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隣人  作者: 鈴木
本編
65/262

65 一人のものは全員のもの

「あっ……あなたに恥はないのですか!」

「…………は?」


 飛ばされたと思えば森の外周で、わざわざ転送する距離でもないよなあ、などと思惟の森を振り返って呆れの吐息をついたカナンは、突然背後からぶつけられた言い掛かりに思わず間抜けた声を漏らした。

 そちらを見れば中背の若い男が仁王立ちでカナンを睨みつけていた。軽装に長外套の魔術師か研究者然とした、およそ荒事に不向きな風体の人族である。


「この有用で豊富な資源と、無窮の知恵の宝庫である禁域を独り占めする強欲を、恥ずかしいとは思わないのですか!!」

「……………………」


 二の句が継げないとはこのことか。

 あまりにも一方的で独り善がりな思考――妄想に、カナンは無防備な茫然自失の態を一瞬、迂闊にも見も知らない人間の前に晒してしまった。



 当てずっぽうなのか、カナンに関する情報を保有しているのか、魔力を識別出来たのか、どうやらカナン="隣人(プロクシムス)" の認識で詰っているらしいが、思惟の森の内の様相を何一つとして知らないだろうに(知るには森への侵入が必須であり、そうなれば命はない)よく資源だの知恵だのと言えるものである。円環列島の様子が脳裏にでもあるのだろうか。しかし、深淵がそう(・・)だから思惟の森もそう(・・)だと断言するのは立派に妄想だ。

 未知のものを総じて "資源" と称しているのだとしても、いざ自身の興味対象が存在しないとなれば、この手の研究者は無価値なものとして百八十度認識を転換させる。推測の段階での決めつけはやはり妄想と言えるだろう。それとも願望なのだろうか。

 いずれにしても、久しぶりの「あなた」呼びくらいでは欠片も心証は良くならなかった。



(独り占めって…………禁域には植物も動物も微生物も、魔獣も霊獣も妖精も精霊も、辜負(こふ)族以外の全ての種族が自由に出入りしたり留まったりしているのに、彼らの存在は完全に無視なんだ……)


 我に返った後も、がなり立てる男の声を右から左へ聞き流しつつ、ぽかりと開いたカナンの唇の間を零れ落ちてきたのは溜息だけだった。

 この男にとって人以外の存在は、残らず彼らに消費されるべき "物と情報(しげん)" に括られるらしい。

 カナンを対等な人扱いしているように思えるが、本音は禁域を共有する権利を主張するのに都合の良い口実として利用しているだけだろう。

 "隣人(カナン)" がいなかった頃には、禁域から出て来た同等を主張出来る外見の妖精を()んで待ち構えて辜負族の対等を強弁し、当然の取り分として禁域への入出を要求してくる者が度々いたという話を、以前、雑談の折に精霊から聞いたことがあった。

 妖精と異世界人を明確に区別しているかどうかも怪しく、寧ろ人外の括りで利用出来るものならどちらでもいい、ぐらいに考えていそうである(アウレリウスに対する認識は? 存在自体は知られている筈だが、妖精の件が話題に上った時、関連話の中にも精霊からの言及は特になく、要求者達は彼を捕捉出来てこなかったのかもしれない)。


 それにしても個人(ひとり)が許されるなら同種族(ぜんたい)が許されて当たり前だと判ずるその思考がついていけない。そもそもカナンが現実には辜負族(どうぞく)でない時点で成り立たない論理なのだが、共有財産を主張する場合においてだけ辜負族(ひと)扱いするらしい。対して、カナンが "辜負族の領域"(禁域サイドに組している現状では、甚だ不本意な表現に思えてしまう自身の身勝手な心情は自覚している)に居るのを見つかり、"隣人" であると悟られずとも異質さを看取されれば、そこに彼女の意思はなく、かつ何もしていないとあっても、不法侵入だの密猟だのと全力で排除しにかかるのだから実に都合のいい思考回路である。




