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隣人  作者: 鈴木
本編
66/262

66 パイを投げつけられる確率

 ――この世界にパイ投げの習慣(?)があるとは思わなかった。


 いや、喧嘩で物を投げるのは古今東西万国共通、世界が違ってもやっているのが人型である限り変わらないのだろうか――そんな埒もないことをカナンはぼんやりと脳裏に思い浮かべた。




 どごん! がしゃん! という派手に物の壊れる音と共に前方の建物から飛び出してきたのは一人の若い男で、続けて出てきた若い女が建物前の露店で売っていた何かを両手に鷲掴んで投げ始めた。男はそれを必死で避けようとしながらも逃げるつもりはないのか、しどろもどろに宥めている。


 円環列島の中でも最大の島レッヴニフルにある<深淵の門>本拠地の町。

 その騒動は魔王との短い邂逅の後、城門へ向けて大通りを歩いていたカナンとアウレリウスが露店や店舗の立ち並ぶ小広場へ差し掛かった時に起こった。


「なんだ、痴話喧嘩か」


 アウレリウスの身も蓋もない呟きに、カナンは賢明にもコメントはしなかった。


 その直後である。


 男が二人のいる方向へ体を移動させたタイミングで女が何か――どうも料理のパイらしい――を投げつけ、つい先程まで高確率で食らっていた男がこの時ばかりは華麗によけたのは。


 偶然の標的にされたのはアウレリウスだったが、この男が大人しくフィリング塗れになる筈もなく、直前に僅かな魔力を放出して勢いを殺し、潰すことなく左手で受け止めていた。

 よけることは容易かっただろうが背後には少し距離を置いてカナンがいた。

 アウレリウスの体で死角になっていた為、直前まで気付かず諸に受けていた可能性は高い。常態的に張っている防御結界に阻まれ、彼女の体を直接汚すことはなかったにしても、潰れるなりすれば視覚的に気持ちの良いものではない―――その辺りを見越しての対処だったなら払い落とすくらいで充分だっただろう。アウレリウス自身も常時結界を纏っており、パイを脇へ払い除けたところで手が汚れるような面倒はなかった筈。しかし、そこを敢えて受け止めたのには何か思うことがあったようで、直ぐそばまで近付いてきたカナンに手の中のパイを無言で差し出してきた(そうしている間も喧嘩は継続中で渦中は騒然としていたが、認識を阻害する結界を二人共に張ったままにしていたアウレリウスの挙動を気に止めている者は周囲に誰もいなかった)。


 節くれ立った男らしい大きな手の上に載ったパイは、地球での初期の頃の耐熱容器代わりのガチガチに固いパイではなく、後年の改良された柔らかいパイ皮で作られているようだった。この辺りの文化の進度のちぐはぐは今更だ。

 パイ皿を使って焼かれた物ではなくエンパナーダに似た、具をパイ皮でくるんで焼かれた物で、形は少々異なり丸に近い。

 パンのように片手で食べられる配慮がされ、ミートパイでも肉汁は抑えぎみでサイズも小さめ――というのが、カナンがアウレリウスの意図を酌んで行った〔解析〕の結果である。良質の魔獣(イゥルネルク)肉が入荷したことで、付加価値をつけられる商品の数を少しでも増やしたいと画策した料理人が、根菜や豆類を使ってフィリングの量の水増しをしている、との余計な裏話も入っていたが(イゥルネルクは鹿の上半身と鮫の下半身を持つ、組み合わせはともかくギリシア神話のヒッポカムポスのような形態の両生の魔獣である)。

 ともあれ、パイそのものの出来具合はどうでもよかった。

 問題は解析結果の中に含まれていた『霊獣スラオアモイラの擬装眼、あり』の情報だ。



「偶然でしょうか」


 肝要は口には出さずカナンはアウレリウスを見上げる。

 認識障害は対象の姿だけでなく、声も周囲は聞こえていながら意識に留めることが出来なくなる為、秘密話を公然と行っても問題はない。それを承知で、深い意図もなく、カナンは何となくで明言を避けた。


「偶然だろう。運良く?気付いたならどうにかしろと。

 流石に投げつけられるとまでは予測していなかっただろうが、露店に堂々と並べられていたからな、この通りを抜けるなら嫌でも前を通る」


 通りの中央でなくとも、それなりに往来の邪魔になる位置で堂々と会話を続ける二人ははっきりいって迷惑以外の何ものでもなかったが、アウレリウスは認識障害だけでなく忌避結界も併せて施しており、この場にいる者達の悉くが自覚なく二人を避けて行き来していた。アウレリウスや(禁域以外で)カナンが使う意識操作系の魔法は近場にいる者だけに作用するのではなく、知覚しようとする全ての者に影響を与えるので、例えば遠目やそれこそ〔千里眼〕であっても、現状の不自然を認知することは出来ない。

