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隣人  作者: 鈴木
本編
61/262

61 味わい深い

 緑鮮やかな大平原の中央には、まるでグラストンベリー・トーのように伏せた椀の丸みに似た、碧海に浮かぶ島を思わせる丘の隆起がある。しかし、その上に直立しているのは教会の礼拝堂跡ではなく、ぬりかべの如く聳える巨大なモノリス。表面のつるりとした、磨き上げられた御影石さながらに光沢のある、真っ黒で何の装飾も施されてない、そっけないまでのただの石柱(いし)

 本当に何の意味もない、創作的、芸術的な趣向としてでさえない、なんとなく、なオブジェとして突っ立てられているらしいそれを、アウレリウスは丘の裾から呆れとも感心ともつかない顔で見上げた。




 * * *




 アウレリウスは時々、カナンの様子見ではなく暇潰しと好奇心から[ホーム]を訪れていた。特に何をするのでもなく、空を低速で飛行し、或いはのんびりと大地を逍遙する。

 豊かな自然と伸びやかな生き物達――食物連鎖が成立している以上、生きるか死ぬかの厳しさはあるが、バランスブレイカーの "人類(ひと)" がいないからか、妙な言い方だが健全な弱肉強食の世界がここにはあり(弱と強が絶対的に固定されたものを指していると解釈する者は、自然界に「弱肉強食」は存在しないと言うが)、アウレリウスにとって<あちら>の妖精郷とはまた違った、楽に呼吸の出来る心地良い空間だった。





 一見、何の変哲もないその丘は、アウレリウスの魔眼には巨大な人型――全身に鮮やかな深緑の苔を張りつかせた土の巨人に見えていた。

 顔はモアイ像を三分の二ほどに押し潰し、鼻を短く、一文字の口をやや長くした造作だ。眼窩のような影の位置には黒目勝ちで顔の大きさに比して小さめな双眸がある。その巨人が正座をして背筋を延ばし、両掌を膝に置いた姿勢で鎮座している(<あちら>の世界に正座をする習慣はなく、カナンから聞いた)。


 不意に巨人が実にゆっくりと顔を仰向かせ、ぱかり、と口を開いた。

 何のつもりかと思えば天よりキラキラと輝く小さな何かが落下し、巨人の口の中へと消えていった。訝しんだアウレリウスは〔転移〕で巨人の頭上へと移動し、同時に〔飛翔〕を発動してその場に滞空した。先ほど煌めきが落ちてきた辺りを見上げてみると、丁度同じように何か輝く物がまっすぐに落下してくるところだった。

 アウレリウスの目の前を通り過ぎたそれは再び巨人の口の中へと吸い込まれていく。しかし今回は眼前を過ぎった時点で〔解析〕が効いた。


「………………"カンロ"?」


 アウレリウスの知識にないそれは、"甘露" である。

 運営の遊び心の一つ、中国の伝承で語られる霊水の有り(よう)だけを再現した極上の水であるが、どう御大層に表現しても所詮ただの水である。飲んだところで甘くもなければ特殊効果などもなく、利き酒ならぬ利き水でもする者なら美味と絶賛するかもしれないが、水に拘らない者なら「癖のない飲み易い水だな」くらいの感想に収まる程度である。


 眼下の巨人はどうやらその利き水の出来る者らしく、水滴を口に含む度にこの世の至福を味わうかのように陶然と目を細めている。


 その巨人の広い額の上に、ほんの少しアウレリウスが視線を外した間に奇妙な生き物?が姿を現していた。

 ぺらぺらの紙のような四角い胴体にひょろ長い手足が生え延び、頭は首なしで直接焦げ茶色の豆に似たものが載っている。身長は十センチほどしかなく、足の細さに見合わない大きなブーツで巨人の眉間を踏み締め、これまた大きな黒い手袋をした右手には何やらカップのようなものを持っている。


 解析するまでもなくその魔力の質からカナンのヴルガレスであると判別出来たが、アウレリウスは初見だった。コーヒー豆から生まれた霊獣ウッカフェウプである。

 アウレリウスに気付いたウッカフェウプはカップを持った手は上げたままでぺこり、とお辞儀をした。


「…………」


 なんとなく言葉を掛けるタイミングを逸したアウレリウスは片手を上げるに留め、ウッカフェウプも特に気にするでもなくカップを前方へ差し出し、アウレリウスの後方――遙か上空を仰ぎ見た。


 丁度そのタイミングで再び甘露が天より滴り落ちて来る。

 真っ直ぐ巨人の口へ向けて落ちていた雫は、しかし何故かアウレリウスのそばを過ぎた辺りから不自然に傾斜して行き、吸い寄せられるようにウッカフェウプを目指した。

 甘露は巨人を基準にすればごく小さな、米粒にも満たない大きさだが、ウッカフェウプにとっては自身の身長同等の巨大な水の塊である。直撃すれば霊獣といえど無事……ではあるかもしれないが巨人の上から吹き飛ばされるくらいの衝撃にはなるだろう。たぶん。恐らく。

 落とされるようなら拾い上げるくらいはするか、と泰然としてアウレリウスが見守る前で、ぐんぐんとウッカフェウプへ迫っていった甘露は衝突直前、急激にぎゅううううぅぅ、と絞られるように窄まり、霊獣が差し出すカップの中へすぽんっ、と音がする勢いで吸い込まれてしまった。


