけに終始していた。

 しかし、影響力の大きい大店(おおだな)の一家、夫であり父親の前当主(故人)は人格者で知られ、彼が巧妙に打算を隠して周囲に築き上げたフィルターは存分にその効果を発揮した。

 最終的には金で被害者家族(被害者当人ではない)の頬を(はた)いて黙らせ、役人の袖の下を潤沢にして息子の罪をなかったことにするという理不尽を通しても、息子の出来がどうしようもなければないほど、母親への同情、賛辞は止まず、部外者(せけん)の「この母親に免じて」という圧力は常軌を逸していった。




 * * *




「母親が犯罪者の息子を庇うのは当たり前、ってのには賛同しかねるよなあ。

 "当たり前" で共感を誘って "息子思いな母親" の認識にすり替え美談に転化、世間の同情を煽って被害者は完全に蚊帳の外、下手をしたら美しい親子愛に水を差した慮外者扱いだ。

 "犯罪者の息子を庇う母親" は "当たり前" だから "仕方がない"。"仕方がない" から "同情に値する"。"同情に値する" "犯罪者の息子を庇う母親" は詰まるところ "息子思いな母親" なんだ、って、凄い論法だわ。

 この "犯罪者の息子を庇う母親" をまるで揺るぎない真理であるかのように主張する連中もいるけど、そもそもこの(いち)母親像が当たり前と言えるほど母親――人間って奴は一様じゃないよなあ」


 目の前で滔々と喋り続ける半透明の物体を、アウレリウスは心底からうんざりした態で見下ろした。


「子供に一片の愛情も抱かず無関心な母親も、蛇蝎の如く嫌悪する母親も、所有物認識で思い通りに操ろうとする母親も、義務感だけで事務的に淡々と扱う母親も、自己投影が過ぎて同一視する母親も、愛情はあるけどいざとなれば自己保身で見捨てる母親も、愛情はないけど世間体を気にして庇う振りをする母親も、深い愛情から冷徹に突き放す母親も "当たり前" にいる。"一部の例外" じゃなくて相応の割合で存在する。母性本能が実際には本能じゃないように、母親ってものに夢を見過ぎなんだよ」


 残留思念としてはよくあるタイプなのだろう。気持ちよく語ってはいるが、アウレリウスの反応の薄さをまるで気にしていない、完全な記憶の残滓でしかなさそうである。

 アウレリウスがこの再生装置を辟易と見遣るだけなのは、単純に垂れ流される言葉の意味が全く分からないからだった。禁域、精霊・妖精、霊獣らの言葉でないのは勿論、辜負(こふ)族のどの種族の言葉でもない。

 ただ、意味は判然としなくとも、一度も聞いたことのない言葉、ではなかった。


「都合の悪い事実を悉く無視して、ただの個人的な理想でしかない価値観を唯一絶対普遍の真実さながらに喧伝されても、ああそうですかと流すだけで頷くのは勘弁だよなあ。大体 "息子思いな母親" を美談として持て囃す時点で、それが如何に少数例でしかないかの証左になってんだろうに。"当たり前" なら美談になんかなりゃしない。改めて褒めそやす必要がないからこその "当たり前" だよ。

 "息子思いな母親" が "当たり前" じゃないのなら "犯罪者の息子を庇う母親" も "当たり前" じゃない。"当たり前" じゃないのなら "仕方がない" じゃ済まされない、寧ろ褒められることじゃないだろうに、そうした矛盾は都合よく見ない振りなんだよなあ」


 腕を胸元で組み、目を閉じて独りうんうんと頷くその姿は実に奇妙な出で立ちで、アウレリウスには全く馴染みのない、スタンドカラーの長袖の上着と長ズボンの全面に斑模様を散らした、所謂、迷彩服(ヘルメットなし)を着ていた。但し緑色(りょくしょく)部分はなく、茶系と灰(もしくは青)色二種で構成されており、実用性があるのだかファッションなのだか、現実での仕様は不明だ。

 服に関する諸々はカナンに聞けば分かることで、彼女がプレイしていたVRゲームの装備品の一つだった。


 この時のアウレリウスにそのようなことが分かろう筈もないが、男はふっとカナンの苦笑いを思い出した。


 ――――そう、カナンだ。


 目の前の残留思念の操る言葉に聞き覚えがあるのは、カナンが[ホーム]でしか使えないから、と興味を示した男に覚えることの意義のなさを説いた彼女の故郷の言葉と同じだからだ。


 [ホーム]に生きる者達で言葉を解する存在は総じて日本語を話す。それはカナンのゲームプレイ環境が日本のサーバーだった為だろう。

 では霊獣や[ホーム]の妖精、精霊達はどうやってアウレリウスと意志疎通を図っているのか?

