59 ラブ・アフェア
円柱の建物の外側に螺旋階段がついている、所謂「山羊の塔」なるものが牧草地の一角に設置されている。しかし、そこで毎日昇降している三、四頭の山羊に似た魔獣プルカネラの内、カナンが飼育している家畜はたった一頭である。残りは言わずもがな野生の魔獣だ。
家畜といってもリードで繋いでいるわけでなし、柵で囲って行動範囲を制限しているでなし、ただ雨風を凌いだり就寝する為の家を用意し、牧草地を含む居住区と種々雑多な野生種のいるその他の区域の境界を示してあまり遠くへ行かないように躾ているだけである。魔獣の知能は言語を解する霊獣には及ばなくとも、カナンとの関係がある種、契約で成り立っている自覚はあり、上等な乳を提供し畑などの雑草を除去する(食べる)代わりに、良質で美味な魔力付与された牧草を望むだけ毎日食むことで満足を得ている(雑草と牧草は別腹らしく、畑の掃除で腹が膨れていそうでも、牧草の消費量が日によって変動することはあまりない)。
プルカネラに限らず、以前、野生の魔牛が入り込んだように、牧草地への出入りは草食の野生種なら自由である。ただ、彼らがこの地にある牧草を食べることはほぼない。家畜の魔獣達の嗜好に特化した魔力付与をしているからか、口に合わないらしい。牧草でお馴染みのイネ科やマメ科、プルカネラ用に植えてある果樹(の葉)以外の植物には何も施していないので気が向けば食べているようだが、動物の山羊と同じく、魔獣も好みがうるさいのか頻繁にあることではない。
通常の草食動物は魔獣がいる為、彼らを恐れてカナンの居住区域へは入ってこない(魔獣が草食か肉食かは関係ない)。
プルカネラもまたルデウコヌウィ同様、妊娠していなくとも乳が出る。しかし魔牛のように成獣の雄が飲む習性があるわけではない。少なくとも、現在までにカナンがプルカネラのそうした行動を目の当たりにしたことはない。
代わりに、ではないが、要因らしきものに心当たりがあった。確定ではない、もしかしたら、という程度だ。しかし、カナンは正解の一つではあるのだろうと思っている。それはラブ・アフェア―――雄との(雄 "からの" とするには雌が最初から積極的だ)求愛行動である。発情ではなく求愛と考えるのは、どうも交尾はあまり重要ではないようだからだ。
一度、理由は不明だが野生のプルカネラがゴート・タワーに全くやって来なくなった時期があり、合わせて家畜のプルカネラが乳を全く出さなくなった。そして暫く後に再び雄が姿を見せると、軽く顔をすり合わせる程度のスキンシップをしただけで搾乳が可能になった。ならば最初から番で飼えば良かっただろう、とは言っても仕方がない。飼い始めはそのことを知らず、誰も教えてはくれなかった。ゲームのシステム上?コンセプト上?実体験で知る必要があったからだ。そして気付いた時には既に野生種が常態的に入り込むようになっており、改めて雄を飼う必要性がなくなっていた。
また雄なら誰でもいいのではなく、それなりに好みがあるようで、ゴート・タワーに長く留まったり何度も現れる雄は大抵、家畜のプルカネラの逆ハーレム要員である。おまけに長く留まる個体は牧草地の牧草で腹を満たしており、家畜のプルカネラと縁が出来ることで嗜好が変わったのか、一時も離れ難く不味い(?)牧草で我慢しているのか、その辺りは流石に判然としない。無表情に淡々と草を食べる様子から山羊の心情を正確に汲み取れと言われてもカナンには無理である。精霊を介すれば分かるかもしれないが、強要しているわけでなし、自主性に任せていることで一々干渉するまでもないだろうと訊いていない。
プルカネラの外見はスイス原産のザーネン種に酷似しており、<あちら>側の霊獣コルアネフィルのような立派な角はなく、雌雄共に無角である。
頭部の造作だけでなく体長も一メートル前後で家畜化された山羊と大差ない。ただ、体色だけは真っ黒である。体だけでなく目も尾も蹄も耳の中も黒く、鼻先だけがダークグレーをしている。雄と雌は体長にさほど違いはなく、雄の方がややがっしりしている程度で個体によっては見分けにくい。カナンの家畜のプルカネラは標準よりやや小柄で、尚且つ標準より大柄な相手を好むらしく、幸いにして野生のプルカネラと戯れていても一目で見分けがつくが。
「あれだけ毎日ラブラブしているのに子供が産まれたことってないんですよねえ」
ゴート・タワーの最上階の出入り口から顔だけを覗かせ、野生の雄と鼻や頬をこすり合わせている家畜のプルカネラをやや離れた位置から見上げ、カナンはつくづくと傍らの男へ零した。
「そもそもあいつらは子供を作れるのか?」
「一応通常の動物と子作り方法は同じだったと思います。でも、考えてみると彼らは寿命がありませんし、魔獣同士は捕食対象ではなく、ここには天敵の人間は私一人しかいませんから、高い頻度で子孫を残す必要がないのかもしれません。それで繁殖しないのかも。通常の動植物が魔獣化して数を増やすこともありますし」
捕食対象でなくとも時に闘争はするが。
「その辺りは向こうもここも同じか。まあ、向こうは生殖行為より魔獣化で数が調整されることの方が多いが」
魔獣が辜負族の乱獲で減り過ぎない要因の一つだ。増え過ぎない理由はアウレリウスの言うように[ホーム]の魔獣と大差ない。