 禁域が辜負族の個人の罪に対し種族(ぜんたい)にペナルティを科すことを逆手に取られそうだが、禁域が罪と判じる事柄は、実際には禁忌の周知と厳守を徹底させるという種族自体に責任のあることであり、禁域の認識では "個人のしでかしたこと" にはならない。一個人にだけ責任のある罪の償いを同族全体に科しているわけではないのだ。


 この大陸での定住を見逃されたのは祖先であって現在の辜負族ではない。子孫にまでその権利を及ぼせたのは、種族として義務を負うと祖先が約したからだ。そうすることで禁域の業火を免れ、種族として生き延びた。それは辜負族全体を分かち難い一体の存在として扱われることへの受容でもあった。現在の辜負族は、その種族的権利の行使の上で居住しているのである。にもかかわらず、その権利と共に負った種族的義務を個人にすり替え、放棄するのであれば、禁域は辜負族に対する認識を個へ戻し、残らず大陸より排除するだけだ。禁域が個として放置(許容)した祖先は、もはや一人として生きてはいないのだから。


 これまでの苛烈なペナルティが、それでも個々の種族や国家の単位で(とど)められてきたのは、譲歩や緩和ではなく、段階を踏んでいるに過ぎない。辜負族はそのことに気付いておらず、都合よく捉えている向きも多分にあるが、このまま何一つ変わることなく同じ愚行を繰り返していくのであれば、いずれ、ある時を境に、辜負族はこの大陸から一掃されるだろう。


 不遜? 何様? それはそっくり辜負族へ返る。

 禁域はただ、この大陸を第一としているだけだ。そこに辜負族は含まれない。





「禁域という未開の土地は人族全体で所有されるべきです! 多くの者が探索し研究することで、より人間社会に有効活用される筈です!」


(あ、人族限定なんだ……)


 という揚げ足取りは声には出さなかった。

 喚き続ける男を前にカナンは最初の間抜けな一言以外声を発していなかったが、とにかくひたすらに疲れた。何だかもう聞くに堪えない。


(……鏡…………だからだろうな……)


 今の男の言葉は、地球においては当たり前だった。自然との共存を謳いながら、その "共存" は全て人間基準、人間の都合に合わせさせることを "共存" と言った。

 目に見えた、広域に影響を及ぼす破壊でなければいい、というのは欺瞞だったのだと痛感させられる(そもそも自身の行いを破壊と認識していないか、破壊がなければ創造もない、と人間的価値観至上(てまえがって)に美化していた)。

 精霊の傍らで辜負族の有り(よう)に対峙するのであれば尚更に思い知らされる。


 全ては人間の為に――――それを頭ごなしに間違いだとカナンには言えない。地球では人以外を見境なく蹂躙する行為に嫌悪感を抱きながらも自己保身から表には出さず、その結果として齎される恩恵にどっぷり浸かって生きていた。食生活、医療、住環境、数え上げれば切りがない。

 この世界に来てからも[ホーム]で他の命を踏み台に生きている。


 ―――だからといって、この男に共感はしないが。


 今は今の立場がある。辜負族がこの世界で、この大陸で何をしてきたか、何をしているかも知っている。そして、カナンは辜負族社会に依存せず、必要としているのは彼ら以外。何を、誰を守るべきかは間違えない。



 森の意図を測ろうという気にもなれず、自己陶酔に入り、もはや彼女が眼中にないらしい男を放置して、カナンは眷属(かぞく)の待つ[ホーム]へ転移した。







 * * *







「…………なんですか?」


 何処か複雑な表情で、立ったままアウレリウスが自分を見詰めてくるのが落ち着かなく、カナンはカウンターの奥から困ったように問い掛けた。



 帰宅して暫くリビングのソファのクッションに埋もれ、ヴァゴス・アニマリスを抱き上げて癒されながらぼんやりしていたカナンは、その後不意に訪れたアウレリウスをいつもの気紛れかと招き入れ、茶の用意をしていた。


