69 深く考えてはいけない(ことはないが考えても大した答えはない)
澄み渡った蒼穹にぽかりと浮かび、漂い、流れる白雲は如何にも軽やかで…………軽やかなのだが、一部どうにも重たげに冷や汗でもかいていそうに見える塊がある。綿菓子を思わせるそのマンガ肉ならぬマンガ雲の上に何やら乗っているのだ(グルステルリィラの好物の綿菓子雲とは別物)。
その雲はだんだんと重力に逆らえなくなったかのように高度を下げていき、とうとう緑豊かな大地に不時着してしまった。
途端、雲の綿毛からぞろそろと飛び降りてくるものがあった。
それは四方八方へと分散するのではなく綺麗に列を成し、北へ向けて長蛇を形成していった。
その行進は何処か某ぷくぷくのトロール(の名を一部に持ちながら伝説のトロールとは似ても似つかない)が登場する、大人のための童話とも言われていた架空物語のキャラクターを彷彿とさせたが、こちらは横並び四列で整然と一直線に起伏のない平原の上を続いており軍隊っぽい。しかもひょろ長いのは同じでも、こちらはあまり柔軟性のなさそうな姿で、腕のような足のような小さな突起が全身から幾つも突き出し、体色は白ではなく薄い茶色か黄土色をしている。
その正体に自力で見当をつけることを諦めたカナンは、潔く〔解析〕に頼りながらも結果に対してコメントのしようがなかった。
――――薹の立った人参の芯…………。
突っ込みどころが多すぎて言葉も出ない。何故に雲から人参? 外側はどうした? 何処へ行く?
ぞろぞろと目の前を横切って行く人参達の先頭をぼんやりと目で追うカナンは、両足が地面に張りついてしまったかのように微動だにしなかった。
(先頭を追いかけたら負けな気がする……)
誰に?
思考に脈絡がなくなる。
一方、残された雲はその小さなサイズによくぞそこまで人参が乗っていたものだという、ちょっとありえない数が降り立ち、延々と続いていた列が漸く途切れて過積載から解放されると、暫くはよたよたと地表を彷徨き、重荷で痺れた体が未だ回復してません、といいたげな妙に人間じみた挙動でふらふらと蒼穹の高みまで昇っていった。
その頃には人参達の最後尾も遙か遠く、今更追いかけるのもなんだかなあ、とカナンは何ともいえない虚脱感に苛まれつつ、家に帰るべく踵を返した。
………………のだが。
「……」
雲が最初に不時着した場所に何かいた。
最初は置いてきぼりを食らった薹立ちの人参かと思ったが、よくよく見ると様子が全然違う。
そこにいた者(?)はひたすら丸い。つやつやテカテカの深緑の体(?)に、尻尾のようにやや長めで細い果柄と萼らしきものがついている。その果柄が二股に分かれ、脚さながらに仁王立ちをしていた。…………仁王立ち、と言うには少々名称負けしているきらいのあるコミカルさだが。見た目そのままにバランスが悪いらしく、直ぐに後ろ(?)へ、ころん、とひっくり返ってしまった。
「………………」
本日二度目の自力放棄をしたカナンはとっとと〔解析〕を発動した。
「………………………………」
とはいえ、その正体自体には予測が立っていた。何度も揉まれてきた唐突さ、不条理である。
種族名、オルルゴドマム・アル・ルル・ルルーナ。
(長いよ!)
間髪容れずの突っ込みもやむなしだろう、これは(ディルイリッチ・ペレフスロイも長いが、同じ語や中黒が続くとその鬱陶しさが割り増しになるのは気のせいか?)。
後半だけドイツ語ままというのは(但し「ル」が三つも多い)どういう拘りなのか。――いや、ネーミングであの運営に突っ込むのは無意味だ。
「でも、姿はリアル・マンドレイクの実なのね……」
"アルルーナ" はマンドレイクの別名 "アルラウネ" の古高ドイツ語版である。
マンドレイク、マンドラゴラ、アルラウネの名で知られるこの植物は伝承などでは頭に葉を生やした裸男裸女であったり、人参に似た根菜に奇っ怪な人の顔がついていたりと実に様々に描かれている。しかし、カナンの目の前で起き上がれずに藻掻いている物体は、先にも述べた丸い光沢のある、どちらが前か後ろかも分からない、実在するマンドレイクの実にそっくりだった(個体によってはその形がとある世の半分の人類の極めて大事なものに例えられることもあるのをカナンは思い出したが、敢えて記憶の隅へ追い遣り、脳裏で具体化するのだけは回避した)。
このマンドレイクの実もどきは、[ホーム]的ご多分に漏れず、霊獣である。契約可能な。
「……」
契約可能な――――分かってる!と思わずカナンが内心で叫び返した相手は目の前の物体か。頭の中で繰り返された言葉が自分のものだか誰かのものだか一瞬分からなくなった。
「いや……うん、ヴルガレスになってくれるのは大歓迎なんだけどね……」
そう言いつつ契約を済ませれば、オルルゴドマムは早速得られたメリットを行使して立ち上がった。……ように見えたが、直立した状態で同じ場所に転移しただけだった。始めから使えたのならとっとと使っていただろうから、この〔転移〕はヴルガレスになることで得たカナンの魔法の共有だろう。
「もしかしてそれが目的だったとか……?」
まあ、そのくらいのことは別にいいけど―――本気で気にはしていないが、何故だか自分に言い聞かせてしまうカナンだった。
「ところで。あなたって、あの雲から生まれたことになるの……?」
素朴な疑問。だが、ずっと違和感のあったもやもや。
あの雲はただの運び屋にしか見えなかった。
カナンの不審を肯定するように、"首を振る" という動作が出来ないからか(いや、そもそも首がないだろう)オルルゴドマムは振り子さながらに頭だか胴だかを左右に傾けた。