「……………………」


 カップに魔力付与が施されていることに気付いていたアウレリウスはコミカルな一連の成り行きに驚きはしなかったが、予想外ではあったのだろう、リアクションに困った態で無表情になった後、思わずというように苦笑を零した。


「あれの眷属は力の抜ける奴らが多い」


 いや、見ていて脱力する者にしか会ったことがない。

 巨人しかり、ウッカフェウプしかり、この場にいない者達しかり。


 この世界の峻厳も無情も知りながら、のんびりぼんやりのほほんとしていられるのは、彼らが食物連鎖から外れた存在であるからだけでなく、本来の気質もあるのだろう。また、この[ホーム]の安定がそうあることを許している。


 ――彼らが殺伐となる状況など無いに越したことはないのだ、現状維持で何の問題もない。




 その後、甘露を数回ほど見た目を裏切る大容量らしいカップに受けたウッカフェウプは、改めてアウレリウスを見上げ、もう一度ぺこりとお辞儀をしてから、エフェクトなしにフッと〔転移〕で消え失せた。


「…………俺よりも足下の眷属に一言あってしかるべきなんじゃないか?」


 ウッカフェウプが甘露を先んじて入手している間、微動だにしなかった巨人の静かな目を見下ろし、アウレリウスは呆れたように吐息した。


「良かったのか?」


 無表情に問われ、巨人はゆっくりとその目と口とをにこやかに湾曲させた。全く問題ないらしい。今日に限ったことではないのかもしれない。


「いらん世話だったな」


 苦笑を滲ませたアウレリウスは巨人の左の肩先へ移動し、そこから不自然に突き出している黒い石柱――モノリスを挨拶代わりに軽く叩いてその姿を消した。



 この巨人の種族名はミティス・ジガスと言う。ヴァゴス・アニマリス同様、まんまラテン語から持ってきている(ダイレクトな「巨人」からではないが)。性格設定が先か偶然か、実に似合いの「優しい巨人」という意味になる。獣ではないが彼(?)もまたアウレリウスの言うようにカナンの眷属(ヴルガレス)――つまり霊獣である。

 鷹揚、泰然の修辞に相応しいこの巨人は、リアルで五年、ゲーム内時間で十年が経ったある日、[ホーム]を拡張した際にデフォルトで配されていた小高い丘の一つが、前触れもなく息吹を得て変異した存在だった。元より[ホーム]の一部であったからか、改めて契約するまでもなく、生まれながらにカナンのヴルガレスだった。




 * * *




 時間を置いてアウレリウスが自宅にいるカナンを訪ねてみれば、キッチンテーブルの上でウッカフェウプがコーヒーカップに頭を突っ込んでいた。


「…………」

「そうやってコーヒーを飲んでいるんです」


 立ったまま無言で見詰めるアウレリウスに椅子を勧めながら、カナンは笑って解説する。

 お酒がいいですか、それともお茶にします? と訊いてくるカナンに酒と答えつつ、アウレリウスは自身で椅子を引いてどかりと座る。その間も視線はウッカフェウプに固定されたままだ。


 カップの縁に両手を置いて屈むウッカフェウプはぴくりとも動かないが、なみなみと満たされているコーヒーは僅かずつだが水位を下げていた。音もなく頭部の豆へ浸透する形で "飲んで" いるらしい。


「このぺらい体の何処に入っていくんだかな」


 軽く腕を組んで眺めるアウレリウスは感心したように呟いた。カナンに応えを望むものではなく、カナンもそれを分かっていたので言葉は返さず、カウンターを回ってキッチン前へ移動し、酒の用意に務めた。



 ウッカフェウプが生まれるまで誰も常飲しなかったのだ、当然コーヒーを抽出する為の道具はフィルターもドリッパーもサイフォンもコーヒーメーカーも、何一つとして揃っていなかった。

 それではどうやってコーヒーを入れたのか?

 ドリッパーはウッカフェウプ自ら鍛冶を嗜む山の妖精に依頼して作ってもらっていた。元がコーヒー豆だからか運営がそう設定していたからか、コーヒーを入れる為に必要な知識は持っているらしい。

 フィルターは布を使用しているのでネルドリップになるのだろうか。……と言ってもフランネルなどある筈もなく、魔獣蜘蛛(トラルルデル)の糸で織った紛い物だが。布に織り上げた後なら魔力付与である程度質感を変異させることが出来る為、その辺りの加工はウッカフェウプ自身が行っており、カナンは詳しくは知らない。


 ドリッパーにせよフィルターにせよポットにせよ、何故か大きさは人間サイズだ。コーヒーを飲む気満々でも自分で淹れるつもりはないようで、手順にあれこれと細かな指示を加えるも殆どが家妖精(ブラウニー)任せだった。

 甘露を受けたカップはコーヒーを飲む為のものではないらしく、もはや見慣れてしまった、人間サイズのコーヒーカップで出された淹れ立てコーヒーに豆の頭を浸して吸い上げている。


 ウッカフェウプがまだいなかった頃、一度だけアウレリウスの為に家妖精に入れてもらったことがあるが、その時は炒った豆を砕いて煮出したトルココーヒーのような入れ方だった。

 アウレリウスの口に合わなかったのはそれも関係しているのかもしれない、と今回ウッカフェウプの持ち込んだ甘露の残りで酒の前にコーヒーを淹れようかと提案してみたが、根本的にコーヒーの香りからして苦手ではなくとも好みではないらしく断られた。




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