「いや……俺は存外、楽な立ち位置にいるのかと思ってな」

「………………もしかして、見てました?」


 ばつが悪そうに苦笑うカナンへ、後ろめたさは見受けられないが自嘲とも取れる痛みのある表情をアウレリウスは静かに向けた。


「不可抗力だった、とは言わん。目に入ったのは偶然だが、耳を(そばだ)てたのは好奇心だ」


 そこで不穏を察して心配したと言わないのがアウレリウスらしい。


 男の言う "楽な立ち位置" とは、物心がついた頃から現在に至るまで一貫して禁域や精霊のサイドに(くみ)し、辜負族の側に立った経験のない自身の立場のことだろう。辜負族に対する共感のなさに苦みを覚える必要がない。


 かつて人間社会の歯車の一つであることを受容していたカナンが、己の二重規範を再認識して息を詰める(さま)を目の当たりにし、アウレリウスは自身の過去との比較で憐憫は抱かずとも吐息が零れる程度には彼女に対して情があった。


「この世界へ来たのは私の意思ではありませんが、ここでの生き方を決めたのは私です」


 だから自己責任、自業自得なんですよ――――自虐じみた言葉だがカナンの顔に後悔はなく、板挟みにはなっていないと受け合う。過去がどうだろうと、今、自分に正直に生きられるのなら、生きていいのならそれを諦める選択はない。そして選んだ生き方が先々でどのような事態を招こうと、どのような結末に至らせようと責任を負う覚悟はある。


「……難儀な性格だ」

「そうですか? 寧ろ単純で分かり易く楽な性格だと思いますけど」


 自分のものでもない苦労を次々と背負い込み、時に自分が干渉しても能力不足で解決出来ないと目に見えているものにまで見境なく首を突っ込み、解決出来る者を引き寄せる為の生贄に率先してなりたがるお人好しに比べれば、囲い込む範囲の線引きをかっきりしてその内の守護だけに徹する性格は実に楽だ。分かり易さはどっちもどっちだが。


「境界線をきっちり守るだけなら確かに楽だろうがな。……俺とは違い、何も感じていないわけではないだろう?」

「アウルさんの胸中は分かりませんが、"違わない" かもしれませんよ?」


 同じように何も感じていないかもしれないし、アウレリウスもまた線引きに際し思うところがあるかもしれない。


 茶化しているのではなく、男の自虐に捉えられかねない、冷徹に客観視した自己分析を自己満足に捻じ曲げたのでもなく、当人ではない者としての立場からカナンは公平な可能性を口にした。

 男がカナンの深層心理までを覗き見た上での確認だったとは考えていない。もし覗いていたのであれば、寧ろ男はこの件に触れなかっただろう。


 お互い、自分一人でどうにかしなければならない感情は、相手に対してはっきりとはさせない。

 少なくとも今のカナンはそこまで――男による救済を意識的に希う程にまで追い詰められていなかった。


(アウルさんの場合、追い詰められたら色々終わりな気がする……)


 そこで実害を被るのは( "害" は一方向的な価値観)辜負族だけだろうからカナンには問題がないようにも思える。しかし、その後のアウレリウスがどうなるかの想像がつかず、心情的には危うい。


「俺は別段、どうもならんが」

「……そういうところは読まないで下さい…………」


 片眉を上げてそう請け合う男を、無表情に困惑を隠してカナンは見上げた。


 空気を読んで、ではないが、自浄するしかない重い感情以外でも察して欲しくない思いはある。既にその存在を知られていようと、明確な形にしないで欲しい、はっきり言葉にして暴かないで欲しいと願う想いが。











 いつか自分がギリギリまで追い詰められ、壊れたとしても、アウレリウスがいるから大丈夫、どうにかしてくれる、などという無責任はしない。自分の始末は自分でつける、その為の備えはある。


 では、それがアウレリウスなら?


 万が一、男の言とは(たが)い、カナンの危惧通りになったとしても、それを受け入れたくないと思うのは酷い我儘だ。

 壊れた自分は跡形もなく消え去るつもりでいながら、男が消えるのはたとえ壊れてしまっていても嫌だ、と想う気持ちは。


 己が如何に自分本位な人間か、自覚はある。けれど、こんな感情(身勝手)はいらない。













覚書

男 テーネウェネル・ハクワスフ


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