「それじゃあ、あなたの揺籃は?」
これから長いつき合いになる家族の好物の手掛かりに、出来れば知っておきたかった。
すると、何を思ったかオルルゴドマムはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねだした。
またひっくり返るよ! 慌ててそばへ駆け寄るが、どういうバランスなのか、これもヴルガレスになった影響なのか、今は跳ねて降りてを繰り返しても危なげがなかった。重たそうな頭(?)も不安げに揺れたりはしない。
「はあ……」
気抜けるやら安心するやらで吐息をつくカナンに、それよりも、と言うようにオルルゴドマムは果柄の一本を屈伸させ、何やら足許を示した。
「……?」
望まれるままカナンが身を屈めて覗き込んでみると、果たして、ぽこぽこと小さく清水が湧いていた。
「…………もしかして、これ?」
カナンが人差し指で水を示せば大きな頭(?)を前後に振って肯定する。――やはり挙動に危うさはない。
「そう…………」
この小さな穴からどうやってそのサイズが出てきたのか、とは言っても無駄だろう。
どうやら、あの雲はたまたまマンドレイクもどきの上に降り立ってしまっただけらしい。
「…………たまたまだったの?」
何となく引っかかるものを感じ、カナンは自身の思考に対する鸚鵡返しを目の前の物体にぶつけてみた。
「……」
「…………」
何処か躊躇う気配を見せるオルルゴドマムにカナンが無言の圧力を向けると、降りたこと自体は偶然だが、あの薹の立った人参の芯の行進はこの霊獣の誕生に必要不可欠な "刺激" だったと暴露した。
(それってどんな確率なの…………)
呆れの溜息は辛うじて飲み込む。
すると、カナンの内心を読んだようにオルルゴドマムから同意の気配が滲み出た。どうやら自らのことながら同じ考えに至ったらしい。呆れの相手は勿論、そのふざけた設定にしたゲームの運営だ。
「あんまり追求しない方がいいような気もするけど、あの人参達は何処から来たの?」
「――――」
その質問には、ない筈の視線を明後日の方向へ外された気がした(目がなくとも周囲の様子を認識しているらしいが、どの部分で見ているのかは考えたくないカナンだった。近距離でじっくり観察してみたら表面全てが大量の複眼でした、などという少々ホラーな、もしくはインセクト的な事実があれば流石に嫌過ぎる)。
気を取り直して足元へ視線を移してみれば、丈の短い草の間から湧き出ている水は不思議と湧いたそばから地面に消え失せ(染み込んでいるのではない)、周囲を全く濡らしていなかった。通常の水とは異なる代物のようだ。
「つまり、この水が好物と思っていいの?」
安易過ぎるかと思いつつ直球で訊いてみれば、答えはNOだった。
「……ですよね……」
思わず丁寧語になる。
しかし、それでは何が好物なのか、カナンの問う視線にもオルルゴドマムは答えを返さない。
これは自分で考えろということなのか、この場に該当するものがなく答えようがないのか。
――――と、カナンが困惑に眉尻を下げた次の瞬間。
シャッッ!!
喫驚して咄嗟に後方へ飛び退いたカナンの前で、湧き水が間欠泉の如く盛大に噴き上げた。
「は……」
呆然と見上げる遙か高みの水柱の先には、まるでアトラクションで遊ぶ子供のようにオルルゴドマムがぷかぷかと浮いていた。だが、湧き水からその緑の体へと霊気がひっきりなしに流れ込んでいる様が見て取れ、これはこれで "食べている" と言えなくもないのかもしれない。
(でもこれって、私が能動的に用意するのは無理があるよなぁ……どうしよ……)
……というカナンの懸念は、常に[ホーム]内を移動している間欠泉を〔探査〕でも〔探索〕でも〔千里眼〕でも方法は何でも構わないので見つけ出してくれればいい、という当人の要望であっさり解決した。―――間欠泉を噴かせるのに当該地で管理者権限を必要とする為、カナンの同行は不可避とも言われたが。
間欠泉が何故移動する、とは突っ込まない。
* * *
帰宅をしたカナンは、予感がして真っ先に畑へ向かった。
「……意外性があるようなないような」
案の定、畑の一区画からごっそり野菜が消え失せていた。言うまでもなく人参が一つ残らずなくなっていた。
「全部に薹が立つまで放置してないんだけど」
カナンの不在を預かる妖精達がうっかりをするとも思えない。何か不満があって悪戯目的で故意に行ったのであれば別だが、起きた事象を思うとゲーム的なミニイベントくさい。畑の管理に不備がなくとも「起きる時は起きる」という類いの確率的な不可避要素だったのではないか。
礼を欠かしたつもりはなかったが、家妖精達の不満に関しては一度思いついてしまうと気になって仕方がないのでさりげなくリサーチしておこう、とカナンはこの後の予定を脳裏であれこれ組み立てた。
それにしても、あの行進をしていた人参達とは数が合わないのだが。あちらの方が明らかに多かった。
(もしかしてあの雲が各所を巡って自生の人参まで集めていたとか……?)
何故そんなことを、と問うのは無意味だろう。
「………………」
永遠に答えの出ない疑問を、カナンは早々に放棄した。
ゲーム仕様はもはや問う相手がいない(いたところで回答を返してくれるとも思えない)。
いいではないか、「(元が)ゲームだから」で。
不都合はない――こともないが、まあ、人参はまた植えればいい。…………植えるしかない(嘆息)。