 カナンの居住区にいる者達は[ホーム]へ遊びに来ていたこちら側の精霊によって齎された彼らの言葉――この世界の精霊語でそれを可能にしていた。


 この世界に存在する言語で話せない言葉のないアウレリウスは、[ホーム]においては初対面時から精霊語を話した。事前に精霊達からその言葉であれば通じると助言を受けていたからである(辜負族の言葉はカナンと、教師役の通訳をした精霊にしか通じない)。

 居住区以外で暮らす者達は、アウレリウスに面識のある者は律儀に居住区の同族やこちらの精霊から学んでその言語を解し、初対面の場合は通じないことが多い。好奇心の旺盛な者はアウレリウスに会う前から覚えていることもあるが少数だ(余談だがミティス・ジガスはウッカフェウプから事前に習っていた)。


 自分は殆ど使うことのないこちら側の様々な言語を学んでいるというのに、アウレリウスが日本語を覚えることにカナンが難色を示したのは、何も故郷の言葉の共有に忌避感があるからではなく、純粋に男の利を考えて客観的事実を示したに過ぎなかった。アウレリウスが高い頻度で接する者はカナンを筆頭にこちらの精霊語を既に話せるのだから、円滑なコミュニケーションの為に新たに労力を費やす必要はない、というだけだったのだ。

 そのある意味、無駄とも言える労力を時に男が楽しむ嗜好の持ち主であれば――持ち主であるとカナンが知っていたなら快く協力しただろうが、当時は知り合ってまだ日も浅く、そこまでお互いの為人に触れてはいなかった。


(コレがきっかけというのも不本意だが、その内、教授でも乞うか……)


 アウレリウスがそう予定立てるのは、決してこの残留思念が何を語っているかをダイレクトに知りたいからではなく、その証明は直ぐになされた。

 よく回る舌は一瞬で凍りつき、陶酔ぎみの表情のまま、やがて跡形もなく霧散霧消した。





 * * *





「お前に謝るのもおかしな話だろうから言わんが、あの男の残留思念があまりに鬱陶しくてな、綺麗さっぱり消滅させた」


 四阿で机を片し、中央に敷いたラグの上でルロボプースを遊ばせながら、染色用に森で採取した植物を色ごとに選っていたカナンの背後へ足音も気配もなく近付いたアウレリウスは、彼女の手元を肩越しに覗き込みながら唐突にそう切り出した。



 脈絡なく振られた "あの男" とやらに、カナンの脳裏は即行でもういない知人の顔を浮かび上がらせた。

 謝る云々で他に思い当たる相手がいない。

 カナンが惜しむ可能性を多少なりと想定しての発言だろうが、まともな "人" の交流相手がアウレリウスしかいない現状、男に微少に過ぎる哀惜でも危惧させるような人物はせいぜい同郷の知人くらいである。


「残留思念があったんですか…………」


 作業の手を休めたカナンは背後を振り仰ぎ、上体を起こして静かに見下ろしてくる男にやや呆けた声で呟いた。

 だが、それは動揺に繋がる激しい衝撃を受けたが故ではなく、可能性を考えるに至らなかった予想外の事実を告げられたことへの些細な驚きでしかなかった。


 縁があれば親密になるかというと必ずしもそうではない。

 あの男とは、同じゲームを常態的にプレイしながら二人揃って親交を深める意思がなく、十年弱の間、それなりの頻度で顔を合わせていても最後まで "知人" の域を出なかった。

 性根の深い部分は知らない。ただ、あの知人の表面的な性格はカナンと似たところが多々あり、同族嫌悪なのだろう、残留思念を消したと言われても霊獣のそれと相対した時のような感傷は彼女の心内に湧いてこなかった。