二人の観賞者の目に気付いていないのか気付いていても気にしないのか、プルカネラ達は塔の中から螺旋階段へと移動し、並んで移動するには狭い為に雌が先立って降りて行き、地上で出迎えた他の雄達も加えてキャッキャウフフとでも聞こえてきそうな交わりを始めた。
"交わり" と言っても交尾ではなく、追いかけっこやキスに見えなくもない顔へのマーキングなどの他愛ない、人間にやられたら砂を吐くか生温かい眼差しを向けたくなる類いのものだ。
「しかし雄どもはよく争わんな」
「ですねえ……」
スキンシップの対象が雌限定である一方、雄達が互いを排除しようとする行動は一切見受けられず、ある意味、行儀が良い。
正に絵に描いたような逆ハーレムでも、人ではないので価値観の相違に引き摺られ、不快になることはない。―――いや、カナンの場合、人相手でも他人事なら不快以前に無関心か(呪詛喰い男のように、カナンにも関わりのある存在に実害を出しているのであれば、仮令その迷惑の要因に恋愛が絡んでいなくとも総合的な人物評は辛いものになるが)。
対して、カナン自身が巻き込まれるとなると辛いどころか絶対零度だ。性的関係指向が一致しないと認識した時点で引かずに己の価値観に合わせさせよう――支配しようとする性状を許容する寛容さはなく、好意自体は純粋なものなのだから、などと相手の心情に配慮する善良さも持ち合わせていない。そうした属性は幼馴染みの専売特許だった。
「……にしても、ちょっと、割って入りにくい雰囲気ですよね」
「雄を追い立てるほどでもないだろう。今日でなくとも構わんぞ」
「まあ、乳搾りをしている間は、雄達は大人しくそばで見ていますけど」
そう、二人して牧草地のただ中に突っ立って、暢気に山羊達を眺めていたのはその為だった。
アウレリウスが手ぶらなのに対しカナンは空のバケツを片手に下げており、当初の目的を断念した意思表示にかストレイジバッグへ放り込んだ。
「搾乳後、直ぐその場で出来上がるものでもありませんし、アウルさんが次に来る時までには用意しておいてもらいます」
いつまでも山羊のリア充ぶりを眺めていても不毛だ、と視線でアウレリウスに移動を促してカナン自身も歩き出した。
「ああ、楽しみにしておく」
転移すれば一瞬だ。しかし、ここへ来た時同様、のんびりとした徒歩での帰途に異論のないアウレリウスは遅れずカナンに並んだ。彼女の歩く速度に合わせて大きなストライドをゆったりと進む。
「でもアウルさんが好むような強いお酒ではないらしいですよ」
アウレリウスの期待の言葉を受けたカナンは、草に足を取られないよう注意しながら、やや上目遣いに傍らを見上げ、それを裏切る可能性を隠さずに予め明示することで誠意を表した。アウレリウスから望んだこととはいえ、がっかりさせるのは本意ではない。
以前、酒絡みでシルクもどきに渋面を作らせたことがあり、あの時も一応注意喚起はしていた。味を言葉で正確に伝えることなど土台無理な話で、今回も端的な表現だけに留めたが、それでもしないよりは後の心証が違うだろう。
「興味が主体だからな、嗜好に合わず俺が渋い表情をしたら苦笑でもして流せばいい」
アウレリウスも同じ過去の遣り取りを思い出したのか、結果は気にするなと目を細めて言う。
山羊の乳で何を作るつもりだったのかと言えば乳酒である。
過去、ケフィアについて調べていた時に目に止まったこの酒のことを、雑談の折にぽろりとカナンが漏らしたところすっかり興味を持たれてしまい、保有知識は洋酒限定だと思い込んでいた家妖精が作り方を知っていたこともあって(流石に自主的には作っていなかった)材料を準備するのならついでに乳搾りの様子も見ていくという流れになった。
<あちら>に山羊であれ他の動物であれ、乳で酒を造る習慣はないのか、とは訊かなかった。単純に考えるなら、乳酒の話を珍しがるのは既知ではない――<あちら>にはない為であるのかもしれないし、あったとしても素材の元が[ホーム]の魔獣では出来上がるものも同一には成り得ず、そういう意味で物珍しく興味を持ったのかもしれない。ただ、いずれにしても<あちら>に類似のものがあるかないかは、ここで乳酒を造るに際し必要とする要素ではなく、アウレリウスが望んでいるという以外の理由はいらない。故にアウレリウスにも、[ホーム]に遊びに来ている<あちら>の精霊にも一々確かめることはしなかった。
乳酒を蒸留すると明確にアウレリウス好みだろう高アルコール度数の酒になるという情報を後々思い出したカナンが、こっそり家妖精に確認してみればそこまでは知らないらしく、雑談時に言及しなかったのをこれ幸いと、その件に関しては口を噤んだ。
蒸留酒の存在をそうして明らかにしてしまった以上、家妖精が趣味で試行錯誤をする可能性はあるが、そこはいつものように放任である。当人が満足のいくものが出来、カナンの知らないところでアウレリウスに試飲させたとしても、それも、もはや "いつもの" ことだ。
性的関係性指向
ポリジニー or ポリアンドリー:一対多数
モノガミー or モナンドリー:一対一
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