 地味に嫌がらせになっているのは故意ではなく無頓着なだけである。アウレリウスの意識が辜負(こふ)族に気を遣う方向に向かないのはカナン以上だ。


「予測しようがないですよ。たった今起こったことですし、彼らに喧嘩の気配があったとしても都合良くパイを投げるとは限りませんから。――まあ、日頃からパイを投げる癖があったのなら別ですけど」


 店先のパイが尽き、投げる物がなくなって肩で息をする女をカナンはちらりと一瞥し、直ぐに視線を戻した。


「よしんばそうだったとして、一つの可能性としての予測は出来るが、それを加味した綿密な計算なんぞ禁域は一々しない。一体何人、いやどれだけこの町に生物がいて、互いの一寸先に影響し合っていると思う? その全ての行動予測を立てるほどの熱意が禁域(れんちゅう)にあるものか。事がどう転ぼうと、俺達がどう転がそうと知ったことではない、どちらでもいい、というのが禁域(あいつら)だ。その程度のものだからこそ投げっぱなしで補足がない」


 パイを持つ手を軽く上下に揺らしつつアウレリウスは辛辣に禁域を評する。

 霊獣は禁域の分身の筈だが、何がなんでもではない辺り、存外厳しい。或いはいつか戻ってくるのであればどれだけ時間がかかっても構わない、と鷹揚に構えているのか。

 身内の事情で "隣人(プロクシムス)" の善意(?)に期待し過ぎるのも悪いと遠慮している――というのはないか、と二人揃って内心で溜息をついた(そうして辟易と諦念を繰り返しながらも禁域へ行くのを止めないのは、お互い義理だけではない好意があるからだろう。禁域の、困った "意思" に対して)。


「ですね。正確を期するほどの大事なら私達が行動を起こす前、転送直後に何かしら言ってきそうです」


 呪詛喰い男の浄化の時のように。


 不快な過去まで芋蔓式に思い出し、カナンは眉を顰めた。




 未来予知をする力はこの世界には存在せず、カナンもアウレリウスも持っていない。

 騙る人間は時々出現するが、辜負族のメンタリティの問題か、信じる者はいない。予測に過ぎないと明確にしているのであれば耳を傾ける者も少なくない。しかしこれが "未来を見た" 系の言動になると一笑に付される。占い師なども現在過去までの語りなら問題ないが、未来を口にした途端職を失うだろう。地球とさほど変わらないように思えても、実際は地球より更にシビアである。娯楽の中でも受容されない。

 禁域が言うには過ぎていない時間軸は存在せず、未だ起こっていない事象に確定はない、根源的に未来予知は存在し得ない、らしい。少なくともこの世界では。

 未来予知は起こり得る複数の未来を提示し、何もしなければ確率でその内のどれかが来るとするものが多く、一見確定されていないように思えるが、複数の "起こり得る未来" という形で具体的な内容を挙げている時点で、予知者の中ではその全てが、選ばれていないだけの確定事項として存在することになる。ただの予測ではなく予知だ、と主張するのであれば。禁域はその "確定" が、未来軸がこの世界には存在しないが故に未来(ないもの)を見ることは出来ないと言うのである。

 過ぎ去った時間はもはや()く、未だ来らぬ時間は元より無い。在るのは今この時だけ。


 辜負族が未来予知を信じないのはそのことを知っているからではなく、単純に生理的、本能的に受けつけないだけ、らしいが。





「それにしても何故、魔獣が取り込むような事態になったんでしょう」


 アウレリウスが右手をパイの上に翳し、数ミリ程度の極小の、マライア・ガーネットを彷彿とさせる赤みの強いオレンジ色をした球状のものを、パイを壊さずに抽出する様子を見守りながらカナンは小首を傾げた。


 赤珠はアウレリウスが手に取ると、まるで擬態するように自身の色を男の肌色そっくりに変化させた。その性質が名前の由来なのだろう。


 何故パイの中にあったのか? の単純疑問をカナンが飛ばしたのは〔解析〕で手っ取り早く来歴を読み取り、既知だったからである。アウレリウスへの解説を省略したのは勿論、伝えるまでもなく知っているだろうと判断したからだ。カナンに出来てアウレリウスに出来ないことは数えるほどしかない。そしてカナンの〔解析〕はアウレリウスの〔解析〕とは比ぶべくもないほど精度は低い(比較対象が間違っている)。