 アウレリウスに鬱陶しがられる言動をしていたのであれば尚更だ。



「何か望みがあってアウルさんの前に姿を見せたのですか?」


 上体を捻った体勢は少々辛いものがあり、カナンは全身を背後へ向き変えて立ち上がった。

 ただでさえ身長さがあるというのに、低い側のカナンが座っていたのでは、相手の顔を見て会話をするとなると今度は首が痛くなりそうだったからだ。


「姿を見せたというか取り憑いたというか、まあ、それはなかったな。一方的に有り難いご高説を垂れて、聴衆は一切気にしていないようだったぞ」

「そもそも、アウルさんは彼の言葉が分かったんですか?」


 残留思念が記憶である以上、操る言葉も日常的に使用していた言語になる筈。カナンが知る限りでは日本語か米語だ。

 この世界に落ちた直後に死亡したあの男が、この世界の言葉を流暢に話せるほどに記憶していたとは――記憶(がくしゅう)するだけの時間を持てたとは到底思えない。

 その不可解に気付いたカナンが問い掛ければ、アウレリウスは首を左右に振る代わりに吐息を零した。


「いいや。完全に意味不明だった。だからこそ余計に雑音感が酷かった」

「はあ……。それは……その、…………不運でしたね」

「全くな」




 * * *




 ルロボプースの相手をサリュフェスに任せ、染色材をストレイジバッグへ放り込んだカナンは、リビングへアウレリウスを誘って周到な家妖精(ブラウニー)の入れたお茶で一服した。酒の方が良かったかと一瞬懸念するが、ソファで寛ぐ男に不満な様子はなく、滞在は短いのかもしれないと敢えて希望を聞くことはしなかった。


 軽く息をついてティーカップをテーブルへ置いたアウレリウスは、改めて正面に座るカナンを見据えた。


「一応お前に関わりのある相手だったからな、保存しておいたあの男の "声" を、後日、ここへ出入りしている精霊に聞かせて通訳をさせてみた。

 恐らく、あの時眼下にしていたザフジェードの市井を賑わせていた、碌でもない騒動に惹かれたんだろう」


 ザフジェードは某国の主要都市の一つで、アウレリウスは禁域に転送(とば)されたのではなく精霊からの直接的な依頼で姿を隠して訪れていたという( "眼下" は地に足をつけた上での高みからの見下ろしではなく、今の男の話では飛翔中を指す。"声" を保存した手段は勿論魔法である)。

 たまたまその町にいたからといって、ピンポイントにアウレリウスに憑いた理由までは分からないらしい。


「あの男が延々と愚痴じみた口調で続けていた話の内容は、その騒動と類似した某かの案件を評しているようだった。――――詳細を聞くか?」

「いえ、結構です」


 すっぱりとした拒絶は知り合いの絡む問題に対して薄情この上ないだろうが、アウレリウスが閉口するような話をカナンはわざわざ聞きたいとは思えなかった。

 地球での過去を振り返れば、知人の男が何を話したのか、その類いに大凡の見当がつく。あの男の思考にはカナンが共感する部分もそれなりにあった半面、鏡となって多大なダメージを与えられることも珍しくなかった。今回の件が該当するのかは判然としていないが、その恐れがある以上、出来れば知らないままにしておきたかった。

 ただ、一方でアウレリウスの精神的安寧を脅かす二の舞を演じたくないのであれば直視しておいた方が良い、と自省し、迷う気持ちもあった。


 ―――結局は己の脆弱に負け、男の口から同時に知人の話に対する具体的なコメントまで聞く破目になるよりは痛手が少なくて済むかもしれない、と後でこっそり精霊達に確認することで落ち着いたが。



 何処か神妙に突っ撥ねるカナンの様子に、何を察したものやら、アウレリウスは鷹揚に苦笑をして見せた。







 * * *







 加害者へ歪んだ同情が向かえば、代わりに加害者の優位性と加害者を支持する者自身の正当性を堅固にする為に、何の瑕疵もない被害者が貶められる。


 条件反射で責め立てる者達は、発信者の手で存分に情報の主観的取捨選択がなされた伝聞の中に、どのような大義名分を見、その行為で何を得るのか。



 精霊から知人の遺した言葉を聞いたカナンは、ただの呼び水だった、と後悔した。

 地球で一度は聞いた内容だが、あの男が何に対して持論を展開していたのか――――それを表層意識へ引き上げたくはなかった。

 一生涯忘れることなどない、けれど平素は目を逸らしていたい記憶。

 カナンが素性を知る関係者の全員が既にこの世を去っていようと、いや、誰一人残っていないからこそ、永遠に解消されることのない(いびつ)


















覚書

知人の残留思念 ジョシュア・ユースフ・シロー・ウィロック・アルカイツ・シブシソ・アンラ・ゴヤスレイ・カウイ・アリヒ・リュース・バハドゥウル・ガリー・グリフィズ・アオ・(省略)・アルテゥル・明海(ハルト)白木(シラキ)・モーガン


関連

29 怨讐は廻る

33 後始末

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