 スラオアモイラの急所である(核とも呼ばれる)眼がパイに紛れていたのは魔獣の肉に混ざっていた為で、何故混ざったかと言えば魔獣が飲み込んでいたからだ。しかし、カナンが〔解析〕で知れるのはそこまでで、魔獣が何を思って霊獣の急所を取り込んだのか、故意か事故か、その時の状況までは知り得ようがない。


「まさか食べ物と認識したってことはないでしょうし」

「ないな。

 この肉の元になった魔獣にそれこそ想像もつかない異常が生じていたのでもない限り、魔獣が霊獣の核を餌として食うことはない。

 また禁域へ還す為の保護というのも考え辛い。興奮状態の時に事故で霊獣に手を出すことはあっても積極的に関わることは本能的にしない連中だ。

 スラオアモイラの死は人族による殺害らしいが、奴らが霊獣の核を欲しがっていると認識するほどの知能は魔獣にはない。よしんばあったとしても人族から守る理由がない。精霊の尖兵をしている状況でなら、あいつらが保護を指示した可能性もあるが、それにしても食えとは言わんだろう。一端取り込んでしまえば殺す以外に取り出す方法がない。既に死んでいる霊獣の核の保護の為に、殺す目的で魔獣に食わせるなどという人間的な非情は精霊はしない」


 さほど詳細に解析しなかったのか、アウレリウスはカナンが知る程度の情報を元にしているらしい除外する側の推測を口にする。


「となると無難なところで事故、でしょうか。"想像もつかない異常" なんて、もしそんな個体がいて深刻な状態だったら、そっちの方にこそ禁域にどうにかしろと投げられていそうです」

「全くな」


 掌のパイを露店の台上へ転送させながらアウレリウスは即答で同意する。騒動の中心にいる男女が未だ好奇の目を集めているからか、突然現れたパイに気付く者はいなかったようだ。


「念の為、精霊に確認してみますか?」

「必要ない。霊獣、魔獣共に既に死んでいる事実が変わるわけでなし、今更過程を知ったところで出来ることなど何もない。霊獣殺害の懲罰に関しては同族の責、それも疾うに行われている」


 死者の過去の不幸を、必要のない事まであれこれほじくり返して手前勝手な感傷にふける悪趣味はない――吐き捨てるアウレリウスの言葉に異論のないカナンは、そこですっぱり、もういない者達に起きた何事にであろうと関心を向けるのを止めた。スラオアモイラの眼を禁域へ還すのにドラマティックは不要だ。


「それではこの後は潜思の海へ直行ですか」


 スラオアモイラはマンボウに似た、最大のマンボウより二回りは大きい両生の霊獣で、意外性はなく外見ままに潜思の海の分身だ。マンボウと異なるのは、通常の目の他に四つの小さな複眼を眉間に持ち、胸ビレは大きく、舵ビレはフリルカーテンさながらに長く、尻ビレが二枚ある点か。

 彼らは天気の良い日には遠洋の上空をのったりと風の向くままに漂う。

 頻度は少ないながらも(おか)へ上がることがあり、そのタイミングを狙われたのかもしれないが、現状それを明らかにしようと欲する意思はこの場にない。


「〔転送〕で済ませても構わんだろう。――行きたいのか?」

「そうですね、折角なので」


 何が折角なのか。

 過去、カナンは何度か霊獣の核を禁域へ還したことがあり、いずれの時も核だけを転送せず自らの手で持ち込んでいた。霊獣の残留思念や家族に依頼されたからだけでなく、偶然見つけた時でも何となく片手間に済ませるのを憚って禁域へ足を運んでいる。それもまた感傷と言われれば否定出来ないが、分かっているらしいアウレリウスの表情に呆れはなかった。

 気の済むようにすればいい、とカナンにつき合う気でいる男に、自然屈託のない笑みが零れる。




 [ホーム]以外でアウレリウスと連れ立ち、ひとところに留まらず歩き回るのは珍しい。


 ―――こんな日も悪くない。


 辜負族(ひとごみ)の中という鬱屈する状況でなければ尚良かったが、贅沢は言うものではないだろう。



 アウレリウスという上位者に同道していることで失敗の恐れのない〔転移〕を使ってこの地を去る提案を口にせず、城門へ向けて歩き出した自身の矛盾をカナンは棚上げにした。








覚書

パイを投げつけた女   ラウィロア

パイを投げつけられた男 ヴェボート


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23 潜思の海

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